悪霊・生霊の引き寄せ

2019–11–04 (Mon) 14:35
ある霊能者が言っていたが、除霊を依頼に来る人で本当に悪霊に取り憑かれて霊障を受けている人は1割ぐらいしかいないそうだ。
原因不明の不調とか運の悪さなどを感じると、見えない世界を信じている人はついそちらに原因を求めてしまう。
しかし大抵は自分がそれを作り出している場合が多い。

よく茶碗が割れたとか物が落ちて壊れたなどは、縁起が悪い、何か良くないことがあるのではないかと思ってしまう。
私もその傾向があるので、何かある度に疑心暗鬼になりそれを意識してしまっていた。
結果実際に何か起こったりする。
しかしこういったことは殆ど自分がその時に「縁起が悪い」とインプットしてしまって、その後よくないことが起こったら自分が引き寄せてしまっていると気付いた。

それと同じで、悪霊生霊が憑いて霊障を起こしているのではないかと疑念を持つ時も、仮にそうだとしても自分自身が何かしら思い当たることがあって、それが心に残り霊道やコードを繋げていわばウェルカム状態にしているからだ。
いくら悪霊生霊なりが飛んできても受信機が無ければ電波は跳ね返されるだけだが、原因を作ってしまった覚えがあればそれにこだわる心が受信機となってキャッチしてしまうわけだ。

生霊などは誰でも飛ばしたり飛ばされたりしているが、普通は大した影響もなく終わっている。
しかし例えば恨みを買うようなことをしたり、あるいは相手に悪いことをしたという良心の呵責が大きければ、お互いの想念がコードとなって繋がり相手の思念に呼応して自分が反応してしまう。
良心の呵責があれば自己刑罰的に具合が悪くなったり不調になったりするし、撥ね退けられなくなって本当に生霊に取り憑かれる状態になってしまうだろう。

占い師や霊能者の所に行って悪いことを言われると、それが引っ掛かり自分でネガティブに落ちていく場合などもそうだ。
もっと言えば懇意にしていた霊能者とうまく行かなくなり、「報いを受ける」などと物騒な言葉を吐かれた日には、もう恐ろしくて呪いでも飛ばされるのではないかと縮み上がるが、その段階ですでに自分自身に呪いをかけてしまっている。
相手に霊障を起こせるほどの占い師や霊能者はそういないし、もし出来たとしてもそんなことをしたら闇と繋がっているので本人自身がいずれ報いを受ける。

引き寄せの法則はよく言われるが、私も最近は確かに自分が潜在意識に刷り込んでしまったことは自分が現実化しているのではないかと思っている。
「これをやったらこうなる」というのは本人が作る法則で、実は外部的な力ではないことがほとんどだと思う。
何があっても必要以上に恐れる必要はないし、現実は自分が作り出しているのだという意識を刷り込めばいい。

そして考え方の転換だ。
仮にお守りのように大事にしていたブレスレットが切れたとしよう。
これを「大事なブレスレットが切れたから何か悪いことが起こる、怖い」と思うか「代わりに切れてくれた、厄を落としてくれたからもう大丈夫」と思うかの違いだ。
前者は自分で悪いことを引き寄せるパターンで、後者はすっきりして何も起こらないパターンだ。

「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」という言葉があるが、悪霊生霊も相手にしないか、油を注ぎ燃え上がらせるかは実は自分の心持ちいかんなのだと思う。


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カード占い今昔

2019–11–01 (Fri) 14:31
最近は色々忙しくスピリチュアル的な事が留守になっていたが、最近見ているスピ系の動画あれこれでカード占いについてある特徴に気付いた。
これは何度か出た占術研究会のカード占いでもそうだったのだが、タロットでもルノルマンでもオラクルでも、カードの意味を厳守してそれを基盤にリーディングするというより、もっと自由にカードの絵柄や色などからインスピレーションを得てリーディングする人が多いということだ。

数十年前の高校一年生からタロットを始めた者としては、時代の変遷を感じずにはいられなかった。
スプレッドも自由で好きに並べてみたり自分流の並べ方を作ったりもありだし、今はタロットでもオラクルでも様々なモチーフのカードがある。
絵柄にシンボルの剣や金貨がないものもあって、その代わりに絵画のような絵になっていたりして、リーダーはそこからの印象や色、図の中にある小物などから自分の感覚で読んでいく。

カードもスピ能力で読む場合があるので、知らずにそちらにウエイトが置かれるようになっているのかもしれない。
描かれている人物が女性か男性か、顔の向きなどもヒントにしていたリーダーもいた。
確かにある種芸術作品のような綺麗な絵柄のカードを見ると、その一枚だけでもどんな印象を受けるかどんな想像が出来るかと考えてみたくなるのは判る。

それともう一つの特徴は、三つぐらいの違う種類のカードを組み合わせるということだ。
具体的にはこうだ。
例えばタロットとルノルマンとオラクルのカードを、一つの問題について組み合わせてそこからリーディングしていく。

特に動画で不特定多数を占う場合に多かったが、同じ場所に三種類のカードを一緒に置きリーディングするスタイルなので、もはやそれぞれのカードのスプレッドは関係ない。
ついでにその上にはルーンの石が置かれるパターンもあったりして、ブランクのある私にはカード占いの世界がこんなにも自由になったのに隔世の感があった。

勿論皆基本はカードの意味と最低幾つかのスプレッドは覚えておかなければならないとは思うが、しかしもしかしたらそれすらも必要なく綺麗なカード、気に入ったカードを好きに並べて感覚で読んでいくというのもありなのだろう。

私もついつい綺麗なカードに魅せられて、一つ新しい芸術作品のようなタロットカードを買ってしまった。笑



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スピリチュアル YouTuber

2019–10–27 (Sun) 15:15
私は毎日複数のスピブログを見ているが、ここ最近スピリチュアル動画の世界に入り込んでしまい、泥縄式に繋がるスピリチュアル業界の新しいスタイルを垣間見ている。
平たく言うと今の時代の流れに乗って、スピリチュアル業界ももはやブログではなく動画、YouTubeを利用するビジネスモデルが出来上がりつつあるということだ。

いかに知名度を上げるか、広く社会に認識してもらえるかというのは、ネットのブログを読むより動画で視覚と聴覚に訴えた方が、受け取り手にとっては安易でインパクトも強いからだろう。
これは本は読まないがテレビは見るという人が多い、そのままの比率になるのではないか。

いくらパソコンやスマホを開いても結局は字を読むよりは画面を見て聞いた方が楽だし楽しいからで、テレビの好きな人はもろにそちらを好むと思う。
ユーチューバーになるというのは子供の将来なりたいものにランクインしているし、訴求力としてはブログより断然勝っている。

スピリチュアル業界でも霊能者や自己啓発系、ヒーラーからコンサルまで、YouTubeで宣伝、集客を始めている。
何年もやっている霊能者などは毎回動画回数は2万を超えるし、チャンネル登録数は4万人近くいる。
内容は普通のスピ系の話で、どのスピ系ブログにもありそうな内容なのだが、そこそこ見た目もよい女性や男性が分かりやすくスピの話を解説したり神社やパワースポットに出向いてチャネリングしたりする動画は、テレビ番組を見るノリになって誰でもとっつきやすい。

カリスマユーチューバーのようにYouTube自体では大きな収入は望めなくても、それで実際の鑑定やお茶会、ツアー、コンサルなど興味を持った人がすぐに飛びついて来るので、集客システムとしては最強のツールかもしれない。

事実若めの霊能者、スピリチュアリストは続々とYouTubeに参入している。
私も何人かのスピリチュアルユーチューバーの動画を見たが、真剣にスピブログを読むよりは楽だし、画面を見なくても他のことをやりながらラジオ感覚で聞けるのも便利だ。

彼らは顔を出して衆目に晒されても平気な、宇宙系やバリバリの修行系が多いようだ。
魑魅魍魎が跋扈するスピリチュアル業界にあって、堂々と顔出ししユーチューバーになるというのはある意味チャレンジャーだが、嫉妬や同業者潰しの闇スピもついて行けない世界なのかもしれない。

いつくか動画を見たユーチューバーはもう何年もやっているそうだが、人気が出るにつれ段々価格も高くなりコンサルも毎回満員御礼で、その価格たるや軽自動車が買えるぐらいになっていた。
(スピリチュアルコンサルは安定収入が得られるので、スピリチュアリストの最終目標は、「コンサル料金一人100万円で一年間」みたいな太客を掴むのが目標だったりする)

いやはや『ユーチューバーになりたい』は今や子供から大人まで、政治家からスピリチュアリストまでの合言葉かもしれない。



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続・『痛スピ』考

2019–10–24 (Thu) 17:25
私は神社が好きでよく行くが、最近は決まった神社がほとんどだ。
かつて神社巡りに目覚めた頃は色々な神社へ行ってみたいと思っていたが、神社もやはり相性のようなものはあって、居心地がいい、また来たいと思うような神社が自分にとっては崇敬する神社になるのだと思っている。

私はスピリチュアルに覚醒してから(最近はこういう言い方も少々まずいかと思っている・笑)、神社仏閣へ行くと神様と話せるという人に二人ほど会っている。
ブログでもそんな人を見たし、スピ人間にはその手の人がいるようだ。
共通した特徴は何処の寺社でも神仏の姿が見えて話が出来ることで、見える神仏の特徴や服装も説明している。
ブログをやっている人は、家まで神様が来て頼み事やメッセージをくれるそうだ。

神様と話せる、見えるというのは往々にして、前回の記事でいう「痛スピ」にも多い。
事細かにどんな服装かも、話の内容も説明しているので、御本人的には実際に体験していると思われる。
事実この人たちは仕事として人の鑑定をしているし、最近知り合った一人も何度か話してみて霊能力があるのは確かだと思う。

以前話したことのある人は、最近消息を知ったところ「自分は元々神だった」とHPでカミングアウト?していて、神様を付けたり結んだりというワークもやっていたし、鑑定料も高額になっていた。

神社へ行ってそこの神様が見えて神様と話せるというのはあるとしても、問題はそれを売り物にして対価を取るかどうかだと思う。

他の霊能者でも神様を入れるとか守護神を付けるというセッションをしている人はいる。
神様お一人ウン十万円という価格も表示されていたりして、神様もびっくりだと思ったことがあった。
ウン十万円でも神様が付いてくれるなら有難いと思い信じ込んで運気が上がれば問題はないので、一つのビジネスツールだと思えばそれまでだ。
自分の判断でというしかないが、スピリチュアル業界は怖い世界だと思う。

スピ人間の神社仏閣へのアプローチも多岐にわたる。
神社へ行って何となく神気を感じたりすがすがしくなるというのは誰でもあるが、御神木に抱き付いて長時間お話ししていたり、集団でやってきて妙な踊りを奉納(と御本人達は思っている)しているのを見ると、神様も大変だと思う。

私も三峯神社でご眷属拝借の祈祷をしてもらい、家に一年間狼様が来ていただいているが、あくまで正式に神主さんに取り次いでもらった形だ。
私は神社へは普通に参拝し、気持ちを込めて手を合わせればいいと思っている。

勿論神様の存在を感じる霊能者も見える霊能者も実際にいるとは思う。
しかし、「神様を憑ける、入れる」というセッションに「本当に信じて何十万円も払うのか」というのは素朴な疑問だ。
信じる者は救われるにしても、さて、どうなのだろう?


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『痛スピ』考

2019–10–22 (Tue) 17:04
『痛スピ』という言葉がある。
スピリチュアル業界で同業者同士で使うこともあるし、単にスピリチュアルに興味のある人にも嘲笑的に使われることもある。

業界人同士で使う場合は「能力もないのに能力者のふりをして金儲けのために偽霊能やスピをしている」という本物を標榜する霊能者が言っている場合が多い。
仕事にしていなくてもスピ系人間を痛スピと呼ぶ場合は、知ったかぶりをしたり格好から入るスピ系人間を揶揄する感じだ。

確かに霊能力と知名度は比例しないし、中には詐欺まがいがいたりマルチ商法があったりするし、霊能が無くてもハウツーを知ればある程度商売をしていける世界だ。
また一見霊能力が凄いと思えても闇と繋がっている場合もあり、不思議な力を見せることはできる。
「悪徳霊能者に除霊と称して莫大なお金を取られた挙句、逆に変なものを憑けられておかしくされた」というのはよくある話で、そういう人が「神仏と繋がった霊能者」に助けを求めることはよくある。

最近直接、間接に「痛スピ」に憤慨している霊能者の話を聞いた。
一人はたまたま電話で話したし、もう一人はYouTubeで大々的に「痛スピ撲滅キャンペーン」をやっている人だ。。
どちらも多分霊能力は高く、特に後者は今売り出し中で神仏の力を借り能力は凄いらしい。

スピ業界は闇が深く魑魅魍魎が跋扈している。
政治と同じで最初は志が高くても金力権力と名声を手に入れると、闇落ちしたり能力を剥奪されることもある。

確かに悪どい霊能者も魔界の使者のような霊能者もいる。
霊能力だけ言ったら何処と繋がっていても凄い人は凄い。
本物偽物というふるいにかければ能力の有無で線引きは出来るが、能力があっても正邪のボーダーは明確ではなく、中には「痛スピ」を糾弾している人も実は「痛スピ」だったりする。

上記の二人の実力は私も疑わないが、共通して言えるのは「自分は本物で正しく悪をやっつける」的な正義感というか義侠心がある所だ。
それ自体はいいことなのだが、真偽、善悪の評価は誰が決めるのか?となったら、公明正大な共通の基準がなく審判員もいないわけだ。
自分が繋がっていたりついていると思われる神仏が、唯一無二の基準でしかない。
霊能の世界の実相など誰も知らないし証明できない限り、簡単にジャッジは出来ないと思う。

常識的に「大金を取られただけでかえって問題が悪化した」というのは悪徳スピで断罪されていい。
しかしそれ以外は力のない霊能者でも金集めのスピでも、ある意味そういうところに引き寄せられる客の方にも課題があり、もしかしたら痛い目に遭って学ばなければならないのかもしれない。

私はどちらがどうと言えないし、スピ業界あるあるだと思って見ている。
ただ一般論として、自分の信念を持つのはいいことだがどの世界でも価値観の多様性はあり、人に害を与えたり犯罪に抵触しない限りは「痛スピ」と排除するのは傲慢なような気がする。
排斥の陰には選民思想があって、どちらが上かという比較でしか物事を見られない。

宇宙でも神仏でも、見えない世界は幅が広い。
自分の基準からは「痛スピ」に見えてもそれぞれの霊的進化の過程だ。
「痛スピ」という言葉は、聞く方も何となく痛く聞こえる。


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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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