スピリチュアルケア

2019–05–14 (Tue) 16:07
数日前にネットで「ハーバード大学がスピリチュアルを認定」という記事を読んだ。
大がかりな追跡調査で、精神世界や信仰、宗教を生活や生き方の一部分として持っている人は平均より健康で寿命が長いという結果が出て、人間にとってスピリチュアルの存在は否定できないという結論に達したらしい。
結果についての原因や理由を分析しているが、人間関係の充実や規則正しい生活など何とか現実的な要因のせいにしたがるのはやはり研究としての面目を保ちたいためか。笑

スピリチュアルは今でも見えないものを信じるか信じないかのラインで分けられていて、信じない人が大部分でスピ人間を変な人と見る向きも多いが、実際は本音の部分で否定できないと感じている人は結構いると思う。

今や科学でも学問の世界でもスピリチュアルなものは研究対象になっており、特に生と死が交錯する医療現場では建前と本音が違う医療関係者も多いようだ。
特にスピリチュアルケアという概念が終末医療の現場では広まっている。
病気と死に人間が向き合う時、精神世界やの視点から自分を見るようになるのは避けられない事だからだ。
逆にそこを理解すると患者を病の苦しみや死の恐怖から少しでも楽にしてあげられることを、医療者は事実として確認しているからだろう。

神仏も幽霊もも輪廻転生もありえないし信じないという人は、自分がそういう世界に答えを求める必要がない人達だ。
もっと言えば人知を超えた大きなものに思いめぐらせる精神性は持たず、目に見えるものの追求とそれだけに喜びを見出せる人だということだろう。

それぞれの生き方なのでスピリチュアルに馴染む人生もそうでない人生もあって当たり前だが、スピリチュアルが科学的に研究されたり解明されていくことはこれからもっと増えるような気がする。

スピリチュアル的視点から見たら、過去も未来も人間の命も全く違ったものだ。
大抵の人間はそれを知らないで終わる。
だが、私達が生まれて死んでいく過程で、スピリチュアルというものが切っても切り離せないということは、以下のスピリチュアルケアについての引用文を読んでもらうと判るだろう。
命というものを喉元に突き付けられないとその世界が見えないのが、悲しいかな普通の人間なのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


病は(しばしば、本人にとって)何の前ぶれもなくやってくるものであり、因果関係がはっきり判らずそれが説明されない疾病も多く、そういった場合は当然のことながら「わたしだけがなぜこんなに苦しまなければならないのか」といった問い、自分の苦難の存在に関する問い・苦痛、が現れてくる。また、死を覚悟しなければならない病状になったり、他人の世話にならなければ生きることができなくなった場合、「私の人生はいったい何なのだろうか?」といった問い、生きる意味に関する苦痛が生じる。病気の状態だとしばしば、孤独感や罪責感という苦痛にさいなまれることも多く、また永遠に家族と別れなければならないと感じるので別離の予測に伴う苦痛もあり、また死後の世界のことを考える際に苦痛を抱くこともある。これらの苦痛は、単なる精神的な痛みというよりも、むしろそれを超えた"の叫び"、自己存在の根本的な意味や価値に関わる、より深いレベルの痛みと捉えることができる。これらは、「スピリチュアルな痛み(霊的な痛み)」と呼ばれる。これは、特定の宗教に属する人に現れるような痛みではなく、全ての人間に現れる痛みだと言われている。スピリチュアルな苦痛を感じている状態に対しては、(万人に通用するような)ただひとつの援助方法というものは存在しない。スピリチュアルな苦痛を癒すには、人間対人間の人格的な交わり、心の交わり、あるいは信仰心といったものが必要である。スピリチュアルな痛みは、単純に宗教家だけいれば癒されるというわけではなく、むしろ患者に関わる全ての人との関係によってはじめて癒されるものなのである。


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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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