毒出し

2019–05–31 (Fri) 16:10
昨日絵描きの友人と会って、お茶を飲み食事をしてお喋りをして来た。
全然スピリチュアル的な事には興味のない人だったが、私と話すようになってブレスレット作成を頼まれたり濃い話もするようになっていた。
私も同様に困り事などを話してお互い知恵を拝借の感じだが、昨日も一緒にいた美術団体の話になった。
ネガティブな人間ドラマや残念なシステムで成り立っている組織図を一通り口説いた後、ふと同じ立ち位置で話している自分に気付いた。

人間は意識しなくてもネガティブな部分を持っていて、それを吐き出す為に周りのネガティブな部分を見つけ出し、一緒に自らも毒出しをしているのではないかと思う。
悲しいかな人を褒めるより人を貶す方が楽な場合も多い。
勿論悪口はよくない事だと誰でも知っているが、我慢出来ずに批判してしまうことはある。
その後後悔もするが妙にすっきりもするという経験はあるのではないか。

人を褒める時に「人の悪口は絶対に言わない人だ」という言い方がある。
人間が出来ていなければなかなかそうはいかないので、美徳の一つとして捉えられる特性だろう。

霊格が上がれば周りも低い波動の人はいなくなるから、自ずと人の批判や悪口は言う必要がなくなる。
しかし誰でも徳が高いわけではなく、上の褒め言葉は「人の悪口を言うのは当たり前」という前提があるのだろう。
スピリチュアルでは嫌な人間は、自分が同じところを持っているから鼻につくという解釈をする。
いわゆる鏡の法則だ。

しかし人間関係や周りの人を起因にして生まれるストレスも含め、デトックスのためには溜めたものを封殺せず全部吐き出すのが一番早い。
ネガティブを我慢して押し込めれば自分が壊れてしまうから、毒出しとして吐き出す必要がある。
良し悪しは別にしても、常に人を批判し悪口を言って毒を吐いている人間は、いつも元気で長生きだ。
我慢してやられっぱなしの人や、いわゆる「いい人」が、メンタルを病んだり寿命も短かかったりする。
残念ながら「憎まれっ子世にはばかる」は事実だ。

昨日話した友人は常識的で良心的な判断のできる人だが、さすがに「あれはひどいよね」という話はいくつかあって、私も同調しつつ結構話していた。
最後の方になって、なぜか彼女の顔が明るくなってすっきりしたのに私は気づいた。
多分話すことによって毒出しが出来たのだろう。

負の感情でも胸に溜まってきたら、できる限りどこかで思いの丈を話した方が楽になる。
聞かされる方は大変かもしれないが、元気でキャパの広そうな人を選んで聞いてもらおう。
自分が聞く方に回る場合は、弱っている時は邪気を引き受けてしまうので避けた方が良い。

お互い持ちつ持たれつのデトックスできる相手を持っておくと楽だと思う。



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登戸殺傷事件

2019–05–28 (Tue) 16:58
今朝、川崎市登戸で19人の殺傷事件が起きた、
50代の男性がスクールバスを待つ小学生に刃物で切り付け、保護者の男性と小6の女児が亡くなった。
最後に犯人も自殺をしたが、なんとも痛ましい事件で言葉もない。

このような無差別殺人は過去何度か起きている。
池田小学校事件、秋葉原事件、養護施設やまゆり園事件。
いずれも犯人は捕まっているが、今回は自害したのでそこまで計画的だったと思われる。

被害に遭われた人達には何の罪もないのに、現実世界ではしばしば不条理な出来事が起こる。
本人には全く責任がないのに、災害や事件事故に巻き込まれ落命したり人生が変わる。
犯人が悪いのは言うまでもないが、何故私が?なぜ家族が?と思うだろう。
スピリチュアル的にはいくつか説明できるかもしれないが、そんなことは何の慰めにもならない。

ただ、場所が「登戸」というのを聞いて、私は「ああ、あの登戸か。」と思った。
ここからは私の勝手な妄想ワールドなのでスルーしてもらっていいが、日本各地にはいわくつきの場所が多くある。
古戦場や刑場、激しい殺戮のあった特定の場所があるし、また一定の地域などある程度広い範囲でも負の歴史があると怨念や怨霊が溜まりやすくなる。

登戸は旧日本帝国陸軍の兵器研究所があった。
広大な敷地に一時は1000人も働いていたという戦争のための研究所で、のちに中国で凄惨な人体実験をした731部隊もここの分隊だ。
生物兵器を作るためペストなどの細菌や毒薬を研究、それを詰めて風船爆弾を作りアメリカまで飛ばしたりした。
敗戦で戦争犯罪を逃れるため全ての資料を破棄してしまったが、どんな極悪非道な事が行われていたかは想像に難くない。

戦後明治大学の資料館となっているが、登戸はそういう闇の部分を過去に秘めた土地だ。
以前引っ越そうと思って実は登戸も調べたことがあったが、やはり名前を聞いただけで腰が引けた記憶がある。

一見不条理に見える災害や事件事故は、宿命や運命というの領域から見るしかないのかもしれない。
折しもトランプ大統領が訪日し安倍総理が彼を嬉々として軍艦に案内する時間に、日本が戦争の狂気を具現化した場所で事件が起きた。
何とも皮肉な感じがする。

被害者の方々に心からお見舞いを申し上げたい。



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誰でも霊能者

2019–05–25 (Sat) 16:06
色々な人と話していると、自覚はなくても皆スピリチュアル的な力は持っていると思うことがある。
スピ能力というと幽霊が見えたり霊視が出来たり見えないものが見える、判るというたいそうな力を想像するが、実は第六感や直観、悪い予感や閃きもそうだ。
これらは大抵ハイヤーセルフ守護霊ガイド達の報せだ。

先日、半年前に大きな手術をして今も治療中の人と偶然話す機会があった。
本人はスピ能力などないと言っていたが、話を聞いていくとかなり予感や直観が鋭い人だった。
病気の原因もわかって危ないと思っていたが先延ばしにしていた事、ギリギリのところで病気が分かりまだ死なないと直感的に感じたことなど、自分の予想通りになっていたと言っていた。
大病は警告でありメスを入れることはカルマ落とし、一つの過去生が死んでいる歳で人生のリセットになると話したら、かなり納得していた。

これまでも、物事のこれからの推移が分かったり大抵のことは予想がついたそうだ。
ただその人はそれがスピリチュアル能力だとは思っていなかったらしい。
話の流れから過去生やカルマやソウルグループなどのディープな話になった。
最後にその人が言ったことは「話している内容は今まで一切知らないことだったが、ほとんど理解できたし腑に落ちた。」ということだ。
自分は人よりそんな力が強いということを知って、目から鱗が落ちたようだった。
「これからスピリチュアルの世界に目覚めるかも?」と冗談半分で言ったが、やはり死に直面すると人間はの存在を自覚するようだ。

誰でもスピ能力は持っていても、それを自覚していないことがままある。
自分の感覚を人と比べることはないし、スピリチュアルを知らなければそれも力の一つだと気が付かないだけだ。
スピリチュアル能力は、何も幽霊が見えたり未来が見えることだけではない。
実生活の中で皆知らずに使っていることがある。

私の友人には販売員をやっていた時に、朝お店へ行く前にお客が来るか来ないか、売り上げが上がるか否かが分かったという人がいる。
お客がたくさん来る日は早く行き、来ないと判る日はゆっくり出勤したそうだ。

人は守護霊の報せ、神仏の加護、前世のカルマ、因縁や業など、良いも悪いもの世界の影響を受けながら生きている。
それを何かの折に気が付くか、あるいはそういう角度から見るようになって、人生の謎が解ける場合があるということだ。

上記の手術をした人が、あと5年は生きると言っていた。
これまでの人生で思ったことは殆ど現実になったからと。
決めたら多分生きられるだろうが逆にその通りになるので、5年を10年にするか、あるいは時間を限らない方がいいとアドバイスした。
スピリチュアルのことを勉強してみたいと言っていたから、それを知れば生きていく上で絶対に役に立つからと力説せずにはいられなかった。

誰でも気が付かないがスピ能力はあるし使っている。
そういう視点から見直してみると、思い当たることが大なり小なりあるはずだ。
それを受け入れ注意を払うと、もっともっと繋がっていくのではないだろうか。


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オーラの色を知る

2019–05–21 (Tue) 16:52
先日オーラ写真というのを撮ってみた。
遊びに行った観光地でお土産物店の一角にあったのだが、オーラの色だけならワンコインで撮れるというので興味半分でやってみた。
後から調べると単なるオーラ写真だけと体のチャクラから全身をスキャンし詳しい解説書をつけるコースがあるらしく、他でやる時は同じカメラでももっと高い料金で、私は観光地だったのでリーズナブルに撮れたようだ。

パソコンに向かって座り左手をマウスのようなものに触って体から出る微弱電磁波を測定すると、色分けされて出て来るらしい。
邪道だという霊能者もいるが、案外当たっているような気がした。
オーラと言ってしまえばスピリチュアル的なものになるが、人間の体は電磁気を帯びているのでそれを測定すると考えれば理にかなうのではないか。

私は上半身のオーラを調べてもらったのだが、その前に多分計測時に詳しく全身の微弱電磁波=オーラを機械は調べるらしい。
それを分析すればフルの料金になるのだろう。
私が見ていたパソコンの画面は最初全身とその周りのオーラを映し出したが、それが実にきれいな紫色で自分でも驚いたくらいだ。

オーラは紫色かマゼンダか銀色と言われることが多いが、それは外れていないのだと確信した。
実際の上半身のオーラ写真の色は部分的にグラデーションがあったが藍色という判定だった。
確かに写った写真ではインディゴブルーの部分が多いがラベンダーやピンクも入り頭の周りは白くて、味方によっては紫っぽいし多分オーラの見える人達は同じように見ていたのだろうと思う。

以前ソウルリーディングをしてもらった時、の色は透き通った紫と言われたから皆大きく外してはいないことになる。
多分オーラの色は自分の好きな色やいつも身に付ける色に近く、その日の気分によって変わるのならオーラの色も変わっているのだろう。

このカメラでパワーストーンを持った時と持っていない時や、自分自身にヒーリングをした前後で写した記事があったが、微妙に色が変わっているので、やはり体内から出ている電磁波も様々な影響を受けていると思う。
目には見えないエネルギーは確実に存在しているというのを改めて感じてしまった。

因みにオーラの大きさも測定してくれて、100までの10刻みでどれくらいかという測定方法だった。
普通の人は50~60くらいなのだが私は80あったので大きい方のようだ。
100になると芸能人や有名人らしいから、やはりそういう人種はオーラが大きいし存在感があったり人目を引くのだろう。
目立つ人はオーラの大きさ、つまり自分の出すエネルギーが強く大きいということだ。

オーラの色はベースは変わらないらしいが混じる色や大きさはその時の状態によって変わるので、何度か計測してみると面白いと思う。
自分の色が気になる人は好きな色やいつも着る服の色から大まかに予想できる。
そしてオーラの色の説明でその人の傾向も判るだろう。

好きな色は実はオーラの色で、ラッキーカラーなのだ。
いつも身に着けていれば、きっと自ら出すエネルギーもパワーアップするに違いない。



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言葉は凶器

2019–05–20 (Mon) 15:05
先頃国会議員が「北方領土を取り返すためには戦争するしかない」と酔っぱらって元島民にしつこく絡んだ事件があった。
辞職勧告も出たようだが所属する党を辞めただけで議員には居座り、逆に「辞めさせるなら知っていることをばらす」と開き直りのような態度を見せている。
これで東大出の元官僚というのだから、如何に今の政治や行政が堕落しているかわかる。

失言で大臣や議員を辞めた政治家は枚挙に暇がない。
しかし、最近は何を言ってももう辞めないで済むので、政治は無法地帯となっている。
そもそも失言というのは公式の場で言ってはいけないことを言ってしまうことで、本人は常日頃思っていることだと考えていいだろう。

人間関係の中でも何かの拍子に言ってはいけない言葉を言ってしまうことがある。
喧嘩してかっとなってとか、酔っ払って判断が出来ずとか理由は色々あるが、一つだけ言えるのはその内容は本人の頭のどこかに必ず存在しているということだ。
もしかしたら普段は理性が働いて顕在意識にはないかもしれないが、潜在意識の中にはある場合も考えられる。

言ってはいけない言葉内容は、普通は常識というセンサーが働くので表面には出ない。
そう思う自分を否定したり恥じたりする場合もあるが、一旦はそんな考えや感情があったことは事実だ。

お酒を飲んだり車を運転すると人間が変わったようになる人がいるが、これもそのパーソナリティーを実は持っていて、何かのトリガーで出て来ただけの話なのだ。
後からいくら後悔しても遅いのだが、その際にはあれは弾みだと思わずに本当は自分はそういう部分を持っているのだと直視するべきだろう。

覆水盆に返らずと言う。
言ってしまった言葉はいくら取り消して謝っても、もし相手が許してくれたとしても、もうすでに自分への見方が変わっている場合が多い。
親子夫婦でさえ一言が突き刺さって関係が変わってしまう場合があるのだから、他人である友人や仲間では失言一つで大事な人間関係を失うことになりかねない。
失言が問題なのではなく失言によって「そんな考え方、感じ方の人」と見方を変えられてしまうのが問題なのだ。

人間が感情のままに思っていることをみんな言ってしまったら、人間関係は成り立たなくなるだろう。
常識というフィルターで発言を選別し人と人との間は円滑にいく。
家族ならある程度人間性は判るのでむき出しの暴言も耐えてくれるかもしれないが、他人ならまずもう元の関係は望めないと思った方がいい。

口から出た言葉は取り消せない。
言霊はエネルギーだから聞いている人間の心に入り込み影響を与える。
言葉一つで地位も名誉も失うのは何も有名人に限ったことではない。
普通の人でも大事な友人や人間関係を失う場合も多々ある。

考え方や価値観は人それぞれなので、戦争をしたいと考えている人間を断罪するわけにはいかない。
しかし、社会で生きていく上で、人を不快にする言葉を慎むのは最低限のルールだろう。
ネット上では狂気のような言葉さえ飛び交う昨今だ。
言葉は凶器になるということを、政治家、市井の人間の別なく肝に銘じておくべきだと思う。



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スピ人間の孤独

2019–05–16 (Thu) 18:43
「小さな親切大きなお世話」「あなたの常識私の非常識」
誰でもこれを痛感させられることが、一度や二度はあるのではないだろうか。

人は自分の基準で物事を判断する。
それは人間関係でも同じだ。
社会人として常識的な基準は皆ある程度は共有しているが、考え方や価値観、思想信条が違うと微妙なずれや相反が起こる。
それでもそれを含めての人間関係なので仕事や職場ではうまく対応するし、利害関係が絡まない組織や友人なら離れてしまうのは自由だ。

しかしスピリチュアルの仕事に携わりそれなりのスピ能力があると、普通の人間関係でも様々な事が分かってしまったりあるいは相談されたりする。
だから、多分人との付き合い方もどこまで踏み込めばいいのか分からなくなって、普通の友人が出来なくなってしまうことも多い。

過去知り合ったスピを仕事にしている人は、敢えて友人は作らない人もいたし、出来てもすぐうまく行かなくなって殆ど友達のいない人もいた。
理由は様々あるだろうが、友達を作らない人は何かあると自分の能力を「友達だから無料で見て」と頼られるからという理由だったし、友達とうまく行かない人は力が強すぎて友人が離れてしまう人だった。

同業者同士ならある程度理解できるが、これがそうでない人ならどこまで深く付き合っていいのかボーダーが見えなくなるのかもしれない。
親切心で分かったことを伝えてもその人にとっては大きなお世話だったり知られたくないことだった場合もあるから、不可侵領域というのが分からず時に「小さな親切大きなお世話」になってしまうのだ。

かくいう私も人に言えない秘密を鑑定以外でもカミングアウトされることに慣れているので、自分にとっては当たり前のことが仕事とそうでない友人関係で厳密に線引き出来ていないのだと気付くことがある。

誰でも人に知られたくないことを持っているし、隠したり偽っていることもあるだろう。
それを話しているうちに、意識しなくても気づいたり読み取っている相手とは付き合うことは苦痛かもしれない。

エンパスや霊能者はしばしば「そんなことが分からないの?」と思うことがある。
人と同じ土俵には立てない疎外感を感じて生きてきたインディゴやスターシードは多い。
悩みを抱えている人は料金を払って占いやカウンセリングに行くが、その場限りで秘密は遵守されるからカミングアウトできるのであって、その内容を職場や友人関係の誰かが、話しているだけで気が付いてしまうのなら怖くて近づけないだろう。

勢いスピ人間は人付きあいの仕方が分からなくなり孤独を抱える。
小さい頃はもろにそうだが、案外大人になっても人間関係や家族関係がうまく行かず、孤独を抱えるスピ人間は多い。

「あなたの常識私の非常識」はスピリチュアル世界と普通の世界を説明する言葉でもあるようだ。


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スピリチュアルケア

2019–05–14 (Tue) 16:07
数日前にネットで「ハーバード大学がスピリチュアルを認定」という記事を読んだ。
大がかりな追跡調査で、精神世界や信仰、宗教を生活や生き方の一部分として持っている人は平均より健康で寿命が長いという結果が出て、人間にとってスピリチュアルの存在は否定できないという結論に達したらしい。
結果についての原因や理由を分析しているが、人間関係の充実や規則正しい生活など何とか現実的な要因のせいにしたがるのはやはり研究としての面目を保ちたいためか。笑

スピリチュアルは今でも見えないものを信じるか信じないかのラインで分けられていて、信じない人が大部分でスピ人間を変な人と見る向きも多いが、実際は本音の部分で否定できないと感じている人は結構いると思う。

今や科学でも学問の世界でもスピリチュアルなものは研究対象になっており、特に生と死が交錯する医療現場では建前と本音が違う医療関係者も多いようだ。
特にスピリチュアルケアという概念が終末医療の現場では広まっている。
病気と死に人間が向き合う時、精神世界やの視点から自分を見るようになるのは避けられない事だからだ。
逆にそこを理解すると患者を病の苦しみや死の恐怖から少しでも楽にしてあげられることを、医療者は事実として確認しているからだろう。

神仏も幽霊もも輪廻転生もありえないし信じないという人は、自分がそういう世界に答えを求める必要がない人達だ。
もっと言えば人知を超えた大きなものに思いめぐらせる精神性は持たず、目に見えるものの追求とそれだけに喜びを見出せる人だということだろう。

それぞれの生き方なのでスピリチュアルに馴染む人生もそうでない人生もあって当たり前だが、スピリチュアルが科学的に研究されたり解明されていくことはこれからもっと増えるような気がする。

スピリチュアル的視点から見たら、過去も未来も人間の命も全く違ったものだ。
大抵の人間はそれを知らないで終わる。
だが、私達が生まれて死んでいく過程で、スピリチュアルというものが切っても切り離せないということは、以下のスピリチュアルケアについての引用文を読んでもらうと判るだろう。
命というものを喉元に突き付けられないとその世界が見えないのが、悲しいかな普通の人間なのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


病は(しばしば、本人にとって)何の前ぶれもなくやってくるものであり、因果関係がはっきり判らずそれが説明されない疾病も多く、そういった場合は当然のことながら「わたしだけがなぜこんなに苦しまなければならないのか」といった問い、自分の苦難の存在に関する問い・苦痛、が現れてくる。また、死を覚悟しなければならない病状になったり、他人の世話にならなければ生きることができなくなった場合、「私の人生はいったい何なのだろうか?」といった問い、生きる意味に関する苦痛が生じる。病気の状態だとしばしば、孤独感や罪責感という苦痛にさいなまれることも多く、また永遠に家族と別れなければならないと感じるので別離の予測に伴う苦痛もあり、また死後の世界のことを考える際に苦痛を抱くこともある。これらの苦痛は、単なる精神的な痛みというよりも、むしろそれを超えた"の叫び"、自己存在の根本的な意味や価値に関わる、より深いレベルの痛みと捉えることができる。これらは、「スピリチュアルな痛み(霊的な痛み)」と呼ばれる。これは、特定の宗教に属する人に現れるような痛みではなく、全ての人間に現れる痛みだと言われている。スピリチュアルな苦痛を感じている状態に対しては、(万人に通用するような)ただひとつの援助方法というものは存在しない。スピリチュアルな苦痛を癒すには、人間対人間の人格的な交わり、心の交わり、あるいは信仰心といったものが必要である。スピリチュアルな痛みは、単純に宗教家だけいれば癒されるというわけではなく、むしろ患者に関わる全ての人との関係によってはじめて癒されるものなのである。


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輪廻転生の繋がり

2019–05–12 (Sun) 17:27
このブログを読んでくれている人は、スピリチュアルに興味があるか多少なりともスピ人間の人が多いと思う。
私も含めて幾つかのスピブログを見たり様々なスピ情報に興味を持っているはずだ。
パワースポット情報とか神社仏閣情報とかはたまた当たる占い師からスピグッズ、怪しげな場所まで調べたり共有する。
知れば行ってみたり試してみたいものもあるだろうし、私自身も何度かそういうことがあった。

総じて言えるのは万人向けと個人向けがあるということで、神社仏閣はあまり個人を選ばないが、パワースポットや遺跡などは結構合う合わないがあるようだ。
勿論占い師などはもっとその落差が大きいかもしれない。

これは個人が持つの由来や傾向、過去生などと関係あって、神社でも伊勢系や出雲系、源氏筋平家筋があるくらいだから、古代からの場所、物はそこに関わる幾多のが今生になっても影響を受ける場合があるようだ。
例えばあるパワースポットと言われる場所に行って、パワーを貰って元気になる人もいれば逆に何か調子が悪くなる人もいる。
その場所にあるエネルギーと波動が合うか合わないかにもよったり、またかつてそこを敬った人と冒涜した人達ではその子孫やの系列で、訪れた人に全く反対の作用をすることもある。

よくお化け屋敷に肝試しに何人かで行って、全然平気な人もいれば熱を出したり怪我をする人もいるのはそのせいだ。
調子が悪くなる人は、一つは霊に敏感な場合、もう一つはそこの場所や浮遊霊、地縛霊と何かしらの縁を過去生で持つ場合だ。
平気な人は全く鈍感か強力な守護がついているか、そこに縁もゆかりもない人と考えられるだろう。

スピ人間は興味があるからすぐスピ的なものを試したくなるが、スピの世界は奥行きも幅も広い。
誰も彼も御利益があるわけではないし、Aさんがいいと言ってもBさんにもいいとは限らないのだ。

では何を基準に決めるべきか。
行きたいと思い邪魔が入らず行って気持ちのいい場所や、欲しいと思ってすんなり手に入り嬉しいと思えるものは自分と波動が合っている。
意気込んで行ったり買ったのに却って調子が悪くなっても、その場所や物が悪いわけではなくたまたま自分とは波動が合わなかったと考えた方がよい。
特にスピマニアはピンとくるものや何度もシンクロで目についたものは、偶然ではないと考えてもいいと思う。

は果てしない輪廻転生を繰り返す。
今の人生で触れ合うものは全て、過去生の影響を受けていると言っても過言ではないだろう。



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香りと過去生

2019–05–11 (Sat) 16:29
私はスピリチュアルに覚醒してから特に香水が好きになった。
考えれば若い頃から好きだったのだが、香りのスピリチュアル的意味を知るようになってからは、外出の時は必ずパワーストーンと香水はつけている。
特にスピリチュアル関係の場所に行く場合は、パワーストンブレスレット、マニュキュア、指輪、ネックレス、バッチリ化粧に香水と、完璧に魔除け武装だ。笑
それでも邪気をお持ち帰りの時もあるから、そうなれば本人自身の意識の問題かもしれないが。

香水はずっと好きだったが最近好きな香りがあるのに気付き、その周辺を過去から遡って検証したことがある。
「マグノリア」の香りが好きなのだが、これは最初に若かりし頃持っていた香水で何故か匂いが印象に残っていた。
どうして手元に来たのかは忘れたが、今でも香水のボトルの映像を覚えている。

数年前も突然マグノリアの香水が欲しくなり、探していたところラッキーにもプレゼントされて大事に使っていた。
ここぞという時の「勝負香水(笑)」にしていたが、そのマグノリアに拘る理由がある時セルフヒプノをしていて分かったのだった。
それは私の過去生がマグノリアに幸せな思い出を持っていたからで、その記憶を今のも覚えていたらしい。
今世で私の後ろにいるガイドとも関係があって、その理由を紐解いていくとなるほどと思えたものだ。

が過去生から持ち越すものはカルマやネガティブな記憶の方が多いが、時には楽しかったことや幸せだったことも持って来るらしい。
どうしても好きな物や行ってみたい所、うきうきすることなど、きっとがかつて経験していた良い思い出なのだろう。
もし、そんなもの、そんな場所があれば、是非試してみた方がいい。
そして嬉しい気持ちになったり幸せを感じたりしたら、それは今のガイドが元気づけてくれているのだと思う。
「楽しい時、幸せな時があったのだよ、思い出してごらん」と。

マグノリアは私にとってそういう意味を持つ香水だと確信したのは、昨日お土産に貰った香水がマグノリアの香りがしたからだ。
ボンド・ナンバー9というニューヨークの香水メーカーの 「マディソン アベニュー」というお洒落な香水なのだが、香りをかいだ瞬間マグノリアだと思った。
買ってきた御当人も知らなかったようで、成分を調べたらやはりマグノリアがミドルノードに入っていたのにはびっくりだった。
これはシンクロに違いない。

最近は低空飛行気味だったので、元気を出してと後ろのガイドが励ましてくれたのかもしれない。
なんだか嬉しくなって今日の目覚めはとてもよかった。笑

疲れている時、辛い時は我慢せずに、好きなものを買ったりしたい事をしたり行きたい所に行ってみるのがいい。
特にどうしても拘りのあるものは、きっと過去生からが馴染んでいるものだ。

小さい頃から思い返して「なぜか○○が好きだった」と思い当たることがあったら、それを大事にするとは喜ぶだろう。


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孤独死

2019–05–08 (Wed) 17:55
知り合いの画家が孤独死をした。
なんとも気の毒な亡くなり方で心が痛む。

元気でパワー溢れる人だったが、死というものは予想も出来ない形で来るのだと思わずにはいられない。
大病をしても長患いでも長生きする人もいるが、健康に見える人があっけなく逝ってしまうこともある。
つくづく人間は寿命があるのだと思う。

一人で暮らしている以上はある程度の歳になったら孤独死の覚悟は必要かもしれない。
死だけはどんな人間にも平等にやって来ると言うが、孤独死も案外人を選ばずやって来る。
孤独死と聞くと家族のいない独り身の老人が狭いアパートで死んで発見されるというイメージだが、中には芸能人や著名人の孤独死のニュースもあった。

今の時代は結婚せず子供もいない人、離婚したり死別して一人暮らしの中高年は多い。
身寄りがない人もいるし親戚縁者とは疎遠で、何かあっても連絡したり助けてくれる人もいないという一人暮らしの人もいるだろう。
まして会社勤めもせず自営や年金生活なら社会とすでにパイプがないのだから、孤独死は他人事ではない。

私は孤独死が不幸だとは思わない。
ただ、何日も発見されず放置され迷惑をかけるのを避けることは、死が身近な歳になって独り暮らしなら考えておくべきだろう。
孤独死の場合は大抵予期しない形でなるようだ。
救急車を呼ぶこともできない状況なわけだから、亡くなり方としてはそんなに苦しまずに逝けるのかもしれない。

突然死でが死んだことを自覚していない場合があるのが、一番の問題だろう。
だから孤独死のあった部屋は、何かと思念が残ったりする。
そういう意味で、孤独死はきちんと供養だけはするべきだと思う。

誰もどこでどう死ぬかは自分で決められない。
だから然るべき年齢になって独り暮らしの場合は、孤独死は自分にも起こり得るものだと腹を括るしかないと思う。
家族に看取られ辞世の句の一つも残して死ぬのが幸せかもしれないが、孤独死も誰も煩わせず一人で自分の始末をつけたのだから立派な死に方ではないだろうか。



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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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