久しぶりの太宰府天満宮

2019–02–28 (Thu) 16:18
先日一年ぶりに太宰府天満宮へ行った。
これまでは年に二回行っていたのだが、去年は機会を逃してしまい今年もやっと節分を過ぎて一年に一度の祈祷に行って来た。
もう十年ほども通っているが、やはり神社で一番好きなのは太宰府天満宮と菅原道真公だ。
学問の神様で頭脳明晰なところに惹かれたのもあるが(笑)、何と言っても「東風吹かば~」の和歌が学生時代から印象に残っているからだ。
私の名前には「梅」も入っていたから、何か縁があるのかと無理やりこじつけてしまう。

一泊二日で福岡に行ったのだが、不思議な事があった。
数年前天神コアで手相鑑定をしている人に見てもらい、その縁で友達になって福岡に行くと会ってご飯を食べている。
友人はもうそこでの鑑定は辞めて他の仕事をしているが、算命学のプロでもあり霊感もある人だ。

今回も福岡へ行った夜に食事の約束があり、待ち合わせまで時間があったので懐かしくて彼女の居た天神コアの占いコーナーに行ってみたところ、年配の女性鑑定士が側に来て色々話をし出した。
何となくこの人は判る人だと思い霊感もありそうなので見てもらうことにした。

結局10分1000円の料金のみで30分以上も話し込み、最後は逆鑑定になり彼女の能力は隔世遺伝だとか霊能者のそのおばあさんがついて守っているという話になってしまった。
結構濃い話をして別れ、待ち合わせの友人と会ってそのことを言ったら、「彼女は自分の友達で一緒に働いていた時も助けてもらったりその職場を辞めても唯一今だに親交のある人だ」と教えられ驚いてしまった。
完全に繋がったようだ。

人の縁は不思議だ。
全くその気がなかったのに何気なく占いコーナーに足が向き、向こうから話しかけられ鑑定になってお互いの話になった。
そしてそれはその後会う友人とも縁が繋がっていたのは、偶然だとは思えない。

人間の関りとはかくのごとく、一見偶然と思うような出会いでもどこかで縁が繋がっているのだと改めて思わされた。
よくスピリチュアリストがするすると縁が繋がっていくとブログに書いているが、実は私はあまりそんな経験はない。
スピ世界に入っても「不思議な事」は実生活の中ではあまりないのだ。
しかし今回は何かの繋がりを感じずにはいられなかった。
だからこれからどうなるというわけではないかもしれないが、少なくとも3人はどこか違うところでやはり縁があったに違いない。

私が太宰府天満宮に惹かれるのも、道真公が大好きなのも、きっと今生ではないところに理由があるのだろう。



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夢占い・2

2019–02–26 (Tue) 14:42
夢について人と詳しく話す機会はあまりないが、小さい頃から夢は大抵色付きなのでそうでない夢の方が多いのを知って驚いたことがある。
確かに自分の夢も検証すると結構色付きではないものもあるが、多分印象に残るのがカラーで鮮明なものなのかもしれない。
同じ夢を何度も見るとか、同じパターンの夢で似たような事が起こるというのを何人かから聞いたことがある。
夢に法則性があるのを自覚している人だろう。

私はよく以前飛行機の落ちる夢を見ると必ず家族が体調を崩したので、これは信じていて飛行機が落ちる夢を見ると覚悟したものだ。
面白いのは飛行機が遠くに落ちると家族で、自分に向かって落ちてくると自分自身が具合が悪くなった。
普通の夢占いでも落ちるというのはよくないから、見た時点でもう暗示がかかっているのかもしれない。
もう一つ、虫が体に入り込んでくる夢も体調を崩す確率が高かった。
ミミズやムカデのようなくねくねしたものが何匹も皮膚から入ってきたらそれだけでも気持ちが悪くて目が覚めるが、その後調子が悪くなるのでそんな夢を見るとその時点で凹んだものだ。

故人が夢枕に立つというのがあるが、これは結構亡くなった人が夢に来ているらしい。
大抵は心配したり何かを注意しに来るようだが、時々命日や年忌が近くなると来ることもあるらしい。
誰かが亡くなる前には夢枕に立つというが、この場合は実際に亡くなる人が会いに来ている。

亡くなる人は死ぬ数日前から魂が時々体を抜け出し、この世で行きたかった所や会いたかった人に会いに行くそうだから、夢にも亡くなる人の意識が繋がって来るのではないだろうか。
亡くなる人が死の報せに来ることはよくある。
夢枕だけでなく、ふいその人の気配を感じたり、実際に見えたりすることもある。
ふと考えていたら後から訃報が入り、丁度その時間に亡くなっていたのが判ったりとか。

そうなるとやはり夢は向こうの世界と繋がっていると考えることが出来る。
向こうの世界と言っても様々で潜在意識だったり霊界だったり過去未来だったりと幅が広いが、少なくとも夢が古代から未来予知に使われていたことを考えると、夢占いというのはある程度の信憑性はあるような気がする。

私は今朝方フルカラーの鮮明な夢を見た。
林の中にいて大きな黄色い蝶が数匹穴の中に重なっているのを見つけ、その一匹を助けたらひらひらと頭上高く飛んで行ったのと、続けて林を歩いていたらきれいな緑色の蛇が草の中を自分に向かってくる夢を見た。
例によってググってみると結構いい夢らしいが、誰か夢占いが出来る人がいたら意味を教えてほしい。笑



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夢占い・1

2019–02–23 (Sat) 15:59
夢占いはスピリチュアルを信じない人でも興味があるのではないだろうか。
どんな夢がどんな意味かは個々に調べてもらうとして、夢占い自体について少し書いてみたい。

夢を殆ど見ない人も毎晩見る人もいて、見ないという人は覚えていないからのようだ。
しかしたまにはっきりと覚えている夢もあって、そうなると気になり夢占いをググるパターンかもしれない。

古来から夢占いというのはあって、古くはメソポタミアで夢についての文書があったり古代エジプトでもそうだし、歴史上延々と夢については見えない世界と繋がるものとして研究されてきていたようだ。
古代では神官が神の啓示や未来予知として夢を使っていたらしく、それ専門の神官もいたらしい。
時代を下るとユングを代表として心理学的に夢は研究され、人間の潜在意識や内面との関係が解明されるようになった。

しかしどちらが正解とも言えず、夢はその両方を含む様々な要素が絡まっているのではないだろうか。
スピリチュアル的には眠っている間は霊界へ行って守護霊やガイドとコンタクトし情報を貰うという説もあるし、夢はその一端を担うもので正夢や逆夢というのはそこからの報せだとも考えられる。

スピリチュアリストや占い師でも夢で様々なビジョンを見たり予知をする人がいる。
それ専用のブログを書いている人もいるほどだ。
そこまでいかなくても、誰でもひどく印象に残る夢や特別だと思う夢は何度か見たことがあると思う。

よく小さい頃から同じ夢を何度も見る人がいるが、大半は前世の記憶を夢の中で見ているそうだ。
つまり潜在意識に残っている過去生のデジャブを夢の世界で見ていることになる。
そういう意味では潜在意識が夢に現れるという心理学の研究は当たっている。

明晰夢というのがあるが、これは夢の中で夢を見ていると自覚出来る夢だ。
殆ど現実的な場面であり自分でコントロールできると言われているが、中には訓練によって見られるようになるという説もあって、自発的に潜在意識に繋がれるのかもしれない。

説明を読むと

「明晰夢を見ている状態では意識を司る前頭葉が覚醒しているため、夢の主が考えたとおりに海馬から記憶を引き出し思ったとおりのとてもリアルな夢を見ることができます。しかし、明晰夢は前頭葉が覚醒している状態での夢であるため、現実に体験しているのと同じ影響が身体に現れる可能性があるということにもなるのです」

つまりリアルな悪夢で首を絞められて苦しくなり、目が覚めても本当に首を絞められた感触が残るという感じだろうか。
あまり好んで見たくはないような気がする。笑

ただ明晰夢とは違うが、金縛りはあう人も多いだろう。
これは様々説明がなされている。
疲れた時や半覚半眠状態の時になりやすいが、本当に霊が来ていることもあるようだ。
上に乗られたり掴まれたり引っ張られたり中には首を絞められたり、はっきりとその感触はある。
中には痣が残ることもあるとかないとか。

私は若い頃毎日のように金縛りにあい、天井まで引き上げられて自分のベットを見下ろしていたこともあった。
未だに理由は判らないがそのうち収まってしまったので、何かが憑いていたのかもしれない。

あまり続くと寝るのが怖くなるから、金縛りに悩んでいる人はちゃんと原因を探った方がいいような気がする。
夢にはいい夢も悪い夢もあるが、金縛りだけはいい場合は全くない。



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言霊の力

2019–02–19 (Tue) 16:43
受験シーズンも終盤に近づき、大学などは結果の出ている学生も多いと思う。
ツイッターでも時々「合格しました!」というツイートが流れてくるが、反面涙をのんだ受験生もいるだろう。
不合格でももしかしたらそれは違う道の方がいいということかもしれないから、まだ判断はつけられない。

よく昔から「○○大学合格!」という張り紙が机の前にあるのが受験生の部屋の象徴として描かれるが、これはスピリチュアル的には最高に理にかなっている。
知らずにやっている人が大半だろうが、紙に書く、目に付くところに貼るというのは、アファメーションと同じで願いを形に表して決定するということだ。
古代から日本では言霊と言って言葉には呪の力があると考えられてきた。
悪い言葉は言ったらその通りになるからと恐れられてきたくらいだ。

それだけ言葉を口に出すと強力な作用があるということだろう。
発せられた言葉は「愛している」などは相手に温かい波動を与えるし、「死ね」という言葉は刃のように相手に突き刺さる。
言葉を言われただけで様々な感じを受けるので、それだけでも言葉が波動を持っているというのは判るだろう。

だから願いも心で思っているよりも、言葉に出した方が力を持つ。
これは声に出さなくても文字だけでも同じような効果がある。
手紙やメールでの言葉の遣り取りでも、相手に言葉の波動が伝わる。
だから頭で思うだけの時と物理的に表してしまった時では重さが違い、思っていることは言葉という媒体で生き物のようにパワーを得るのだ。

受験生が「○○大学合格」の張り紙を毎日見て自分にも刷り込みをすれば、エネルギーは増幅する。
受験に限らず願い事は紙に書くといいというのは昔から言われていて、スピリチュアルでもよく使う手法だ。
新月の願い事も紙に書く。

言葉には霊(たま)が宿る。
自分の霊性を上げるためにも、汚い言葉や乱暴な言葉は使わない方がいい。
話し方だけでその人間の品性が分かってしまうのはそのせいだ。

いい言葉は沢山発し、悪い言葉や汚い言葉は厳に慎むべきだ。
そして心から願うことは、言葉にしたりあるいは書き留めて、命を吹き込もう。



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脳とスピリチュアル

2019–02–18 (Mon) 17:37
最近物忘れが増えたような気がする。
勿論歳のせいもあるが(笑)、ちょっとネットを調べてみたら若い人まで物忘れや言い間違えを訴えている人が多いのに驚いた。

特に強いストレスやメンタルに負荷がかかると頭がパニック状態になり記憶力が落ちるようで、これは仕事や何かに忙殺されている人に多い。
医学的には前頭葉に行く血流が悪くなると記憶障害や物忘れが出てくるそうで、老人の認知症の場合は血流の低下で血が行き届かない箇所がある。
アルツハイマー型は脳自体が委縮してくるので発生機序は違うが、若者でもストレスを溜めたり鬱病になると脳の血流が悪くなって物忘れや認知機能にも障害が出てくるようだ。

それとは別に311の震災で原発が爆発し東北関東を始め汚染物質を流通させることで日本中が被曝したが、放射能の晩発性障害として認知症がある。
震災後鼻血や物忘れを訴えた若者を複数知っているが、8年経って徐々に老若男女国民には様々な障害が出てきているのではないだろうか。
死亡率はうなぎ昇りで代表的な癌や白血病の発症数は加速的に増えているし、脳疾患も脳梗塞、脳出血はもとより認知症という一見結びつかないような部分でも影響は出ていると思う。
放射能の話をすると「放射脳」と揶揄されるが、違う意味で文字通り放射脳に皆なっている危険性がある。

物忘れで今一つは、スピリチュアル的な原因というのもあるらしい。
ひと頃「アセンション」がスピリチュアルで広く言われたが、今でも続いているようでいわゆる霊性に目覚めたりサードアイが開いたり魂のステージが上がっていくに従い、肉体と精神が一時混乱状態になりインプットとアウトプットのバランスが取れなくなるそうだ。
そこでいらない記憶や大事でない記憶は消去されたり、必要のない記憶は留まったりしないということが出てくる。
物忘れが増え新しい記憶がすぐ消えるという認知症、健忘症のような状態になるスピリチュアリストもいるらしい。
検索するとその手の人が何人も同じような記事を書いているから、スピリチュアル能力と記憶の揺らぎは無関係ではなさそうだ。

物忘れや頭の鈍りの原因をどこに求めるかはそれぞれの状況から判断するしかない。
少なくともスピリチュアル的な能力のある人や最近開いてきたような人は、物忘れに限らず体に様々な変化が起こることもあるので、気に留めておいた方がいいだろう。

かつて巫女やかんなぎになる過程で巫病というのがあったが、そこまでいかなくてもスピリチュアル能力を開く時は副作用も伴うようだ。
私の物忘れは、歳のせいか放射能の被曝のせいかスピリチュアルのせいか?
さて、どれなのか悩むが、もしかしたらみんな重なっているとも考えられる。笑



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パワーストーンの報せ

2019–02–17 (Sun) 16:43
時々依頼でパワーストンブレスレットを作っているが、今回作ったのはレッド、イエロー、ブルーの三色のタイガーアイを使いラピスラズリと水晶を入れたかなり強力なブレスだった。
仕事、金運と守護をメインに組んだのだが、何度か組んでも気に入らずかなり時間がかかった。
組める時は石の組み合わせも配色も一回で決まりゴムの結びまで全て一度で収まる時もあれば、なかなかしっくり来なくて同じ石でも配置を変えたり大きさを変えたり、ゴムを結んで完成しても翌日やはり解いてまた組み直すことがある。

今回も時間が掛かった方だが、無事持ち主に渡すことが出来た。
元々カードで占ってから作ることになったのだが、ルノルマンカードで鎌のカードが出て断ち切る必要のある問題を抱えているのが分かり、御本人も「やはり」という感じだった。

渡す時に念のためサイズ直しの用意をして行ったところ、やはり調整した方がいいということになりその場でもう一度サイズを直すことにした。
小さな石を入れ直して組みながらゴムを伸ばしたところ、いきなりゴムが切れてバラバラと石が落ちてしまったのだ。
そんなに強く引っ張ったわけでもないので、私もどうして切れたのかわからなかった。
今まで依頼を受けて製作途中に何度か強く結んだときに切れたことはあるが、このパターンで切れたのは初めてで、まして御本人を前に切れたのだから偶然とは言えないような気がした。
もう一度組み直してサイズもよくなり右手首に収まって喜んでもらえたが、折角なのでもう一度カードで占ってみることにした。

二回違うスプレッドで占ったのだが、やはりまた二回とも鎌のカードが重要な場所に出た。
ブレスレットのゴムが目の前で切れて、鎌のカードが2回も出たのだから、これは完全な啓示だと思わざるを得ない。
御本人も改めてその課題を納得されたようだった。

思うに守護霊ハイヤーセルフなど強い知らせがある時は、ブレスレットでもカードでも色々な媒体を使ってシグナルを送ってくれるようだ。
いつもはそういう見えない世界のアドバイスに気が付かないものだが、アンテナを立てて不思議な偶然があったりシンクロがあったりした時は、もしかしたらこれは後ろの報せなのかもしれないと考えてみた方がいい。

この世には偶然はなく全ては必然だという。
いちいち出来事の意味を考える必要はないが、少なくとも同じことが重なったり気持ちに引っかかるものがあったら一歩引いて客観的に見てみた方がいいのではないか。
そして困った時は後ろの存在に助けを求めたら、必ず何らかの方法でサインを送ってくれるはずだ。

誰にでも守護霊やガイドはいる。
それにはまず自分は守護されているということを心から信じよう。



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『~のせい』と『~のおかげ』

2019–02–13 (Wed) 16:53
前記事で「おかげ様」について書いたが、「~のおかげ」と「~のせい」の違いについて考えてみたい。
よく人はいいことがあったら「~のおかげ」と言い、悪いことがあったら「~のせい」という。

何でも自分以外に原因を求めたがるのは人間のサガだが、特に悪いことについては多い。
「~のおかげ」と「~のせい」は表裏一体で、前者はポジティブな出来事の場合で後者はネガティブな場合だ。
対象は同じでも自分にとっていいか悪いかだけで、言い方が変わる。

しかし時としてネガティブな「~のせい」が未来には「~のおかげ」になることがある。
過去を振り返れば誰にでもあるのではないか。
その時は大変でも結果的にあのおかげで違う道が開けたとか、成長できた、いい経験になったと思えることがあるはずだ。
当時は「~のせいでこうなった」と恨んでも、ずっと後になって「あれがあったから今日がある、あれをバネにしてここまで来られた」と考えると「~のせい」が「~のおかげ」に転換する。

私自身も絵の世界にいて、若い頃は随分人間関係で苦労した。
媚びるのが嫌いで常に単独行動だったので、生意気と見られたりいわゆるお局様や大センセイにはあからさまに冷遇されたこともある。
しかし当時はそれを制作のモチベーションに出来たし、その結果ここまで来られたと思っている。
だから今となっては、私に試練を与えてくれた人達のおかげだと考え、彼女、彼等には感謝している。

人間とは弱いもので、特に組織や団体は利害関係で成り立っていることが多いから染まってしまう。
欲や権力にしがみつく者はあからさまに人間の感情を剥き出しにして時には子供じみたこともするが、彼らの器量の狭さやの未熟さを理解出来るようになると同じ土俵にはいられなくなる。
だから、その関係から脱却するために努力しステージを上げれば、彼らは逆説的に恩人なわけだ。

人生に苦労や試練は付き物だ。
霊的進化のために自ら苦難を決めて来たと言われるほどだ。
だから齢を重ねが成長すると「~のせい」が減って「~のおかげ」が増えてくるだろう。

何にでも感謝する「感謝教」とは違うが、人生の最後の方には「おかげさまで生かしてもらった」という境地になりたいものだ。
誰でも辞世の句で「幸せな人生だった、人生の全ての物に感謝します。」と言うことが出来たらと思う。



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エネルギーは回る

2019–02–12 (Tue) 15:13
先日嬉しいことがあった。
このブログを何年も読んでいただいていて一度お会いしたこともある方が、京都大覚寺の節分祈祷で私の分もお願いしてくださり、個人名の入ったお札を送ってくれたのだ。
去年秋に霊障に悩まされ体調を崩したのをブログから読み取ってくれたらしく、心配して無病息災の御祈祷をご家族と一緒に私の分も申し込んでくれたという。
私の好きなお大師様の総本山で祈祷していただけるなんて感慨一入だった。

このブログは何度も負担になって止めようかと思ったこともあったが、読んでいる人がメールをくれたり実際に会ったり、あるいはブレスレットを頼まれたり、少ないながらも人との繋がりを実感することが出来るので、その都度ブログをやっていてよかったと思わされる。

大抵のスピリチュアルブログは何かしらスピ系の仕事をしている人が営業の一端としてやっていることが多い。
勿論スピリチュアルを知る上で参考になったりするので私も複数のブログは定期的に読んでいるが、ビジネス絡みだと必ず定期的に仕事の告知が入っている。
しかし最初からこれは備忘録のつもりで書き始めたし、いまだに題名通り「独白」状態だ。
このブログもこっそりリンクにスピリチュアルカウンセリングのHPを入れているが、一時ヘビーな人ばかり来て体がもたないと思ったらぱったり来なくなってそのまま放置してあるHPなので、多分ブログを読んでいる人も存在を知らないだろう。笑
最近はまめに記事を更新するようにしているが、日記ブログではないので何年もやっているとネタが尽きたり重複する場合も出てきてしまう。
何とか新しいテーマを考えようとするが、それだけで時間を使ってしまうこともある。

物凄いアクセスの開運人気ブログがあるが、そこはもう重なることを前提に似たような内容の記事はリンクできるようにしているので、そういうやり方の方がいいかもと思いもする。
しかし、このブログは比較ならないほどのマイナーでコアなブログなので、やはり現状は「気が付いた時にはスルーで」とお願いするしかない。

ただ、本業は人と話すことがない仕事なので、ブログを書くことは私自身のためになっているのも事実だ。
そしてブログの縁で、自分の知らないところでわざわざ祈って貰えたなど、とても有難いことだと思う。
昨日偶然ある人と話していて、気やエネルギーは回るということを言ったばかりだった。
外に放ったエネルギーは、いいものも悪いものもいずれ形を変えて自分に返ってくる。
善を成せば直接その時返って来なくても天への貯金になり必要な時に戻ってきてくれるし、悪を成せば必ずいつかその報いを受ける。

「おかげ様」という言葉があるが、一対一の個人の関係ではなく多くの人が繋がりの中で気やエネルギーを流し回り回ってまた戻って来るのだと思う。
それぞれが気付かないところで「おかげ様」の遣り取りをしているのだろう。
生きとし生けるもの、森羅万象全ては繋がっている。

私ももっともっと「いい気」を放ちたいと改めて思った。



睡蓮―雲ー





毒親と虐待

2019–02–08 (Fri) 17:45
毒親という言葉があるがこれはここ十数年で使われるようになった。
この言葉が出て来た時に、自分の親のことだと思った子供も沢山いたのではないだろうか。
大まかにいえば子供に有害な親のことだ。
虐待は言うに及ばず、暴力はなくても生育の過程で子供に有害な影響を及ぼす親は毒親だ。

子供を否定したり劣等感を植え付けたり生涯心に残るような傷を与える親は、毒を吐きながら子供を育てている。
毒親という言葉は、親は子供に愛情を持つと美化する社会通念を覆す認識だと思う。

今般の虐待死事件もそうだが、鬼畜のような親は歴史上何処にでもいる。
日本でも江戸時代は折檻は当たり前だったし、生まれた子供の間引きや、年端のいかない女児を女郎屋に売るのもよくあった。
虐待は通報すべきという社会認識が出来上がる前の昭和は、小さい子が突然死んでも事故だと言えばそれで済んでいたように思う。
あの頃も確実に虐待はあったはずだ。

毒親という考え方が認知されるようになって、自我が芽生える歳になったり大人になってからも、自分の親は毒親だと気づく子供が増えた。
虐待はそれなりの防御策があるが、明らかな虐待ではない毒親に対しては子供自身が戦うしかなく、早々に家を出たり長じては親との接触を断つなどするしかない。
親になっても人として失格と思うような人間は山ほどいる。
的に見ればまだ幼稚な子供、未熟なが親になって、人間を学ばなければならない設定だろう。

毒親を持つ子供は親だからと言って尊敬したり好きになる必要はないし、そういう自分に良心の呵責を感じる必要もない。
むしろ毒親を毒親だったと自覚させ反省させるべきだ。
何故なら親子の関係が的には逆転している場合が多々あるからだ。

「虐待の連鎖」と言われるが、そういう環境に育った子供は二通りの道を歩むようだ。
一つは本当に連鎖して同じことを繰り返すケース。
幼少時から叩かれれば子供は叩くものだと刷り込まれるから、残念ながら親になったら同じことをする。
もう一つは知識と知恵を得て自分の親を反面教師にし、同じ轍を踏まないケースだ。

呪縛のように虐待は連鎖すると、虐待された子は大人になって思うらしい。
一生そういう足枷を子供にはめるのが虐待の罪深さだ。
『親を親とも思わない』と親側は使うが、毒親を持つ子にとっては逆にそれが一番必要な言葉ではないだろうか。



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虐待とスピリチュアル

2019–02–07 (Thu) 15:33
千葉で小4の女児が虐待死した。
実の父親が虐待して殺したのだが、母親も子供への虐待を手伝ったとして同じく逮捕された。
母親も虐待されていたそうだからこれはよくあるパターンで、自分へ向かう暴力を避けるために虐待に加担している場合もある。
父親は逮捕されても躾だったと言い張っているそうだが、前居住地の沖縄糸満市にいた当時も児相が何度も入り千葉へ逃げるように転居した時も糸満市からの申し送りが転居先にあったそうだ。

背景を探ったら典型的な虐待ケースだが、この父親は多分子供が死ぬまで虐待を止めなかったろう。
DVや虐待は本人も説明がつかない狂気でやっているケースが多い。
シリアルキラーや変質者もそうだが、ただやりたい、衝動が抑えられないという状況でやってしまうらしい。
一人の人間として見れば異常者だが、スピリチュアル的には色々な説明はつくようだ。

虐待の場合は対象が決まっている。
誰でも虐待するわけではなく妻や子供という特定の相手にしかしない。
中には子供が何人かいても平等に虐待するわけではなく、一人を選んで虐待する場合もある。
こんなケースは魂的な関係としか説明はつかない。

虐待についてはスピリチュアル的には、いくつかのケースが考えられる。
未熟な親の魂を成長させるためにもっと上の魂が虐待される役割を引き受けて子供に生まれて来た、過去生では全く反対の関係でそのカルマを解消するために逆の立場で生まれて来た、今回のように大事件になって社会を啓蒙するためのミッションで来た、等々何通りかのパターンがあるようだ。

かつてアメリカでメーガン法という常習性犯罪者に対する法律が作られたが、これは二歳の女児メーガンが性犯罪で殺害されたメーガン事件がきっかけとなっていている。
アメリカが性犯罪を許さないために、法律に彼女の名前が付けられたのだ。
メーガンはこの法律を作り、性犯罪被害を防ぐために来た魂かもしれない。

スピ的にどんな理由があるにしろ、虐待された魂は霊的進化が著しく虐待死であの世へ帰ると飛び級扱いだと聞く。
しかしそれはあくまで見えない世界の話で、現実に悲惨な虐待を受けている子供たちが年々増えているのだから、この虐待死事件は社会への警鐘と考えなければいけないのではないだろうか。
どんな魂の理由があるにせよ子供を虐待する親は毒親で、厳罰に処すべきである。

今回色々調べていてぞっとしたが腑に落ちた専門家の指摘があった。
虐待でもDVでも、被害者が逃げたり行政に保護されても血眼になって加害者は取り返そうとする。
泣いて反省し改心を約束するので関係者も騙されるが、虐待の加害者が被害者に執着して一緒に住みたがるのはただただ虐待の対象を取り返したいからだそうだ
だから家へ帰すともっとひどい虐待が始まるということが多く、中には帰して間もなく殺されてしまったケースもある。
虐待出来なかった空白の時間を埋めるために、更に虐待に拍車がかかるのだろうか。

なんともやりきれない話だが、虐待も犯罪と一緒なので強制的に引き離し刑罰を科すしかないように思う。



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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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