神社で考えたこと

2019–09–02 (Mon) 15:25
先日久しぶりに龍神の神社へ行ってきた。
夏の間あまりにも暑いのでなかなか行かれなかったのだが、偶然スピブログを読んでいたらその神社へ参拝した話が載っていて、龍神の話もちょくちょく人との会話の中で出て来たので、これは行った方がいいということだと思い出かけたのだった。

今回はその神社へ行き出した頃毎回見ていた黒揚羽が、なんと二度も姿を見せてくれておまけに側に来てくれたりして感激だった。
神社には黒揚羽はよくいるのだが、去年は一度も見ることが出来なかったので、やはり気持ちが届いたのかと嬉しくなった。

久しぶりの神社は、心が洗われるような気がする。
最近は占術の方に夢中になっていたが、やはり神仏は違う次元だと思う。
占術では未来予想もできるし霊視リーディングでは見えないものが分かる。

私が今やっているインド占星術では人の人生まで読み解けるし、未来予想図も描けるが、ではそれは全て当たるのかというと大家でもせいぜい7割ぐらいらしい。
なぜなら未来は変わるし、選択の積み重ねだからだ。
過去を検証して確かに当たっていることが多いのは事実だ。
しかし、事前に未来を知ってもその通りにはならないのが人間の人生だ。
良い事ならそのままでよいが、悪い事なら逆に知って回避の方法や生き方の工夫をするべきで、そのための占術だと思う。

運命論はしばしば確定的に語られるが、運命は変えられる。
予言は何もしなかったらその通りになるとよく言われるが、知って何かしたら変わるから予言はなかなか当たらない。
未来は怖いから知りたくないという人も多いし、ましてインド占星術などは寿命もわかるから怖すぎて無理、という人もいる。
しかし反対に知りたい人間ももいて、そのためにインド占星術を始めたという者もいるそうだ。

占術は所詮人間のすることで限界がある。
自分自身を調べていて、ある種これは達観と解脱の学びだと思うところがあった。
霊視でもリーディングでも未来を読み解くことは、神の領域に足を踏み入れることにもなる。
知れば知るほどゆるぎない自分を持っていないとだめだと改めて思う。
導き出たことをどのように使っていくかによって、占いも鑑定も諸刃の剣になるからだ。

そんなジレンマを抱えつつ神社へ行き、境内でしばらく座っていた。
そしてふと、私はインド占星術というスキルを身に付けることによって、自分自身のスピリチュアルへの取り組み方をまた試されているのかもしれないと思った。



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龍神の神社

2019–07–11 (Thu) 14:33
先日、よくお参りに行く神社へ一年に一度の祈祷をしてもらいに行ってきた。

縁があってここ数年通い出した龍神の神社だが、一か月に一度くらいは行くので親近感を覚えている。
中でも大黒様と恵比寿様を祀っているお社が好きで、置かれている沢山の大黒、恵比寿様の仏像はどれもニコニコ笑っていて心が和む。

その隣にかなり強いお稲荷様のお社もあるのだが、参拝しようとしたらお賽銭箱が盗まれたという張り紙があって驚いた。
よりによってお稲荷様の御賽銭箱を盗むななんて天罰が下るよ~、と思いそうだが、なぜか私はそこまで思えなかった。
勿論賽銭泥棒は罪深いが、よほどお金に困るか事情があったのかもしれない。
神様は天罰など与えないが、いずれは自分に返ってくるだろう。

賽銭を上げる人もいればそれを盗む人もいるのが人間社会だ。
中には現世利益のためにお賽銭を上げる人もいるだろうし、そういうお賽銭は自分の欲を満たしたい引き換えだったりする。

神社仏閣は様々な人間の思念や思惑やときにネガティブな感情も引き受けている。
御利益があるかどうかは、お参りする自分の心が反映する場合も少なくない。
よく神社にはお願いではなく御挨拶と御礼でと言われるが、ついお願いをしてしまうのが人間の性だ。
御祈祷は具体的に神様へのお願いを取り次いでもらうことだし、もしそれが理に適う願いなら神様は力添えをしてくれるかもしれないが、まず自分がどういう生き方をしているかも問われるのではないだろうか。
困った時の神頼みだけでは神様も困ってしまうだろう。

御祈祷の後神主さんとお話しをさせてもらったが、名前を覚えていてくださってとても嬉しかった。
もう通って4年にもなるのだと感慨深いものがあった。

蛇足だが、祈祷をしていただいた後お札やお守りなどが入った紙袋を頂いたが、その中に日本会議と思われるフライヤーが入っており、憲法改正の必要性を書いていた。
大抵の神社は日本会議に入っており、日本会議は政権に強力な影響力を持つ。
現政権が改憲に血眼になっているのも、支持母体の要請も強いからだ。

この神社は崇敬しているし神主さんたちもいい人ばかりだが、神社が政治関与や改憲運動に利用されるのは神道からは逸脱しており残念でならない。
神社本庁も日本会議という政治団体に牛耳られていて、本来のあるべき姿からはかけ離れているように思う。
神様たちも決して神職たちが政治活動をして、改憲や政府を動かすことは望んでいないだろう。


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十一面観音

2019–04–05 (Fri) 16:10
先日東京の根津美術館へ仏像を見に行って来た。
東京の南青山にあり、実業家・初代根津嘉一郎の蒐集品をもとに、国宝、重要文化財を多く含む日本・東洋古美術を展示する美術館だ。
重要文化財の仏像も数点あり、広い庭園はタイムスリップしたような古い趣で苔むした仏像や石塔の類が随所にあって、天神様の小さな神社まであった。

実はある人に観音様との縁を言われて、しかも十一面観音と特定されたので、にわかに十一面観音に会いたくなって麻布の長谷寺にある大きな十一面観音像と根津美術館の重要文化財にもなっている十一面観音像を見に行って来たのだ。
最近は神社巡りが多くて神様に縁が出来ているが、若い頃尼僧の過去生を祈祷師の僧侶に指摘され睡蓮の絵もライフワークとして描き続けていたので、確かに観音様にも縁があるかもしれないと思い出した。
それが十一面観音かどうかはわからないが、若い頃は出家したいと思ったこともあったくらいだから(笑)、仏縁があるのも当然と言えば当然かもしれない。

十一面観音は頭の上に11の顔があって360度全てを俯瞰しているそうだ。
男女判らないような柔和な面立ちだった。
どちらの像も気持ちが癒されて、しばらく見入ってしまった。

観音像も素晴らしかったが、根津美術館の庭園も神社仏閣並みかそれ以上にかなり強い気が流れていて、いわゆるパワースポットになっていた。
特に小さな滝があるのだが、そこが一番気が出ている場所で、写メを撮ると何かが確かにいると思うような不思議な写真が撮れた。
スピ人間は龍神が写ったとか神様がいるとかすぐFBに上げたがる画像で、最近はそういう言い方にいささか引いている私でも、ここはちょっと違うと思ったくらい単なる逆光と言えないような写真も動画も撮れる。

美術館とお寺とかなり歩いて回ったし、庭園でも長い間ぐるぐる巡回したのだがちっとも疲れなかったので、やはり行くべくして行ったのかもしれない。
突然前日に思い立って調べてみたら、近いところに二つも十一面観音像があると判って速攻行けたのでちょっと不思議だった。
根津美術館の庭園の方もかなり強力な気が流れているので、東京の隠れパワースポットと言えるだろう。

心が疲れている人は根津美術館で仏教文化に触れ、仏像と庭園で浄化とパワーを貰ったらいいかもしれない。
美術館から歩いて20分ほどの所に麻布観音が観覧できる長谷寺もある。


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参拝の心得

2019–01–08 (Tue) 12:00
少しずらして新年の初詣に行ってきたが、凶のおみくじを引いて凹んでいる。笑
今月はあと二か所いつも行く好きな神社へ初詣を兼ねてご挨拶に行こうと思っているが、さてどんなおみくじになるのやら。
多分占いもそうだが悪い卦が出たりカードが出たりして、それにロックオンされるのが一番よくないと思う。
戒めでもあるし、自分のその時の心境がそれを出した可能性もある。

凶のおみくじは同行した身内が正月早々大変な不運に遭い、それを引きずってのお参りだった。
お参りの時ぐらいは清明な心で神仏に手を合わせた方がいいといつも思う。
すがりたい気持ちで手を合わせるのならまだいいが、神仏に参る時の作法を忘れたような心持や態度で参拝するなら行かない方がいいだろう。

一年の厄除けの祈祷もしてもらったが、大きな仏閣なので大勢の人が祈祷を受けていた。
多くの人のエネルギーが護摩木の炎に注がれて凄いパワーだった。
太鼓と僧侶たちの読経で厄払いの効果は絶大だと感じた。

残念ながら何か貰って来たらしく帰りは鼻水が止まらず右肩が異常に痛くなった。
一晩寝てそれは落ちたようだが、神社仏閣に参る時はいいコンディションで気持ちが安定している時の方が良い。
よく強い神社は弱っている時に参ると逆効果だと言われる。
特に大きな神社は物凄い人達の正負のエネルギーが渦巻いているので、心が荒んでいると人々が落として行った負のエネルギーを貰ってしまうからだ。

おみくじの凶を教訓として、神社仏閣に参拝する時は曇りのない気持ちでいい状態の時に行くべきだと新年早々反省している。
ちなみに凶のおみくじは、これ以上悪いことはないからあとは上がるだけと考えた方が良いらしい。
何事もポジティブシンキングで。笑


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神社参りの意味

2018–11–10 (Sat) 17:27
私は神社が好きで定期的にいくつかの神社に行く。
祈祷してもらったり宿坊に泊ったり自分の浄化も兼ねて通い、実際本当に助けてもらっていると感じている。
しかし最近ふと思うところがあって自分自身の内観をしてみると、神社参拝で反省すべき部分や姿勢を改めなければならないのではないかと気付かされた。

よく、神社はお願いに行く所ではないと聞く。
参拝の時にはお礼と感謝で十分だと。
しかし大抵の人は御利益を期待したり願い事をする。
祈祷では神職が神様に祈願の取り持ちをしてくれるし、参拝客が増え皆が神様に手を合わせればそのエネルギーを得て神様もパワーが増すのも事実だろう。
それでいい循環が出来れば理想的だ。

しかし人間は弱いもので「苦しい時の神頼み」という言葉通り、困った時だけお参りに行ったり縋ったりすることも多い。
私も最初は好きな神様にお参りし神気を感じ自分が浄化されていくような気持になるだけで嬉しかったが、時に困り事があったり窮地に陥ると神社へ行って神様にお願いしたのも何度かあった。
勿論崇敬する神社で助けて貰ったと思った時はお礼参りもし、ますます神様が好きになっていった。

だが、ふと気付いたのはいつの間にか本末転倒になってしまっているのではないかということだ。
困った時は神社へ行って助けて下さいとお願いする。
そういうことが多くなっていないだろうか。

商売繁盛とか儲かりますようにと現世利益を求める参拝をどちらかというと否定的に考えていたのは、人間の欲を神様にお願いしてはいけないと思っていたからだ。
しかし例えば厄落としでも縁切りでも命を救ってくださいという切実な願いでも、実は神様にお願いするということについては変わらない。
神様は内容を選ばないと言われる。

ただ、もし御利益があるとしたら実は本人自身が最大限の努力をして、もう出来ることは全てやったという上で神様にお願いした時だと思う。
自助努力もせずに他力本願で、あっちの神様こっちの神様お願いしますではいけないのではないか。
もっと言えば御利益も諸願成就も、自らの努力や持っているパワーが不可欠で、それを呼び覚まし引き出して最大限発揮させてくれるのが神様の力であり神社参りのあるべき姿ではないかと思ったのだ。

ブログの最近の記事で「天は自ら助くる者を助く」「人事を尽くして天命を待つ」と書いたことがあったが、これが今日はリフレインしていてこの記事になった。
一昨日昨日と三峯神社へまた一泊してきたのだが、神様が私に教えてくれた言葉のような気がする。


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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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