三峯神社再訪

2019–11–09 (Sat) 18:00
一昨日、昨日と一泊で久しぶりに三峯神社へ行ってきた。
去年拝借した御眷属様をお返しに行き、また新しいご眷属様を拝借するためだ。
今年は何度か行こうとしたが都合が悪くなったり宿も一度キャンセルして、思うようにお参りできなかった。
出雲大社も熱を出して行けなかったし、何となく今年は神社巡りがスムーズではなかった。
三峯神社も直前に体調が悪くなったりしたから、ストップがかかったのかもしれない。

久しぶりの三峯神社は静謐に包まれていた。
特に御眷属様を祀っている御仮屋は人も少なく森閑としていた。
本当に狼様がいるような気がする。

早朝の御祈祷を終え境内の様々なお社を参拝して歩いたが、朝早くはやはり空気が違い、御神木も生気を取り戻したように触ると何かエネルギーが来るような気がした。
おびただしい数の参拝客が御神気を貰うために触っていくので木肌が剥けて赤褐色になっており痛々しいが、毎日夜中に精気を充電して触れる人々に神気を分け与えてるのだろう。

無事御眷属様を拝借して帰るバスで、一緒になった女性と話してきた。
十年前から神社巡りをしているそうだが、スピ系の人ではなく古事記が好きなので主に古事記の神様の神社を巡っているそうだ。
色々話していくと、やはり呼ばれたと思う神社があるようで、そういう神社は台風が来ても、悪条件でも何故か行けることになると言っていた。
それもこんな「偶然が?」と思うようなシンクロが起こるらしい。
そして大抵そういう神社は来てよかったと思えるそうだ。

その話を聞いて、やはり神社は呼ばれるんだと改めて思ったものだ。
特に強い神社ほどそうらしい。
強すぎると体調の悪いときはかえって逆効果だとも。
それは実体験としてよくわかる。

私よりはるかに沢山の神社へ行っているので、とんだ参拝客のエピソードなどを教えてくれて結構笑った。
祈祷札には必ず記名してもらうが、大きな神社は新米神主が書く慣例があり必ずしも達筆とは言えない筆文字の場合もある。
出雲大社で祈祷札の字が下手だから書き直してもらうと怒っていたおばさまがいて、大国主命様も苦笑いだねと話していた。
確かに色々な神社へ行くと「トンデモ参拝客あるある」が体験できる。

まあ、人それぞれだし神社へ参拝に来る気持ちがあるだけでも、まだマシなのかもしれない。
面白い話が聞けて、世の中には私など比にならない神社仏閣巡りのマニアがいるのだと感心してしまった。



DSC_0889.jpg





イケメン神様

2019–10–06 (Sun) 17:13
風邪を引いたおかげで明日から三日間出雲大社へ行く予定をしていたのだが、泣く泣くキャンセルをせざるを得なくなった。
一年に一度は行こうと思っていたのだが、去年は体調不良を押して行ってしんどかったので、今回は迷った末パスをした。
出雲大社は一昨年初めて行って巨大な大国主命の像に圧倒されてしばらく動けなかったくらいだから、一年に一度はイケメンのカッコいい大国主命様に会いたいと思っていたのだが、今回は体調回復に専念することにした。

太宰府天満宮の菅原道真公と、出雲大社の大国主命は私のミーハー心を刺激する二大神様なのだが、いかんせん遠いのでちょっと会いに行ってきますというわけにはいかない。
三峯神社の日本武尊の巨大銅像も好きなのだが、ここは年に何度かは行ける距離で、今回もバタバタしていて予定が狂ったので早く行きたいと思っている。

偶像崇拝というのは古代から見えないものを視覚的に物質化しそれに祈ることだが、これはやはり人間の生理現象だと思う。
見えないものは信じないというのは人の行動原理にあって、それを可視化すると信じやすいというのは単純だがある意味理に適っている。

出雲大社の大国主命は実に分りやすく、参拝者の心を簡単に掬い上げる偶像になっていると思う。
あの大きさで擬人化されれば、その存在感だけで人は圧倒される。
巨大仏像は各地にあるが、顔の表情までわかるように作った精巧な人間としての像ではまるでインパクトが違う。
作者の彫刻家の技術とセンスに脱帽する他ない。
(制作者を調べたが誰か判らなかった)

神を擬人化するのはキリスト教では多い。
教会には例外なくキリスト像や聖母マリア像があり、信者はそれに向かって祈る。
具体的な対象があれば祈りやすいからだろう。

仏壇には必ず個人の写真を飾るのも、そういう意味もあるような気がする。
心でイメージし祈るより視覚化された対象の方が集中しやすい。

今日はまだ風邪が治りきっていないので、とりとめのない話になってしまった。
出雲大社に行かれないのは無念だが、、次回満を持してリベンジしたいものだ。

因みに私のスマホの待ち受けは出雲大社の大国主命像の写真だ。
行こうかどうか迷っていた時に待ち受けの大国主命様を見つめながら思案していたら、「無理して来なくともよい」と聞こえたような聞こえないような。笑
イケメン神様は優しい。


DSC_2499.jpg




神社で考えたこと

2019–09–02 (Mon) 15:25
先日久しぶりに龍神の神社へ行ってきた。
夏の間あまりにも暑いのでなかなか行かれなかったのだが、偶然スピブログを読んでいたらその神社へ参拝した話が載っていて、龍神の話もちょくちょく人との会話の中で出て来たので、これは行った方がいいということだと思い出かけたのだった。

今回はその神社へ行き出した頃毎回見ていた黒揚羽が、なんと二度も姿を見せてくれておまけに側に来てくれたりして感激だった。
神社には黒揚羽はよくいるのだが、去年は一度も見ることが出来なかったので、やはり気持ちが届いたのかと嬉しくなった。

久しぶりの神社は、心が洗われるような気がする。
最近は占術の方に夢中になっていたが、やはり神仏は違う次元だと思う。
占術では未来予想もできるし霊視リーディングでは見えないものが分かる。

私が今やっているインド占星術では人の人生まで読み解けるし、未来予想図も描けるが、ではそれは全て当たるのかというと大家でもせいぜい7割ぐらいらしい。
なぜなら未来は変わるし、選択の積み重ねだからだ。
過去を検証して確かに当たっていることが多いのは事実だ。
しかし、事前に未来を知ってもその通りにはならないのが人間の人生だ。
良い事ならそのままでよいが、悪い事なら逆に知って回避の方法や生き方の工夫をするべきで、そのための占術だと思う。

運命論はしばしば確定的に語られるが、運命は変えられる。
予言は何もしなかったらその通りになるとよく言われるが、知って何かしたら変わるから予言はなかなか当たらない。
未来は怖いから知りたくないという人も多いし、ましてインド占星術などは寿命もわかるから怖すぎて無理、という人もいる。
しかし反対に知りたい人間ももいて、そのためにインド占星術を始めたという者もいるそうだ。

占術は所詮人間のすることで限界がある。
自分自身を調べていて、ある種これは達観と解脱の学びだと思うところがあった。
霊視でもリーディングでも未来を読み解くことは、神の領域に足を踏み入れることにもなる。
知れば知るほどゆるぎない自分を持っていないとだめだと改めて思う。
導き出たことをどのように使っていくかによって、占いも鑑定も諸刃の剣になるからだ。

そんなジレンマを抱えつつ神社へ行き、境内でしばらく座っていた。
そしてふと、私はインド占星術というスキルを身に付けることによって、自分自身のスピリチュアルへの取り組み方をまた試されているのかもしれないと思った。



5c4ddfa0f0ddfc2c48182b18c9e39659_s.jpg





龍神の神社

2019–07–11 (Thu) 14:33
先日、よくお参りに行く神社へ一年に一度の祈祷をしてもらいに行ってきた。

縁があってここ数年通い出した龍神の神社だが、一か月に一度くらいは行くので親近感を覚えている。
中でも大黒様と恵比寿様を祀っているお社が好きで、置かれている沢山の大黒、恵比寿様の仏像はどれもニコニコ笑っていて心が和む。

その隣にかなり強いお稲荷様のお社もあるのだが、参拝しようとしたらお賽銭箱が盗まれたという張り紙があって驚いた。
よりによってお稲荷様の御賽銭箱を盗むななんて天罰が下るよ~、と思いそうだが、なぜか私はそこまで思えなかった。
勿論賽銭泥棒は罪深いが、よほどお金に困るか事情があったのかもしれない。
神様は天罰など与えないが、いずれは自分に返ってくるだろう。

賽銭を上げる人もいればそれを盗む人もいるのが人間社会だ。
中には現世利益のためにお賽銭を上げる人もいるだろうし、そういうお賽銭は自分の欲を満たしたい引き換えだったりする。

神社仏閣は様々な人間の思念や思惑やときにネガティブな感情も引き受けている。
御利益があるかどうかは、お参りする自分の心が反映する場合も少なくない。
よく神社にはお願いではなく御挨拶と御礼でと言われるが、ついお願いをしてしまうのが人間の性だ。
御祈祷は具体的に神様へのお願いを取り次いでもらうことだし、もしそれが理に適う願いなら神様は力添えをしてくれるかもしれないが、まず自分がどういう生き方をしているかも問われるのではないだろうか。
困った時の神頼みだけでは神様も困ってしまうだろう。

御祈祷の後神主さんとお話しをさせてもらったが、名前を覚えていてくださってとても嬉しかった。
もう通って4年にもなるのだと感慨深いものがあった。

蛇足だが、祈祷をしていただいた後お札やお守りなどが入った紙袋を頂いたが、その中に日本会議と思われるフライヤーが入っており、憲法改正の必要性を書いていた。
大抵の神社は日本会議に入っており、日本会議は政権に強力な影響力を持つ。
現政権が改憲に血眼になっているのも、支持母体の要請も強いからだ。

この神社は崇敬しているし神主さんたちもいい人ばかりだが、神社が政治関与や改憲運動に利用されるのは神道からは逸脱しており残念でならない。
神社本庁も日本会議という政治団体に牛耳られていて、本来のあるべき姿からはかけ離れているように思う。
神様たちも決して神職たちが政治活動をして、改憲や政府を動かすことは望んでいないだろう。


DSC_0748.jpg DSC_0750.jpg 00330001.jpg








十一面観音

2019–04–05 (Fri) 16:10
先日東京の根津美術館へ仏像を見に行って来た。
東京の南青山にあり、実業家・初代根津嘉一郎の蒐集品をもとに、国宝、重要文化財を多く含む日本・東洋古美術を展示する美術館だ。
重要文化財の仏像も数点あり、広い庭園はタイムスリップしたような古い趣で苔むした仏像や石塔の類が随所にあって、天神様の小さな神社まであった。

実はある人に観音様との縁を言われて、しかも十一面観音と特定されたので、にわかに十一面観音に会いたくなって麻布の長谷寺にある大きな十一面観音像と根津美術館の重要文化財にもなっている十一面観音像を見に行って来たのだ。
最近は神社巡りが多くて神様に縁が出来ているが、若い頃尼僧の過去生を祈祷師の僧侶に指摘され睡蓮の絵もライフワークとして描き続けていたので、確かに観音様にも縁があるかもしれないと思い出した。
それが十一面観音かどうかはわからないが、若い頃は出家したいと思ったこともあったくらいだから(笑)、仏縁があるのも当然と言えば当然かもしれない。

十一面観音は頭の上に11の顔があって360度全てを俯瞰しているそうだ。
男女判らないような柔和な面立ちだった。
どちらの像も気持ちが癒されて、しばらく見入ってしまった。

観音像も素晴らしかったが、根津美術館の庭園も神社仏閣並みかそれ以上にかなり強い気が流れていて、いわゆるパワースポットになっていた。
特に小さな滝があるのだが、そこが一番気が出ている場所で、写メを撮ると何かが確かにいると思うような不思議な写真が撮れた。
スピ人間は龍神が写ったとか神様がいるとかすぐFBに上げたがる画像で、最近はそういう言い方にいささか引いている私でも、ここはちょっと違うと思ったくらい単なる逆光と言えないような写真も動画も撮れる。

美術館とお寺とかなり歩いて回ったし、庭園でも長い間ぐるぐる巡回したのだがちっとも疲れなかったので、やはり行くべくして行ったのかもしれない。
突然前日に思い立って調べてみたら、近いところに二つも十一面観音像があると判って速攻行けたのでちょっと不思議だった。
根津美術館の庭園の方もかなり強力な気が流れているので、東京の隠れパワースポットと言えるだろう。

心が疲れている人は根津美術館で仏教文化に触れ、仏像と庭園で浄化とパワーを貰ったらいいかもしれない。
美術館から歩いて20分ほどの所に麻布観音が観覧できる長谷寺もある。


655000b8.jpg DSC_0665.jpg DSC_0673.jpg DSC_0680.jpg



 | HOME |  次へ »

プロフィール

masquerade

Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

PR

カレンダー

10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新記事

カテゴリ

人気記事ランキング

月別アーカイブ

タグ

メール送信

リンク

フリーエリア

QRコード

QR

人気ブログランキング

PR