死と向き合う時

2020–03–19 (Thu) 15:05
愛知県で新型コロナウィルスの感染が分かり「みんなに移してやる」と言って飲食店に出かけた男性が亡くなった。
実際店の女性一人が感染し、警察には店から被害届が出された。

元気にカラオケを歌っていたのに、それからわずか二週間で亡くなった。
元々肝臓癌の基礎疾患があったそうだから予想されたこととは言え、新型コロナウィルスはインフルエンザと似たようなものだと侮ってはいけないと思う。

ある著名人のツイートで「一人で死ぬのが怖かったのだろう」というのがあったが、この人も全身癌患者だ。
亡くなった男性は感染が分かった時に、死が見えたのだろう。
移された人は迷惑千万だが、居ても立ってもいられずにこんな暴挙に出たのは推測できる。

みんながコロナウィルスを怖がるのは「もしかしたら死ぬかもしれない」という恐怖からだ。
薬もあり殆ど死なない病気だとわかれば、こんなにはパニックにならない。
人間の恐れの最たるものは『死』だ。
これは本能的に遺伝子に組み込まれたものだから、恐れるなと言っても無理な話だ。

スピリチュアルでは「死はの帰還であり怖いものではなく喜ぶべきものだ、いつ死んでもいい」と言っている人もいるが、いざ死を宣告されたら本当に喜べるだろうか。
末期癌でやっと死を受け入れて安らかに往く人もいるが、そこに至るまでは凄まじい葛藤があったはずだ。
人間が死を受容するまでは幾多の困難な道のりが必要だ。

まだその準備も整わない健康な人間なら、死ぬかもしれない疫病が流行り出して恐怖を感じない方がおかしい。
それに加えて未知のウィルスだとしたら尚更だ。

人間は死自体も怖いが、死に至る過程も怖いのだと思う。
どんな風になっていくのか、痛いのか苦しいのか、死ぬ時はどんな感じだろうかとか、存在の消滅という想像できない事象が怖いのだ。
そして次に死を実感する時に第二の恐怖が来る。

本当に死ぬかもしれないと思ったので、冒頭に書いた男性は暴挙に出てしまったのだろう。
原発事故の後、放射能を恐れて福島を逃げ出す人に「お前だけ助かりたいのか」という言葉が浴びせられた。
いわゆる道連れ思想だ。
日本には「死なばもろとも」という言葉があるが、日本人の特性をよく表している。
戦時中に使われたが、有事の際には日本ではそういう傾向が出てくるようだ。

時間と死だけは万人に平等だ。
怖がっても不安でもいいと思う。
でもそれは一人で向きあい克服していくしかない。


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霊性が試される

2020–03–03 (Tue) 11:00
今日は雛祭りだ。
今の日本の現状では、それどころではない家庭も多いのではないだろうか。
雛壇を飾っている家庭も少なくなったし、もう古式ゆかしい季節ごとの行事は廃れる一方なのかもしれない。
小さい頃は雛壇を飾って雛祭りには甘酒と桜餅、散らし寿司を食べたものだが、今の女の子のいる家庭はどうなのだろう。

こんなおめでたい日なのに、今現在の日本はかつてない状況に陥っている。
ここ数日で日本社会は様変わりしてしまった。
ネガティブな集団意識が日本全体を覆い、その影響か私も体調が悪い。

この淀んだエネルギーにやられて体調を崩している人もいるように思う。
皆不安でトイレットペーパーやティシュぺーを買いに走る気持ちはわかるが、ドラックストアでは争奪戦になって修羅場が繰り広げられていると聞く。
トイレットペーパーを奪い合ってウィルスに感染したら本末転倒だと思うのだが。

集団意識でヒステリーやパニックを超すのは人間のサガなので仕方がない。
特に物を奪い合うようなタイプの人間はそういうを持っているから、いくらやめろと言っても無理だろう。
それが彼らの今世の生き方なのだ。

こういう緊急事態や有事の際に、人間はの霊性を問われると思う。
買い占めてメルカリに高額で転売する人もいれば、手にしたトイレットペーパーを買えなくて困り果てている人に何個か譲ってあげたツイートも目にした。
マスクの転売で100万円くら儲けけた人の話も聞いたが、今回も数倍の値段でトイレットペーパーがメルカリに出ていたから一儲けする人もいるだろう。

この新型コロナウィルスの世界的流行は、人類が試されているのだと思う。
スピ界では大きな変革とリセットと言われているが、あながち間違っていないような気がする。
淘汰があったり政治や社会システム、経済制度が変わったりする可能性はある。
これが端緒で数年かけて変わっていくのではないか。

イルミナティーの人口削減計画とか陰謀論も言われているが、人為的にしろ何にしろ、もっと大きな天の領域で事は起っているのかもしれない。
逆らいようがないこの流れの中で、粛々と与えられた生を全うしていくしかないのだろう。


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宿命には逆らえない

2020–02–03 (Mon) 19:30
実はここ数日喉が痛く咳もひどくなってひりひりするので病院へ行って来た。
熱はないがインフルエンザの検査をしてもらった。
やはり陰性で風邪薬を貰って来たのだが、普通ならまあ単なる風邪だからと安心するところだ。

しかし喉が痛くなる一週間前に福岡の太宰府天満宮へ行っており、中国人観光客が沢山いて、まださほど警戒もされていなかった時期だ。
ここで私のようなネガティブ思考の人間は「さては新型肺炎に感染?」と不安になってしまうのだが、日本にはこんな思考回路の人も少なくないだろう。

多分そんなことはないのは頭ではわかっているのだが、どんな災害や事故があっても不運の人はいるし助かる人はいる。
まして宝くじを当てるくらいの確率でも、当たってしまう人もいるのだからその違いは何なのだろうと思う。
ある意味選ばれた人間だと言えよう。

今回の新型肺炎も仮に人為的だとしたら、作製した人間、持ち出した人間、最初に感染した人間と全世界の中から選ばれてその役割を担ったわけだ。
その個人はやはりそういうことをこの世でするとして来たのだろう。

世界的な規模で何かを起こす人間は特別なであることは間違いないが、それが闇なのか光なのか、あるいはあえて闇的役目を引き受けたのかというのも後にならなければわからない。
原子爆弾を日本に落としたトルーマン大統領のが善か悪かは未だ判断できないが、彼は確実に世界を変えるミッションを持っていたわけだし、実際にそれを投下したエラノゲイの乗員も同じだ。

バタフライエフェクトというが、世界の大きな変動は小さな蝶々の羽ばたきから始まる。
今回の新型肺炎のパンデミックも、結果的にどんな結末になるにしても、一人の人間の羽ばたきから始まっている。

歴史上良くも悪くも選ばれたはあって、この人たちは逆にそういうブループリントを持って来たのだから本人も逆らえなかったのだろう。
だからたまたまこの時期に旅行をし、ありえない確率なのにもし新型肺炎に感染してしまったら、もうそれは運命で避けることは出来ないと思う。

自分の知恵や力ではどうしようもないことはあるし、意図的にやろうと思ってやったことでも実はそれは見えない世界からやらされていることがままある。

新型肺炎のコロナウィルスにはエイズのタンパク質が4か所組み込まれているそうだから、私的にはこれはほぼ人間が作り出した人工ウィルスだと思っている。
作り出した人間も、またそういう宿命を持って来たのだと思うしかない。


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闘争本能

2020–01–11 (Sat) 20:37
アメリカイラン危機はどうやら回避できたようだ。
全世界がほっとしているだろうが、中にはちょっとがっかりした人もいるような気がする。
人間には動物のように闘争本能の強い人がいる。
金儲けを企む支配層でなくとも、普通の人々の中にも「やってしまえ」と思った人はいただろう。

火事や台風でワクワクする人がいる。
特に火事などで集まるやじ馬は、かなりこの傾向が強い。
不謹慎だが、自分が巻き込まれない限りは高見の見物が好きなのが人間だ。

古代ローマやギリシャ時代に奴隷同士を格闘させたり猛獣と戦わせたりして、それを貴族たちは娯楽として見ていた。
格闘技がスポーツとして残っているのは、人間の闘争本能の証明だろうし、今でもボクシングやプロレスのファンは多い。
格闘技ではなくてもスポーツで競うということは、相手を打ち負かすということであり、これはスポーツという名を借りた戦いで、闘争本能がなければできない。

悲しいかな戦争は人間のこの闘争本能があるから起こる所業だと思う。
普通の人でもすぐ手の出る人や喧嘩っ早い人と、理性的に頭を使って解決しようとする人がいるが、これはその人間ののルーツがどこにあるかでも分けられるように思う。

元が狩猟民族か農耕民族かでも違うし、もっと言えば宇宙から来たとして出身星の特性によるものかもしれない。
好戦的な民族や国はやはりそういうが多い。
日本人は農耕民族で大人しいが、この傾向は戦争になると戦いが好きというよりも精神性でのめり込んで行くような気がする。

本能ではなく国を守るとか家族を守るとか天皇の為とか、自分の外に何か理由をつけて戦うという特性があるのではないだろうか。
だから特攻隊など死ぬのが分かっているのに、敢えて「~のために」という大義名分を付け美化して送り出した。
他の国では戦争でもそんな理由は通用しない。
闘争本能がモチベーションになって戦う民族と、本能ではなくマインドで戦う民族の違いがあると思う。
イスラム教の自爆テロなどは、特攻隊と同じシステムでなされていると考えられる。

人間に闘争本能がある限り、世界から戦争が無くならないのは残念ながら事実だろう。
そこにもっともらしい理由をすり込み洗脳すると、もはや普通の人間さえ戦うロボットになってしまうのが戦争だ。


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深淵をのぞく時

2019–10–08 (Tue) 14:47
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」
これは19世紀のドイツの哲学者、ニーチェの言葉だ。
『善悪の彼岸』という著書の中で書かれている言葉だが、正確な文章は

「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」

というもので、平たく言うとミイラ取りがミイラになる、というような意味だ。

今朝この言葉を不意に思い出したのだが、これはスピリチュアル業界にぴったり当てはまると思う。
本業ではないにしてもスピリチュアルリ-ディングをやっていると、人間の闇を見る時が多い。
まさしく深淵を覗くという感覚だ。

占い師も霊能者もスピリチュアルリーダーも、逆に深淵からこちらを覗かれメンタルを病んだり闇落ちしたりする人は多い。
ビジネスと割り切って都合の悪い深淵を覗かない人は生き残れるが、ニーチェのように何処までも覗き込んでいく人は自らも怪物になってしまう。

ニーチェは明らかに霊能体質で常にあちらの世界と繋がっていたようだ。
彼の類まれな哲学的思考も著作も、彼自身というより上の誰かが書かせていたように思う。
その証拠に彼は原因不明の病をいくつも抱え、時に目が見えなくなったり人生の後半は明らかに精神疾患のような症状を呈していた。
今なら統合失調症と診断されるような状況だ。
興味深い文章を見つけたのだが、時々おかしくなっていた時の彼の手紙にはこう記されている。

「私が人間であるというのは偏見です。…私はインドに居たころは仏陀でしたし、ギリシアではディオニュソスでした。…アレクサンドロス大王とカエサルは私の化身ですし、ヴォルテールとナポレオンだったこともあります。…リヒャルト・ヴァーグナーだったことがあるような気もしないではありません。…十字架にかけられたこともあります。…愛しのアリアドネへ、ディオニュソスより」

今ならスピ業界ではまかり通る主張だ。
私もこの手の主張をするカリスマスピリチュアリストを知っている。
宇宙人もいればローマ帝国の皇帝やブルボン朝の王様だった人もいる。
最初は驚いたが、グループソウルとして考えれば、妄想とも断言できない。

多分ニーチェの中では錯乱するとが過去生やグループソウルに戻っては、その記憶を持ってきていたのだろう。
中年以降狂気の歯止めが利かなくなってからは、深淵に囚われて日常に戻れなくなったのではないか。

芸術家もそうだが世に名を残す偉人たちは大抵そのためにやってきただ。
時には霊媒状態で膨大な意識や知識をダウンロードするので、体も精神も消耗が激しい。
自らボーダーを外すと、ニーチェのような末路になってしまうのだろう。

彼はミッションを完遂したので、的にはかなり高いのだと思うが、この手の人たちは人間の幸せは望めない悲しい宿命を持っている。

「深淵を~」の言葉はずっと頭の片隅にあった。
多分スピリチュアルワークをする時は、これを忘れるなということなのだろう。


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職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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