霊能力はギフトか

2019–11–19 (Tue) 14:33
最近ある若い人のスピリチュアル動画を見ていたら、霊能者やスピリチュアリストのジェネレーションギャップについて語っていて、なるほどと思った。
霊能やスピリチュアル能力者の世代格差の分析だった。
若い世代は霊能力やスピ的能力を普通のこととして受け止め、誰でも持っていることを前提に美容院で髪を切ってもらうように対価を払うし提供する方も当然受け取る。
しかし上の世代になると霊能力は神聖なギフトであり特殊能力で、人助けにお金を取ってはいけないと考える傾向がある。
中には自分は特別な選ばれた人間だという選民思想を持つ人もいる。

能力を商品だと考えるのが若い世代、能力をギフトだと考えるのが中年以降の世代だとすると、確かに頷ける。
実際に代金を払って鑑定してもらったにしても、根柢に意識の違いがあるのは事実だと思う。
私もどちらかというと能力はギフトだと思っているし、事実何となくそうなっていたというのがこれまでだから、スピ能力が欲しくて大金を注ぎ込んだことはない。
せいぜいカードを買ったり知りたくてかなりの時間をパソコンの前で費やしただけだ。

だからついセッションでも時間オーバーしてしまったり、無料の相談にも答えることがある。
それはどこかに「ギフト」としての意識があって、「貰ったものはお返ししなければならない」と潜在意識の中で思っているのだろう。
しかし若い世代は宇宙由来の魂も多くスターシードなどは能力を持っていて当たり前で、才能を対価に変えるのは当然のような感覚だ。
私も絵を描く能力があってそれを対価に変えているので、それと同じなのだろう。

どちらがどうとは言えないし、あえて言うなら時代の変化と言うしかない。
確かにスピリチュアルを生業にしている人は、年代を問わずその職に就くまでには多額の自己投資や金銭をかけている人は多い。
また修行系のことをして霊能を開き人生を賭したような人は、それに見合う代償を求めても当然だろう。
桁が一つ違うような料金設定のスピリチュアリストはどの世代でもいる。

特殊な除霊系の霊能は術者の命にもかかわるのでその限りではないが、法外な価格設定はやはり年齢に関係なく疑問符が付く。
霊能力やスピ能力は人格や人間性、霊格はあまり関係ない。
きちんと仕事として割り切り、適正価格で行っているのが良心的な職業スピリチュアリストだろう。

無料や安価というのはやはり危険と隣り合わせの場合がある。
安ければいいというメンタリティーを持つ人間はそういう波動を持っているので、似たようなものを憑けていたりする。
あまりいいセッションにはならないようだ。
今はもう、困っている人は無料でも野菜の持ち寄りでも助けた、町のまじない師の時代ではない。

巨額の富を稼いでなお幸せ街道驀進中の若いスピリチュアリストもいて、彼らは平気でユーチューブで顔出しをして嫉妬や妨害の念を飛ばされても平気だ。
それは多分潜在意識の中に、スピ能力のネガティブな部分をインプットしていないからなのだと思う。
受け取る受信機が無ければキャッチしようがない。

これからはもっとのびのびとスピリチュアルをしていく時代なのだろう。
宇宙人には魔物も手を出せないのかもしれない。笑


子猫1





スピリチュアル YouTuber

2019–10–27 (Sun) 15:15
私は毎日複数のスピブログを見ているが、ここ最近スピリチュアル動画の世界に入り込んでしまい、泥縄式に繋がるスピリチュアル業界の新しいスタイルを垣間見ている。
平たく言うと今の時代の流れに乗って、スピリチュアル業界ももはやブログではなく動画、YouTubeを利用するビジネスモデルが出来上がりつつあるということだ。

いかに知名度を上げるか、広く社会に認識してもらえるかというのは、ネットのブログを読むより動画で視覚と聴覚に訴えた方が、受け取り手にとっては安易でインパクトも強いからだろう。
これは本は読まないがテレビは見るという人が多い、そのままの比率になるのではないか。

いくらパソコンやスマホを開いても結局は字を読むよりは画面を見て聞いた方が楽だし楽しいからで、テレビの好きな人はもろにそちらを好むと思う。
ユーチューバーになるというのは子供の将来なりたいものにランクインしているし、訴求力としてはブログより断然勝っている。

スピリチュアル業界でも霊能者や自己啓発系、ヒーラーからコンサルまで、YouTubeで宣伝、集客を始めている。
何年もやっている霊能者などは毎回動画回数は2万を超えるし、チャンネル登録数は4万人近くいる。
内容は普通のスピ系の話で、どのスピ系ブログにもありそうな内容なのだが、そこそこ見た目もよい女性や男性が分かりやすくスピの話を解説したり神社やパワースポットに出向いてチャネリングしたりする動画は、テレビ番組を見るノリになって誰でもとっつきやすい。

カリスマユーチューバーのようにYouTube自体では大きな収入は望めなくても、それで実際の鑑定やお茶会、ツアー、コンサルなど興味を持った人がすぐに飛びついて来るので、集客システムとしては最強のツールかもしれない。

事実若めの霊能者、スピリチュアリストは続々とYouTubeに参入している。
私も何人かのスピリチュアルユーチューバーの動画を見たが、真剣にスピブログを読むよりは楽だし、画面を見なくても他のことをやりながらラジオ感覚で聞けるのも便利だ。

彼らは顔を出して衆目に晒されても平気な、宇宙系やバリバリの修行系が多いようだ。
魑魅魍魎が跋扈するスピリチュアル業界にあって、堂々と顔出ししユーチューバーになるというのはある意味チャレンジャーだが、嫉妬や同業者潰しの闇スピもついて行けない世界なのかもしれない。

いつくか動画を見たユーチューバーはもう何年もやっているそうだが、人気が出るにつれ段々価格も高くなりコンサルも毎回満員御礼で、その価格たるや軽自動車が買えるぐらいになっていた。
(スピリチュアルコンサルは安定収入が得られるので、スピリチュアリストの最終目標は、「コンサル料金一人100万円で一年間」みたいな太客を掴むのが目標だったりする)

いやはや『ユーチューバーになりたい』は今や子供から大人まで、政治家からスピリチュアリストまでの合言葉かもしれない。



9c06a05d6bc24a800d04b17a0fb25f48_s.jpg





続・『痛スピ』考

2019–10–24 (Thu) 17:25
私は神社が好きでよく行くが、最近は決まった神社がほとんどだ。
かつて神社巡りに目覚めた頃は色々な神社へ行ってみたいと思っていたが、神社もやはり相性のようなものはあって、居心地がいい、また来たいと思うような神社が自分にとっては崇敬する神社になるのだと思っている。

私はスピリチュアルに覚醒してから(最近はこういう言い方も少々まずいかと思っている・笑)、神社仏閣へ行くと神様と話せるという人に二人ほど会っている。
ブログでもそんな人を見たし、スピ人間にはその手の人がいるようだ。
共通した特徴は何処の寺社でも神仏の姿が見えて話が出来ることで、見える神仏の特徴や服装も説明している。
ブログをやっている人は、家まで神様が来て頼み事やメッセージをくれるそうだ。

神様と話せる、見えるというのは往々にして、前回の記事でいう「痛スピ」にも多い。
事細かにどんな服装かも、話の内容も説明しているので、御本人的には実際に体験していると思われる。
事実この人たちは仕事として人の鑑定をしているし、最近知り合った一人も何度か話してみて霊能力があるのは確かだと思う。

以前話したことのある人は、最近消息を知ったところ「自分は元々神だった」とHPでカミングアウト?していて、神様を付けたり結んだりというワークもやっていたし、鑑定料も高額になっていた。

神社へ行ってそこの神様が見えて神様と話せるというのはあるとしても、問題はそれを売り物にして対価を取るかどうかだと思う。

他の霊能者でも神様を入れるとか守護神を付けるというセッションをしている人はいる。
神様お一人ウン十万円という価格も表示されていたりして、神様もびっくりだと思ったことがあった。
ウン十万円でも神様が付いてくれるなら有難いと思い信じ込んで運気が上がれば問題はないので、一つのビジネスツールだと思えばそれまでだ。
自分の判断でというしかないが、スピリチュアル業界は怖い世界だと思う。

スピ人間の神社仏閣へのアプローチも多岐にわたる。
神社へ行って何となく神気を感じたりすがすがしくなるというのは誰でもあるが、御神木に抱き付いて長時間お話ししていたり、集団でやってきて妙な踊りを奉納(と御本人達は思っている)しているのを見ると、神様も大変だと思う。

私も三峯神社でご眷属拝借の祈祷をしてもらい、家に一年間狼様が来ていただいているが、あくまで正式に神主さんに取り次いでもらった形だ。
私は神社へは普通に参拝し、気持ちを込めて手を合わせればいいと思っている。

勿論神様の存在を感じる霊能者も見える霊能者も実際にいるとは思う。
しかし、「神様を憑ける、入れる」というセッションに「本当に信じて何十万円も払うのか」というのは素朴な疑問だ。
信じる者は救われるにしても、さて、どうなのだろう?


08.jpg





『痛スピ』考

2019–10–22 (Tue) 17:04
『痛スピ』という言葉がある。
スピリチュアル業界で同業者同士で使うこともあるし、単にスピリチュアルに興味のある人にも嘲笑的に使われることもある。

業界人同士で使う場合は「能力もないのに能力者のふりをして金儲けのために偽霊能やスピをしている」という本物を標榜する霊能者が言っている場合が多い。
仕事にしていなくてもスピ系人間を痛スピと呼ぶ場合は、知ったかぶりをしたり格好から入るスピ系人間を揶揄する感じだ。

確かに霊能力と知名度は比例しないし、中には詐欺まがいがいたりマルチ商法があったりするし、霊能が無くてもハウツーを知ればある程度商売をしていける世界だ。
また一見霊能力が凄いと思えても闇と繋がっている場合もあり、不思議な力を見せることはできる。
「悪徳霊能者に除霊と称して莫大なお金を取られた挙句、逆に変なものを憑けられておかしくされた」というのはよくある話で、そういう人が「神仏と繋がった霊能者」に助けを求めることはよくある。

最近直接、間接に「痛スピ」に憤慨している霊能者の話を聞いた。
一人はたまたま電話で話したし、もう一人はYouTubeで大々的に「痛スピ撲滅キャンペーン」をやっている人だ。。
どちらも多分霊能力は高く、特に後者は今売り出し中で神仏の力を借り能力は凄いらしい。

スピ業界は闇が深く魑魅魍魎が跋扈している。
政治と同じで最初は志が高くても金力権力と名声を手に入れると、闇落ちしたり能力を剥奪されることもある。

確かに悪どい霊能者も魔界の使者のような霊能者もいる。
霊能力だけ言ったら何処と繋がっていても凄い人は凄い。
本物偽物というふるいにかければ能力の有無で線引きは出来るが、能力があっても正邪のボーダーは明確ではなく、中には「痛スピ」を糾弾している人も実は「痛スピ」だったりする。

上記の二人の実力は私も疑わないが、共通して言えるのは「自分は本物で正しく悪をやっつける」的な正義感というか義侠心がある所だ。
それ自体はいいことなのだが、真偽、善悪の評価は誰が決めるのか?となったら、公明正大な共通の基準がなく審判員もいないわけだ。
自分が繋がっていたりついていると思われる神仏が、唯一無二の基準でしかない。
霊能の世界の実相など誰も知らないし証明できない限り、簡単にジャッジは出来ないと思う。

常識的に「大金を取られただけでかえって問題が悪化した」というのは悪徳スピで断罪されていい。
しかしそれ以外は力のない霊能者でも金集めのスピでも、ある意味そういうところに引き寄せられる客の方にも課題があり、もしかしたら痛い目に遭って学ばなければならないのかもしれない。

私はどちらがどうと言えないし、スピ業界あるあるだと思って見ている。
ただ一般論として、自分の信念を持つのはいいことだがどの世界でも価値観の多様性はあり、人に害を与えたり犯罪に抵触しない限りは「痛スピ」と排除するのは傲慢なような気がする。
排斥の陰には選民思想があって、どちらが上かという比較でしか物事を見られない。

宇宙でも神仏でも、見えない世界は幅が広い。
自分の基準からは「痛スピ」に見えてもそれぞれの霊的進化の過程だ。
「痛スピ」という言葉は、聞く方も何となく痛く聞こえる。


DSC_0213.jpg





前世の繋がり

2019–08–12 (Mon) 14:36
占い師霊能者は不遇な人生を送ってきた人が多い。
私が知っているそれ系の人でも、順風満帆の人生で幸せいっぱいの人はほとんどいないような気がする。
冗談で「この業界の人間は不幸自慢が出来る」と言われる。

人にない特殊な能力を持っていたら生き辛いのは当たり前だが、人生に翻弄され艱難辛苦の末見えない世界に辿り着いた人もいるし、あるいはそれをするためにそういう目に遭わされたという導きの場合もある。

最近話したサイキックの人も義父に10年近くも虐待を受け、自殺未遂も数度でメンタルを病み高校の3年間は精神科に入退院を繰り返したそうだ。
この手の人はなぜか勉強しなくても頭が良く、成人すると普通に戻りやがて予定されていたようにその道に行く。
その人も不登校でも優秀で大学を出て会社員をしているが、その能力を使わなければならないという指令が来たらしく、もう道筋もついているようだった。

もちろん自分の過去生も判るから虐待した人との過去生の関りも見ていて、「今世は敢えてひどい人になって来てくれた。それは私が早いうちに人間のどん底を経験してその道に進むためだと思う。彼は前世では私のことを心配してくれている人だった。」と言っていた。

まあ、普通の人は理解できないかもしれないが、自分を刺した相手と今世で出会った私にはよくわかる。
きっとそんなはそれも織り込み済みで、お互いに話を決めてこの世に生まれてくるのだと思う。

これは特殊なスピ人間の話だが、実は普通に生活している人達でも往々にしてあることだ。
生きている限り反りの合わない人や嫌いな人、もっと言えばいじめられたり顔も見たくないような人もいる。
そんな相手は過去のカルマだったり先祖の因縁だったりすることもあるが、中にはわざとソウルメイトに近い縁のあるが今世では修行のために敵役になろう、あるいは勉強のために嫌な上司になってあげようなどと話を決めてくる場合もある。

人間関係でいつも怒られたり嫌な思いをさせられたりする相手がいても、もしかしたらその人は自分の成長のための相手なのかもしれないと発想を転換出来たら違う展開になるかもしれない。
よく聞く話は、嫌な相手を嫌だと思わなくなったらその人がいなくなったというケースだ。
彼、彼女は自分にとって耳の痛い事やムカつくことを言っていたが、もしかしたらそれは自分にとっては必要な言葉だったかもしれないのだ。

天からの警告や注意はしばしば周りの人の口を借りて発せられる。
それを何となくでも受容出来た時に、多分嫌な相手との関係は好転するか離れるだろう。
辛いことがあったら、その分人間性は深まり器量は広くなる。

冒頭のサイキックの人のように過去生まで詳らかには出来なくても、過去にも縁があった人は良しにつけ悪しきにつけ人生で関りを持つ。
ネガティブな人でも出来事でも必ず自分にとっては意味があるのだと思うようにすると、未来のあり方も変わって来るのではないだろうか。



ls-004.jpg






 | HOME |  次へ »

プロフィール

masquerade

Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

PR

カレンダー

11 | 2019/12 | 01
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

最新記事

カテゴリ

人気記事ランキング

月別アーカイブ

タグ

メール送信

リンク

フリーエリア

QRコード

QR

人気ブログランキング

PR