平成の終わり

2019–04–30 (Tue) 17:24
今日で平成が終わる。
今日と明日は変わらない日なのに国民の集合意識が区切りだという風になれば、自ずと新しい波動が生まれるだろう。

平成天皇は国民に愛された。
何故なら父親の昭和天皇の起こした戦争の過ちを身をもって贖罪したからだと思う。
昭和天皇も軍国政府に利用されたとはいえ、現人神と奉られた半生は国民を臣民として「天皇陛下万歳」と死んでいく兵士を是としていたわけだから、いくら敗戦によって人間宣言をしても国民を戦争に向かわせた罪は大きい。

そんな父親を見て今の平成天皇は戦争の愚と平和の尊さを訴え、父親の代わりに世界各地へ戦争の犠牲者の慰霊の旅をした。
彼の一生は父親の残した負の遺産の清算だったように思う。
多くの国民を戦火に向かわせ死なせた父親とは反対に、国民を国粋主義に傾く政治から身を挺して守ろうとしているのは、事あるごとに「戦争の惨禍」や「平和憲法」という発言を聞いてもわかる。

私の世代は戦後民主主義教育をまだ受けていたから「天皇陛下万歳」という言葉は兵士が特攻する時叫ぶ印象しかないが、今の国民が若者も含めて皇居で平成天皇を見ると「万歳」と自然に言ったり涙を流す理由は、スピリチュアル的に判るようになった。
平成天皇も若い頃は血気盛んなところもあったようだが、年を重ねるとともに霊的進化も著しかったのだろう。
今や平成天皇夫妻は日本最高の神官でヒーラーだから、その波動に触れると自然に魂が感応してしまうのではないか。

天皇家は天皇家だからと言って高潔な魂ばかりではない。
万系一世などと国粋主義者はうそぶくが、遺伝子的には他の血が入っているしY遺伝子が延々と引き継がれているわけではないので男系天皇のみもおかしな話だ。
スピリチュアル的に見ればたまたま天皇家という特殊なソウルグループの中に相応しい魂が来るだけで、男性だからというわけではないだろう。
輪廻転生するなら魂は男の時も女の時もあるはずだ。
たまたま平成天皇は天皇家のカルマも清算するような高次の魂だったのだと思う。

「戦争のなかった平成の時代」と声を震わせながら平成天皇が言った言葉に、彼の平和に対する生涯をかけた悲願が滲み出ているような気がする。
新天皇も父の意志を受け継ぎ、戦争のない平和な令和の時代の象徴になってくれることを願ってやまない。



古代蓮2





3.11の教訓

2019–03–11 (Mon) 16:30
東北大震災から今日で8年経つ。
震災と原発事故で人生が変わった日本人が沢山いる。
かくいう私も原発爆発のせいで、生活の中から放射能という言葉を抜きにはできなくなった。
「福島を忘れない」というキャチコピーがあるが、これはもう忘れていいんだよという逆説的な国のプロパガンダだ。
確かに忘れた人も放射能はもう安全だと思っている人も多い。
原子力村と官僚がどれだけあの時被曝を国民に知らせないために、数値を誤魔化し基準値を変え放射能は安全と刷り込み、国中に拡散させて後の因果関係を立証できないようにしたか。

晩発障害が出ても日本各地で何年も経っているなら、福島の放射能のせいに出来ないだろうという理屈だ。
事実その通りになって様々な疾病を発症、国民の死者数が増大しても、もう誰も8年前の放射能のせいだとは言わない。
日本はチェルノブイリよりも壮大な核の人体実験場になっている。
しかし私自身も含めここで生活することを選択したのだから、今更嘆いても怒っても仕方がないことで、食べて応援して寿命が縮んでも本人の責任だ。
多分これは個人のというより、日本の大きな集合意識の選んだ道なのだと思う。

津波で多くの人が命を失ったが、あの場所は元々歴史的に何度も地震や津波の被害に遭っている。
そこに先祖代々住み続けたりあるいは自ら住むことになった人達は、的にあの津波を受け入れる覚悟でこの世に来たのかもしれない。
戦争でも天災でも一時に大勢の人がある場所で同時期に死ぬことがあるが、そこはそういうイベントの起る場所だ。
数十年数百年のスパンで同じことが繰り返される場合があるが、規模が大きくなればなるほどそこは約束の地だと言えよう。

災害で一瞬で亡くなる人は、皆行くべくして上へ行っていると言われる。
がプログラムとして、その時に寿命を定めるブループリントを持っているからだ。
むしろ彼らは残された被災者のの修行のためにその死を選んだとさえ考えられる。
スピリチュルの寝言と非難されるかもしれないが、災害に遭い大切な人を亡くし人生が変わっても生き抜く人達は、ぬるく生きている人々とは比べられないほどの霊的進化を遂げている。

同じ死でも天災で亡くなる人は、己のカルマの為ではなく他のカルマ解消の手助けをしたのだ。
残された者がその死によっていかに成長しの修行を成し得るかという部分に焦点を当てて、多くの犠牲者の死が決して無駄ではなかったと言えるようにするのが亡くなった彼らに報いる事ではないかと思う。

翻って今、8年経ってあの大震災から日本国民は学び成長できたのか疑問だ。
私はどうも日本が震災をなかったものとして、元に戻ろうとしているように見えて仕方がない。
復興とは元の姿に戻すことではなく、二度と同じことが起こらないようにリスク管理と違う環境を作ることではないだろうか。



6e9351743740d6fab78d5528ed65bb0e_s.jpg





災害と日本人

2018–07–26 (Thu) 15:02
今の日本がおかしくなっているのを、今回の西日本豪雨の一連の対応と国民の反応を見て再認識している。
今更言うのもうんざりだが政府の初動の遅れが政権の驕りと総理の総裁選下工作や外遊模索する空白の66時間によるもので、自宅で亡くなった100人近くの生活弱者たちを見殺しにするという人災になった。
しかし一番おかしいと思うのは一部でそれを指摘されても非を認めず嘘を付き通してマスメディアも国民もそれを許し、、一方未曽有の被害と犠牲者が出ているのに報道は極力抑えられ実態さえもう分からないくらいになっていることだ。

被災地の近くでも祭りや祝い事は普通に行われている。
歌舞音曲を慎めとは言わないが、少なくとも普通は配慮ぐらいはすると思うが全く関係ないようだ。
最近は自分に関わらなければいいという意識が日本全体に蔓延しているように思う。
もっと自然や生死というものに日本人は敬虔だったのではないかと思うのだが、今の日本人の行動原理は自分にとって快か不快か、利があるかないか、の基準しかないような気がする。
全て政治のせいにはしないがもはや日本全体がそんなムードになっていて、他人の痛みも共感できないし物事の理や正邪を判断できなくなっているようだ。

折しも今日またオウムの残りの死刑囚が6人一度に死刑執行された。
支持率が下がったので政権はまたぞろ国民の目を逸らそうとしているのだろう。
週末には台風12号が関東から東海を直撃する。
スピ関係者の中には警鐘を鳴らす人もいるが、私もまだ西日本豪雨では終わっていない何かを感じる。
西日本豪雨の後京都祇園祭があったが、花傘巡行が猛暑のため中止になった。
祇園祭は災厄を祓い怨霊を鎮める、山鉾に日本諸国の天変地異や天災を集めて鎮めるという祭りだそうだが、後祭りの花傘巡行が出来なかったのは意味深だ。

この週末は日本各地で花火大会が催される。
前記事で触れたが花火は鎮魂慰霊の行事だ。
しかし今回は多分隅田川を始めいくつかの花火大会は中止を余儀なくされるだろう。
私的にはこれも天の啓示のような気がする。

森羅万象に対しての畏れを、今の日本人は忘れているのではないか。
人間もその一部であり生死は最も敬虔に受け止めるべきものなのに、それに鈍感になり死者を悼む気持ちさえ失くしてしまっては亡者と同じだ。
目の前の金、権力が全てでも、それはあの世へは持っていけない。
命が無ければ金や権力がもたらす快楽を貪ることも出来ないだろう。

お盆も近い。
亡くなった人達が沢山帰って来る。
身近な人は勿論、今回の西日本豪雨、東北大震災、その他の災害、原爆や戦災で亡くなった魂に日本人として恥じないような生き方をしているか、改めて自分に問うてみたい。


003.jpg






 | HOME | 

プロフィール

masquerade

Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

PR

カレンダー

07 | 2019/08 | 09
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最新記事

カテゴリ

人気記事ランキング

月別アーカイブ

タグ

メール送信

リンク

フリーエリア

QRコード

QR

人気ブログランキング

PR