太宰府天満宮

2020–01–24 (Fri) 15:50
太宰府天満宮へ参拝するために福岡へ行って来た。
一泊二日の短い旅程だったが、無事に予定を消化することが出来た。
雨が予想されていたが二日目は上がって、断念しようと思っていた香椎宮にも行けたしメインの天満宮で節分前の祈祷もかなった。

福岡の天神で数年前ふらりと見てもらった占い師と仲良くなり、福岡へ行った時は必ず会って食事をしているのだが、一日目はその彼女と会った。
当時は手相を見ていたが、算命学を習得しかなり精度の高い占いをする。
占い師の例に漏れず体を壊し占いの専業はやめて違う会社に勤めたが、それでも口コミで副業的にしていると言っていた。

霊能ももちろんあって、お客に限らず家族でも未来のビジョンが見える時があるそうだ。
私も、らしきことを一度当てられいる。
だから家族などは、見えたビジョンに沿って事を進めるようにしていくと現実化すると言っていた。

統計学は当たる確率は高いが、負の予想もつくのでそれとどう向き合うかが難しい。
面白いことを言っていて、人の寿命を見ると自分の寿命が縮むから見ないようにしているそうだ。
以前から占いで寿命を読むのはタブーのようなルールがあるが、それは相手の為だけではなくもしかしたら自分の為もあるのかと思ってしまった。
それによって相手の命を左右することになれば、自分の命にも影響が及ぶということなのかもしれない。
何とも奥深い話だった。

さて、太宰府天満宮はやはり私にとっては深い縁を感じる場所だ。
そもそも学生時代道真公は和歌にロックオンされて以来のファンだから、天満宮に行くと知性故全てを達観した道真公の果てしない包容力を感じる。
祟りを鎮めるために神に祭り上げたというのは大間違いだと私は感じている。
彼を策略の末大宰府へ追いやった時の為政者の罪悪感と、それに連動した民衆の恐怖が集合意識となって京に疫病や飢饉を呼び込んだと思う。
道真公は高次の人なので祟りを起こすわけはなく、結果的に神になって後世の人々を救うために敢えて起った一連の流れだったのではないか。

今回はツイていると思うシンクロがあった。
行程も順調にいったし、最近凹みがちだったところ、御祈祷の最中に「全て置いて行きなさい」というフレーズが頭の中で繰り返されていた。
都合よく、道真公の御思し召しだと思うことにした。笑
おかげで身軽になったような気がしている。

いにしえの 飛梅咲きて 大宰府に 道真公の 慈悲をもらわん


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続・『痛スピ』考

2019–10–24 (Thu) 17:25
私は神社が好きでよく行くが、最近は決まった神社がほとんどだ。
かつて神社巡りに目覚めた頃は色々な神社へ行ってみたいと思っていたが、神社もやはり相性のようなものはあって、居心地がいい、また来たいと思うような神社が自分にとっては崇敬する神社になるのだと思っている。

私はスピリチュアルに覚醒してから(最近はこういう言い方も少々まずいかと思っている・笑)、神社仏閣へ行くと神様と話せるという人に二人ほど会っている。
ブログでもそんな人を見たし、スピ人間にはその手の人がいるようだ。
共通した特徴は何処の寺社でも神仏の姿が見えて話が出来ることで、見える神仏の特徴や服装も説明している。
ブログをやっている人は、家まで神様が来て頼み事やメッセージをくれるそうだ。

神様と話せる、見えるというのは往々にして、前回の記事でいう「痛スピ」にも多い。
事細かにどんな服装かも、話の内容も説明しているので、御本人的には実際に体験していると思われる。
事実この人たちは仕事として人の鑑定をしているし、最近知り合った一人も何度か話してみて霊能力があるのは確かだと思う。

以前話したことのある人は、最近消息を知ったところ「自分は元々神だった」とHPでカミングアウト?していて、神様を付けたり結んだりというワークもやっていたし、鑑定料も高額になっていた。

神社へ行ってそこの神様が見えて神様と話せるというのはあるとしても、問題はそれを売り物にして対価を取るかどうかだと思う。

他の霊能者でも神様を入れるとか守護神を付けるというセッションをしている人はいる。
神様お一人ウン十万円という価格も表示されていたりして、神様もびっくりだと思ったことがあった。
ウン十万円でも神様が付いてくれるなら有難いと思い信じ込んで運気が上がれば問題はないので、一つのビジネスツールだと思えばそれまでだ。
自分の判断でというしかないが、スピリチュアル業界は怖い世界だと思う。

スピ人間の神社仏閣へのアプローチも多岐にわたる。
神社へ行って何となく神気を感じたりすがすがしくなるというのは誰でもあるが、御神木に抱き付いて長時間お話ししていたり、集団でやってきて妙な踊りを奉納(と御本人達は思っている)しているのを見ると、神様も大変だと思う。

私も三峯神社でご眷属拝借の祈祷をしてもらい、家に一年間狼様が来ていただいているが、あくまで正式に神主さんに取り次いでもらった形だ。
私は神社へは普通に参拝し、気持ちを込めて手を合わせればいいと思っている。

勿論神様の存在を感じる霊能者も見える霊能者も実際にいるとは思う。
しかし、「神様を憑ける、入れる」というセッションに「本当に信じて何十万円も払うのか」というのは素朴な疑問だ。
信じる者は救われるにしても、さて、どうなのだろう?


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イケメン神様

2019–10–06 (Sun) 17:13
風邪を引いたおかげで明日から三日間出雲大社へ行く予定をしていたのだが、泣く泣くキャンセルをせざるを得なくなった。
一年に一度は行こうと思っていたのだが、去年は体調不良を押して行ってしんどかったので、今回は迷った末パスをした。
出雲大社は一昨年初めて行って巨大な大国主命の像に圧倒されてしばらく動けなかったくらいだから、一年に一度はイケメンのカッコいい大国主命様に会いたいと思っていたのだが、今回は体調回復に専念することにした。

太宰府天満宮の菅原道真公と、出雲大社の大国主命は私のミーハー心を刺激する二大神様なのだが、いかんせん遠いのでちょっと会いに行ってきますというわけにはいかない。
三峯神社の日本武尊の巨大銅像も好きなのだが、ここは年に何度かは行ける距離で、今回もバタバタしていて予定が狂ったので早く行きたいと思っている。

偶像崇拝というのは古代から見えないものを視覚的に物質化しそれに祈ることだが、これはやはり人間の生理現象だと思う。
見えないものは信じないというのは人の行動原理にあって、それを可視化すると信じやすいというのは単純だがある意味理に適っている。

出雲大社の大国主命は実に分りやすく、参拝者の心を簡単に掬い上げる偶像になっていると思う。
あの大きさで擬人化されれば、その存在感だけで人は圧倒される。
巨大仏像は各地にあるが、顔の表情までわかるように作った精巧な人間としての像ではまるでインパクトが違う。
作者の彫刻家の技術とセンスに脱帽する他ない。
(制作者を調べたが誰か判らなかった)

神を擬人化するのはキリスト教では多い。
教会には例外なくキリスト像や聖母マリア像があり、信者はそれに向かって祈る。
具体的な対象があれば祈りやすいからだろう。

仏壇には必ず個人の写真を飾るのも、そういう意味もあるような気がする。
心でイメージし祈るより視覚化された対象の方が集中しやすい。

今日はまだ風邪が治りきっていないので、とりとめのない話になってしまった。
出雲大社に行かれないのは無念だが、、次回満を持してリベンジしたいものだ。

因みに私のスマホの待ち受けは出雲大社の大国主命像の写真だ。
行こうかどうか迷っていた時に待ち受けの大国主命様を見つめながら思案していたら、「無理して来なくともよい」と聞こえたような聞こえないような。笑
イケメン神様は優しい。


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神社で考えたこと

2019–09–02 (Mon) 15:25
先日久しぶりに龍神の神社へ行ってきた。
夏の間あまりにも暑いのでなかなか行かれなかったのだが、偶然スピブログを読んでいたらその神社へ参拝した話が載っていて、龍神の話もちょくちょく人との会話の中で出て来たので、これは行った方がいいということだと思い出かけたのだった。

今回はその神社へ行き出した頃毎回見ていた黒揚羽が、なんと二度も姿を見せてくれておまけに側に来てくれたりして感激だった。
神社には黒揚羽はよくいるのだが、去年は一度も見ることが出来なかったので、やはり気持ちが届いたのかと嬉しくなった。

久しぶりの神社は、心が洗われるような気がする。
最近は占術の方に夢中になっていたが、やはり神仏は違う次元だと思う。
占術では未来予想もできるし霊視リーディングでは見えないものが分かる。

私が今やっているインド占星術では人の人生まで読み解けるし、未来予想図も描けるが、ではそれは全て当たるのかというと大家でもせいぜい7割ぐらいらしい。
なぜなら未来は変わるし、選択の積み重ねだからだ。
過去を検証して確かに当たっていることが多いのは事実だ。
しかし、事前に未来を知ってもその通りにはならないのが人間の人生だ。
良い事ならそのままでよいが、悪い事なら逆に知って回避の方法や生き方の工夫をするべきで、そのための占術だと思う。

運命論はしばしば確定的に語られるが、運命は変えられる。
予言は何もしなかったらその通りになるとよく言われるが、知って何かしたら変わるから予言はなかなか当たらない。
未来は怖いから知りたくないという人も多いし、ましてインド占星術などは寿命もわかるから怖すぎて無理、という人もいる。
しかし反対に知りたい人間ももいて、そのためにインド占星術を始めたという者もいるそうだ。

占術は所詮人間のすることで限界がある。
自分自身を調べていて、ある種これは達観と解脱の学びだと思うところがあった。
霊視でもリーディングでも未来を読み解くことは、神の領域に足を踏み入れることにもなる。
知れば知るほどゆるぎない自分を持っていないとだめだと改めて思う。
導き出たことをどのように使っていくかによって、占いも鑑定も諸刃の剣になるからだ。

そんなジレンマを抱えつつ神社へ行き、境内でしばらく座っていた。
そしてふと、私はインド占星術というスキルを身に付けることによって、自分自身のスピリチュアルへの取り組み方をまた試されているのかもしれないと思った。



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龍神の神社

2019–07–11 (Thu) 14:33
先日、よくお参りに行く神社へ一年に一度の祈祷をしてもらいに行ってきた。

縁があってここ数年通い出した龍神の神社だが、一か月に一度くらいは行くので親近感を覚えている。
中でも大黒様と恵比寿様を祀っているお社が好きで、置かれている沢山の大黒、恵比寿様の仏像はどれもニコニコ笑っていて心が和む。

その隣にかなり強いお稲荷様のお社もあるのだが、参拝しようとしたらお賽銭箱が盗まれたという張り紙があって驚いた。
よりによってお稲荷様の御賽銭箱を盗むななんて天罰が下るよ~、と思いそうだが、なぜか私はそこまで思えなかった。
勿論賽銭泥棒は罪深いが、よほどお金に困るか事情があったのかもしれない。
神様は天罰など与えないが、いずれは自分に返ってくるだろう。

賽銭を上げる人もいればそれを盗む人もいるのが人間社会だ。
中には現世利益のためにお賽銭を上げる人もいるだろうし、そういうお賽銭は自分の欲を満たしたい引き換えだったりする。

神社仏閣は様々な人間の思念や思惑やときにネガティブな感情も引き受けている。
御利益があるかどうかは、お参りする自分の心が反映する場合も少なくない。
よく神社にはお願いではなく御挨拶と御礼でと言われるが、ついお願いをしてしまうのが人間の性だ。
御祈祷は具体的に神様へのお願いを取り次いでもらうことだし、もしそれが理に適う願いなら神様は力添えをしてくれるかもしれないが、まず自分がどういう生き方をしているかも問われるのではないだろうか。
困った時の神頼みだけでは神様も困ってしまうだろう。

御祈祷の後神主さんとお話しをさせてもらったが、名前を覚えていてくださってとても嬉しかった。
もう通って4年にもなるのだと感慨深いものがあった。

蛇足だが、祈祷をしていただいた後お札やお守りなどが入った紙袋を頂いたが、その中に日本会議と思われるフライヤーが入っており、憲法改正の必要性を書いていた。
大抵の神社は日本会議に入っており、日本会議は政権に強力な影響力を持つ。
現政権が改憲に血眼になっているのも、支持母体の要請も強いからだ。

この神社は崇敬しているし神主さんたちもいい人ばかりだが、神社が政治関与や改憲運動に利用されるのは神道からは逸脱しており残念でならない。
神社本庁も日本会議という政治団体に牛耳られていて、本来のあるべき姿からはかけ離れているように思う。
神様たちも決して神職たちが政治活動をして、改憲や政府を動かすことは望んでいないだろう。


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職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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