喪失の意味

2019–06–24 (Mon) 15:06
人間は人生で何度か喪失を経験する。
一番大きいのは誰かを亡くすることだが、その他にも人間関係では好むと好まざるとにかかわらず喪失感を味わうことは必ずあると思う。
物理的に場所が離れた場合も、縁が切れてしまったという場合もある。
離婚や恋人との別離など、深い傷を受けるものから、親しい友人や信頼していた人、支えてくれた人など大切な人を失うことでも喪失感は大きい。
これは相手に去られた時も自分から去った時も、いい関係のまま別れた時もそうではない時でも喪失感というのは必ずあるものだ。

人は普通にあったものがなくなると、必ず空虚を感じる。
まして人間の場合はぽっかり穴があいたような感覚もあれば、絶望の淵に沈むほどの打撃を受けることもある。
私も幾度か大きな喪失を経験してきたが、立ち直るにはしばらく時間がかかった。
大事な人で年単位のこともあれば友人関係では一か月ぐらいというのもあった。

よくスピリチュアルでは何かが去れば違う何かが来るというが、経験上そうとも限らず空いてしまった空間はずっとそのままのこともある。
実は最近も不可抗力で信頼している人と縁が切れてしまったが、余人に代えられない人だったのでかなりの喪失感だった。
しかし人にはそれぞれの道があり人生の一時期必要があって縁を結んだが、それが永久に続くとは限らず一定期間軌道が交わってもやがて違う軌道に進む時が来たのだろう。

人との縁が切れる時は、間違いなく必然だと思う。
もうお互いに必要がなくなった場合もあるし、片方は必要としていても強制的にシフトチェンジをさせられる場合もある。
それもこれも多分次へ進みなさいということなのだ。

ステージが変わる時は人間関係も変わるというが、そういう時期は立て続けに起こることが多い。
そしてショックから立ち直り気が付いたら周りは違う景色になっていたり、何より自分自身もいつの間にか変わっていたりする。

大きな喪失も小さな喪失も試練ではあるが、それを乗り越えればかならず気づきや成長があるはずだ。
今大きな喪失の渦中にあってはそんな余裕はないだろうが、必ずこれからどうしたらいいかのヒントを後ろのガイドや守護者はくれている。
案外周りの人の言葉を通して伝えてくれている場合もあるので、複数の人に同じことを言われたら心に留めた方がいい。
それを経験する自体魂にとっては予定調和かもしれないから、必ず行先の道が用意されていると思って前を見るように努力しよう。


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ネックレスが切れる

2018–10–22 (Mon) 14:21
今六本木の国立新美術館で所属する団体の展覧会をやっているのだが、昨日一昨日と当番や手伝いで会場に行ってきた。
最近は美術団体の集まりはもうついていけない感じで出ないことにしているのだが、振り当てられた仕事だけは行かないわけにはいかない。

しかし、久しぶり行って当番でずっと会場に座っていたら、様々な懐かしい人と会い中には話し込んでいく人もいて楽しかった。
団体の中での価値観は違っても「久しぶり~」と笑顔で挨拶されると、かつて同じところを見て頑張っていた自分が甦って来て忘れていた感覚を思い出した。
最近は殆どスピリチュアル世界にシフトしてしまったが、スピ人間はややもするとその世界を知ってしまった故に自分は特殊だとか普通の生活には馴染めないなど自分から離れてしまう場合もある。
かくいう私もそういう傾向が最近は顕著になっていた。

しかしこのままでは出家するしかないような孤高の生活になりそうな気がする。
画家の世界で孤高と言えばある種の付加価値が付くかもしれないが、スピリチュアルで孤高というと世捨て人になってしまう。
その選択はないのだということを、何となくどこかから示唆されたような気がした。

人として生きているわけだからまだまだ日常の当たり前の感覚や喜怒哀楽を忘れずに生活すべきなのであって、生きていく上で持つ欲や野望も全否定は出来ないのだと思う。
時にそれは人生の目標になり生きるモチベーションにもなる。
欲のネガティブな面ばかりを見るようになっていたが、それさえも包容するような器量が必要なのかもしれない。

最近はエネルギーを出すばかりで枯渇しつつあったが、会場では側に来てくれる人達から沢山のエネルギーを補給してもらったような気がした。
昨日美術館の廊下を歩いていたら付けていた大ぶりのネックレスが、何もしないのにいきなり切れて大きな音を立てて床中に玉が転がった。
びっくりして周りにいた人も拾い集めてくれたが、何もしていないのに切れたのは意味がある。
思い当たることがあって本当にタイムリーで、見えない世界は凄いと思った。

因みに出かける前にルノルマンカードをやったら二回も鎌のカードが出ていた。
確かに当たったと言えば当たった。
・・・切る必要の物があってそれが切れたのを知らせてくれたのだろう。

どうも再起動させられるようだ。
後ろの守護達は様々な方法を使って教えてくれるのだと改めて驚いている。


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依り代としての人形

2018–09–29 (Sat) 16:54
先日ベネチアへ旅行してきた友人からお土産に小さなベネチアンマスクを貰った。
出雲大社で偶然知り合い私の仮面の作品の一枚を自分のガイドだと言って買ってくれたスピ友だ。
数あるマスクの中から私にぴったりだとピンと来たものを選んだそうだ。
確かに見た瞬間私も好きな紫色でピンと来てしまった。

しかし喜んで家に飾ったその夜から胃腸の調子が悪くなりかなりしんどかった。
実はその少し前にちょっと友人のトラブルに巻き込まれ、助けを求められてかなりへとへとになっていたところだった。
もしや貰ったマスクに何か憑いていたせいかとも思ったのだが、宇宙人の友人に写メを見せたところ、このマスクが毒出しをしてくれたのかもと言われた。
確かに好きな友人が私のためにピンと来たものを買ってくれたのだからおかしなはずはなく、逆にトラブルで貰った負のエネルギーをデトックスしてくれたと考えた方がいいような気がする。

人の形をしたものは人形だけでなく仮面や体の一部のオブジェなどでも念が入りやすい。
人形供養というのもあるくらいだから、愛着のある人形やずっと家にいて人間の気に触れていたものはエネルギーを帯びている。
ぬいぐるみなども子供が可愛がると、守護になったりガイドが入ることもあるようだ。

目のあるものは怖いというが、それは目が気の出入り口になりそこに念や霊魂を察知するからだ。
私も仮面の絵を描いているが、必ず人間が被っているものなので仮面の中に生きた人間の目を描く。
そうするといきなり命が吹き込まれたような感覚になる。

人形も同じで中には本当に何かの霊魂が入ってしまったものもあるし、実際の目が無くても人形が依り代になって気や念がつく場合がある。
これは良くも悪くも両方なので大事にしているものはいつも可愛がって愛着を持てば守護魔除けになるし、逆に貰い物などであまりいい感じがしない時は元々何かすでに憑いているのかもしれない。
気が進まない場合は手元に置かないかしまっておいた方が無難だろう。

物には念が宿る。
特に人の形をしたものやパワーストーンなどは入りやすいので、自分の物にするには注意が必要だ。



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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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