オーラが見える

2019–10–20 (Sun) 15:00
台風が来たり落ち着かず、すっかりスピブログならぬ時事ブログになっていたが、今日はスピネタだ。

風邪を引いて高熱がやっと下がった時に、知り合いの視える人にその時のオーラを見てもらった。
この人は普通の人だが、特殊な霊能力を持っていて自分ではあまり制御できないらしいが、病人や生命力、病気などに関しては判るらしい。
オーラも普通の色ではなく独特の見え方で、大体白っぽい色をしていて大きいとか切れているという部分で判断するそうだ。

熱が下がって病み上がりの時にラインのビデオ電話で話して視てもらったのだが、「思ったよりダメージは少なく生命力はあるよ!」と言われて、やはり熱はデトックスだったのかもと思った次第だ。

その時おもしろい話になって、その人も初めて画面を通してオーラを見たようだが、生で見るよりはっきり見えるということになった。
霊体などは肉眼では見えなくてもカメラを通して見るとはっきり見えることがあって、その人も部屋の中で何かいそうだと感じると部屋を暗くして携帯カメラで見るそうだ。
すると、何か影が映ってたりする時があると言っていた。

確かにエネルギーは電気や電磁波などに反応するから、肉眼で見るより捉えやすいのかもしれない。
オーラ写真というのもあるくらいだから、それも理にかなっている。
パソコンやスマホの画面を通じてネガティブなエネルギーが来るというのも、一部スピリチュアルでは認知されている。

その人は人のオーラを見ると健康状態や生命力が分かるそうだが、確かに生命力溢れている人と病人では誰でも受ける感じから何となく違いが分かる。
一部の人はそれをオーラとして可視化して見ることが出来るというわけだ。
そして携帯カメラを通すともっとそれが見やすくなるということが、図らずもその時証明されたようで御本人もびっくりしていた。

すっかり風邪が治ってから違うスピの知り合いに会ったら、「かなりすっきりした感じ」と言われたので、やはり熱を出すのは最大の浄化かもしれない。

私はオーラも見えないし、幽霊も見えない。
自分の問題は感情で曇って殆どわからなくなり、見える知人に有料、無料で視てもらったりする。
多分必要な事はちゃんと色々な方法で上から伝えられているので、それを確認するために人の口から言ってもらうのだろう。

せめてオーラぐらい見たいと思ったこともあるが、そんなことは関係なく然るべきものはちゃんとあるからといつも言われているような気がしている。
取り敢えず高熱が続いた時は「これは毒出しなのか?」と疑いそうになった自分がいたが、確信の持てない時はそれを確かめることをすると安心できる。

スマホカメラで怪しい気配を見る、というのは一度やってみようと思っている。笑



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直観と予感

2019–09–10 (Tue) 16:37
誰でも直観がある。
予感もある。
特に予感というのは悪い予感が多く、それには素直に従った方がいい。
大抵は守護する者の警告だからだ。

しかし閃きや直観や予感を全部実行していたら、収拾がつかなくなってしまう。
中には自分の希望や思いが直観としてやってくる場合もあるし、もともと気が進まないことを嫌な予感と取り違えることもある。
気が進まないというのも大きくとらえれば予感のようなものだが、大抵時期ではないか諦めろというサインであることは多い。
それでもごり押ししてそれなりに結果を出す場合は、本人のパワーが強いと言えよう。

スピリチュアル的にアドバイスするなら直観や予感は無視しない方がいいが、それについては緊急以外は少しリサーチしてみるのがよい。
例えば、転職先を探していたがいい話がなかった場合は少し待ってみるとか、転職先が気が進まないか迷っている時は他の人に意見を聞いたり自分なりに詳しく調べてみると、大抵どこかで答えが見つかるものだ。
で、直感通りでもそうでなくても、自分で一番納得できるものが答えだ。

よく、欲しいものがあり買い物に行くとパッと目に付くものがある。
だが、値段等が折り合わなく他を探してみるとする。
しかし結局最初の品に戻り多少条件面で折り合わなくても妥協し、それを買うことになるというのがままあるパターンだ。
直観+リサーチで直観が正しいことを証明するのがベストかもしれない。

ただ直観ばかりに頼るのがいいかというと、そこは是々非々だ。
スピ業界の一部が「自分の直観に従って、自分に素直に」と説いているが、それをそのまま実行したらとんでもないことになるので、そこは常識の範囲内でやるべきだろう。

辛いことや困難は人生の修行であり霊的成長には必要な事だから起きる。
生きて生活していくためには耐えなければならないこともあるので、「自分に素直に直観に従って」がただの自分本位になっては困るのだ。

まあ、目安としては大きな出来事を決める時は、直感だけではなく慎重に検証し現実的な部分を勘案するということだろう。
ふっと来る直観や予感は、根本的に人生や生活に関わらない部分で適宜使った方がいいと思う。

逆に言えば大きな人生の流れは直観や予感で簡単に左右されるものではなく、天の配剤、あるいはのブループリントである程度決まっているからだ。
くれぐれも「直観」で会社を辞め「予感」で占い師になどならないように。笑



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ハインリッヒの法則

2019–09–05 (Thu) 15:03
今日は横浜の近くで京浜急行の電車の脱線事故があり、30人以上の負傷者が出ている。
ネットでもリアルタイムで画像や動画が上がっていて心が痛む。
最近神奈川県では電車の事故が多い。
私が覚えているだけでも今年になって複数あったように思う。

何か大きなことが起きる時は、前触れのように小さいことが何度か起こる場合がある。
個人には注意喚起の場合もあるし、今回のように個人の力ではどうしようもないケースは注意のしようがなくても、天の報せのようなものかもしれない。

ヒヤリハットの法則というのがあって、正式にはハインリッヒの法則というのだが以下のような経験則だ。

「1件の重大事故の背後には、重大事故に至らなかった29件の軽微な事故が隠れており、さらにその背後には事故寸前だった300件の異常、いわゆるヒヤリハット(ヒヤリとしたりハッとしたりする危険な状態)が隠れている」

これは統計的に出したものだが、スピ的に考えても小さな事故の段階で上の何かが注意喚起しているのだから、それに気付いて気を引き締めるとかやり方を変えるなどすればいいが、大抵の人は全く改めないから大事に至ってしまう。

交通事故なども大事故を起こす前に危なかったり小さな事故を何度か起こしていて、周りは気づいたり本人自身も気づくこともあるが、なかなか身に付いた習性は変わらない。
で、やってしまった後に「やっぱりね、危ないと思っていたよ。」と思う人が必ずいる。

交通事故などは個人で回避できるが、今回のトラックとの衝突脱線事故は大局的に見れば地域的にいくつか小さい事故があったので流れとしての大事故だ。
しかし、局所的に見れば双方いずれかにヒヤリハットの法則が働いていたとも考えられる。

このハインリッヒの法則は事故だけではなく、個人的な失敗や会社のトラブル、政治でも適用されるので、小さな失敗やハッとしたりヒヤリとしたことが複数回続いたらくれぐれも注意した方がいいだろう。

スピ的には必ず大事の前には守護する者や上の方から何かの警告が来る。
それで気づいたり改めたりしたら大難が小難で済むし回避できることもある。

私も何度か、「そこまでしないと気が付かなかっただろう」と言われたようなことを経験している。
もういい歳なので、貰えるサインは漏らさず気付くようにして、身を律したいと思う。

ハインリッヒの法則は政治の世界でも通用する。
歴史的に見ても、戦争が起こる時はヒヤリハットが必ずある。
今の日本もその例外ではないだろう。


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喪失の意味

2019–06–24 (Mon) 15:06
人間は人生で何度か喪失を経験する。
一番大きいのは誰かを亡くすることだが、その他にも人間関係では好むと好まざるとにかかわらず喪失感を味わうことは必ずあると思う。
物理的に場所が離れた場合も、縁が切れてしまったという場合もある。
離婚や恋人との別離など、深い傷を受けるものから、親しい友人や信頼していた人、支えてくれた人など大切な人を失うことでも喪失感は大きい。
これは相手に去られた時も自分から去った時も、いい関係のまま別れた時もそうではない時でも喪失感というのは必ずあるものだ。

人は普通にあったものがなくなると、必ず空虚を感じる。
まして人間の場合はぽっかり穴があいたような感覚もあれば、絶望の淵に沈むほどの打撃を受けることもある。
私も幾度か大きな喪失を経験してきたが、立ち直るにはしばらく時間がかかった。
大事な人で年単位のこともあれば友人関係では一か月ぐらいというのもあった。

よくスピリチュアルでは何かが去れば違う何かが来るというが、経験上そうとも限らず空いてしまった空間はずっとそのままのこともある。
実は最近も不可抗力で信頼している人と縁が切れてしまったが、余人に代えられない人だったのでかなりの喪失感だった。
しかし人にはそれぞれの道があり人生の一時期必要があって縁を結んだが、それが永久に続くとは限らず一定期間軌道が交わってもやがて違う軌道に進む時が来たのだろう。

人との縁が切れる時は、間違いなく必然だと思う。
もうお互いに必要がなくなった場合もあるし、片方は必要としていても強制的にシフトチェンジをさせられる場合もある。
それもこれも多分次へ進みなさいということなのだ。

ステージが変わる時は人間関係も変わるというが、そういう時期は立て続けに起こることが多い。
そしてショックから立ち直り気が付いたら周りは違う景色になっていたり、何より自分自身もいつの間にか変わっていたりする。

大きな喪失も小さな喪失も試練ではあるが、それを乗り越えればかならず気づきや成長があるはずだ。
今大きな喪失の渦中にあってはそんな余裕はないだろうが、必ずこれからどうしたらいいかのヒントを後ろのガイドや守護者はくれている。
案外周りの人の言葉を通して伝えてくれている場合もあるので、複数の人に同じことを言われたら心に留めた方がいい。
それを経験する自体魂にとっては予定調和かもしれないから、必ず行先の道が用意されていると思って前を見るように努力しよう。


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ネックレスが切れる

2018–10–22 (Mon) 14:21
今六本木の国立新美術館で所属する団体の展覧会をやっているのだが、昨日一昨日と当番や手伝いで会場に行ってきた。
最近は美術団体の集まりはもうついていけない感じで出ないことにしているのだが、振り当てられた仕事だけは行かないわけにはいかない。

しかし、久しぶり行って当番でずっと会場に座っていたら、様々な懐かしい人と会い中には話し込んでいく人もいて楽しかった。
団体の中での価値観は違っても「久しぶり~」と笑顔で挨拶されると、かつて同じところを見て頑張っていた自分が甦って来て忘れていた感覚を思い出した。
最近は殆どスピリチュアル世界にシフトしてしまったが、スピ人間はややもするとその世界を知ってしまった故に自分は特殊だとか普通の生活には馴染めないなど自分から離れてしまう場合もある。
かくいう私もそういう傾向が最近は顕著になっていた。

しかしこのままでは出家するしかないような孤高の生活になりそうな気がする。
画家の世界で孤高と言えばある種の付加価値が付くかもしれないが、スピリチュアルで孤高というと世捨て人になってしまう。
その選択はないのだということを、何となくどこかから示唆されたような気がした。

人として生きているわけだからまだまだ日常の当たり前の感覚や喜怒哀楽を忘れずに生活すべきなのであって、生きていく上で持つ欲や野望も全否定は出来ないのだと思う。
時にそれは人生の目標になり生きるモチベーションにもなる。
欲のネガティブな面ばかりを見るようになっていたが、それさえも包容するような器量が必要なのかもしれない。

最近はエネルギーを出すばかりで枯渇しつつあったが、会場では側に来てくれる人達から沢山のエネルギーを補給してもらったような気がした。
昨日美術館の廊下を歩いていたら付けていた大ぶりのネックレスが、何もしないのにいきなり切れて大きな音を立てて床中に玉が転がった。
びっくりして周りにいた人も拾い集めてくれたが、何もしていないのに切れたのは意味がある。
思い当たることがあって本当にタイムリーで、見えない世界は凄いと思った。

因みに出かける前にルノルマンカードをやったら二回も鎌のカードが出ていた。
確かに当たったと言えば当たった。
・・・切る必要の物があってそれが切れたのを知らせてくれたのだろう。

どうも再起動させられるようだ。
後ろの守護達は様々な方法を使って教えてくれるのだと改めて驚いている。


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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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