守護霊の報せ

2019–11–13 (Wed) 14:56
守護霊やガイドは色々な方法を介してメッセージをくれるが、全くその通りと思った出来事があった。
内容は割愛するが、私は同じ忠告を近しい人間に何度も言われていたことがある。
それも二人からで、そう思いつつも聞き流していたことが、実はある出来事が起こり、「ほら、その通りだったでしょう?」と証明されたのだ。

これまでも人生で、自分でもわかっているが実行できないこと、何度も親しい人間からアドバイスされても聞かなかったことが、何かが起こり否応なくそうせざるを得ない状況に追い込まれたりしている。
それは一見ネガティブな事なのだが、気付かせるために後ろの存在が起こしたことだった。
「そこまでしないと気が付かないだろう」と後から言われたような気がしたこともある。
人様に守護霊やガイドスピリットのサインを見逃さないでね、とよく言うのだが、自分のことになるとスルーしてしまう。

彼らは実に様々な方法で教えてくれる。
大抵は周りの人の口を借りることが多い。
特に耳の痛い事などを複数の人に言われたりしたら、それは改めるべき事できちんと聞いておいた方がいい。
何となく気になったり心に残る事は、彼らの注意喚起だ。

それでも気が付かないと彼らは強硬手段に出る。
小難を起こして大難を避けるようなやり方だ。
風邪を引いて予定をキャンセルしたら、行くはずの場所で大きな事故があったなどだ。
アクシデントで遅刻しなかったら、事故や事件に巻き込まれていたというパターンはよく聞く。

日航機が墜落した時、芸人のさんまさんが乗り遅れて九死に一生を得たのは有名な話だ。
それから彼は「生きているだけで丸儲け」という言葉を言うようになった。
これは彼を助けるために見えない力が働いたとしか思えない。

後ろで守護してくれている存在達は、耳に囁かなくてもありとあらゆる手を使って大事な事は知らせてくれるし、危機的状況ならどんな方法を使ってもを助けてくれる。
本当にありがたいことだと、今回改めて思っている。

さて、余談だが今週17日まで私の絵画作品でベネチアンマスクのポスターが、海外の作家の作品と一緒に渋谷駅に展示されている。
渋谷駅に行ったら、見かけることがあるかもしれない。笑


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三峯神社再訪

2019–11–09 (Sat) 18:00
一昨日、昨日と一泊で久しぶりに三峯神社へ行ってきた。
去年拝借した御眷属様をお返しに行き、また新しいご眷属様を拝借するためだ。
今年は何度か行こうとしたが都合が悪くなったり宿も一度キャンセルして、思うようにお参りできなかった。
出雲大社も熱を出して行けなかったし、何となく今年は神社巡りがスムーズではなかった。
三峯神社も直前に体調が悪くなったりしたから、ストップがかかったのかもしれない。

久しぶりの三峯神社は静謐に包まれていた。
特に御眷属様を祀っている御仮屋は人も少なく森閑としていた。
本当に狼様がいるような気がする。

早朝の御祈祷を終え境内の様々なお社を参拝して歩いたが、朝早くはやはり空気が違い、御神木も生気を取り戻したように触ると何かエネルギーが来るような気がした。
おびただしい数の参拝客が御神気を貰うために触っていくので木肌が剥けて赤褐色になっており痛々しいが、毎日夜中に精気を充電して触れる人々に神気を分け与えてるのだろう。

無事御眷属様を拝借して帰るバスで、一緒になった女性と話してきた。
十年前から神社巡りをしているそうだが、スピ系の人ではなく古事記が好きなので主に古事記の神様の神社を巡っているそうだ。
色々話していくと、やはり呼ばれたと思う神社があるようで、そういう神社は台風が来ても、悪条件でも何故か行けることになると言っていた。
それもこんな「偶然が?」と思うようなシンクロが起こるらしい。
そして大抵そういう神社は来てよかったと思えるそうだ。

その話を聞いて、やはり神社は呼ばれるんだと改めて思ったものだ。
特に強い神社ほどそうらしい。
強すぎると体調の悪いときはかえって逆効果だとも。
それは実体験としてよくわかる。

私よりはるかに沢山の神社へ行っているので、とんだ参拝客のエピソードなどを教えてくれて結構笑った。
祈祷札には必ず記名してもらうが、大きな神社は新米神主が書く慣例があり必ずしも達筆とは言えない筆文字の場合もある。
出雲大社で祈祷札の字が下手だから書き直してもらうと怒っていたおばさまがいて、大国主命様も苦笑いだねと話していた。
確かに色々な神社へ行くと「トンデモ参拝客あるある」が体験できる。

まあ、人それぞれだし神社へ参拝に来る気持ちがあるだけでも、まだマシなのかもしれない。
面白い話が聞けて、世の中には私など比にならない神社仏閣巡りのマニアがいるのだと感心してしまった。



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火の浄化

2019–11–06 (Wed) 17:08
先日沖縄の首里城が全焼した。
沖縄は何度か行っており、首里城もかなり前だが見学に入ったことがある。
長い石畳の道を上っていくと琉球の衣装を着た人たちが案内などをしてくれて、一緒に写真を撮ったのを思い出した。
去年も沖縄へ行き聖地や平和公園などを訪れ沖縄の複雑な歴史を改めて知ったところだ。

沖縄のシンボルである首里城が焼け落ち、辺野古基地問題で痛めつけられているのに弱り目に祟り目のようで気の毒でならない。
中には穿った見方をする陰謀論者もいるが、真相などは永久にわからないだろう。

今年の日本は台風、水害、火災と自然の大浄化の三つがまとめてきているような気がする。
風、水、火、土という浄化の四大要素で来ていないのは土なので、今度は大地震が来るのではないかとスピ界では囁かれていたりする。
地球の自浄作用と言えなくもないが、被害を受けている人々にとってはそれどころではない。

台風とその後の大雨で千葉を始め関東、東北、北陸まで水害の大きな被害を受けた。
皆疲弊しきっているのになぜか株価は上がり、そこでも潤う人々は着実にいる。
それが今の日本の現実だ。

東京オリンピックもマラソンが外的圧力で札幌に変更になったが、都知事が「マラソンを見たくて沿道のタワーマンションを購入した人の気持ちはどうなるのか」と言った。
多分今の為政者はそういう人達のためにオリンピックをやり政治をやっている。
安倍首相が外遊して今回も盛大に国の税金を各国にばら撒いたが、その分を災害の被害者に回したらと思った国民も多かったはずだ。

まだまだ災害は続くと予想しているスピリチュアル関係者は多い。
リセットのために、何もかもが行くところまで行く必要があるということだろうか。

首里城は歴史上何度か焼失している。
同じ浄化でも火というのは怒りの浄化という意味があるらしい。
確かに怒りの象徴は炎なので、火で焼き尽くすというのは一番激しい浄化なのかもしれない。
沖縄という土地の怒り、沖縄の人々の怒りが琉球王国の時から延々と続き、定期的に炎となってそれを鎮め浄化するのかもしれない。
被害者が出なかったのは幸いだ。

また再び美しい首里城を見られる日が来ることを願ってやまない。


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悪霊・生霊の引き寄せ

2019–11–04 (Mon) 14:35
ある霊能者が言っていたが、除霊を依頼に来る人で本当に悪霊に取り憑かれて霊障を受けている人は1割ぐらいしかいないそうだ。
原因不明の不調とか運の悪さなどを感じると、見えない世界を信じている人はついそちらに原因を求めてしまう。
しかし大抵は自分がそれを作り出している場合が多い。

よく茶碗が割れたとか物が落ちて壊れたなどは、縁起が悪い、何か良くないことがあるのではないかと思ってしまう。
私もその傾向があるので、何かある度に疑心暗鬼になりそれを意識してしまっていた。
結果実際に何か起こったりする。
しかしこういったことは殆ど自分がその時に「縁起が悪い」とインプットしてしまって、その後よくないことが起こったら自分が引き寄せてしまっていると気付いた。

それと同じで、悪霊生霊が憑いて霊障を起こしているのではないかと疑念を持つ時も、仮にそうだとしても自分自身が何かしら思い当たることがあって、それが心に残り霊道やコードを繋げていわばウェルカム状態にしているからだ。
いくら悪霊生霊なりが飛んできても受信機が無ければ電波は跳ね返されるだけだが、原因を作ってしまった覚えがあればそれにこだわる心が受信機となってキャッチしてしまうわけだ。

生霊などは誰でも飛ばしたり飛ばされたりしているが、普通は大した影響もなく終わっている。
しかし例えば恨みを買うようなことをしたり、あるいは相手に悪いことをしたという良心の呵責が大きければ、お互いの想念がコードとなって繋がり相手の思念に呼応して自分が反応してしまう。
良心の呵責があれば自己刑罰的に具合が悪くなったり不調になったりするし、撥ね退けられなくなって本当に生霊に取り憑かれる状態になってしまうだろう。

占い師や霊能者の所に行って悪いことを言われると、それが引っ掛かり自分でネガティブに落ちていく場合などもそうだ。
もっと言えば懇意にしていた霊能者とうまく行かなくなり、「報いを受ける」などと物騒な言葉を吐かれた日には、もう恐ろしくて呪いでも飛ばされるのではないかと縮み上がるが、その段階ですでに自分自身に呪いをかけてしまっている。
相手に霊障を起こせるほどの占い師や霊能者はそういないし、もし出来たとしてもそんなことをしたら闇と繋がっているので本人自身がいずれ報いを受ける。

引き寄せの法則はよく言われるが、私も最近は確かに自分が潜在意識に刷り込んでしまったことは自分が現実化しているのではないかと思っている。
「これをやったらこうなる」というのは本人が作る法則で、実は外部的な力ではないことがほとんどだと思う。
何があっても必要以上に恐れる必要はないし、現実は自分が作り出しているのだという意識を刷り込めばいい。

そして考え方の転換だ。
仮にお守りのように大事にしていたブレスレットが切れたとしよう。
これを「大事なブレスレットが切れたから何か悪いことが起こる、怖い」と思うか「代わりに切れてくれた、厄を落としてくれたからもう大丈夫」と思うかの違いだ。
前者は自分で悪いことを引き寄せるパターンで、後者はすっきりして何も起こらないパターンだ。

「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」という言葉があるが、悪霊生霊も相手にしないか、油を注ぎ燃え上がらせるかは実は自分の心持ちいかんなのだと思う。


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カード占い今昔

2019–11–01 (Fri) 14:31
最近は色々忙しくスピリチュアル的な事が留守になっていたが、最近見ているスピ系の動画あれこれでカード占いについてある特徴に気付いた。
これは何度か出た占術研究会のカード占いでもそうだったのだが、タロットでもルノルマンでもオラクルでも、カードの意味を厳守してそれを基盤にリーディングするというより、もっと自由にカードの絵柄や色などからインスピレーションを得てリーディングする人が多いということだ。

数十年前の高校一年生からタロットを始めた者としては、時代の変遷を感じずにはいられなかった。
スプレッドも自由で好きに並べてみたり自分流の並べ方を作ったりもありだし、今はタロットでもオラクルでも様々なモチーフのカードがある。
絵柄にシンボルの剣や金貨がないものもあって、その代わりに絵画のような絵になっていたりして、リーダーはそこからの印象や色、図の中にある小物などから自分の感覚で読んでいく。

カードもスピ能力で読む場合があるので、知らずにそちらにウエイトが置かれるようになっているのかもしれない。
描かれている人物が女性か男性か、顔の向きなどもヒントにしていたリーダーもいた。
確かにある種芸術作品のような綺麗な絵柄のカードを見ると、その一枚だけでもどんな印象を受けるかどんな想像が出来るかと考えてみたくなるのは判る。

それともう一つの特徴は、三つぐらいの違う種類のカードを組み合わせるということだ。
具体的にはこうだ。
例えばタロットとルノルマンとオラクルのカードを、一つの問題について組み合わせてそこからリーディングしていく。

特に動画で不特定多数を占う場合に多かったが、同じ場所に三種類のカードを一緒に置きリーディングするスタイルなので、もはやそれぞれのカードのスプレッドは関係ない。
ついでにその上にはルーンの石が置かれるパターンもあったりして、ブランクのある私にはカード占いの世界がこんなにも自由になったのに隔世の感があった。

勿論皆基本はカードの意味と最低幾つかのスプレッドは覚えておかなければならないとは思うが、しかしもしかしたらそれすらも必要なく綺麗なカード、気に入ったカードを好きに並べて感覚で読んでいくというのもありなのだろう。

私もついつい綺麗なカードに魅せられて、一つ新しい芸術作品のようなタロットカードを買ってしまった。笑



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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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