葛藤と自己矛盾

2018–10–02 (Tue) 15:46
人間は誰でも何故生まれて来たのか、何故生きているのかと一度は考える。
生きるという価値は人によって様々だ。
同様に幸不幸もそれぞれで違う。

大抵の場合相対的な部分があり、人に比べてどうかというのが基準になったりする。
癌で生きたいと切望する人間もいれば死にたいと思って自殺をする人間もいる。
自分にとっては価値のあるものでも人によっては無価値だということはよくあって、交換できたら簡単なのだがそういうわけにはいかない。

何か大きな出来事が起こると人生観が一変することがあるが、大抵は失って初めてその価値が分かったりする。
何故生きているのか、自分に価値はあるのかと思う人間が余命宣告されたら、やっと死ねるとは喜ばないだろう。
人は、失わない、あるという前提があるからいらないと思う。
そして失うとわかったら惜しくなり執着する。

人間とは、激しい自己矛盾を抱える生き物だ。
精神世界に足を踏み入れると少しはその葛藤も軽減できるが、それでも今度は生身の自分とハイヤーセルフのはざまで相克が起こる。
霊的進化を求めながらロウワーな自分に嫌悪を抱いたり、あるべき理想の姿と現実の俗的な自分のギャップに苦しんだり。
以前神社で娘が母親を罵倒しながら参拝をしている母娘を見たが、これなどは人間の救いがたい自己矛盾の姿だと思った。
誰でも自分の中に度し難い業を持っていて、それが人間である証なのだろう。

今回ノーベル医学生理学賞を京都大高等研究院の本庶佑氏が受賞したが、氏は賞金を京都大学に寄付するそうだ。
共同受賞なので億単位の半分にしても巨額だが、彼にとっては必要のないものなのが分かる。
彼は人類の進化のために来ただから、お金は彼の人生の目的ではない。
彼にとっては賞金などより研究の成果の方がよほど価値がある。
久しぶりに明確なミッションを持ったの人を見たような気がする。



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我に七難八苦を与えよ

2018–09–30 (Sun) 17:59
スピリチュアルに覚醒し見えない世界や人知では解明できない世界を知ると、自分の価値観が揺らぐ。
人が生きていく上で感じる不平等、不公平、不条理の理由も理解できるようになるが、現実に生きる場合その乖離が大きければ大きいほど、所詮机上の空論ではないかと思ってしまう。

努力は報われない、正直に真っ当に生きてきても不運やトラブルに見舞われる。
一方ずるをしたり人を欺いたり阿漕な事をやっても、ツイていてどんどん成功していったり悪人が地位と権力を得たりする。
世の中に勧善懲悪はないのかと思うことは度々あるし、罰も当たらず畳の上で大往生する悪党もいる。

そんな大所高所の見方でなくとも、自分の人生を考えてみるとこんなに頑張ったのになぜ報われないのだろうと思うことは誰でもあるはずだ。
過ちを犯したら反省し常により良く生きたいと努力しているのに、苦難は次々襲ってくる。
そんな時は何の苦労もせずに幸運に恵まれたり、スイスイと上手く行っている人が羨ましくもなるだろう。

スピリチュアル的観点からは今生だけでなく過去生や来世へのカルマ、宿業、、因果などで考えて辻褄が合うのも理解出来ても、実生活では精一杯頑張っても報われないのには涙が出てくる時が無いだろうか。

確かに私も客観的なブログを書いているつもりだが、自分自身についても属する社会でも矛盾や不条理について全てを受容出来たり達観出来てはいない。
時には「もう十分大変な思いをし、それも乗り越えたのにまた来るのですか」と天に向かって嘆きたくなることもある。
ガイド達に弱音を吐いたり泣きついたこともある。

戦国武将の山中鹿之助が 「我に七難八苦を与えたまえ」と言葉を残したが、彼の人生はその言葉通りの艱難辛苦の連続だった。
「またですか?まだですか?」と思うことも正直あって、そんな簡単に人間は達観できない。
まだまだ山中鹿之助の境地には至れない。

しかし、私達は生身の感情を持った人間だ。
聖人君子にはなれないしネガティブな感情も人間の証だ。
時には霊性の向上など忘れて、辛い、悲しい、悔しいという気持ちも素直に受け止める方がいいのだと思う。


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依り代としての人形

2018–09–29 (Sat) 16:54
先日ベネチアへ旅行してきた友人からお土産に小さなベネチアンマスクを貰った。
出雲大社で偶然知り合い私の仮面の作品の一枚を自分のガイドだと言って買ってくれたスピ友だ。
数あるマスクの中から私にぴったりだとピンと来たものを選んだそうだ。
確かに見た瞬間私も好きな紫色でピンと来てしまった。

しかし喜んで家に飾ったその夜から胃腸の調子が悪くなりかなりしんどかった。
実はその少し前にちょっと友人のトラブルに巻き込まれ、助けを求められてかなりへとへとになっていたところだった。
もしや貰ったマスクに何か憑いていたせいかとも思ったのだが、宇宙人の友人に写メを見せたところ、このマスクが毒出しをしてくれたのかもと言われた。
確かに好きな友人が私のためにピンと来たものを買ってくれたのだからおかしなはずはなく、逆にトラブルで貰った負のエネルギーをデトックスしてくれたと考えた方がいいような気がする。

人の形をしたものは人形だけでなく仮面や体の一部のオブジェなどでも念が入りやすい。
人形供養というのもあるくらいだから、愛着のある人形やずっと家にいて人間の気に触れていたものはエネルギーを帯びている。
ぬいぐるみなども子供が可愛がると、守護になったりガイドが入ることもあるようだ。

目のあるものは怖いというが、それは目が気の出入り口になりそこに念や霊魂を察知するからだ。
私も仮面の絵を描いているが、必ず人間が被っているものなので仮面の中に生きた人間の目を描く。
そうするといきなり命が吹き込まれたような感覚になる。

人形も同じで中には本当に何かの霊魂が入ってしまったものもあるし、実際の目が無くても人形が依り代になって気や念がつく場合がある。
これは良くも悪くも両方なので大事にしているものはいつも可愛がって愛着を持てば守護魔除けになるし、逆に貰い物などであまりいい感じがしない時は元々何かすでに憑いているのかもしれない。
気が進まない場合は手元に置かないかしまっておいた方が無難だろう。

物には念が宿る。
特に人の形をしたものやパワーストーンなどは入りやすいので、自分の物にするには注意が必要だ。



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貴乃花 vs 利権構造

2018–09–28 (Fri) 15:16
貴乃花が今テレビを賑わしている。
この騒動を見ていると、何となくデジャブを覚えてしまう。

私はある美術団体に所属しているが、秋に大きな展覧会があって今年もその季節がやってきた。
若い頃はコンクールに出したり常にハードルを上げてきたが、最近はスピリチュアル的視点で物事を見るようになったので、かつて感じていた美術組織の矛盾や疑問が尚更はっきりと透けて見えてしまう。
組織で権力を持ちたい人間や既得権益を守りたい人が集団になり、そうではない個人を疎外することはよくある話だ。

貴乃花のケースは、決して組織や会社の中では他人事ではない。
もっと国民にとって大事なニュースがあるだろうと思うが、そのことは置いておいて、貴乃花も組織の不正と戦って結局追い出されたようだ。
これは権力を握る者が自分達の保身のために不正を糾弾する人間を陰日向で陰湿にいじめ居場所をなくした構図で、まったくもって今の日本、つまり安倍政治のやり方そのものだ、
自分達のいいように組織を動かしそこには不正だろうが利益誘導だろうがなんでもありで、それを糾そうとする者は徹底的に嫌がらせをして潰すというのが政権始めそれに右倣えをしている日本の組織や会社や社会だ。

嘘がまかり通る、ばれても開き直る、生き残りたいためには追従し共犯になる。
貴乃花の頑迷な性質も火に油を注いだようだが、基本は不正を糾すものは潰されるという構図だろう。

このシステムはそれが許されるような政治になってそれを国民みんなが見てしまったから、自分達もいいのだという集合意識になってしまったことによる。
相撲協会ほど露骨ではないが美術団体も傾向的に同じで、どの組織も持っていた人間関係の力学が今は悪い方に振れ、ひたすら権力の維持や利権構造の拡大にのみ使われるようになっている。

皆自分が可愛いいから不正など関係ないし得をすればいいだけで、正義を通そうとするものは排除される。
恐るべきトップダウンの腐敗構造が今の日本だ。

「寄らば大樹の陰」という言葉ほど、日本人の性質を表しているものはないと思う。

私は権力におもねりたくはないしずっとそのポリシーを貫いてきたが、スピリチュアルに覚醒するともう同じ次元で腹を立てることさえ嫌になっている。
それぞれの今世での生き方があるから、違う世界の人とは付き合えないし道が違うと思うしかない。
生活に関わらない限りは、無理をして苦痛な人間関係を続ける必要はないだろう。


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魂から見た人間関係

2018–09–24 (Mon) 16:29
ある男性から仕事のことで間接的に相談を受けた。
最近職場でステップアップしたのだが後輩が突っかかって来るのでその対応についてということで、ざっとルノルマンカードで見てみた。
一番簡単な方法で6枚でやってみたのだが、今のポジションに行ったことで当然出てくる問題を示唆していた。
若く優秀な青年だが出世が早いと中には斜に見る人もいるだろうし、新しいポジションに慣れるまでは相応の摩擦や困難はあるだろう。

特に仕事の人間関係では、必ず反りが合わない相手がいたり下手をしたらいじめもある。
いじめは子供だけの問題ではなく、実は大人になってもパワハラやセクハラなど形を変えて巧妙になって常に存在する。
それはいじめる方がもともと魂が未熟であったり、実は加害者も被害者も根底には同じ部分を持っていたりすることが多い。
自分の周りは鏡だというが、いじめる方もいじめられる方も同じ土俵にいるからだ。

もう一つ辛く当たられたりぶつかってくる相手が、実は自分にとって学びをさせてくれる魂の教育係の場合がある。
私の知っているケースで嫌でたまらない上司に、視点を変えその人がそうする理由を考えたり上司の持っている個人的な問題を忖度したところ、次第に関係が変わり最後には可愛がられるようになったというのがあった。
そして不思議な事にお互いいい関係になった時に、その上司は二人とも配置換えで職場を去ったそうだ。

上司との関係性を良く出来た事で人間的にも霊的にも成長が出来たから、上司の役割は終わりいなくなったと考えられる。
同じソウルグルグループで今世も助け合うという約束で来る場合が多いが、あえて敵対して学ばせるという目的で来ることもある。
あの人のおかげで大変だったが成長出来たと後に思えるなら本人のステージも上がるし、その相手は自分を訓練してくれたということだ。

よく人生が変わるような大変な出来事で、その後の人生を「あれがあったから今日がある」と思えるか「あれのおかげでダメになった」と思うかで霊的成長の度合いも判るが、人間関係でも同じことが言えたりする。

冒頭の青年には突っかかってく後輩に、まず否定をせず彼自身の意見も人間的背景も知って一旦受容した方がいいとアドバイスした。
そして妥協点を見つけ耳障りな事を言われても、よく言ってくれたと認める器量を持った方がいい。
突っかかってくる人間は実は自分も同じ要素を持っているから、そこが尖って突つき合ってしまうのだ。
問題が解決した後その後輩に感謝出来れば、上司としてのスキルは上がるしスピ的にもステージが上がるだろう。

人生で嫌な相手やぶつかる相手は、本当は自分にとって一番学びになる魂なのかもしれない。


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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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