自責と他責

2018–06–17 (Sun) 15:43
自責、他責という言葉があるが人間もこの二通りの傾向に分けられるような気がする。
トラブルがあると人のせいにする人と自分のせいにする人でどちらが楽かと言えば勿論前者だろう。

私は自責タイプの人間で特に物事の分別が付くようになると自分の中に倫理や道義の価値観を作り上げてしまい、しばしば自縄自縛になり自らを苦しめて来た。
「天に背く」「人としてどうか」「良心が痛む」等々。
この感覚が発動すると人生の失敗や過ちに罪悪感や贖罪意識が出て、自責、自虐、自己犠牲、自己刑罰へと行くことが多い。

私は宇宙人だったせいか(笑)、親にしたら心の中が読めない子で特に権力的な母親とはあまり折り合いは良くなかった。
普通の親子関係だったが彼女が夫を亡くし一人暮らしになりまだら認知が出始めると、強迫観念のように娘を支配しようとし出した。
近くに住んで面倒を見ていたが毎日のように不満を訴える母親に段々息苦しくなりながらも、何か言うと「死ぬ」と泣いたり脅すので刺激しないようにひたすら言いなりになっていた。
数か月後に私は自分のメンタルがおかしくなっているのに気づいた。
ストーカーのように毎日電話を寄越す母親に怖くなって電話にも出られなくなったが、一方心の中では認知の母親にこんな仕打ちをしていいのかという良心の呵責と人としてどうかという自責の念で葛藤に苦しみ進退窮まっていた。
もうこんな状態から逃れたいと思って朝になったら目が覚めなくてもいいと考えるようになった矢先、大きな病気が発覚した。

今思えば全てから逃げ出したいと思ったから、逃げ出せる方法を自分で引き寄せたのかもしれないが、入院手術をして生きられるのだろうかと考えた時私はようやく自分の母親の呪縛からブレイクスルー出来たのだ。
つまりそこまでなって初めて私は自分で決めた一人よがりの倫理や道義の基準を外せたわけだ。

自分が母親に縛り付けられていると思ったのは実は自分自身で縛っていただけであって、それは自分で作り上げた「人間としてせねばならないこと」というマイルールのせいだった。
「母親を見捨てる娘」という構図は私の見方であって「ボケて娘を壊す母親」という違う見方も成り立つのだ。
ボケ始めた母親に縛られ心身を病んで生命の危機に晒されるまで追い込まれたのだから、人の道など通用する次元ではないがすでに洗脳状態で客観的に考えられなくなっていた。

問題は相手ではなく自分の中にあったのだと後になってようやく気が付いた。
「親を介護しない子供」の自分を許せないから許せる理由を自ら作った。
良心の呵責や罪悪感を払拭するには「これだけ自分も痛んで苦しんだ」という証明をして自らを納得させなければ、「人の道という呪詛」から心を解放できなかったのだろう。

自責の念を相殺するために自分を痛めつけることを潜在意識でやっている場合がしばしばある。
もし私が上記のような他責型の人間であれば、子供を苦しめるひどい親だと考え楽だったろう。
それぞれの魂が持っている宿縁や因業はあるかもしれないが、少なくとも魂は自分を苦しめ傷つけることは決して課題として持って来てはいない。

一番してはいけないのは、自責と自虐と自己犠牲と自己刑罰だ。
そんなことをしても誰も喜ばないし、私も大事な人達を悲しませてしまった。


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スピリチュアルワーク

2018–06–09 (Sat) 15:30
私の本業は洋画家で最近はスピリチュアル的な事に時間を使うのも多いが、毎日絵の制作はしている。
先日絵の仲間と話していて最近描いた仮面の絵の画像を見せたら、「イラスト的になってきたね。」と言われた。
それは私にとっては少々ショックな言葉だった。
また違う日にアカシックリーダーの女性に会って絵の話になったら、「全然絵に心が向いていないでしょう。かつてのような迫力がないし100パーセントのパワーが入っていない。」と言われた。
確かに思い当たる節があってぎょっとした。

一人は絵の専門家、一人は霊能力者が同じことを言ったのだから、実際その通りなのだと認めざるを得なかった。
最近はルーチンワークになっていたところがあり、技術的にはどんな状況でも同じレベルで描けるのだが、まさしく心が入っていなかったのかもしれない。
サラリーマンでも技術職でも仕事となれば自身のコンディションは関係なくこなさなければならない。
しかし書類を仕上げたり帳簿を付けるのと違って自分の才能や技術で成す仕事は、やはりその時の気持ちや精神状態がダイレクトに影響を与えるのだろう。

芸術家は逆境にある時ほどいい作品を作ると言われていて、私も人生の土壇場の時に描いた作品が大きな賞を取ったことがある。
獄舎で名作を残した詩人や狂乱の果てに名画を残した画家もいるから芸術の世界では一般常識は通用しないが、それでも人間は心の状態によって仕事に影響が現れるのは間違いない。
友人の占い師はテレビに出て売れっ子になっても、やはり霊視で調子のいい時と悪い時があると言っていた。
プロはそれを全く感じさせない仕事をしなければならないが、絵のように一見出来上がりに変わりはなくても人を打つ見えない迫力や波動の違いを感じる人は確かにいるのだと身が引き締まる思いがする。

最近はスピリチュアルワークもするようになっていた。
今までは微妙なバランス感覚でやってきたが、現在の私にとってはマスクを描くこともスピリチュアル的意味を持っている。
どちらも私のいわばミッションなのかもしれないなら、あれかこれかではなく統合させることを目的にすべきだと思い至った。

スピリチュアルカウンセリングもこれまではひっそりとやっていただけだった。
過日雑誌に載せないかとHPを見た編集者から連絡が来て、てっきり美術雑誌だと思ったらスピリチュアル雑誌で驚いてしまった。
結構有名な雑誌らしくかなり高額の掲載料なのでお断りしたが、これもちゃんとぶれずにやれという事なのかもしれないと思ったところだ。

色々忙しいのもあったがこれからは初心に戻り魂を込めて絵を描き、同時にスピリチュアルの方面でも出来ることをしてそれを絵にフィードバックさせていこうと思っている。
殆ど放置していたのだが、以下にスピリチュアルカウンセリングのHPを載せておく。
画像は今日仕上がった「ルーチンワーク」になっている仮面の作品。笑

http://reo262683.wixsite.com/masquerade


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心身の浄化

2017–12–24 (Sun) 13:41
最近色々立て込んでいてブログ更新もままならなかった。
年末だからというわけではないが、自分の中でも最後のデトックスが来ていた。
今年は何かと体調不良や意識のクラッシュが多く、心身共にリセットを余儀なくされているような年だった。

最近九星気学で9年間でどん底の年だと分かり、やはり統計学は当たるかも、と納得が出来た。
こういう統計学や算命系の鑑定は、自己暗示にかかりやすい人間はあまり知らない方がいいのではないかとも思う。
構えて引き寄せてしまうからだ。
ポジティブに考えられる人は転ばぬ先の杖的に迎えられるだろうが、ネガティブ人間は自分でネガティブのループに陥ってしまう。

私がこの一年で学んだことは、一つの大きなトラブルやネガティブな出来事は必ずいくつかの伏線があって、それが合致した時に起こったり一つのきっかけが次々と他の要素を呼び込むという事だった。
例えばもともと悪い運気の時に気持ちがネガティブになり、人間関係の躓きがあって同時に体調を崩したとする。
これは前二つの素地があって、人間関係ではネガティブな他者の波動を受け疲れていたところにそれが作用し体調を崩し、なおかつ自分の抱えてきたカルマがそこで発動して、おまけに実は前世で大変な目に遭っていた歳だったリするとかなりの条件が重なってしまう。
多分この半分でも欠けていたらトラブルは回避できたかもしれない。

よく占いでも病気やトラブルの原因は何ですかと聞きたくなるが、一つではなく複数が重なっていることが多い。
シンクロし増幅して大事になってしまうのだ。

ただ、人生で起きる出来事は大きなことほど必ず意味がある。
私はスピリチュアル的思考になってから、その意味の追究を始めてしまうようになった。
自分がプログラムしていたり選択してしまった事柄なので、意味を探ったら必ず気づいたり改めたり学ぶというケアこそが大事だと思う。

今月は仕事面で忙しかったのと胃腸のトラブルにも見舞われたが、これでクリアしなければならない今年の潜在意識の課題も見つかったので最後の厄落としだと思っている。
台風が過ぎ去った後に空気がきれいになるように、しんどいことがあっても解決した後にすっきりするのは浄化が行われたという事なのだろう。


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自分にかける「呪」

2017–12–18 (Mon) 16:58
今月に入って、二か月ほど前にふと願ったことが実現し、それもかねてから思い描いていた希望に沿うものだったので「願ったことは現実になる」という不思議な法則を目の当たりにした。
しかし同時にネガティブな事も起こった。

「好事魔多し」だと思ったが、よく考えるとこの現象は私自身が昔から自分にそういうシステムを潜在意識の中でインプットしていたのではないかと気が付いた。
ずっと「何かを得るには何かを失わなければならない」「この世はギブアンドテイク」的な考え方があって、無条件にいい事幸せな事はある筈がないというかなり悲観的な人生観を持っていたように思う。

実際過去を顧みても大きな喜びの前には失うものや苦難があったので、いつかしら人生はそういう法則なのだと思い込んでしまったのだ。
勿論顕在意識でそうしているわけではないが、今回も自分が作ったその法則を無意識に発動したのではないかと考えたのである。

自己暗示という言葉があるが、これは自分に「呪」をかける事だ。
ゲン担ぎもその一端で、いい方に使えばいいが悪い方にも効力を発揮する。
例えば皿が割れたり大事な物が壊れたりしたら、きっと悪いことがあるに違いないと思ってしまう人は多いが、思えば思うほど自分がその方向へ行ってしまい現実となる。
実際はパワーストーンブレスレットが切れて身代わりになってくれたり厄を落としてくれたりすることはあるし、大難が小難になることもあるので見えない世界の警告という場合もあるが、全てがそうとも限らないのに悪いことがあると強く自己暗示をかけてしまうわけだ。

私の場合もその傾向が顕著で、自分で難を招いていたような部分が多々あった。
同時に自己肯定感が低く悲観的な部分があって「願いが叶うには犠牲がいる」的な思考回路を持っていたように思う。
「禍福は糾える縄の如し」というように、人生にはいい時も悪い時もあるが、それはバーターではないし同比率で存在するわけではない。

知り合いの占い師が「私は大丈夫」と常に唱えれば本当に大丈夫だからと言っていたが、実に簡単で実効性があると思う。
不安や疑念が生じてもとにかく「大丈夫」を繰り返すそうだ。
そうすればそれは自分にかけた「呪文」になる。

誰でもあれこれ考えず常に「大丈夫、大丈夫」を心の中でつぶやくようにすれば、潜在意識に染みついたネガティブな自縄自縛の法則も解消できるかもしれない。


世界観が変わる

2017–11–30 (Thu) 17:08
最近仕事仲間と話していて、自分がすっかり日常的にもスピリチュアル視点から物事を考えるようになり世界観が変わってきていることを知った。
絵描き仲間4人で食事をしお茶を飲んだのだが、共通の話題として絵の話になった。
美術館で絵を見て来たとか個展をした話などはいいのだが、歴史的芸術家の話になり皆造詣が深いのでダビンチ、ミケランジェロから、葛飾北斎の話まで蘊蓄を披露してくれる。
天才と言われる人達がどういう風に才能を開花させ磨き名を世に残したかというエピソードなども解説してくれるのだが、私はその話を聞いていて「だって彼等は普通の魂ではないから」とあっさり頭の中で片づけてしまっている自分がいるのに気が付いた。

そしてそんな自分自身にある意味愕然とした
歴史に名を残す発明家や芸術家は概ね高次の魂がその為にやってきているので、習わなくてもそれが出来たわけだ。
さすがにそんなことを話したらドン引きされるので適当に話を合わせたが、かなりの疎外感を覚えてしまった。
もしかして彼女たちと私はもう物事に対する視点が違っているのかもしれない。
私が思っているスピ的認識が正しいかどうかは別にしても、全く認識の土台が違う人達とはもう話が噛み合わないのだけはよくわかった。

スピの世界では二極化が始まっていると言われる。
魂が三次元の現状にとどまる人と次元上昇する人。
後者はいわゆる見えない世界の存在を知るが前者は物質的存在しか信じない。
ダビンチがどういう練習をしてあの画力を習得したのか方法を知りたがる人と、アセンデットマスター?だったから初めから描けた、と考える人ではもう接点はない。
その切り替えは、多分天動説を信じていた人達が地動説を知り頭がコペルニクス的転換をするより大変だろう。

私とて普通に生活して普通の日常を送っているのでまさか自分がテレパシーで違う人と話せるようになるとは思わないが、自分の中で確実に物事の認識が変わってきているのを自覚した出来事だった。
確かにもう人間関係も3年前からはすっかり変わっていて、仕事関係の人たちとの付き合いだけが唯一続いているが、最早それも段々苦痛になって来ていた。
だが、現実離れしないように時々は価値観や世界観の違う人達とも交わらなければいけないと改めて思っている。




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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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