失って分かる価値

2015–11–21 (Sat) 17:32
人間は普通に生活していく上で当たり前になっていることが、無くなってしまったらと想像することは殆どないだろう。
しかし突然リストラになる、家族を失う、障害を負う、重い病気になるなど、人生が根こそぎ変わる場面に遭遇すると、人間は否応なく喪失の恐怖を味わい失ったものの価値を知る。
震災や戦争で一瞬にしてそれまでの生活を奪われ違った人生になれば、もうどんなに戻りたくても元の生活には戻れないのだ。

失って初めてその価値が分かっても、知った時は大抵取り返しのつかないことになっている。
そこで初めて人間は当たり前だと思っていたことの有難さに気付き、それを当然として考えていたのは傲慢だったと思うのではないか。

戦争や震災は自分一人の力ではどうしようもないことだが、生活の中で不摂生をして病を得たとか、不注意で事故を起こしたというのは本人の自覚次第で未然に防げるものだ。
そうなるまでには必ず守護霊やガイドが注意喚起をしている筈だ。

よく作業現場で「ヒヤリハット」、事務処理では「ホウレンソウ」という言葉があるが、これなどはミスを犯さないための法則で、それをおざなりにすると事故や失敗を確実に招く。
個人の人生や生活の中でも法則ではないにしろそれに準じたサインがある筈で、それを見逃すとまさしく取り返しのつかないことになってしまう。

人として生まれたからには、誰でも人生で学ばなければならないことがある。
どんな学びになるかは大まかに魂が決めてきたのかもしれないが、それにしても心掛け次第で激しい苦痛を伴うものか、最小限の痛みで済むものかは後ろで守ってくれている存在が采配してくれるような気がする。

私も人生が変わるようなことを何度も経験してきたが、必ず今思えばガイドがその前にしつこいくらい警告をしてくれていた。
しかしそれに気が付かなかったので、そこまでしないと駄目だと荒療治をされた。
過去の人生を振り返ると、当たり前だったり、当然と思っていたことへの有難味も感謝も全くなくて、失って初めて自分がいかに傲慢だったかと気が付いたわけである。

取り戻せるうちに己の不明に気付くためには、今一度自分の人生、生き方を検証してみる必要もあるのではないか。

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