ジャッジしない世界

2015–10–11 (Sun) 14:09
最近のスピリチュアル世界ではジャッジしないという考え方がある。
つまり魂の世界では善悪という概念がないという捉え方だ。

それぞれの時代で価値基準は変わるし、全ては相対的なものだからだ。
殺人も拷問も姦通も近親相姦も歴史上悪ではない時もあったし、食人習慣だって今の時代にさえあるのだから、是非はつけられないということだろう。
キリスト教や仏教など宗教の世界では絶対的悪や勧善懲悪の概念があるから、死後の世界の存在を肯定していても、いわゆるライトワーカーなどスピリチュアル系とそこでの見解は大きく異なる。

さて、ジャッジしないというのは端的に言えば、今の日本において犯罪に抵触したり社会通念から大きく逸脱しない限り、占い師やセラピストがクライアントの相談に良し悪しを付けないということだろうか。
不倫相談が多いが、良いも悪いも言わずひたすら魂の向上のためにアドバイスをするスタンスらしい。

魂の成長とか進化という言葉も最近よく聞くが、寡聞にして全ては説明できず、(スピリチュアル流派によっても見解が種々ある)つまりその魂が生まれる時目指してきた目的の達成度らしく、例えばあえて極悪非道な人生を選び大量殺人を犯してもそれが魂の成長の目的ならあちらの世界的には悪ではないということらしい。
これは極論で批判が来そうだが、ある魂はカルマの解消のため、ある魂は過酷な人生で進化の最短コースを目指すなど、殺されたり虐待されたりも本人の魂がそれを選んだのだから、スピリチュアル世界では決して不幸でも可哀想でもないということだ。

まあ、社会生活をしている以上犯罪はご法度にしても不倫や背徳行為などもOKで、その被害者になった方もそういう境遇を選んで生まれたと言われればそれまでなのだが、どうもそこまで来ると身も蓋もないような気になる。
私自身まさしくこの点についてはジャッジ出来ない感じだが、選んで生まれて来た今の世の中に暮らしている以上はやはり己の良心に従って行動すべきだと単純に思ってしまう。

だが翻って、スピリチュアル世界を深く知り己の魂の由来や数々の転生を知るに及ぶと、それらがあるから今生の自分もあるということも否定出来ないでいる。
自分のために命をくれたと思っていた人が実は過去生で私を殺していた人でそのカルマ解消のために巡り会いそういう結果になったと知ったら、罪悪感さえ持っていたその事実を全く違った角度から見せられることになる。

こういう事例は知らないだけで幾つもあるだろう。

つまりはだから、ジャッジしないということになるわけだが…。

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