人の為という偽善

2018–06–21 (Thu) 16:41
人と為という字を合わせると「偽=いつわり」という字になる。
含蓄が深い。

人はしばしば誰かのためにと思いすることがあるが、よく考えてみると人のためなのか自分のためなのかわからない場合が無いだろうか。
困っているから助けてあげたいと思って純粋に親切心、同情から起った行為でも、ひょっとして潜在意識の中では打算が働いたり良い人になりたかったり、良心が痛みたくないからという動機も混じっているかもしれない。
勿論完全に無私で利他の聖人君子はいないので、これでも立派だし人を助ければ喜ばれて陰徳を積むことにもなるだろう。

しかしこの偽りという字は「人の為」というのがいかに難しくしばしば違っているかを教えてくれているような気がする。
後進国で人道支援を日本もしているが、真の援助はお金や物資を与える事ではなく、彼らが自分の力で生きて行けるような教育や技術を身に着けさせることだと言われる。

確かに困っている人や窮地に立たされた人を物理的に助けるのは一時的であれば必要だろう。
しかし、いつも依存し助けを求めている人に対してずっと手を差し伸べてやっては、本人のためにならないこともある。
むしろ逆効果の援助や助けもあって、例えば大人になってもいつも無心に来る子供にお金を与えてしまうような親は決して子供のためになってはいない。
そんな親なら元々いない方が子供は自分で稼いで生きて行けたかもしれないからだ。
もっと言えば自立を妨げ依存する子供にしてしまったのは親の方かもしれない。

相手が人間ではなく守護霊やガイドの場合は手厳しい。
私も何度も警告されたり、気が付かなければ否応なく強制終了や再起動させられた。
今のままでは駄目だとか方向が違うという時は事件が起こったり病気になったりして覚醒や方向転換を余儀なくされたが、結果的にそのおかげで霊的な成長があってここまで来られたと思っている。

誰でもいい人になりたいし人のためになりたい。
トラブルは避けたいし自分が我慢すればいいならと思う事もある。
しかし行きずりの他人ならいざ知らず、今世縁があった人や身近な人には相手の成長や霊的進化のためにどうしたらいいのかもっと大局的に見るべきだろう。

求められても、相手のためにならない同情や助けはするべきではない。
親という字は木の上に立って見ると書く。
親子という関係はその最たるものかもしれないが、人間関係の中では即物的な援助より時には厳しくしたり突き放すことも必要で、嫌われたり疎まれたりしても結果的にその相手のためになることがある。
嫌な上司やいじめる先輩のおかげで人間的に成長できたというのはよくある話だ。

「人の為」が「偽り」にならないように、相手の事を思うなら真にすべきことを見極める視点を持ちたいものである。


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