迷信とジンクス

2018–06–02 (Sat) 16:41
迷信とジンクスについて考えてみようと思う。
最近見た海外ドラマで、1700年代の帆船には船首に女神像が付いているがその由来を語っていた。
セイレーンの誘惑を受けないという理由から,難破回避のお守りという意味もあるらしい。
当時は船に女性を乗せるのは縁起が悪いとか、乗る時には必ず触らなければならない場所があるなど、皆信じていた。
風が凪いで船が進まなくなると誰かを生贄に海に捨てようという話になって、当時の彼等は心底そういう思考回路だったのだと驚く。

科学が発達していない時代には迷信やジンクスは信仰と同じくらい人々の心を支配していた。
特に自然を相手にする仕事などは迷信が幅を利かせていたようだ。
自然や神の怒りを鎮めるには生贄を差し出すのは洋の東西を問わず行われていた習わしで、信仰の場でも、あるいは迷信の一環としても時に人の命を代償にすることがあった。
近代まで道路工事やトンネルに人柱を埋めたのは現実の話だし、昔でもカルトや悪魔崇拝などは子供や未婚の女性を生贄に捧げていた。

迷信を破ると必ず災いが起こるから迷信は守らなければならないという気持ちになるのだろう。
恐怖心が一番人を動かす。
迷信と言われるものは仮に最初は見えない世界の何かが災いを起こしたとしても、何十年も何百年もそれがその都度発動するわけではなく、その迷信を人が信じ恐怖を抱くようになると集合意識がそこに乗り禁を破った者に作用したり本人自身の不安や恐怖心が自ら迷信通りの厄を招いたりするのだと思う。

迷信は誰にでも通じる広さを持つが、ジンクスというのは特定の人々や個人という限定的な範囲が多いように思う。
ジンクスの語源は縁起の悪いものという意味だ。
個人の中にもジンクスがあり、何か悪いことがあったらその時と同じ前フリはしないとか本人が法則を作ってしまうことが多い。
良いことはゲン担ぎ、悪いことはジンクスと言っていいだろう。

私自身も時に滑稽だと思ってもその後不安になるよりはいいので、なるべくジンクスは回避するようにしている。
私の場合は根拠がないのを知っていても自分自身がそれに囚われて招いてしまうからだ。
逆にこれで安心と思えば大丈夫なのだ。

迷信もジンクスも最初は何か人外の理由があっても、それを育て強固なものにして行くのは人間の想念だと思う。
多くの人が、例えば「魔の石」にネガティブな不安や恐怖の念を向ければその集合意識は強力なパワーとなって石に乗る。
だから触れてはいけないその石に触ったら、そこに籠る負の念を受けたり自身の不安がコードを繋げて呼び込んでしまうわけだ。

見えない世界の悪霊や魔物などネガティブなエネルギーは確かにある。
しかし、それを増幅し強大にしてしまうのは生きている人間のネガティブな思念と集合意識ではないだろうか。

不安や恐怖を感じるタイプの人間は迷信は否定しない方がいいし、ジンクスは避けた方がよいかもしれない。
全く平気で信じない人は多分大丈夫だろう。笑


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