他者への祈り

2018–05–21 (Mon) 15:41
神社へ行くと必ず絵馬が奉納されている。
私はお神籤を引く程度で絵馬は滅多に書いたことが無いが、お神籤を結ぶ場所が絵馬が掛けられている場所の隣だったりすると何気なく書いている内容が見えることがある。
勿論人様の願いなので裏返しになって誰でも見えるものしか見られないが、それでも目に入ってしまうことがある。

今回も二つの神社へ行って幾つか目に付いてしまったのだが、驚いたのは自分以外の人の事を願っている内容が多いという事だった。
家族の事は勿論全く他人と思しき人の事や、中には別れた人の幸せを願っているものもあった。
思わず「あなたも幸せになれるから」と心の中で言ってしまったが、深刻な状況の「おかあさん」を案じる子供の願いもあった。
目に留まった願い事だけでも心を動かされるような内容があって、いずれも自分以外の他者について祈っているのがとても印象的だった。
普通自分の願いを書きそうなものだが、実は人間とは案外神の前ではエゴが消えて利他の意識になるのかもしれない。

確かに中には以前見かけた絵馬で他者の不幸を願うような内容があってぎょっとしたこともあるが、そんな人は何処の社会でも一定数はいる。
その時は怖いと思ったが、逆に神社まで来て絵馬にそんなことを書かねばならない人の無明を今なら思う。

人は自分の波動と同じ波動を引き寄せるという。
今回見た絵馬の数々が人のためにという内容だったのは、一緒に行った連れが私のために付き合ってくれたというのがあったから同じ波動のものが目についたのかもしれない。
自分の周りは鏡というが、周りの人間に限らず目に付いたものや事象はもしかしたら今の自分の状況を知る手掛かりになるかもしれないし、時にネガティブなものや嫌だと思う事ももしかしたら自分が気付かずに抱えている問題やクリアすべき部分だったりする。

人様の書いた絵馬で偶然見えたものでもこんなに心が揺さぶられたのだから、不届きだが絵馬の内容を一つにまとめたら感動的な本が出来るような気がした。
祈りとは「ご祈念します」と挨拶するように人のための事が多い。
神仏に祈る時も自分のことより親なら子供、子供なら親、夫婦なら互いの幸せを祈るのではないだろうか。

あるツイートで七夕の時期に見掛けた画像があった。
願い事を書いた沢山の短冊の写メだったが、中央に「お父さんのドナーが見つかりますように」という短冊があって、その横に「隣の短冊の人の願いが叶いますように」という矢印入りの短冊が複数飾られていた。
そして、物凄い数のリツイートがされていた。
これを見た時に、胸が熱くなったのを覚えている。

「誰かのために祈る」事こそ本来の祈りのような気がする。




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コメント

おはようございます

神社仏閣ではお願いをしてはいけないと聞くこともありますが、
自分以外の人のお願いならいいのではないか、
と思っています。

苦しい時だからこそすがりたくなることもありますし、
崩れそうになる自分に寄り添ってくれるのが神仏だと、
そのように思っています。

Re: タイトルなし

コメントありがとうございます。

仰る通りですね。
神仏へは御礼だけと言われますが、ついつい苦しい時の神頼みで自分の事も祈ってしまう時があります。
でも今回人のために祈る人の多いことを知って人間の性善説を思い出しました。
苦しい時は神に頼ってもいいし、一生懸命生きていれば祈りはどんな時も神様に伝わると思います。

神様はみんなお見通しかも。笑

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