怒れなくなる時

2017–11–23 (Thu) 16:48
この一年は私には心身共にきつい年で、周囲の状況にも俗的な言葉で言えば「頭に来た」り「怒りを感じた」ということも一度ならずあったが、その時期を超えてみるともうどうでもよくなっている自分に気づいた。
今となってはそういう相手と関わったことが自分の修行だったのかもしれない。
何かトラブルがあった時は自分が被害者だと思っても0対100は殆どの場合あり得なくて、大なり小なり自分にもきっかけがあったりする。
大抵はこちらは忘れているので被害者意識しかなくなるが、案外相手の立場と気持ちになってみると「なるほどな」と思う時がある。

元々エンパス気味のところがあったが、特に最近はよくないことをする人でもその人がどういう動機でどういう心でそれをしているのかと分かると怒りが湧かなくなってしまった。
人と関わる時悪気はなくて良かれと思ってしたことが、相手はそう感じないどころかかえって怒らせてしまったり、その人の本質を見抜けないで自分の基準で判断していて裏切られたような気持ちになったりするが、結局は自分にも責任はあるのかもしれないと思う。
自分ならこうするだろうと考えるのが落とし穴で、人は自分と違うと気づくべきでそれがたとえ社会的常識から逸脱しても、そういう人だと見抜けなかっただけの話だ。

善意でしたことも相手がそう受け取ってくれない時もある。
全く悪意が無かったのに相手の逆鱗に触れてしまうこともある。
同じ行為でも相手の状況次第でポジティブな反応だったリネガティブな反応だったりすることはよくあることだ。

私利私欲で姑息な事をしたり人を蹴落とすとか、気に入らない相手はいじめたりつらく当たったりする人も多いが、しかしどうして彼らがそうなってしまったのかその原因まで探っていくと、案外辛い過去や歪んだ魂があったりしてかわいそうに感じてしまうのだ。
相手の動機や気持ち、そして自分に対しての思いが分かると、あまり腹も立たなくなってくる。
もっと言えばこの人はこういうことをしたらこんな風に思い反応してくると分かれば、角を立てずに生きていけるだろう。

だから私も今年は私生活でも仕事関係でも「頭に来る」ことはあったが腹は立たなくなってしまった。
そしてそんな状況や人間関係を得たことで、改めて自分自身を見直し様々なことに気がつけたのだからいずれ感謝できるだろう。

まあ、それにしてもスピに覚醒して様々な事が理解できたと思ったが、まだまだクリアすべき課題は残っていたようだ。笑


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コメント

こんばんは

私はいっぱしの成人として、自分の言動はいかなる時でも責任を持つつもりでいます。
ただ、私の主義主張が間違っている、と言われれば、素直に従いますが、そうでなければ、何が正解か知りたいと思います。

臭いものには蓋、という言葉もありますが、乗りかかった船でもあります。

Re: タイトルなし

コメントありがとうございます。

何が正義かは現代社会では法に触れない限り、社会の大多数という指標しか基準はないかもしれませんね。
「あなたの常識私の非常識」という言葉もありますし。
いくら話しても分かり合えない相手は沢山います。
ソウルグループが違う場合もあります。

自分の信念や哲学に沿って生きるというのをプログラムしてきた今生なら、それは貫き通した方がいいのではないでしょうか。

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