思考の迷宮

2017–08–05 (Sat) 15:44
人間は時々思考の迷路に陥ることがある。
何かのきっかけでぐるぐる同じところを回りまるでラビリンスのように気が付いたら元の道に戻っている。
それでもそこから抜け出せず自縄自縛状態で進退窮まると、もう亡者のように思考の迷宮を彷徨するしかない。

思考と言いつつも大抵は感情がナビをする思考という名の不毛な思い込みに近い。
理性や客観性を欠く思考は殆ど感情に左右されている。
よく深夜に手紙は書かない方がいいと言うが、それは感情が高ぶって理性を失っているからだ。
それを朝読み返したら赤面したり恥ずかしくなるような内容で、いかに感情に支配された思考が直情的で妄想チックなものになっているかの証左だろう。

思考の迷路に陥る時は大抵ネガティブな内容だ。
そしてエスカレートしていくと妄想が妄想を呼び最後にはとんでもない結論になっていたりして、誰かに指摘されるまでその三段跳び的な思考回路に気が付かない場合も多い。

各人各様の思考回路を持っており、何かの条件があると脊髄反射的に理性がなくなり感情的な思考の渦に巻き込まれるようだ。
それは例えばカルマやトラウマの場合もあるだろう。
私は自分があるトリガーで、ぐるぐるの思考の渦に巻き込まれ自分でもどうしようもなくなる時がある。
ネガティブな方へのスパイラルが止まらず、どこかで理性がそれは違うだろうと言っていてももう妄想的にその考えは膨らみ加速して私の頭を飲み込んでいく。

これは多分私の魂が持ち越してきた物で、不安恐怖症の一種だが、人様にカウンセリングする時は多角的複眼的に見れるのに自分のことになるともう滑稽なほど頭は妄想状態で不安におののくという体たらくだ。
この条件だからこんな場合が想定できるしいくつかの仮説と可能性があるのだからいきなりその結論に行くのは無理があると人には言えても、自分ではその間がなくて極論しか来ないわけだ。
そして、思考は極論の周りを何度も旋回し続ける。

誰でも一晩二晩は同じ事を繰り返し悩むだろうが、大抵は時が解決してくれたりする。
埒が明かなければ友達に相談したり、友達もいなければ占い師に聞きに行ったりする。
どんな人でも大抵はそれで思考の迷宮から脱することは出来る。
中には考えることが好きではない人間もいるので彼等はその陥穽には落ちないだろうが、考えることの好きな人間や何でも追究したい人間は必ずこの罠にはまるようだ。

人間は考える葦であるから、考えること自体がアイデンティティーだと言える。
ただ、長年生きてきて考えを深めることが人間の人間たる所以だとはわかっても、それが果たして幸せをもたらすかどうかは疑問になる。
単純に喜怒哀楽と欲に従って生きている人の方が楽な人生ではないだろうか。
「考えてどうにもならないことは考えない」と言った知り合いがいたが、人生の勝ち組なのかもしれない。
精神世界の迷宮で思考にぐるぐる巻きにされるよりは、はるかにシンプルで生きやすいことだけは確かだろう。


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