悪徳の栄え

2017–07–13 (Thu) 17:19
マルキッド・サド侯爵が書いた「美徳の不幸」「悪徳の栄え」という有名なSM小説があるが、善良な主人公はどこまでも虐げられ不幸が続き、悪辣な主人公は悪徳の限りを尽くして栄えていくといういわば世の不条理をSMという倒錯の世界で書いたものだ。
サド侯爵は究極の倒錯的性嗜虐者で、地位を利用し領民をその生贄にしたらしい。
権力者が奴隷や領民、あるいは敵を拷問にかけたり性嗜好の道具にしたりは歴史のどこを取っても行われてきた。
「殺人や暴行、強姦は犯罪」という社会に生きている今の我々は、本当にありがたい人生を享受してると思う。

しかし美徳と悪徳という定義は古来からあったにもかかわらず、奴隷は人間扱いはされず権力者は弱い者の生殺与奪の権を握っていたので、古代も中世も美徳や悪徳の基準自体が相対的なものであったのだろう。
それでも勧善懲悪という考え方は古くから様々な社会集団や宗教ではあって、日本も聖徳太子がその考えを記している。
人を殺さないまでも、社会で生きている限り悪人も善人もいて悪行も善行もある。
スピ的に言えば黒や闇と白や光という対立軸だろうか。

政治の世界を見てると政治家や官僚の欺瞞と不正が未だにまかり通って、それが明らかになって国民が皆知っていても嘘を付いている政治家やそれを守る官僚は失脚もしていないし、出世していく。
総理大臣もまだ地位にしがみついているが、連座する子分達もいつまで今の地位が持つかは不安になってきているに違いない。
不正に加担した中の人間でも、良心の呵責を感じている者、全く感じておらず国税庁長官に出世した官僚のようにやっと目的を達成できたと満足している者もいるだろう。

後者の方が断然多く、逆に何の痛痒も感じないからあんな嘘もつけるのだろうが、彼らが信賞必罰という神のルールに従って裁かれる日は来るのだろうか。
スピりチュアルでも今従来の神仏系と新しい宇宙系に別れていて、前者は因果応報、勧善懲罰、天誅、仏罰などという考え方をするが、後者の宇宙系はジャッジしない、悪も善もないという発想だ。
神もつまるところ宇宙に繋がると私は思っているが、さてどうなのだろう。

今、日本人は確実に美徳と悪徳のボーダーがぶれ始めていると思う。
例えば国民も二極化され美徳も悪徳も富裕層と貧困層では違うものになっていたり、良いこと悪いことの言葉の意味するところが全く別物になっている可能性を感じる。
官僚や政治家、金持ちににとってはどんな手段を使っても地位と権力を得るのが美徳で、それを見ている一般庶民はそれが悪徳だと考えるように。

戦争で人を殺せば英雄だし平和な社会で人を殺せば殺人罪だ。
善悪とは背景によって180度変わってしまう。

そういうことから宇宙系スピはジャッジしないという見方をするのかもしれないが、やはり人間は必ずどこかに普遍的な良心を持っていると思いたい。
だからこそ魂はカルマ解消や霊的進化のために人間になって生まれてくるのではないだろうか。




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