自己変革への痛み

2017–05–15 (Mon) 15:53
人間には自分でもどうしようもない思考様式や思い癖がある。
何かが起こると考える方向性がいつも同じというのは思考回路が決まっているせいだし、同一人物や事象に対していつも同じように感じたり考えてしまうのもそうだ。
例えば、人間関係の中でそういう人間だと分かっているのに過去と同じ事を繰り返され同様に憤慨するのは、お互いが成長がなく同じステージでぐるぐる回っているからだ。
もっと始末が悪いのは、それでは駄目でどうにかしなければと自覚しているにも拘わらず、そのスパイラルから出られない場合だ。

よくスピリチュアルでは手放すという言葉が使われるが、これは幅広い意味で過去のトラウマもあるし自分の感情、執着などにも使われる。
手放すとは文字通り自分がそれを掴んでいるという前提があり、能動的に掴んでいるのだから自らの意志で離せそうなものだが、理性が離そうと思っても感情が離さないケースが多い。
判りやすく言えば、悪い男で別れた方がいいと頭では分かっているのに好きという感情は自分でもどうしようもなく別れられないというようなものだ。

ポジティブシンキングがもてはやされネガティブになってはいけないと必死でポジティブに考えようとするのだが、頭の上辺ではポジティブに考えてみても心の奥底では絶対に無理で、その自己矛盾が葛藤になり尚更苦しい状態に陥ってしまう事はままある。
頭で分かっているのにそう出来ない自分を責めたり自己嫌悪に陥って、手放しどころか自責や自己否定まで掴んでしまうという笑えないオチが付く。

人間はそう簡単には変われない。
頭でも理屈でもそれがよくないと分かっていても、長い間かけて抱え込んできた物はもしかしたら魂レベルで持ち越してきた場合もあるだろうし、生きていく過程で愛憎が絡まり深く根付いてしまったものかもしれない。

時にはハイヤーやガイドが強制的に変えてくれる場合もあるが、これは人生自体を変えてしまうような大事になる。
逆に言えばそうでもない限り手放せなかったということで、本人に余程変わらなければならない魂の必然があったのだろう。
私自身も経験があるが、大変な痛みと犠牲が伴うものなので、出来ればそこまで行かず自己変革を遂げたいのは誰でも同じだろう。

何度も繰り返し問題がやって来るのはそこから学び変われないからだが、少なくとも自覚が出来たり手放そうと思っているのなら進歩しているということだし、自己矛盾のジレンマも通過儀礼だと観念するしかない。

人間はすぐ相手のせいにする。
進歩のない人間は己を省みることはない。
しかし、葛藤は問題を相手から自分にフォーカス出来たということだから変革への一歩であり、自家撞着の闇を抜ければ必ず違う自分になれる筈だ。


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