過去には戻れない

2017–02–01 (Wed) 18:11
人間はある程度の年齢になると人生を振り返ることがあるだろう。
大抵は何か壁に当たったり大きな問題を抱えた時だ。
過去は良かったと今の不幸を嘆く人、自分の生き方を反省する人、過去も今も不遇だと絶望する人などそれぞれだ。

人間は成長していくと仮定する場合、過去の自分の未熟さや失敗の数々を反省してもっと進歩しようと思うのが普通だが、そうでない人も多い。
知識から学ぶどころか経験からも学ばず、同じ過ちを繰り返したりもっと堕落していく人間もいる。

落ちるのもその魂の今世の学びと言えばそうかもしれないが、落ちることはカルマを積むことであり、人生は選択の連続だから決めたプログラムを自分で悪く書き換える場合もある。

私は今でこそいい歳になってこんなブログも書いているが、やはり人生の前半は今思えば躓きや蹉跌もあり、周りの人間を振り回したりもした。
相応の報いも受けたように思うが、その中にはどうしても避けて通れなかった道や選択があり悔やんだものだ。
今はスピリチュアル的観点から理由が分かりやっと心穏やかになることが出来た。
それでも蒙昧な若かりし頃の自分には、今会ったら確実に説教をしているだろう。

人間が己の過ちに気づくのは、大抵はもうやり直しが利かない時になっている。
過去には戻れない。
出来るのは同じ過ちは繰り返さないという事だけだ。

重大な失敗も、犯した過ちも、失って気付いた大事なものも、もう元に戻すことはできないが、その現実と対峙した時にどう考えどうするかによって魂の成長が図られるような気がする。

間違いのない人生はないし、人間は過ちを犯すものだ。
聖書の教え通り「悔い改めよ」は、キリスト教でなくとも人間に対する普遍の教えだと思う。

願わくば取り返しのつくうちに悔い改めてほしいと、今色々なことについて思ってしまう。




« ソウルメイトの役割 | HOME |  脳の断捨離 »

コメント

こんばんは

>落ちることはカルマを積むことであり、人生は選択の連続だから決めたプログラムを自分で悪く書き換える場合もある。

耳が痛いです。
私には心当たりがあるので、来世に持越しかもしれません。

「やられたらやりかえす」
結果的にはカルマを重ねる、と聞きました。

弁明だったらいくらでもできるのですが、おそらく認めてもらえないでしょうね。

Re: タイトルなし

コメント有難うございます。

人は若いこ頃は未熟であり色々な失敗や経験を積んで成長していくのが普通だと思います。
小督さんは少なくとも過去を振り返って反省や気付きがある時点で、魂の学びは進んでいると思いますよ。
過ちを正当化したりそれすら気が付かない人も多いのですから、優等生の部類ではないでしょうか。笑
落ちたのも人生の勉強と気が付くか付かないかは大きな違いだと思います。

やられたらやり返すというのは相手と同類という事なので、そのループを断つことが出来ればそういう人間とも会わなくなるかもしれませんね。
生きている限り人間はカルマを積んだり解消したりできると思います。
肝心なのは先の生き方ではないでしょうか。

コメントの投稿

 
管理者にだけ表示

トラックバック

トラックバックURL

http://leomasquerade.jp/tb.php/236-0316ac91

⇒ この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)

 | HOME | 

プロフィール

masquerade

Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

PR

カレンダー

07 | 2018/08 | 09
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

最新記事

カテゴリ

人気記事ランキング

月別アーカイブ

タグ

メール送信

リンク

フリーエリア

QRコード

QR

PR