錯覚してはいけない

2016–12–30 (Fri) 18:29
スピリチュアルが分かってくると思わぬ落とし穴がある。
人間社会と同じでスピリチュアル界も高次から低次、光から闇まで玉石混交だ。
この二つを行き来する場合もあるが大抵は水と同じで高きから低きに流れる。
どちらに与しようと本人の魂の問題だからそれは仕方がない。

そしてもう一つの落とし穴は人間としての変質である。
普通の人が分からないものが分かる、見えないものが見える、違った世界が分かるというのは、自分自身が特別になったような錯覚に陥るのだ。
いわゆる選民意識や選良意識であり、一段高い所から他を見下ろすようになったり、スピリチュアルの世界さえ自分の基準で判断するようになる。
スピ世界は相対的なものだし絶対などないと思うが、自分の感覚が正しいと思いがちになってしまう。

一言で言えば傲慢になり、スピを知らない人にはもちろん神仏にまで自分の感覚で可否を付けるような場合さえある。
昨今はスピブログも神社仏閣ブログもアフェリエイトで何とか読者を獲得したいのか、いろいろ工夫を凝らしている記事が多いが、スピブログは見えない世界だからいくら自分の基準で断じても批判しても自由だが、神社仏閣や神仏にまつわることを自分の基準で断じるのはそこの神仏も喜ばないだろう。

神仏の存在が分かったり御神木の気持ちが分かると思っているスピリチュアリストはいる。
嘘かまことかは神のみぞ知るだが、それはあくまで自分の感覚であってそれを真実のように思い込んでしまうのは傲慢ではないだろうか。

世の中にはいろいろな人間がいる。
欲の塊のような人間や犯罪を犯す人間、邪鬼だらけの人間や極悪非道の人間もいるが、それはその魂がそう決めてこの世に降りて来たのだから彼等の修行やカルマであって、神仏はそういう魂さえ全てを包容しているのではないかと私は思う。

人を断罪できるのは世の中のルールでは裁判だけであり、スピリチュアルの世界ではジャッジはなく己の良心が自分を裁くだけである。
自戒も込めてスピリチュアル人間は自分のスピの部分と謙虚に向き合うべきなのではないかと思う。




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