見えるもの見えないもの

2016–04–30 (Sat) 17:30
熊本地震から二週間が過ぎた。
日本人は忘れやすく連休が始まり閣僚たちは外遊三昧を始めたが、まだ渦中にいる被災者は今までの生活が一瞬にして変わり現実を受け入れられない人が多いのではないだろうか。
生きている人間も事実の飲み込みが難しいが、事故や災害であっという間に亡くなってしまった人は、自分が死んだことさえ分からない場合が多い。

東北大震災では半年ぐらい後から亡くなった人が生前の姿でタクシーを止めて元の家の住所を告げるという現象が起こり、最近それを調査してまとめた大学生の論文が話題になった。
運転手も分かっているので元の家に車を走らせたり会話もするそうだ。
「私は死んだのですか」と尋ねる死者もいるという。
意図せずそういうことをしている運転手は僧侶と同じ役割を果たしているのだろう。

葬式でお経を読むのは、あなたは死んだのだから向こうの世界へ行きなさいという死者に引導を渡す儀式だ。
49日の間霊魂はこの世に留まり自分の人生を総括してあの世へ行く。
しかし津波などで死体も見つからずお葬式も挙げてやれない死者は、自分の死んだことさえ分からないから行き場を失いさ迷ってしまう。

スピリチュアル世界にシフトした人達は、人生で何らかの受け止めきれない事象に遭遇した人が多い。
それは根底から人生観や生活が変わってしまうような出来事だ。

最近ある人が
『見えるものが信じられなくなったら見えないものを信じる。』
と言っていた。

宗教にすがるのも占いや霊能者に依存するのも、自分では抱えきれない現実があるからだ。
精神的な何かを拠り所に苦難や苦境を乗り越えて行きたいという思いや、自分に降りかかる理不尽な苦悩や不条理の意味を知りたいという人は大抵精神世界にその答えを求める。

それで少しでも救われたり心が楽になれるのなら、宗教もスピリチュアルも否定されるものではない。
願わくばそれらのいい部分だけを見て自分に役立ててほしいと思う。

スピリチュアル世界など必要としないくらい人生を楽しむのが魂の喜びなのかもしれないと最近考えるようになった。
何故なら人間に生まれることを個々の魂は選択したのだから。
災害に遭った人も打ちのめされている人も、自分が生きていることが一番大事なのだと分かってほしい。

そして
『見えないものが信じられるようになってもう一度見えるもが信じられるようになった。』
と言えればいいような気がする。

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