天網恢恢疎にして漏らさず

2016–03–30 (Wed) 15:33
スピリチュアルの世界ではジャッジしないというのが主流になっているようだ。
しかしその時代時代で善悪や社会常識は異なったとしても、かつては許されていたのにどうして今は駄目なんだという論議は成り立たない。
確かにスピリチュアル的には善悪はないとも言われるが、一方因果応報や勧善懲悪、カルマの解消など生きている間の所業によって相応の評価はなされるようだ。

善悪という区別ではなくても人倫に悖ることをしたり人を傷つけたり陥れたりしたら、罪には問われなくとも相手の憎悪や恨みを買うことはあるだろう。
それによって良心が痛み反省し学び二度としないと改心できるのならまだ救いはあるが、良心というものが分からない、何が悪いのかと思う人間もいて、明らかにサイコパスや人格障害とはいえないまでもそういう手合いは増えているような気がする。

嘘をついても平気とか相手がしたから倍返しとか、こちらの常識が通じない人も中にはいて、もしかしたら私がおかしいのではないかと思うことさえある。

人に憎まれたり恨まれたりしたら最悪生霊を飛ばされ悲惨なことになるのだが、そうなっても自分が招いた結果だとはわからない人間も少なくない。
そしてそういう人はそもそも自分に原因があったと考えないから、何度でも同じことを繰り返し同じ結果を招いたりするわけだ。

スピリチュアルには関係なく人の生きる道として、踏み外してはいけない倫理はある。
悪い事をしてはいけないというのは人間の普遍の理だ。

「天知る、地知る、我知る」
「天網恢恢疎にして漏らさず」
「人を呪わば穴二つ」

私は「悪い事をしたら神様はお見通しだ」と、子供の頃から思っていた。

人間は良心に従った行動をするのが、魂の波動を上げることになると単純に考えていいのではないか。
まあ、良心というものがあればだが。

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