政治と魔術 ・1

2018–11–29 (Thu) 17:09
政治とスピリチュアルについては過去にも何度か書いているが、改めてもう一度書いてみたい。

政治と宗教や霊能は切っても切り離せない。
古今東西歴史の初めから支配者やリーダーは、見えないものが見えたり神と話せるシャーマン的な人物が多かった。
それが部族から国という形になり政治という制度になっても、特殊な能力を持っている者は当然人々を導くポジションにつくことになる。

日本でも卑弥呼はシャーマンだったし聖徳太子も予言をしたり数々のエピソードから霊能者だったことが分かる。
元を辿れば太古の指導者は宇宙から来た特殊な魂とも言われているが、そこは触れずにおくとして、古来から洋の東西を問わず政治と神事は切り離せない。

政治を日本では、政と言う。
「まつりごと」である。
古代は祭政一致が常だから、神からの御宣託を受けて「政」は行われた。
天皇は神事を行うシャーマンという位置付けで、「現人神-あらひとがみ」とつい最近まで考えられていたのは歴史で習っただろう。

外国も日本も時の為政者が霊能者や宗教者に頼り言いなりに国を動かした事例がいくつもあり、、ロシアの怪僧ラスプーチンや奈良時代の道鏡などは女帝に取り入ったことで有名だ。
平安時代に安倍晴明が陰陽師となり様々な呪術を駆使して天皇や公家達に絶大な影響力を持つと、以降政治の世界ではお抱えの陰陽師や祈祷師を持って政敵を呪詛することもあったようだ。
天皇はじめ平安貴族は血を流すのが嫌いだから呪術を使ったとの説があるが、確かに武家は刀、公家は呪詛と相手を倒す方法は違っていたのかもしれない。

飢饉や疫病が襲うと頼るのは僧侶や祈祷師を集めて神仏に願う加持祈祷だったし、菅原道真公や崇徳天皇、平将門も祟りを抑えるために神に祭り上げたのだから、政治は見えない世界、神仏に左右されていたと言っても過言ではないだろう。

世界各地で魔術師や祈祷師は呪術を使っていたし、日本でも藤原不比等が中国から蟲毒という呪術を持ってきて使っていたのは闇歴史で知られている。
魔術や呪術の需要は政治絡みが多く、政敵や邪魔者をひそかに疑われず葬るために使われた。
大抵は病気や怪我、事故なので呪詛だとは知られない。
仮にそう思われても因果関係など立証できないので、呪術は最強の武器だったろう。

スピリチュアルも政治にかかるとオカルトやホラーの側面が大きくなってしまう。



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ブログの限界

2018–11–27 (Tue) 15:10
最近は政治ネタを書くのに気合が入らなくなってきた。
それというのも明らかにネット規制があるのが分かったからだ。
それを知りつつそういう勢力に屈したくなくて書いていたが、先頃政権批判の過激な記事を書いたらアクセス数が半分に減った。

政府が規制しているというより、プロバイダー側などが自主規制のように特定ワードで規制を掛けているようだ。
このブログは自動的にツイッターにも連動するような設定にしていたが、その記事の後数日間はツイッターにも載らなくなっていた。
日本ツイッター社が露骨な政権寄りの規制をしているのは知られているが、その他アメブロや他のブログでも規制を掛けていてある日突然ブログ閉鎖のお知らせが届いたりするらしい。

スピ系ブログがお約束のように政治批判をしないのは(礼賛なら構わない)、人気に差し支えるというのが大きいだろう。
ブログをビジネスの一環と捉えているブロガーは決して政治ネタは書かない。
安倍政権は情報統制に力を入れ出してから、、マスコミへの露骨な政治介入で政権批判のジャーナリストたちを駆逐し御用記者や評論家を多用するようになった。
それを見て我が身を守るため、ネット業界から一般の人間にまで自主規制の意識が出てしまったのだろう。
暗黒政治の始まりと言えそうだが、それに唯々諾々と従がっているのも日本国民なのだから未だに現政権は続いているわけだ。

安倍総理が海外にばらまいたお金が10兆円。
アメリカからお古の兵器購入は10年ローンで、本人達が政界から去っても国民は使えない武器にお金を払い続けることになる。
そしてオリンピックの予算は3000億円から3兆円に跳ね上がり、大阪万博には参加国に240億円の支援金を出すそうだ。
みんな国民の血税である。
生活保護も年金もカットで消費税は上がり70歳まで働かなければならない。
政権の連中はあと3年もしたら責任を取らなくてもよくなる。

考えると眩暈がするのでもうブログネタにしても空しいだけだと最近はあまり書かないが、スピ的に言うとそれも日本人のが選択したことで決まったロードマップなのかもしれない。
スピ世界で言われているのはの淘汰が来るということだから、これから様々な天災人災で地球は変わっていくだろう、
私の年代はもう人間の経験をある程度積んだが、次の世代はどうなるのだろうかと危惧している。
日本人の自浄作用がまだ残っていることを期待したいが、多分もう外的な力でないとどうにもならないのだろうと漠然と考えている。

さて、この記事はまたブラックリストに入るのだろうか。



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吉凶の法則

2018–11–25 (Sun) 15:41
美術業界では毎年団体の展覧会がある。
どの団体も幾つかの賞があって、その年の優秀作何点かに贈られる。
在野のコンクールでもそうだが、まず画家として名を成すためには何らかの賞を受賞して画歴をつけなければならず、作品を売る以前にそれを通過儀礼にするのが一般的だ。

長年美術界にいて私は面白い法則に気が付いた。
自分自身も含め受賞したりそれに類する快挙を上げた時には、必ずその前後に大きな不幸やトラブルに見舞われているというものだ。
ある時授賞式に出ていたら、二人の人が「実は最近身内を亡くしまして」とスピーチしたのを聞いた。
ハッとして色々思い返したりその後も因果関係を調べてみると、私の知っている範囲の人達でもかなりの確率で誰かを亡くしたり病気になったり大きな出来事があったのが分かった。

吉凶は手を繋いでやってくるのかもしれない。
いい事ばかりが続くとその後必ず悪いことが来るというのはよくあるが、いいことと悪いことが同時進行で起きる場合もある。
どこかが出るとどこかか引っ込むという運命の法則はあるようだ。
結局はプラマイゼロということだろうか。

強運で恵まれていいこと続きの人もいるし、逆に不運続きでいいことなど一つもないという人もいる。
現世単位で考えればそうかもしれないが、輪廻転生という視点で見ると案外帳尻は合っているのかもしれない。

しかしこの一生だけでも、「禍福は糾える縄の如し」で、いい事ばかりも悪い事ばかりも続かないと考えた方がいいだろう。
穏やかに揺れ幅が少なく進んでいくのがいいかもしれないが、人生で必ず大きな出来事は何度か起こる。
しかし苦しい、辛い事の後にはご褒美のようにいいことが来るので、それを信じて絶望や悲嘆を乗り越えよう。
また、いいことずくめでイケイケの時は後から代償を払う場合もあるので気を引き締めていた方がいい。

私も過去を顧みるに、画業が好調で受賞したりオファーが続いた時は私生活では大きな苦しみや問題を抱えていた時期だった。
あまりにも両方が極端だったので、最近はどちらも尖らず真ん中を緩く生きたいと思うようになった。

夢を追いかけ実現し順風満帆なのはごく限られた強運の人で、予めそういう人生のシナリオを持っていたと思われるが、その器でない人間が不相応な成功や身分を手に入れると失うものも大きいような気がする。

大抵の人間は今世の容量は決まっているそうなので、それをうまく配分して使い切りたいものだ。



古代蓮2





轡返し

2018–11–22 (Thu) 14:59
陰陽道で『轡(くつわ)返し』というのがある。
私も最近知ったのだが、霊障にまつわる事で案外あるケースらしい。

轡返しというのは次のような状態だ。
死霊、生霊に憑かれ霊障を起こして辛い目に遭っているとする。
それを霊能者や陰陽師などに除霊してもらいすっかり霊は取れて霊障もなくなるはずなのに、まだ霊障のような状態が続いている場合がある。
もうすでに悪霊のせいではないのに、霊障が強すぎてその恐怖や不安が頭から離れず潜在意識で自分で霊障と同じ症状を起こしてしまうことだ。

人間の意識は顕在意識と潜在意識があって、力のある能力者に完全に除霊してもらい顕在意識では「もう大丈夫、辛い体の症状も消える」と思っても、実は潜在意識はまだ納得しておらず刷り込まれた恐怖や不安は消えていない。
そこで関係ない出来事でも、また取り憑いていた霊が戻ってきたのではないか、まだ何か憑いているのではないかと不安になりその恐怖が霊障と同じ症状を自ら作り出すのだ。

霊障は大抵体の不調で現れるが、「病は気から」という通り霊障を受けていた時の状態に体が戻ってしまう。
で、除霊してもらったのにまだ治っていない、おかしい、私はどうなっているのだろう、病気だろうか、などと今度は体と一緒にメンタルまで病んでしまったりする。

人間の体とは心や意識、特に潜在意識によってどれだけ左右されるか計り知れない。
特に長い期間に悪霊憑依を受けていた人などは、一気に除霊しても体が憑依状態の不調に慣れていたのですぐには戻れなかったり、一時良くなっても戻ってしまったりする。
また短期間でも生霊を飛ばされ激しい霊障が出ると、除霊してもらってもその恐怖が植え付けられてなかなか潜在意識から消去できなくなる。
憑依霊のことを考えただけで実際憑いていなくても、体が条件反射のようにその時の不調状態に戻ってしまうのだ。
あるいは頭では納得していても潜在意識に刷り込まれているので体がそちらに反応してしまうとか。

死霊や生霊憑依で霊障を受ける人は気が付いていないだけで結構いると思われるが、特にエンパス系の人や霊媒体質の人は常に何かしら受けていると思う。
中には何十年も同居していて一体化している人もいるし、何かのきっかけで強力な生霊を飛ばされ体にダメージを受けることもある。
怖いのは専門家に除霊してもらわなければならないほど強い憑依霊は、除霊した後も心身共に損なわれているので回復までのケアも必要だということだ。

弱っている時は風の音にも怯える。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ということが実際よくある。
スピ系人間は霊の影響も受けやすいので、ガードをしっかりして、もし霊障だと思ったら早目に然るべき所へ確認に行った方がいいかもしれない。
長引けば長引くほどメンタルも体も霊障に悪い意味で馴染み、取れた後まで引きずる危険性があるからだ。

かくいう私も実は『轡返し』の体験者の一人だ。



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執着と生命力

2018–11–19 (Mon) 15:24
執着の強い人間は長生きするというのを感じることがある。
反対に物事に拘らない、諦めが早くて淡泊な人間は楽に生きられる反面あっさりとこの世に未練を残さず逝ってしまう。
どろどろの愛憎劇や欲望の泥沼を生きている方が、案外生命力が強く長生きしたりする。

これは人間の念の強さが関係していると思う。
良いも悪いも含めて念のコードを様々なものに繋げて、そこからエネルギーを吸いモチベーションにしているから常に生命力は活性化していると思うのだ。
政治家でも著名人でも、私の属する美術界でも、欲深で執着の強い人間ほどギラギラ生臭くて強い生命エネルギーを感じる。
嫌われてもそれを撥ね退けるネガティブパワーを持っていて、逆に人からエネルギーを吸い取っているようだ。
生命力は欲や執着というものをエネルギー源にすることもあるのだろう。

以前記事にしたことがあると思うが、私の知っている人の中に、老齢でまだら認知が入り出した女性がいる。
姉妹で同じ血を引いているので気質が似ているのかもしれないが、二人とも歳を取ればとるほど昔の遺恨が増幅していた。
人間は呆けたら本質が出てくると言われるが、この二人を見ていると元々持っていたが理性や常識で押さえつけていたものが重しが取れて噴出してきたのだろう。
で、確実に言えるのは二人とも長生きだということだ。

確かに人間臭い欲望やネガティブな感情が多かった人達で、物事の執着も半端ではなかったようだ。
配偶者も早く亡くなっているし、周りのエネルギーを吸い取ってきたような感じだ。
以前から人の悪口を言っては毒を吐いていて、周りの人間は被害を受けていた。
面白いのは二人ともお金に対する執着が凄かったことだ。
過去の恨みも憎しみも金銭に起因しているから、この人達にとってはお金への執着が生きるモチベーションだったのかもしれない。

執着はネガティブな場合に使われるが、しかし愛着という言葉もある。
いい意味で考えれば人や物への執着は生きるモチベーションになるし人生の目的にもなる。
愛する人と一緒にいたい、守りたいとか、何かの仕事でそれを成し遂げるまでは頑張るなど、ポジティブな方に強く固執すれば命は活性化しパワーも増幅するだろう。

ある時上記の女性の一人と話す機会があって、延々と昔の金銭トラブルのことを蒸し返し「もう先が長くないのに口惜しくてたまらない」と毒吐きをしていたので思わず言ってしまった。
「そういう風に口惜しいとか憎らしいと思っているうちはまだまだ長生きしますよ。もう全てを許し達観したらお迎えが来ますから。」と。

いいことの方に執着して人生を活性化し長生きしたいものである。



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人生に疲れた時

2018–11–17 (Sat) 17:11
疲れた時や落ち込んだ時は、子供の頃に好きだった食べ物を食べるといいという話を聞いたことがある。
懐かしい曲を聴くのもそうだ。
大人になると食べ物の好みも変わってくるし、あんなに好きだったのにいつの間にか食べなくなってしまったものもある。
だが私自身メンタルが落ちたり身体的にも疲れた時に昔大好きだったものを食べてみると、本当に少し元気が出たり気持ちが癒されたりしたので確かに効果はあったと思う。
何故かは判らないが、心身共に疲れた時にはお勧めだ。

人間が過去を振り返るのは、大抵現在の生活に何かしら不安があったり満たされない時が多い。
運気上昇でイケイケの時には過去を顧みる余裕も懐かしむ必要もない。
視線は全て前に注がれているからだ。
老境を迎えれば来し方を振り返る事はあるだろうが、まだ先の人生が長いのに過去ばかり振り返ってしまうのは、運気が落ちている時や生きることに疲れているからだ。
そんな時きっと無意識に子供時代や過去の楽しかったこと、幸せだったことを思い出して今の辛さを相殺させたいのだろう。
今の落ち込みが増幅するかもしれないが、それを通り越すと過去には戻れないし現実に立ち向かうしかないことを悟る。

よくあの時の選択が間違ったとか、この道を選ばなかったらと悔いることがあるが、その時違った道を選んでいたらもっと悪くなっていたかもしれないとは誰も考えない。
人生の選択は間違いだったと後から思うことがあっても、実はその時のベストチョイスでそれがのブループリントに沿っているからだ。
あまりにも違うとハイヤーセルフガイドが必ず警告を与え軌道修正するらしいから、苦悩の末選んだり強制的にそちらへ進まされてもすべてはソウルコントラクトだと思っていいだろう。

誰でも後悔のない人生はない。
しかし都度都度最善の選択をしての今なのだから、たとえ困難にあっても辛くても自分のの選択だったと思うべきだ。
生きていればいい時も悪い時もある。
どん底に落ちれば次は必ず上がる。
そして高みに行けばまた下っていくのが運気であり人生だ。
四柱推命でも算命術でも人の運気は12年一回りで、1年12か月の中でもそれは巡る。

疲れ切ってしまった時は子供の頃好きだった物を食べて懐かしい音楽を聴こう。


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予言・予感のタイムラグ

2018–11–16 (Fri) 14:21
予言は大抵当たらないと思われているが、実は日時や時期を特定したものについては確率が低いので皆そう思うようだ。
しかしこれは私見だが、必ずタイムラグがある。
しかも大きい事について程そのラグは大きい。
例えば地震などは何人も予言したり、科学的根拠に基づいての予測もあるが、年単位でずれることが多くその時点でもう予言も予測も当たらないと却下されている。

これは占いにも言えて、いわば占いも先の予測なのだが近い未来しか考えないのでせいぜい数か月ぐらいで当たっていなければ「当たらなかった」と思ってしまう。
しかしずっと後になって「そういえばあの時言われたことが現実になっている」と気が付くこともあるのだ。

私は地方から首都圏に3・11の大震災の二年前に引っ越してきたのだが、移住を決めた時根拠もないのに何度も「大地震が起こらないだろうか?」という不安が脳裏をかすめた。
すっかり忘れていたが、大震災の後しばらくしてその時のことを思い出したものだ。

未来を考える時には必ずタイムラグがあるということは念頭に置いた方がよい。
良いことも悪いこともだ。
よく人は死ぬ前に何か変わった行動をしたり知り合いに挨拶に行くという話があるが、これも2~3年前から始めているようだ。
テレビに出ている芸能人が何か変な感じがして「大丈夫かな」と思うことがないだろうか。
しかし、その後も活躍しているので忘れていたところ、亡くなったというのがある。
大抵2~3年後のことだから普通はそう感じたことさえ覚えていない。

逆にいいことも同じで、占いやそれ系の人に将来のポジティブな事を言われてすっかり忘れていたら、何年後かに現実になっていたりする。
言った方も聞いた方もすでに忘れているくらいだが、改めて検証したらそんな事実を思い出すかもしれない。

最近私は自分もすっかり忘れていたのだが、以前ブレスレットやストラップを作った人がその時ストーンに入れた祈念が現実になっていることを立て続けに知った。
1年から2年前のことで、うち一人はストラップが切れて石を失くしたから組み直しててほしいという依頼でその事実を知った。
切れた時何かなかったかと聞いたら、2年前ストラップを身に着けてから会社で取締役になりこの度社長になってその後切れたと言っていた。
勿論ご本人の実力で私のストラップのせいではないだろうが、きっと縁起物のようには感じてくれていたのだろう。
その時は仕事の充実と運を祈念したから、もしかしたらご本人の中でもそれが依り代になって自分のパワーが最大限生かされたのかもしれない。
2年間というのはストーンが力を失くす時期でもあるので、役目を終えて切れたのだろうと思った。

見えない世界はすぐ反応が来ない場合も多い。
大きなことほど時間がかかったりする。
何年か経って「あの時のことが実現している」というケースもあるので、祈念は自助努力と信じること、悪い予感は忘れずに注意をしていた方がいいと思う。


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念とエネルギー

2018–11–11 (Sun) 16:34
人は常に念を出しているし受けている。
念とはエネルギーや波動ともいえるが、想念だけではなく誰でも体の周りには腕の長さくらいのエネルギーをまとっている。
これはオーラと呼ばれるが、色が見えたり大きさ形が違っていたり伸び縮みもする。

その時の状態によっても形状や色が変わったり、病気などをするとその部分だけ欠けたり凹んだりもするらしい。
私はオーラは見えないがかつて絵を教えていた時絵画教室の生徒にオーラが見える子がいて、心身共にしんどい時期に「先生のオーラはぼこぼこに引っ込んでいる」と言われたことがあった。
今なら見えなくてもわかるような気がする。

嫌いな人間の側に行きたくないと思う時は相手が出すエネルギーフィールドに触れたくない、入りたくないと感じているからだし、好きな人にくっつきたいと思うのはそれを共有したいと求めるからだ。

喜びや悲しみは波動となって体から放出される。
特にネガティブエネルギーは残りやすいようだ。
風邪を引いて熱を出したり病に臥せっていれば、体から邪気やネガティブエネルギーが出て寝具がそれを吸い取っている。
そういう時は特にこまめに寝具類を洗ったり布団を干した方がいい。

物には念が憑くというが、知らず出しているネガティブエネルギーがその時に身に着けていたものや場にも残る場合がある。
だから、失恋した時に来ていた服や相手から貰った物は身に着けたくなくなるし、処分した方が理にかなっていると思う。
失恋でなくとも人生で辛い経験や大変な思いをした時の物はそれを思い出すから嫌だが、実は思い出すというのはその時に憑いた念に通じてしまうということでもある。
とにかく嫌だと思う物や場所や人は、そこにあるエネルギーを避けたいというスピ的直観だと考えていい。

私は以前温泉が大好きで、大きな町の健康ランドのような温泉にも足繁く通った経験がある。
そういう場所は温泉をかけ流しではなく循環させていて、おびただしい数の人が毎日入っている。
以前はそれも平気だったが今ならもうとても入る気にはならない。
いくら消毒していても物理的にきれいでないというのもあるが、それ以上に多くの人が入りお湯に体から邪気やネガティブなエネルギーを出していくのだから、とても怖くて入られないのだ。

世の中には潔癖症の人がいるが、病的でない限り人のエネルギーに敏感だからその影響を受けたくないという、自分でも気が付かない隠れスピ人間なのかもしれない。

どうしても嫌な感じがするという時は、自分のスピ能力を信じてその感覚を尊重した方がいいだろう。


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神社参りの意味

2018–11–10 (Sat) 17:27
私は神社が好きで定期的にいくつかの神社に行く。
祈祷してもらったり宿坊に泊ったり自分の浄化も兼ねて通い、実際本当に助けてもらっていると感じている。
しかし最近ふと思うところがあって自分自身の内観をしてみると、神社参拝で反省すべき部分や姿勢を改めなければならないのではないかと気付かされた。

よく、神社はお願いに行く所ではないと聞く。
参拝の時にはお礼と感謝で十分だと。
しかし大抵の人は御利益を期待したり願い事をする。
祈祷では神職が神様に祈願の取り持ちをしてくれるし、参拝客が増え皆が神様に手を合わせればそのエネルギーを得て神様もパワーが増すのも事実だろう。
それでいい循環が出来れば理想的だ。

しかし人間は弱いもので「苦しい時の神頼み」という言葉通り、困った時だけお参りに行ったり縋ったりすることも多い。
私も最初は好きな神様にお参りし神気を感じ自分が浄化されていくような気持になるだけで嬉しかったが、時に困り事があったり窮地に陥ると神社へ行って神様にお願いしたのも何度かあった。
勿論崇敬する神社で助けて貰ったと思った時はお礼参りもし、ますます神様が好きになっていった。

だが、ふと気付いたのはいつの間にか本末転倒になってしまっているのではないかということだ。
困った時は神社へ行って助けて下さいとお願いする。
そういうことが多くなっていないだろうか。

商売繁盛とか儲かりますようにと現世利益を求める参拝をどちらかというと否定的に考えていたのは、人間の欲を神様にお願いしてはいけないと思っていたからだ。
しかし例えば厄落としでも縁切りでも命を救ってくださいという切実な願いでも、実は神様にお願いするということについては変わらない。
神様は内容を選ばないと言われる。

ただ、もし御利益があるとしたら実は本人自身が最大限の努力をして、もう出来ることは全てやったという上で神様にお願いした時だと思う。
自助努力もせずに他力本願で、あっちの神様こっちの神様お願いしますではいけないのではないか。
もっと言えば御利益も諸願成就も、自らの努力や持っているパワーが不可欠で、それを呼び覚まし引き出して最大限発揮させてくれるのが神様の力であり神社参りのあるべき姿ではないかと思ったのだ。

ブログの最近の記事で「天は自ら助くる者を助く」「人事を尽くして天命を待つ」と書いたことがあったが、これが今日はリフレインしていてこの記事になった。
一昨日昨日と三峯神社へまた一泊してきたのだが、神様が私に教えてくれた言葉のような気がする。


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今ある幸せ

2018–11–07 (Wed) 17:53
「足るを知る」という老子の言葉がある。

大抵は分相応で満足しろという意味に使われたりするが、本来は少し違うようだ。

「知足者富」(足るを知る者は富む)

物理的な物を指すのではなくもっと人間の内面つまり、「外より内側」で考えた時に、「外」すなわち「収入・地位・財産」といった外的なステータスではなく、「内」すなわち「命・志・思想」など自分の内側に目を向けそこに価値を見出したものが豊かであるという意味だと解釈できる。
物理的な外の欲望は人である限り持ち続けるが、自分の内面に持っているもの、もっと言うなら今生きていること、命のありがたさを自覚できれば人間として満ち足りるのではないかということだ。

お金が欲しい、いい暮らしがしたい、社会に認められたいというのは誰でも欲として持つが、でもそれは今の自分が命を脅かすものがなくこれから様々な事にチャレンジしていけるという前提があるからだ。
不満ながらも普通の日常があるからもっといいものを求められるのであって、その土台となるものが崩れてしまっては望みようがない。

人間の欲はプラスとして成り立つが、マイナスが始まれば欲など消し飛んで失くした部分の補填をしなければならなくなる。
病気になる、収入がなくなる、家族を失うなど、普通の日常が続かなくなれば失った普通の生活がいかに価値があったのかわかるだろう。

「足るを知る」という言葉は皮相的な物事ではなく、人間らしくいられる事や人も含めて周りにあるものの価値を知り感謝をするということなのではないかと思う。

失って初めて判る事が沢山ある。
目に見えるものも見えないものも。
当たり前だと思って空気のようにあったものが突然なくなればどうなるだろう。

命があり健康があり毎日生きているからこそ味わえる感情や生活の中の喜怒哀楽が、当たり前のことではなくなる場合もあるのだと今一度肝に銘じておくべきだと思う。
「足るを知る」とはそういういうことではないだろうか。


黄色い花





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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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