ネックレスが切れる

2018–10–22 (Mon) 14:21
今六本木の国立新美術館で所属する団体の展覧会をやっているのだが、昨日一昨日と当番や手伝いで会場に行ってきた。
最近は美術団体の集まりはもうついていけない感じで出ないことにしているのだが、振り当てられた仕事だけは行かないわけにはいかない。

しかし、久しぶり行って当番でずっと会場に座っていたら、様々な懐かしい人と会い中には話し込んでいく人もいて楽しかった。
団体の中での価値観は違っても「久しぶり~」と笑顔で挨拶されると、かつて同じところを見て頑張っていた自分が甦って来て忘れていた感覚を思い出した。
最近は殆どスピリチュアル世界にシフトしてしまったが、スピ人間はややもするとその世界を知ってしまった故に自分は特殊だとか普通の生活には馴染めないなど自分から離れてしまう場合もある。
かくいう私もそういう傾向が最近は顕著になっていた。

しかしこのままでは出家するしかないような孤高の生活になりそうな気がする。
画家の世界で孤高と言えばある種の付加価値が付くかもしれないが、スピリチュアルで孤高というと世捨て人になってしまう。
その選択はないのだということを、何となくどこかから示唆されたような気がした。

人として生きているわけだからまだまだ日常の当たり前の感覚や喜怒哀楽を忘れずに生活すべきなのであって、生きていく上で持つ欲や野望も全否定は出来ないのだと思う。
時にそれは人生の目標になり生きるモチベーションにもなる。
欲のネガティブな面ばかりを見るようになっていたが、それさえも包容するような器量が必要なのかもしれない。

最近はエネルギーを出すばかりで枯渇しつつあったが、会場では側に来てくれる人達から沢山のエネルギーを補給してもらったような気がした。
昨日美術館の廊下を歩いていたら付けていた大ぶりのネックレスが、何もしないのにいきなり切れて大きな音を立てて床中に玉が転がった。
びっくりして周りにいた人も拾い集めてくれたが、何もしていないのに切れたのは意味がある。
思い当たることがあって本当にタイムリーで、見えない世界は凄いと思った。

因みに出かける前にルノルマンカードをやったら二回も鎌のカードが出ていた。
確かに当たったと言えば当たった。
・・・切る必要の物があってそれが切れたのを知らせてくれたのだろう。

どうも再起動させられるようだ。
後ろの守護達は様々な方法を使って教えてくれるのだと改めて驚いている。


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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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