ハロウィンと悪魔

2018–10–30 (Tue) 16:12
今、世間ではハロウィンで大騒ぎをしている。
年々大々的になって来るが、これはバレンタインのような商業ベースに乗せられたものではなく、自発的に若者の中で規模が広がっているようだ。
週末に渋谷で大騒ぎをし軽トラを引っくり返す若者の画像がニュースになっていたが、邪鬼が群れを成し馬鹿騒ぎをしているようにしか見えない。

というのも個人個人なら多分普通の若者なのだろうが、ああいう場所でああいういで立ちで集団になると違うものに乗っ取られてしまうからだ。
元々渋谷や新宿は場所的に負のエネルギーが充満しているし、渋谷のスクランブル交差点は地縛霊や浮遊霊が常に放浪している。
そこであんな悪魔やゾンビや禍々しい物の扮装をした集団が群れるのだから、いいわけはない。
怪我人や死者が出ないで済んでいるのが不思議なくらいだ。
見える人が見たら本当の魔物や幽鬼がたくさん混じっているだろう。

人間は格好によって気持ちや出すオーラさえ違ってくる。
女性が化粧っ気もなく普段着でいる時と、きちんと化粧をしお洒落をした時では雰囲気が変わり顔つきまで変わる。
男女問わず身なりを整えれば背筋も伸びるし無意識でそれに相応しい立ち居振る舞いをするはずだ。

装いは自分を変える手っ取り早い方法だから、コスプレというのは変身願望の強い人間、逆に言えば今の自分に不満がある人間の欲求を満たす行為だ。
格好を変えれば違う人間になれるからだ。
だからハロウィンで変装をしたがる人間が増えるのだろうが、扮装によってそれに同調する気やエネルギーが出て最後にはネガティブな見えないものにシンクロし呼び込む。

血だらけのゾンビの服を着ていい気持ちになるだろうか。
いい気持になったりぞくぞくするのなら、自分の中にそういうマイナスで危ない部分があると思った方がいい。
そして仮にそんな扮装をしたらその気になってしまう可能性さえある。
罪を犯さないまでもネガティブな部分が解放され、平気でトラックを倒したり狂気じみたことが出来てしまうのだ。

仮面を被って殺人を犯す設定はよく犯罪ドラマであるが、仮装して違う格好になるということは違う自分が出てしまう可能性がある。
中世の仮面舞踏会は貴族が貴族らしからぬことをしてもいい作法だった。
誰か判らないからだ。

渋谷で魔女や悪魔やゾンビや死神が大騒ぎをすれば、本物もやってきて誰かにすっと入り込むかもしれない。
浮かれた若者はくれぐれもご用心だ。


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恋愛と運命の人

2018–10–27 (Sat) 17:13
スピリチュアル知識があると、好きになった人や恋愛の相手はソウルメイトかツインソウルかと思うようだ。
いわゆる運命の人、赤い糸の相手というところだが、実はツインソウルは別にしても、そういう相手は人生で一人とは限らないようだ。
どこかで知り合い恋愛に至らなくても実は魂的にはソウルメイトだったり、破鏡に至っても運命の相手だった場合も多い。

いわゆる『運命の人』は大抵会った時に何か感じるようだ。
よく聞くのは「会った瞬間この人とは結婚すると思った」「必ずまた会うと思った」などと感じるという話だ。
男女問わず同じソウルグループの人にも何となく懐かしさを感じたり好意を持ったりするが、恋愛や結婚相手となると尚更そういうインスピレーションは強いだろう。

ただ普通「運命の人」はハッピーエンドで終わる相手と思いがちだが、実は魂的にはいい結果も悪い結果もどちらでもお約束の相手と解釈される。
過去生で何度も一緒で深い縁のある相手がソウルメイトだが、大抵一度はそんな人とは恋愛や結婚をするようだ。
しかし仮に別れても離婚してもそれは今世の何かしらの修行であって、ソウルメイトも運命の人も今生の魂にとって学びのための相手だからお互い必要なものを渡し合うと考えた方がいい。

勿論それ以外にももっと深いカルマで宿縁の相手と結ばれることもある。
心中事件を起こすようなカップルは、それこそ因業で離れられない宿命の相手だが、多分そんな場合は過去生でも大きな因果を持ち越して来たのだろう。

好きになり恋愛関係になるのは必ず過去生の縁があるし、「この人だ!」と見た瞬間思うのはソウルメイトの可能性が高い。
ツインソウルは現世では滅多に会えないらしいから、スピ好きの女性がツインソウルに会ったと勘違いして不倫に走ったりする危険性があるが、殆どの場合それは思い込みだ。
せいぜいソウルグループの一人で、それも辛い人生の勉強のために不倫をする相手だと思った方がいい。

運命の人は一人ではないから何度かの恋愛やまたは結婚を経て、長い時間がかかった後に「あの人は運命の人だったのだ」と判るのではないだろうか。
若くこれから恋愛や結婚をする人達にはソウルメイトや運命の人探しよりも、好きになった人が運命の人かもしれないぐらいの柔軟な姿勢で恋愛をしてほしいものだ。
恋愛が成就しても失敗しても旅の終わりに過去を顧みた時、自分の人生に深い足跡を残した人は「運命の人」に違いないのだから。


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白鳥は かなしからずや

2018–10–23 (Tue) 15:22
白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ

今日は幾つかのシンクロから、この歌が浮かび上がり頭を占領した。
学生時代に習った若山牧水の有名な短歌なので、覚えている人も多いだろう。
当時からこの歌は何故か印象に残り、なんとも胸が切なくなったものだ。
今人生の来し方を振り返ると、あの時の感覚は予感のようなものだったのかもしれない。

これに心が揺れる人は、多分宇宙から地球にやってきたスピリットだと今なら分かる。
若山牧水は放浪の歌人と言われるが、旅と酒と詩歌を愛し40代の若さで亡くなっている。
彼のはこの世という世界で漂泊を続け、もと居た場所に戻って行ったのかもしれない。
経歴を見ても破滅的芸術家の例に漏れず、何かに突き動かされるように短い人生を駆け抜けて行った。

9000首とも言われる歌を残しているが、きっと何処かから降りてきたもので彼のはそれをこの世に残すために来たのだろう。
幾つかから出たような歌がある。
きっとこの地球へ来て自分の存在や居場所、アイデンティティーというものを諦観と共に見つめているような歌だ。


幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく

われ歌をうたへりけふも故わかぬかなしみどもにうち追はれつつ

山ねむる山のふもとに海ねむるかなしき春の国を旅ゆく

かたはらに秋ぐさの花あたるらくほろびしものはなつかしきかな

いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや


いずれも彼のがこの世界で安住の地を見つけられず、どこかで還る場所を希求しているようだ。
目的を持って地球へ来ただとは言え、そこは生涯彼にとってはかりそめの場所だったのだろう。

白鳥はかなしからずや~、の歌を読んで胸を揺さぶられる人がいれば、それはもしかしたら牧水の仲間で、の奥底で郷愁の念を抱きながらここに留まって仕事をしている人達なのかもしれない。


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ネックレスが切れる

2018–10–22 (Mon) 14:21
今六本木の国立新美術館で所属する団体の展覧会をやっているのだが、昨日一昨日と当番や手伝いで会場に行ってきた。
最近は美術団体の集まりはもうついていけない感じで出ないことにしているのだが、振り当てられた仕事だけは行かないわけにはいかない。

しかし、久しぶり行って当番でずっと会場に座っていたら、様々な懐かしい人と会い中には話し込んでいく人もいて楽しかった。
団体の中での価値観は違っても「久しぶり~」と笑顔で挨拶されると、かつて同じところを見て頑張っていた自分が甦って来て忘れていた感覚を思い出した。
最近は殆どスピリチュアル世界にシフトしてしまったが、スピ人間はややもするとその世界を知ってしまった故に自分は特殊だとか普通の生活には馴染めないなど自分から離れてしまう場合もある。
かくいう私もそういう傾向が最近は顕著になっていた。

しかしこのままでは出家するしかないような孤高の生活になりそうな気がする。
画家の世界で孤高と言えばある種の付加価値が付くかもしれないが、スピリチュアルで孤高というと世捨て人になってしまう。
その選択はないのだということを、何となくどこかから示唆されたような気がした。

人として生きているわけだからまだまだ日常の当たり前の感覚や喜怒哀楽を忘れずに生活すべきなのであって、生きていく上で持つ欲や野望も全否定は出来ないのだと思う。
時にそれは人生の目標になり生きるモチベーションにもなる。
欲のネガティブな面ばかりを見るようになっていたが、それさえも包容するような器量が必要なのかもしれない。

最近はエネルギーを出すばかりで枯渇しつつあったが、会場では側に来てくれる人達から沢山のエネルギーを補給してもらったような気がした。
昨日美術館の廊下を歩いていたら付けていた大ぶりのネックレスが、何もしないのにいきなり切れて大きな音を立てて床中に玉が転がった。
びっくりして周りにいた人も拾い集めてくれたが、何もしていないのに切れたのは意味がある。
思い当たることがあって本当にタイムリーで、見えない世界は凄いと思った。

因みに出かける前にルノルマンカードをやったら二回も鎌のカードが出ていた。
確かに当たったと言えば当たった。
・・・切る必要の物があってそれが切れたのを知らせてくれたのだろう。

どうも再起動させられるようだ。
後ろの守護達は様々な方法を使って教えてくれるのだと改めて驚いている。


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ネットカリスマ

2018–10–19 (Fri) 15:56
最近何気なくFBでスピ系のグループに入ってみたのだが、規模は1000人ぐらいで単にスピリチュアルが好きな人が集うグループだろうと思ったがさにあらず、管理人が教祖のような感じでその教えをグループの人が有難く拝聴している雰囲気だった。
判るにつれて腰が引けてしまったが、FBに限らず今ネット、特にSNSを通してスピリチュアルのコミュニティーは広がっており、中にはカルトとまではいかなくても教祖らしい人と信者が作っているグループもあるようだ。

何でもネットの世界で事足りるのはスピリチュアルも同じで、既存の団体の宣伝勧誘ならわかるが、個人がスピリチュアルコミュニティーを作ってそのうちカルトが出来上がっていくのは想像に難くない。

実際人気のスピリチュアルブロガーは講演会やワークショップやオフ会を開きビジネス込みで賛同者を広げている。
勿論その手法はいいのだが、私が戸惑ったのは金銭が絡まなくても偶像崇拝のようにネットだけで信者が出来ることだ。
今やユーチューバーが名実ともに成功者になれるように、スピリチュル世界もカリスマユーチューバーが出たりネットカルト教祖が生まれたりするかもしれない。

宗教の世界は信仰の自由があり信じる者は救われるのだから、犯罪や社会倫理に抵触しない限りどんな信義でも何を信じても自由だとは思う。
ただ、私が経験したように何気なく入った普通のSNSのグループでも、一歩間違ったら怪しい世界だったことは日常茶飯事だろう。
問題はそれとわからず入って友達も出来るし話も出来ていつの間にか仲間になり、最後には立派なカルト信者になって後戻りが出来なくなってしまうことだ。

SNSならすぐに辞めてしまえばいいと思うだろうが、これがFBなどは案外実名で入っていたり、他でもアカウントがある限り付きまとわれたり相手に追跡されることはよくある。
そうなると生活のツールとして使っていたネットのアカウントを一旦全て抹消しなければならなくなり、これが結構大変になったりする。
まして検索すれば名前が出てくる人間は中々身を隠すことは難しいだろう。

クリック一つでどんな世界にも行けどんな物も手に入るネットの世界だが、スピリチュアルに限らず巨大なブラックホールの側面があり、国家が個人の情報を把握できるのは言うまでもないが個人同士でさえ今やその気になればプライバシーなどなくなることは肝に銘じた方がいいようだ。

特にネットを介してエネルギーは繋がる。
悪しきエネルギーに繋がったら、閲覧だけなどと簡単に思わない方がいいかもしれない。
画面からそれはすでに来ているのだから。


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宇宙人かも?

2018–10–17 (Wed) 16:22
昨日髪を切りに行ったのだが、やってくれた美容師の女性が宇宙系の人ですっかり話が合ってしまった。
これまでも何度か切ってもらいスピ的な話もしていたのだが、たまにビジョンが見えるそうだ。
お父さんが亡くなる前にある音楽を聴いて「父が亡くなったらこの曲を泣きながら聴く」というビジョンが見えて実際亡くなった後その曲を泣きながら聴いていたとか、ご主人とまだ付き合う前に彼が女の子を肩車して歩いていく姿が見えて、その後結婚して女の子を生みその場面が実現したとか。

ビジョンを見るのは宇宙系の人に多いようだ。
きっと宇宙から来ただよと言ったら、「実は小さい頃から地球が滅亡したら宇宙から迎えに来てくれると思っていた。」と言っていた。
空が好きでご主人も同じらしいから宇宙の仲間同士で巡り合ったのかもしれない。
何処の星からという話にもなったが、御主人と彼女はシリウスとプレアデスの特徴を持っているようだった。

美容室でこんな話をしているのは怪しいのだが、時に完全にトンデモ話が一致して盛り上がってしまう時がある。
多分普通に人には話せないことでも「そうそう、わかるわかる」という感じになると、一挙に妄想だと思っていたことをカミングアウトしてしまうことがある。

このブログを読んでくれている人の中にも「わかる」と首肯している人がいるのではないだろうか。
宇宙由来のはとにかく小さい頃空や星が好きで、帰りたいとか迎えに来てくれるとか思ったことがあるはずだ。
スピ系人間でも霊能力というよりビジョンを見たり全く違うところから情報を降ろしてきたりする。

インディゴ、スターシードなど分類はあるが、特徴のチェックをするとかなりの項目が当てはまる。
いわゆるライトワーカーと名乗っている人達は自覚しているが、全然自覚もなく普通に生活している人でもかなりの数がいるのではないか。
逆に自称ライトワーカーでも、実は違うところと繋がって光ではない方の人もいる。

くだんの美容師さんは明るくてよく笑う楽しい人だったが、スターシードやクリスタルチルドレンなどは人間の転生が少ないのでなかなか社会に馴染めず苦難の人生を送り地球の泥沼に埋もれてしまう人も多いようだ。
自分が人と違う感覚を持っているとか、妄想のようなものを感じるなど、どこか違う部分を持って悩んでいたら、もしかしたら人間の経験の浅い宇宙のかもしれない。
是非スターシードやインディゴをググって特徴を調べてみてはいかがだろうか。
ついでに出身星ごとの性質も出ているので、自分がどこの星から来たのかもわかるかもしれない。


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出雲大社

2018–10–14 (Sun) 18:19
ブログ更新が滞ってしまったが、実はこの間出雲大社に行っていた。
その前後して体調を崩し、行けるかどうか悩んだが結局行ってきた。
二泊三日だったが雨女のなのでやはり雨が降り、午後からやっと上がって近くの命主社まで行くことが出来た。

相変わらず大国主命の銅像は圧巻で、雨に濡れていてもその威容に圧倒されしばらく側で佇んで見とれていた。
三峯神社の日本武尊と出雲大社の大国主命の銅像は、大きさからいったら日本屈指の物ではないだろうか。
好きな神様のいずれもが大きな銅像になっているのは何かのシンクロかと思ったり。
ついでに最初に好きになった菅原道真公も大きな像があればいいのだが、これは残念ながらないようだ。笑

体調が良くないので行こうかどうか迷ったがどうもそれには意味があるようで、これは私のスピリチュアルに対する立ち位置の見直しを示唆しているようだと思い至った。
最近はスピ系の友人ばかりになったが良くも悪くも影響を受ける場面も多くなり、自分の軸を見失うこともあったのでこれを機会にきちんと線引きをする必要があるようだ。
霊能者や強い占い師は人にパワーを与えることもできるし取ることもできる。
意図していなくてもそれが発動する場合があり、私も窮地の人には役立ちたいと思う気持ちが知らずにエネルギーの遣り取りをしてしまい疲弊していたのかもしれない。

今回の体調不良もそんなところがあった。
誰でもそうだが悩んだり不安を抱えていると、元気づけたり助けになってくれる人には頼りたくなるし言うことを信じてしまう。
しかし、時としてそれがお互いにとって依存や負のエネルギー交換になってしまうケースがあるので、気を付けた方がいい。

出雲大社でも体調はいまいちだったが、今の自分の置かれた現状がよく判って体調不良も原因はそこにもあるということに気付かされた。
自戒も込めて思ったのは、中途半端に視える人はネガティブなビジョンは絶対に口にしない方がよいということだ。
そういう人は念の力も強いので、言われた相手はそれを引き寄せてしまうことになる。
言葉ではっきり伝えるのは、ポジティブでいいビジョンだけにした方が良い。


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スピリチュアルブログ

2018–10–07 (Sun) 17:18
私は毎日複数のスピ系ブログを読んでいる。
傾向、主義主張、繋がる先はバラバラだが、共通点としてあるのは「読んでいて参考になる」ことだ。

中には極右的な思想を持つスピリチュアリストもいて、これは神仏系と繋がっている人に多い。
一個人としてはお友達になれそうにないが、見えない世界的にはなるほどと思うこともあるので定期的に読んでいる。
先日靖国神社の宮司が今上天皇の慰霊の旅を批判して、今の政府を代弁するような戦前回帰的意見を言っていた。
日本会議に代表されるように日本の神社は右翼的愛国的だ。
神仏と繋がっている霊能者も高次ではなく、その下の世界と繋がっている人も多いのかもしれない。
「敵が攻めてくるから日本は戦争に備えよ」と靖国の英霊が言っていたと伝えているブログもあったが、神仏の世界も次元や傾向が分かれているようだ。

面白いのは宇宙系のスピリチュアリストのブログで、「みんなの目的があるのだから勝手にしたら」的な論調が多く、組織的なものには無関心な傾向が窺える。
地球が変化し人類も二極化するか淘汰されると言っているのは宇宙系の人たちに多く、神仏系はより現実的でい因果応報や先祖供養などを説いていたりする。
完全に視点が違うのだが、一つだけ共通しているのは~ソウルの存在だ。
だからスピリチュアルなど現実逃避のたわごとだいう人達も、人間にはがあるということだけは信じた方がいいかもしれない。

は霊ともいい、肉体とは違って形が無い。
幽霊が見える人はがそのような形に見えるのだろう。
生きていても死んでいても魂の存在はあって、神仏系霊能者も宇宙系スピリチュアリストも同じものは見えるようだ。
まあ、結局見えない世界は突き詰めれば同じところに行くということなのだろう。

因みに今日読んだスピブログで面白い記述があった。
スピリチュアルも時代が変わったそうだ。

20世紀までの3G「義務・犠牲・我慢」、
21世紀からのLTE「ラブ・サンクス・エンジョイ」

これは神仏系と宇宙系の違いともとれるかもしれない。


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自己犠牲という錯覚

2018–10–05 (Fri) 16:14
生きていく上で、社会の中で、人間関係で、家族との関りで、人は必ず自分の意志に反した道を迫られることがある。
社会が求めていること、常識としてしなければならないことなど、不本意でもやってしまうことは誰でもよくあるに違いない。
頼まれ事を断れない、自分もいっぱいいっぱいなのに人のために犠牲になってしまう、断ったらどんなに楽だろうと思うが悪い人になりたくないので引き受けるなどだ。

人生の中でこの局面は色々な形で誰もが経験すると思う。
多分その葛藤はもはや相手に対してではなく自分の内面の問題なのだ。
やりたくないが拒否したら良心が痛むし後で後悔するかもしれない。
助けを求められても突っぱね、相手が可哀想なことになったら自責にかられるだろうと心のどこかで思う。

この身近なケースでは、家族や親の介護がある。
夫婦や親子という家族で介護が必要になれば当然やりざるを得ない。
仲の良い夫婦や親子なら相手のために面倒を見たいと思うし、それは純粋に愛情が動機になる。
しかし中には不仲な夫婦もいれば、親の介護で生活を犠牲にしたくないと思う子供もいるだろう。
親が我が子を介護するのは一番愛情度が高いと思うが、他は義務感が先に立つ場合も多いのではないか。

自分を殺しても人に尽くすこと、毒親と思っていても介護することなど、一見自己犠牲の美徳に見えるが、実は自分のためにしている場合もあるような気がする。
自分のためとはつまり、人の道に背く人間になりたくない、いい人間でいたい、世間体がある等々、ある意味良心を納得させるために選んだ方法でそこにはもう相手など存在しないのかもしれない。

これは私自身が経験したことなので言えるのだが、親の介護というのは己との戦いだと痛感させられた。
よく自分が後悔しないために親の面倒を見て見送ったという人がいるが、そこには子供としての義務をきちんと果たすという自己満足が含まれている。
夫婦や親子で義務というのは切ない言葉だが、法律でも明文化されているように悲しいかな家族でも愛情だけでは立ちいかない現実がある。

不本意な事をする時でも必ず自分の中でジャッジが存在する。
義務だから、人非人になりたくないからと表層意識は思うかもしれないが、実はそれを選んで自分が苦しみたくないからだという潜在意識の訴えを素直に受け止めた方がいいだろう。
どちらが自分にとってより心が痛まないかの苦しい選択を迫られる時はあるものだ。



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葛藤と自己矛盾

2018–10–02 (Tue) 15:46
人間は誰でも何故生まれて来たのか、何故生きているのかと一度は考える。
生きるという価値は人によって様々だ。
同様に幸不幸もそれぞれで違う。

大抵の場合相対的な部分があり、人に比べてどうかというのが基準になったりする。
癌で生きたいと切望する人間もいれば死にたいと思って自殺をする人間もいる。
自分にとっては価値のあるものでも人によっては無価値だということはよくあって、交換できたら簡単なのだがそういうわけにはいかない。

何か大きな出来事が起こると人生観が一変することがあるが、大抵は失って初めてその価値が分かったりする。
何故生きているのか、自分に価値はあるのかと思う人間が余命宣告されたら、やっと死ねるとは喜ばないだろう。
人は、失わない、あるという前提があるからいらないと思う。
そして失うとわかったら惜しくなり執着する。

人間とは、激しい自己矛盾を抱える生き物だ。
精神世界に足を踏み入れると少しはその葛藤も軽減できるが、それでも今度は生身の自分とハイヤーセルフのはざまで相克が起こる。
霊的進化を求めながらロウワーな自分に嫌悪を抱いたり、あるべき理想の姿と現実の俗的な自分のギャップに苦しんだり。
以前神社で娘が母親を罵倒しながら参拝をしている母娘を見たが、これなどは人間の救いがたい自己矛盾の姿だと思った。
誰でも自分の中に度し難い業を持っていて、それが人間である証なのだろう。

今回ノーベル医学生理学賞を京都大高等研究院の本庶佑氏が受賞したが、氏は賞金を京都大学に寄付するそうだ。
共同受賞なので億単位の半分にしても巨額だが、彼にとっては必要のないものなのが分かる。
彼は人類の進化のために来ただから、お金は彼の人生の目的ではない。
彼にとっては賞金などより研究の成果の方がよほど価値がある。
久しぶりに明確なミッションを持ったの人を見たような気がする。



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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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