我に七難八苦を与えよ

2018–09–30 (Sun) 17:59
スピリチュアルに覚醒し見えない世界や人知では解明できない世界を知ると、自分の価値観が揺らぐ。
人が生きていく上で感じる不平等、不公平、不条理の理由も理解できるようになるが、現実に生きる場合その乖離が大きければ大きいほど、所詮机上の空論ではないかと思ってしまう。

努力は報われない、正直に真っ当に生きてきても不運やトラブルに見舞われる。
一方ずるをしたり人を欺いたり阿漕な事をやっても、ツイていてどんどん成功していったり悪人が地位と権力を得たりする。
世の中に勧善懲悪はないのかと思うことは度々あるし、罰も当たらず畳の上で大往生する悪党もいる。

そんな大所高所の見方でなくとも、自分の人生を考えてみるとこんなに頑張ったのになぜ報われないのだろうと思うことは誰でもあるはずだ。
過ちを犯したら反省し常により良く生きたいと努力しているのに、苦難は次々襲ってくる。
そんな時は何の苦労もせずに幸運に恵まれたり、スイスイと上手く行っている人が羨ましくもなるだろう。

スピリチュアル的観点からは今生だけでなく過去生や来世へのカルマ、宿業、、因果などで考えて辻褄が合うのも理解出来ても、実生活では精一杯頑張っても報われないのには涙が出てくる時が無いだろうか。

確かに私も客観的なブログを書いているつもりだが、自分自身についても属する社会でも矛盾や不条理について全てを受容出来たり達観出来てはいない。
時には「もう十分大変な思いをし、それも乗り越えたのにまた来るのですか」と天に向かって嘆きたくなることもある。
ガイド達に弱音を吐いたり泣きついたこともある。

戦国武将の山中鹿之助が 「我に七難八苦を与えたまえ」と言葉を残したが、彼の人生はその言葉通りの艱難辛苦の連続だった。
「またですか?まだですか?」と思うことも正直あって、そんな簡単に人間は達観できない。
まだまだ山中鹿之助の境地には至れない。

しかし、私達は生身の感情を持った人間だ。
聖人君子にはなれないしネガティブな感情も人間の証だ。
時には霊性の向上など忘れて、辛い、悲しい、悔しいという気持ちも素直に受け止める方がいいのだと思う。


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依り代としての人形

2018–09–29 (Sat) 16:54
先日ベネチアへ旅行してきた友人からお土産に小さなベネチアンマスクを貰った。
出雲大社で偶然知り合い私の仮面の作品の一枚を自分のガイドだと言って買ってくれたスピ友だ。
数あるマスクの中から私にぴったりだとピンと来たものを選んだそうだ。
確かに見た瞬間私も好きな紫色でピンと来てしまった。

しかし喜んで家に飾ったその夜から胃腸の調子が悪くなりかなりしんどかった。
実はその少し前にちょっと友人のトラブルに巻き込まれ、助けを求められてかなりへとへとになっていたところだった。
もしや貰ったマスクに何か憑いていたせいかとも思ったのだが、宇宙人の友人に写メを見せたところ、このマスクが毒出しをしてくれたのかもと言われた。
確かに好きな友人が私のためにピンと来たものを買ってくれたのだからおかしなはずはなく、逆にトラブルで貰った負のエネルギーをデトックスしてくれたと考えた方がいいような気がする。

人の形をしたものは人形だけでなく仮面や体の一部のオブジェなどでも念が入りやすい。
人形供養というのもあるくらいだから、愛着のある人形やずっと家にいて人間の気に触れていたものはエネルギーを帯びている。
ぬいぐるみなども子供が可愛がると、守護になったりガイドが入ることもあるようだ。

目のあるものは怖いというが、それは目が気の出入り口になりそこに念や霊魂を察知するからだ。
私も仮面の絵を描いているが、必ず人間が被っているものなので仮面の中に生きた人間の目を描く。
そうするといきなり命が吹き込まれたような感覚になる。

人形も同じで中には本当に何かの霊魂が入ってしまったものもあるし、実際の目が無くても人形が依り代になって気や念がつく場合がある。
これは良くも悪くも両方なので大事にしているものはいつも可愛がって愛着を持てば守護魔除けになるし、逆に貰い物などであまりいい感じがしない時は元々何かすでに憑いているのかもしれない。
気が進まない場合は手元に置かないかしまっておいた方が無難だろう。

物には念が宿る。
特に人の形をしたものやパワーストーンなどは入りやすいので、自分の物にするには注意が必要だ。



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貴乃花 vs 利権構造

2018–09–28 (Fri) 15:16
貴乃花が今テレビを賑わしている。
この騒動を見ていると、何となくデジャブを覚えてしまう。

私はある美術団体に所属しているが、秋に大きな展覧会があって今年もその季節がやってきた。
若い頃はコンクールに出したり常にハードルを上げてきたが、最近はスピリチュアル的視点で物事を見るようになったので、かつて感じていた美術組織の矛盾や疑問が尚更はっきりと透けて見えてしまう。
組織で権力を持ちたい人間や既得権益を守りたい人が集団になり、そうではない個人を疎外することはよくある話だ。

貴乃花のケースは、決して組織や会社の中では他人事ではない。
もっと国民にとって大事なニュースがあるだろうと思うが、そのことは置いておいて、貴乃花も組織の不正と戦って結局追い出されたようだ。
これは権力を握る者が自分達の保身のために不正を糾弾する人間を陰日向で陰湿にいじめ居場所をなくした構図で、まったくもって今の日本、つまり安倍政治のやり方そのものだ、
自分達のいいように組織を動かしそこには不正だろうが利益誘導だろうがなんでもありで、それを糾そうとする者は徹底的に嫌がらせをして潰すというのが政権始めそれに右倣えをしている日本の組織や会社や社会だ。

嘘がまかり通る、ばれても開き直る、生き残りたいためには追従し共犯になる。
貴乃花の頑迷な性質も火に油を注いだようだが、基本は不正を糾すものは潰されるという構図だろう。

このシステムはそれが許されるような政治になってそれを国民みんなが見てしまったから、自分達もいいのだという集合意識になってしまったことによる。
相撲協会ほど露骨ではないが美術団体も傾向的に同じで、どの組織も持っていた人間関係の力学が今は悪い方に振れ、ひたすら権力の維持や利権構造の拡大にのみ使われるようになっている。

皆自分が可愛いいから不正など関係ないし得をすればいいだけで、正義を通そうとするものは排除される。
恐るべきトップダウンの腐敗構造が今の日本だ。

「寄らば大樹の陰」という言葉ほど、日本人の性質を表しているものはないと思う。

私は権力におもねりたくはないしずっとそのポリシーを貫いてきたが、スピリチュアルに覚醒するともう同じ次元で腹を立てることさえ嫌になっている。
それぞれの今世での生き方があるから、違う世界の人とは付き合えないし道が違うと思うしかない。
生活に関わらない限りは、無理をして苦痛な人間関係を続ける必要はないだろう。


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魂から見た人間関係

2018–09–24 (Mon) 16:29
ある男性から仕事のことで間接的に相談を受けた。
最近職場でステップアップしたのだが後輩が突っかかって来るのでその対応についてということで、ざっとルノルマンカードで見てみた。
一番簡単な方法で6枚でやってみたのだが、今のポジションに行ったことで当然出てくる問題を示唆していた。
若く優秀な青年だが出世が早いと中には斜に見る人もいるだろうし、新しいポジションに慣れるまでは相応の摩擦や困難はあるだろう。

特に仕事の人間関係では、必ず反りが合わない相手がいたり下手をしたらいじめもある。
いじめは子供だけの問題ではなく、実は大人になってもパワハラやセクハラなど形を変えて巧妙になって常に存在する。
それはいじめる方がもともと魂が未熟であったり、実は加害者も被害者も根底には同じ部分を持っていたりすることが多い。
自分の周りは鏡だというが、いじめる方もいじめられる方も同じ土俵にいるからだ。

もう一つ辛く当たられたりぶつかってくる相手が、実は自分にとって学びをさせてくれる魂の教育係の場合がある。
私の知っているケースで嫌でたまらない上司に、視点を変えその人がそうする理由を考えたり上司の持っている個人的な問題を忖度したところ、次第に関係が変わり最後には可愛がられるようになったというのがあった。
そして不思議な事にお互いいい関係になった時に、その上司は二人とも配置換えで職場を去ったそうだ。

上司との関係性を良く出来た事で人間的にも霊的にも成長が出来たから、上司の役割は終わりいなくなったと考えられる。
同じソウルグルグループで今世も助け合うという約束で来る場合が多いが、あえて敵対して学ばせるという目的で来ることもある。
あの人のおかげで大変だったが成長出来たと後に思えるなら本人のステージも上がるし、その相手は自分を訓練してくれたということだ。

よく人生が変わるような大変な出来事で、その後の人生を「あれがあったから今日がある」と思えるか「あれのおかげでダメになった」と思うかで霊的成長の度合いも判るが、人間関係でも同じことが言えたりする。

冒頭の青年には突っかかってく後輩に、まず否定をせず彼自身の意見も人間的背景も知って一旦受容した方がいいとアドバイスした。
そして妥協点を見つけ耳障りな事を言われても、よく言ってくれたと認める器量を持った方がいい。
突っかかってくる人間は実は自分も同じ要素を持っているから、そこが尖って突つき合ってしまうのだ。
問題が解決した後その後輩に感謝出来れば、上司としてのスキルは上がるしスピ的にもステージが上がるだろう。

人生で嫌な相手やぶつかる相手は、本当は自分にとって一番学びになる魂なのかもしれない。


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ダメンズ考

2018–09–21 (Fri) 16:34
『ダメンズ』とはダメ男のことだが、このダメンズに惹かれる女性は少なくない。
昔はヒモとかジゴロとか女性に寄生する男性を言ったが、近頃のダメンズは金銭的理由だけではなくメンタル的にも問題を抱えていてDV傾向や依存症があったり、社会生活をうまく営めない男性も含まれるようだ。
「隠れダメンズ」という言葉があって、一見普通の人でも良く知ると問題を抱えている男性で、知った頃には深く付き合ってなかなか別れられないという場合もあるようだ。

ダメンズに惹かれる女性はいくつか特徴がある。

1.よく言えばキャパが広い、悪く言えばいい加減で白黒をはっきりつけられない。→ずるずる関係が続く
2.面倒見がよくていい人なので、人の長所ばかり見ようとして否定できない。→「あの人だっていいところがあるのよ」が常套句。
3.自分もダメ女で似た部分を持ち傷を舐め合う割れ鍋に綴じ蓋。→傷を舐め合ううちはいいが傷をえぐり合うと悲劇。

現実的にはこんな関係性がみられるが、スピ的に言うといずれもほとんどが過去生の因縁やカルマを共有している。
一見ダメンズにカモにされている可哀そうな女性でも、実は過去生を見てみると反対の関係だったとか、彼女の方に自分でもわからない闇を抱えているとか何かしら色情因縁を含む宿縁を持っていたりする。

なかなか離れられないとなると色情因縁の腐れ縁で必ず因果があるわけだが、一度できちんと清算出来たらその課題はクリアしたので二度と同じような相手は来ないだろう。
DV男を逃げ出してもまた違うDV男を好きになるケースはよくあるが、これなどはまだ卒業できていないから何度でも同じような相手と同じことを繰り返す。

上記の1と2は改善の余地はあるが、3の場合は先祖や過去生の宿業が深くその引き寄せの相手なので、負のループから抜け出せずお互い差し違えるような凄惨な結末で終わることがある。
実際そんな事件は時々起こっている。

そもそもダメンズになる人自体霊格が低かったり多くの業を抱えていたりするので、付き合うとそれまで貰ってしまう危険がある。
しかしなぜかダメンズは魅力的なところを持っていて、女心をくすぐられたりするから厄介だ。
ダメンズに限らず関わらない方がいい人間は、よく知るようになると必ず「あれ?」と思うような瞬間がある。
「こんなところがあったのか」「なんか違うな」という違和感を感じたら、それは注意しなさいよという警告だ。

ダメンズのことを書いたがこれは等しく女の場合にも言えることで、ダメ男ダメ女にはならないようにすると同時に引き寄せないように自分の霊性を上げたいものだ。


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課題の分離

2018–09–20 (Thu) 17:49
私はこのブログで様々なスピ的考察を書いているが、スピリチュアルの理や霊的進化の道筋など客観的には判っていても、では自分で全て実践出来ているかというとなかなか難しい。
最近これはデジャブだと思う出来事があり、去年全く同じような出来事に遭遇したことを思い出した。
詳細は割愛するが、結果的に私の取り組み方が間違っていて、きちんと自分の立ち位置のボーダーが引けなかったことで心身ともに疲弊したことがあった。

アドラー心理学で「課題の分離」という考え方がある。

―『課題の分離』とは、問題や課題を目の前にして、『この問題・課題の最終的な末路を経験し、責任を負うのは誰か』を考え、課題が誰に属しているのかを仕分けていくことを言う。
そして、誰の課題なのかが明確になったら、自分の課題とだけ真摯に向き合い、他者の課題には介入しないようにする。―

つまり他者の問題に関わるといつの間にか自分の問題にまでなってしまう場合があるが、それは自分の課題ではなく忠告やアドバイスはしても解決はあくまで相手がしなければならないということだ。
人間関係や友人関係で、特に情が絡むとその境が分からなくなる場合がある。
またスピ系人間、特にエンパスや霊媒体質の人は、生きている人間の気持ちともシンクロしてしまうので、我が事のように心を痛めたり行動を起こしてしまう。
果ては相手に憑いている邪気までもらってしまい、ミイラ取りがミイラになることさえある。
占い師や霊能者はこのボーダーをはっきりさせないと命に関わるが、普通の人間関係でも課題の分離を行っていけばシンプルな生き方が出来るだろう。

図らずも最近私は全く同じパターンのシチュエーションに遭遇した。
しかしいつもブログで言っているように、私のガイド達が今回は教えてくれていた。
三度も違う人の口を介して同じことを言われたのだ。
内容は、言葉は違っても「課題の分離」をしなさいということだった。

三人から同じ事を言われたら、これはもう注意と指導以外の何物でもない。
自分でも気付いた「この道はいつか来た道」という感覚と、同じ轍を踏んではいけないという思いがある。

ブログではいつも見えない世界との繋がりを強くすればガイド守護霊から様々なサインが貰えると言っていたが、今回は自分が信じて書いていた事が証明された気がする。
昨日久しぶりに会った3人目の人は私に「前回の宿題がクリア出来たかどうかお試しされたんじゃない?」と私に言った。
その通りだと思う。

見えない世界の人達に感謝だ。


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エネルギーバンパイアはいる

2018–09–18 (Tue) 16:02
エネルギーバンパイアという人がいる。
本人が気が付いているのは少ないが、エネルギーの強い人に多い。
そこに霊性の高さや品格が伴っていれば違うが、そうでなけれは周りのエネルギーを吸い取ってますます強大になっていく場合がある。

よくさんざん人を振り回したり巻き込んで周りは疲労困憊するのに、当の本人はケロッとして元気だったりするケースがある。
あるいは悪口や毒を吐き散らして周りの人間をげんなりさせて、ご本人はすっきりという人など。

特に生死にかかわる時に知らずに生命エネルギーを取ったり取られたりすることもあるようだ。
これはケースバイケースで、例えば親が子供を助けたい一心で自分のエネルギーを与えるケースもあるし、生きたい執念がすごくて側にいる弱い人やエネルギーを流すヒーラーのような人から吸い取るケースもある。

病院へ行って疲れる人は自分のエネルギーが知らず知らずに吸い取られていることもあるので、気合を入れて脇を締めてから行った方がよい。
また、例えば事故現場に居合わせたりした時も自分が救命しなければならない立場ならいざ知らず、物見高さで野次馬になり側に行って見ているのは、エンパスや霊媒体質の人はやめた方がよい。
命のぎりぎりの場面では激しいエネルギーの遣り取りがあるからだ。

霊能者やヒーラー、占い師はエネルギーが強いので与えもするが逆に取っている場合もある。
本人達は自覚がなくても、占いや鑑定に行って元気になれた場合と何となくいい感じがしない場合は、占いの内容とは別にいい波動でエネルギーを貰えたか、悪い波動でエネルギーを取られたかという違いもあるかもしれない。
同様な事はマッサージやヒーリングにも言えるので、直観を信じ「なんとなく疲れた」「気分がすっきりしない」というところはエネルギーを取られた可能性があるし、自分にとっては合わないところだと思った方がいいだろう。

とにかく会っていて疲れたり振り回す人はエネルギーバンパイアの可能性がある。


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続・腐れ縁

2018–09–15 (Sat) 17:05
先日の記事で「腐れ縁」の恋愛を相談してきた友人の話を書いた。
結論から言うと、腐れ縁は今もこの後も絶賛進行中という模様だ。
お互いの言い分を直接聞かされたり、かなり私も心配したのだが「今度こそ別れる。」と言う彼女にやっと縁が切れるかと思っていたところ、またヨリが戻って「これから二人で遊びに行ってきます」メールには脱力してしまった。

最初から上手く行かないと思っていたが、深い過去生の縁で別れられず同じことを繰り返している。
現在の親も加わり夫婦だったり親子だったり捨てたりという複雑な関係なのでむべなるかなの結果だが、持ち越したカルマを解消するのはかなり大変だろうと予測は付いていた。

職業占い師なのでその過去生も友人は判っているが自分のこととなると感情が先走るので、人を占いながら自分も他の占い師に占ってもらうという状況で笑うに笑えない。
残念ながら私も同様だが、占い師は自分のことは感情のフィルターが掛かるのでよく分からなくなる。
外科医が自分の手術が出来ないのと同じだ。

男女の色情は、もつれ絡み合い計算できない複雑さを持つ。
色情因縁の要素が入ればもう泥沼をのたうち回るごとくで、周りも巻き込んで延々と泥仕合の繰り返しが続く。

私にとっては今回もデジャブのような部分があって、以前も違う友人のDV絡みの恋愛に関わったたことがある。
友人を心配して入れ込み過ぎこちらの方が毒を受けてしまい体調を崩したので、今回もこの徒労感に同じ轍は踏むまいと思ったところだ。

夫婦喧嘩は犬も食わないというが、色情というのは肉欲が入るからそちらに振れるタイプは理を説いて話してもまず無理だろう。
極端な話どちらかに違う相手が出来たり存在がなくならない限り、別れることは不可能だ。
色情因縁の腐れ縁になると複数の異性が色情で絡み合うので修羅場になるが、当の本人たちは懲りずに延々とその状態を繰り返している。
その結末はきれいな因果の清算は少なく、もっとカルマを積むような刃傷沙汰になったりする。

私もなぜか人の恋愛の相談を受けることが多いが、結論としては何度か別れては戻るを繰り返しているカップルはあまりいい恋愛ではないし腐れ縁に近い。
そしてそういう二人は傍が何を言っても聞かないし、終末がハッピーエンドになる確率は低い。
極端な話、命のやり取りになる事さえある。

腐れ縁の男女はパワーが強いので、周りが悪影響を受けることが多々ある。
アドラー心理学で「課題の分離」というのがあるが、相談を受けたら解決法は提案しても相手の課題なのだから割り切り、そこで心理的関係を断ち切るべきというものだ。

今回は私自身も「課題の分離」という課題をクリアしなければならなかったようだ。
友人のトラブルに親身になるあまり巻き込まれてしまうことはよくあるが、そんな時はきちんと線引きをして、仮に結論が見えていてもそこに辿り着けないのは本人の修行だと思うしかない。


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ジャッジしない

2018–09–14 (Fri) 17:22
最近スピリチュアル世界ではニューエイジ系が多い。
その一部で「自分を愛そう」「愛を送ろう」「ワクワクしよう」「自分に正直に」「ジャッジしない」などがよく言われている。
言わんとすることは判るが、これを文字通り実践したら自分一番の善悪関係ない好き放題の人生になってしまう。
そんな生活は出来るわけがないので、もっと現実に即した方法論が欲しいところだ。
一度だけそれ系のスピの集まりに出て、主催者がスピリチュアルの基本は愛だ的な事を説いていたので、解釈に戸惑ったことがあった。

ややもするとスピ世界でも耳障りのいいことを唱える傾向にあるが、じゃあ具体的にはどうすればというのが欠けている場合が多い。
「嫌な人にも愛を投げ掛けて」は常套句だが、あまりにも漠然としている。
つまり、嫌な人にも全否定しないで心を広く持ち理解する努力をしたりその人の立場に立って考えたり思いやりを持とうという意味だろうが、「愛を送ろう」は現実からかけ離れすぎている。
もしかしたら嫌な人の魂に向かって「あなたを愛しています」という思念を送ることかもしれないが、不勉強で私の解釈は上のようになってしまう。

スピリチュアル世界では愛というのがかなり意訳され、かつ便宜的に多用されているような気がする。
キリスト教の愛という概念が転用されている感がないでもないが、もちろん私も愛を否定するわけではない。
しかし現実に生きていれば辛いことも悲しいこともあるし裏切られたりいじめられたりすることもある。
そんな時に「愛」は全てを解決してくれるかというとなかなか難しい。

愛というのは無償だと思う。
特に親の愛は自分の命に代えても子を守りたいと思う。
男女の愛でも相手のために死ねるかと問われて死ねるのが真の愛だと思う。
死は命より大切なものと置き換えてもいいが、つまり相手の存在が自分自身より大事なものという意味だ。
私にとっての愛の定義はそうだが、スピリチュアルでいう愛は多分慈愛のような意味合いが強く、もっと言えば人類愛のような高次の愛ということなのだろう。

ジャッジしないも言いたいことは判るのだが、あくまで現実社会に即してという前提がつくと思う。
ただこれは私も最近そういう心境になって来つつあり、どんな悪人でもその人間のライフパーパスとして魂がそうなっているのなら、見えない世界の摂理として考えるしかないという気持ちが出て来たのも事実だ。
生きている人間が生きている人間を断罪するのは法律であり時の社会倫理だ。
しかし魂同士は断罪は出来ないし、あくまでそれぞれの今生の目的が違うだけでしかない。
そこを混同してしまうと大きな落とし穴があると思う。

「愛が全てで自分に正直にワクワクして何事もジャッジしないで生きよう」はとても羨ましい生き方だが、「自分の好き勝手に良い悪い関係なく楽しいことだけするのが愛の生き方だ」とは間違ってもならないようにしたい。
スピリチュアルは生きる助けになるが、取り入れ方次第では違う方向にシフトしてしまう場合もあるので、きちんと自分の基準で咀嚼することが必要だろう。



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腐れ縁

2018–09–11 (Tue) 15:00
今日はあまりいい表題ではないが、腐れ縁という言葉はよく聞くと思う。
男女の間でも同性同士でも使う。
文字通り「腐った縁」でいい意味では使わない。
お互いに良い影響を与えないが、切りたくても切れない縁のことだ。
男女なら別れたいのに別れられない、離れかけてもまたくっついてしまう繰り返しで、それが結婚に至らなかったり、逆に結婚していても最悪の相手なのに今度は離婚が出来ないなど、切るに切れないネガティブな縁だ。

これはもう前世の因縁があるのは明らかだが、多分そのを抱えたまままた今生で会うことになって、それぞれの未熟さから過去の因果を解消できないでいる関係が腐れ縁なのだと思う。
男女なら色情因縁がそれに絡むからもっと始末が悪くなる。

別れては戻りを繰り返すのは腐れ縁の典型と言えそうだが、当事者に聞くと本人達も腐れ縁だと認めている場合が多い。
しかしこういう場合自分達でもう腐れ縁だと肯定していることになるから、永久に関係は腐れたまま続くだろう。
必ず理由があって今世で縁を再開したわけだから、それをどうにかしようと考えなければまた来世に持ち越すことになる。

それにはすっぱり切れるか、その縁を腐らせず良縁にすることだ。
男女ならずるずると関係を続けるのではなく結婚して家庭を築くか、二度と会わない覚悟で別れるかどちらかで、たとえ結婚して失敗し離婚になっても逆にそこでは解消されると思う。
生煮えの状態で延々と同じことを続けるのが腐れ縁だから、それをはっきりさせるのが腐れ縁の清算には必要だ。

私も腐れ縁と言えそうな男女を幾人か見て来たが、恋人同士でも夫婦でも必ずメビウスの輪をぐるぐる回っている。
どこかでブレイクスルーすべきなのになかなかできないのが過去生の因縁であり、二人の共通のカルマなのだと思ったものだ。
しかし少なくとも腐れ縁と自覚しているなら、それを解消しようと努力するのが魂の成長だ。
離婚騒ぎを何度も起こしながらも別れず老齢になり、一緒にいてよかったと思った時に腐れ縁は良縁になるかもしれないし、苦しみにのたうち回ってもすっぱりと縁を切ることが出来たらそれも因縁の清算になるだろう。

肉親や親類縁者はもともと縁があるからその設定自体は変えられない。
しかし、赤の他人と深い縁を持つ時はそれが腐れ縁になるか良縁になるか悪縁になるかは、因果やカルマのせいばかりではなく今世の生き方や霊性の向上によっても決まるし変えて行けることだと思う。

先日、3年も付き合っても別れられず結婚したくても諸般の事情でなかなか無理で、腐れ縁と自嘲していた友人の相談を受けた。
「腐れ縁も結婚したら良縁になるし、別れたら縁が切れるのだから今の状態を続けて腐れ縁にしているのは本人達。
自分の向き合い方で縁の種類を変えられるのだから、どうにかしたいなら動いた方がいいのでは。」とアドバイスをしたが、果たしてどうだろうか。

人間は過去生の因と今世のどこかで必ず向き合う時がある。
腐れ縁と言われる相手との付き合い方もその一つだろう。


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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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