タイムスリップ

2017–02–27 (Mon) 17:57
京都の三日目は北野天満宮へ行った。
ネットで知り合った知人と会うことになっており、二人で北野天行宮へ行くことにしていたのだ。
雨女二人だったが何とか雨も上がっていた。

太宰府天満宮はもう何度も行っているが、鳥居をくぐって境内に入った途端太宰府とは全く異質の気を感じた。
咲き乱れる梅とそれに囲まれた神殿が目に飛び込んできて、一瞬平安時代にタイムスリップしたような感覚がした。
道真公が満開の梅を愛でているような錯覚に陥り、華やかかりし頃の道真公が思い浮かぶ。

北野天満宮は道真公の光の部分を象徴してるのだと思った。
一方、太宰府天満宮は全てを諦観した神に近い部分が窺えて、二つの天満宮は菅原道真公の人生そのもののような感じがした。
菅原道真という人は宇宙から来たとか宇宙から色々なものを降ろしていたという話がある。
また陰陽師ではないが陰陽道にも詳しく、その類の守護が付いていたのかもしれない。
彼がいわゆるオールドソウルや高次のスピリットを持つ人であるのは容易に想像がつく。

後々祟ったというのは彼がしたのではなく、彼を陥れた後ろめたい人間達が道真公を守護する何かを怒らせたのかもしれないし、もっと言えば道真公は天神として後の世まで人々を救う役目があって神として祀られるために起こされた天の必然かもしれない。

なぜか私は道真公が好きなのだが、京都へ行った初日晴明神社へ参拝し、戻ってきてから何となく安倍晴明と菅原道真公の関係を調べたところ驚いた事実を知った。
時代は違うが道真公の祟りかと京の街が震撼していた時、安倍晴明は名古屋に行かされ道真公を祀るべく名古屋上野天満宮を建立している。
京都の自宅が落雷にあって道真公を恐れたとか諸説はあるが、道真公をお祀りしたおかげでまた晴明は京都へ戻ることが出来たそうだ。
この二人は関係があったのを初めて知って、図らずも二つの神社を参拝しようと思ったのも何かの縁を感じた。

北野天満宮では梅にメジロが飛んできて写真を撮らせてくれたり、人気の大黒天像の口にお金を置いたら二度目は落ちなかったりといいことがあった。
白梅紅梅が咲き誇る北野天満宮で平安時代の雅と当時の道真公の梅を眺める姿が偲ばれた。
道真公好きとしては北野天満宮に行けてとても良かった。


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鞍馬・貴船 2

2017–02–25 (Sat) 17:25
鞍馬山の魔王殿から貴船に向かう下り坂は急な階段で、かなり足腰に応えたが何とか貴船に降り着いた。
貴船は若い頃からずっと行きたいと思っていた場所で、思いがけずこんな形で訪れることになるとは感慨深いものがあった。
人生は思っていたことはやがて現実になるようだ。

貴船神社は参拝の順番があるそうでまずは本宮にお参りした。
若い人達が多く貴船神社は縁結びの神社であることを思い出した。
水神籤をやってみたが、小吉で焦らずゆっくりが良いという事らしい。

次に川沿いを歩いて奥宮を目指す。
清流を見てると確かに龍神がいるような気がする。
奥宮に入ると一面雪が積もっており森閑とした空気が流れていた。
スピ系の人はここでエネルギーを感じるそうだが、私はただただ静けさを感じた。
方舟は残念ながら雪で埋まっていた。

奥宮をあとにして最後の参拝となる結社へ向かったが、ここは本宮と奥宮の間にあり戻る形になる。
実は私は貴船で一番見たかったのは、結社にある天の磐舟だった。
階段を登って鳥居をくぐると全身鳥肌が立つようなびりびりした感覚に襲われた。
神社へ行ってもそうなることは滅多にないのだが、拝殿の横に置かれた石の磐舟を見た時になったので私の何かが反応したのだろう。

「ああ、ここだったのだ」と、その時思った。
何がと聞かれてもよくわからないが、スピリチュアル的な何かに共鳴した時に来る電流の流れるような感覚だった。
参拝してから磐舟のそばに立ちじっと眺めていた。

神様や御神木と話すというスピ系の人がいるが、私はそんなことは出来ない。
しかし石の磐舟とは何か繋がった感じがして、頭の中で会話しているような錯覚に陥った。
多分自分が話したいことを自分で脳内会話していたのだろうが、一つだけ確信したのは天の磐舟が女性のような感じがしたことだ。
御祭神が磐長姫命なのでもしかしたら神様の女性性を感じたのかもしれないが、磐舟は絶対何かが宿っているような気がした。
暫くそこを動けなかった。

鞍馬貴船の最後に結社へ参拝できたのは後からとても意味深いことだったのだと知り、今回の鞍馬行が必然だったと思えて仕方がない。
時間が来たのでバスに乗るために結社を出て川沿いの道を歩いた時、来て本当に良かったと胸にぐっと来るものがあり涙が出て来た。
よく神社は呼ばれるというが、初夢に見てそのまま行くことを決め実際不思議な力が働いたように前日の体調不良にも拘わらず、ハードなプチ登山の鞍馬山、貴船回りを無事に終えられた。
一番びっくりしたのが、普段は絵を描くだけで決して体力自慢は出来ないのに、ホテルに帰ってからも疲れを感じず夜はアーケード街を2時間もぶらつく余力が残っていたことだ。

多分夢で鞍馬山へ行こうと言った男性は私のメインガイドで、彼が必要なものをそこで貰えるように連れて行ってくれたのかもしれない。

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鞍馬・貴船 1

2017–02–24 (Fri) 15:40
今年の元旦の初夢で鞍馬山にハイキングに行く夢を見たので、京都へ行って来た。
鞍馬山へ登り貴船神社へ降りていくコースを一日かけて辿った。
夢の中で「鞍馬山へハイキングへ行こう」と男の人に言われたのだが、後で調べたら文字通りハイキングコースになっていて驚いた。
残念ながら夢の中の男性は現れず一人で行って来たが、二泊三日の旅程で中日一日で鞍馬寺、貴船神社を回った。

行った日は生憎寒く京都は雪がちらついていたが、晴明神社へ行ってみた。
安倍晴明の像があってご挨拶をしたが、晴明神社は好き嫌いが別れるらしい。

実は一日目は出発前から体調が思わしくなく、夜はホテルで休んでいて鞍馬貴船へ行けるかどうかも不安だった程だが、翌朝は治っていて予定通り鞍馬へ向かうことが出来た。
鞍馬の登りはケーブルカーで行って貴船へ降りようかと計画していたが、ケーブルカーは出たばかりで20分待たねばならずこれは歩いて登れという事かと思い覚悟を決めて登ることにした。

不覚にも2月の鞍馬山は雪が積もっていることを想定しておらず、道は解けていても木々の梢から雪がぽたぽた落ちて来た。
途中由岐神社があり、御祭神が大国主命だと知ってこれは参拝をしないわけにはいかなかったと思った次第。
また九十九折りの道には弁天様もいたりして、やはり端折ることはまかりならなかったようだ。

本殿に着くと例の六芒星があって本殿にお詣りしてからそこに立ってみた。
スピ系の人は色々感じたとブログなどで読むが、どうも私はそういうのはあまりないらしい。
人もまばらだったので何度か立ってみたが、何かが降りてくるわけではなく(笑)、感じたのは何度か立ってみたいと思い離れがたかったということだろうか。

その後奥の院へと向かう。
ここから道が雪解けだったり雪が残っていたりして足元が悪く結構難儀した。
ポイントになるような場所も良くわからず木の根道は雪に隠れて後からあのあたりかと思ったくらいだが、なぜか写真を撮りたくなって撮ってみたらエネルギーのようなものが写っていたので、やはり普通の場所ではないようだ。

やっと魔王殿に着くと、そこは木々と雪に囲まれてひっそりとした空間だった。
参拝してからも去りがたく雪の積もったベンチに無理に腰かけしばらくそこにいた。
殆ど切れることなく人が行き来していたが、ちょっとの間誰もいなくなると頭上でカラスが鳴いたりして不思議な異空間だった。
ここも去りがたく、季節が良かったら何時間もベンチに腰掛けぼーっとしていたかもしれない。

やはり来て良かったと思った。

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信仰の危うさ

2017–02–19 (Sun) 17:54
最近売り出し中の若手タレントが宗教団体に出家するというのでニュースになっていた。
宗教団体が芸能人や著名人を広告塔として起用する例は多い。
芸能界、特にお笑い芸人は誰でも知っている某宗教団体が牛耳っているとまで言われている。
政教分離のはずだが宗教団体が政党を作ったり選挙に出馬しているので今の日本では何でもありのようだ。

そもそも新興宗教を作り教祖になる人間は、大抵人生のどこかで突然スピリチュアル的なものが降りてきてその力によって人心を掴む。
多くは神が降りて来たということになっているが、さてどうなのだろうか。
多分本当に高次の存在が本人の使命のために降りてくる場合もあるが、悲惨な最期を遂げるカルトなどは神を名乗った闇のものだったり、途中で本人の欲のために高次から低次に憑いているものが変わってしまう場合もあるだろう。

教祖と言われる人は皆何かスピリチュアル的なものが後ろにいる。
最初は病気を治したり邪霊を祓ったり信者に奇跡を見せるが、最後まで軸がぶれない教祖は少ないのではないか。
政治家のように金と権力を持つと、錯覚し堕落していく人が多いのは教祖も霊能者も同じだ。

信じ切って財産をすべて寄進したり、果てはかつてのサリン事件を引き起こした宗教団体のように犯罪に手を染めてしまう信者もいる。
出家して帰依して本人が信仰で救われたと思っても、信仰が狂信となって社会規範を乱したり他者を巻き込むようになるとそれは宗教ではない。
明らかにおかしいと思う教祖や教義でも本人が盲信しているなら仕方がないが、家族や周りの人間にまで影響が来る場合は個人だけの問題ではなくなる。

信仰はスピリチュアル世界を人間がいいように利用している場合が多い。
宗教と名乗らなくても力のある霊能者やライトワーカーが多くのリピーターを集め人気が出ると宗教じみて来るのは、スピリチュアル能力の方向性がずれて来るからではないだろうか。

神は自分の中に存在する。
ガイドと繋がるようになればそのソウルグループの高次の存在も分かるようになるし、天使のような存在とも色々な神様とも宗教団体を介さなくても繋がることが出来る。
怪しい教祖様の教えを信じるより、朝晩自分のガイドに挨拶をして好きな神社仏閣の御札に心から祈ればきっと神仏は加護してくれるだろう。



視点を変える

2017–02–17 (Fri) 18:44
物の見方というのは視点を変えると全く異なってくる。
スピリチュアル的視点を持つと人生の意味まで違って見える。
物は一面から見ずに多面的に見る必要があるが、現実世界に生きていると自分が欲しない限りは目にする情報を表面的に判断するしかできない。

最近の日本は政権によるマスコミ操作で正確な情報はテレビ新聞では選別されたり歪められたりしている。
先の安倍トランプ会談ではアメリカや海外の報道は安倍総理のごますり外交を揶揄するものばかりだったが、日本のマスコミは100パーセント大成功だと礼賛していた。

また、福島原発の2号機で未曽有の670シーベルトという高線量が計測されたが、この数値は人間なら即死する恐るべき数値だ。
ロボットも壊れるくらいだから当然廃炉など今の技術で出来るわけはないが、世界は驚愕しているのに日本では数値を言うだけでどれほど大変な事かは言わない。
670シーベルトの数値は、燃料の塊が大地震でも起きて地下水脈に接触したら核爆発を起こして東北は死の灰でおおわれるということを意味する。

片や南スーダンでは戦闘に自衛隊員が巻き込まれているが、憲法上戦闘と言ってしまえば派兵できなくなるので、国会ではろくに答えられない大臣が戦闘ではなく衝突と言い張っている。
日本人がつくづく愚かだと思うのは、言葉を変えれば別物だと思ってしまうことだ。
狡猾な官僚と政治家は言い方さえ変えてしまえば国民は全く別物に考えるというのを知っている。
ある意味言霊の力を意図せずに利用していると言えよう。

「武器輸出→防衛装備移転」「戦闘→衝突」「共謀罪→テロ等準備罪」等々今まで子供騙しの名称変更は数知れない。
普通の日本人はこんな変え方になっていることさえ知らない人が多いし、事実内容を知らなければ印象も変わり全く別物と思ってしまうだろう。
これを本来は周知したり糾弾するのがマスコミの役割だと思うのだが、寿司友になって援護射撃しかしていない。

名称を変えるのは政権の国民操作の常套手段でかつての満州事変も実は関東軍による日本の侵略戦争だったが、「満州事変」という言葉だけを聞けば、知らない人間は何か起こったぐらいにしか思わない。
時の為政者は国民の視点を操作するのが支配の有効な手段だと知っていて、簡単に騙されるのが集団行動が好きで帰属意識の強い日本人だった。

物事の本質を見極めるというのがいかに難しいか歴史が証明しているが、そもそも見極めたいとすら思わない人間が多いのだろうと最近痛感している。
スピリチュアルに覚醒する前からなんで国の嘘や姑息なやり方に気が付かないのかと思っていたが、覚醒してからは逆にそれすらも必然なのかと諦観に近くなってしまった。
ただ現実的な人間の感情として、日本人が目先の欲と金しか見えず同じ愚を繰り返していくのは見るに堪えない気持ちだ。




チャネリングとリーディング

2017–02–14 (Tue) 17:47
スピリチュアルセッションで、チャネリング、リーディングというのがある。
ざっくり言うとチャネリングはその人に関係するスピリットと交信することで、リーディングはその人の情報を読み取るという感じか。
定義は人それぞれで、チャネリングしてリーディングするというと分かりやすいかもしれない。
アカシックや、ガイド、前世などとチャネリングしてクライアントの情報を教えてもらったり読むのが一般的だ。

人によってアカシックが読めたり守護霊と対話したり憑いている背後霊や死者と交信する人もいる。
方法としては実際に相手の横や後ろに霊の姿が見える人もいれば、頭の中に降りて来たり自分のガイドを使ってコンタクトを取ったりオーラを読んだりと、各々のやり方があるようだ。

どんなガイドが付いているかはスピリチュアルに興味のある人なら知りたいと思うだろうが、これも一人ではなくいわゆるガーディアンエンジェルという主たる守護霊、他にも補助的な守護霊がいてまとめてガイドと呼んでいたりする。
微妙にセラピストによって捉え方も違うが、大抵は複数いて中には人間以外の守護霊もいる。
私は複数のガイドを認識しているが、これはスピリチュアルに覚醒して自分自身の感じていた事や複数のリーダーに言われて何となく確信が持てた人達である。

ガイド達も見る相手によって出てくる人が違ったり、格好も変わっていたりする。
セラピストとの相性もあるのかと思ったり、こちらが欲した時のみ姿をセラピストに見せてくれる場合もあるような気がする。
リーダーの「ガイドというイメージ」に沿っておばあさんやおじいさんの格好で出て来たり、神様の様な格好になる時もあるのかもと思っている。
そもそもはエネルギー体なので相手に判りやすい姿で来てくれるのだろう。

逆に言えば見る人間のフィルターが掛かりやすいという事でもある。
姿もそうだが伝えなければならないことでも会話が成り立つことは少なく、降りてきたメッセージをリーダーがクライアントの状況に合わせて解釈して伝える場合が多い。
そこでセラピストのフィルターが掛かってしまう。

その上何処とチャネリングしているかわからないので、もしかしたらあまりよろしくない背後霊が守護霊を装って話している場合もあるし、実はガイド同士でも意見が食い違う時もあるようだ。
そうなるとリーダーはソースの見極めまで出来なければならないわけで、かなり高いスキルを要求される。

チャネラーによっても見るガイドは違う場合があるし、リーディングの内容も異なったりするが、それもセラピストの能力とリーディングという内容の曖昧さによると理解していた方がいいだろう。

一つだけ言えるのはリーディングもチャネリングも正解は一つではないということだ。
どんなことを言われてもなるほどと思うか違うと思うか、自分のジャッジが一番正しいと思った方がいい。
何故ならガイド達は本人の嫌がることを無理にやらせようとはしないし、ショックで立ち直れないようなことを絶対に言うわけはないのだから。
余程厳しいガイドでも試練の前には必ず何度も注意喚起をしている。

自分自身で何となくやはりと思う事はすでにガイドとチャネリングしている証拠で、誰でも本来自分でそれが出来るのだから、人にして貰うのは参考程度に押さえておいた方がいいと思う。



スピリチュアル能力と対価

2017–02–12 (Sun) 16:35
2017/02/12(日) 16:33:05


スピリチュアルに興味のある人なら一度は占いやスピリチュアルセッションを受けたことがあるだろう。
興味本位な時はなるべく安価でモニターなどを受けてみたり深く鑑定者やセラピストを吟味しないだろうが、相談内容が深刻になればなるほど自分に合ったセッションやセラピストを検討し料金設定も逆にあまり安いと信用出来ないと考えるかもしれない。
これはセラピストの方も同じで安くしたら信用されないというのがあるようだ。

中には名前が売れ出すと料金を引き上げたり、有名になると目玉の飛び出るような料金設定になる人もいる。
しかしそこに付加価値を双方見出すと需要と供給が成り立つので、今のスピ業界は何でもありだ。

私は基本的にスピ能力はギフトで、金品に換算するものではないと考えている方だが、スピリチュアリストの中には特殊な才能なので絵画や音楽と同じくそれで対価を得るのが当然と考える人が多い。
私も絵を売っているのでそれと同じと言われれば否定はできないが、絵も音楽も形に残るものだがスピリチュアル能力は目に見えないし形にも残らない極めて曖昧なものだ。
10万円の絵を買えば絵というものが現実として手元に来るが、スピリチュアルセッションは10万円払っても現実的なものは何一つ与えられない。
人によっては10万以上の価値がある場合もあるが、他方一銭の値もなかったと思うクライアントだっているかもしれない。
そういう意味でスピリチュアルの能力は他の才能とは違うと思っている。

仕事にするなら時給プラス技術料という所だろうが、一時間のセッションでせいぜい一万円が相場でその何倍もなるような場合は、付加価値を求める客層相手になる。
しかしスピ能力に関しては高ければ高いほどすごいかというと決してそうは言えないと思う。
あくまで相対的なものであり、所詮人を救うとか人の運命を変えるという魔法は使えるわけはないし、そんなことをしたら宇宙の法則に反する。
ライトワーカーというのはあくまで本人のアシストであって、自分を救うのも変えるのも自己の魂でありその手助けしかできない。
高額なセッションに行って凄い効果だと実感するのは、それだけの対価を払ったのだからという思い込みがあり、セラピストの力というより自分で自分の魂を動かせるようになるからだと思う。
分かりやすく言うと安物のワインでも高価なワインだと言われて飲むと何となく美味しく感じてしまうのと同じだ。

それぞれ需要と供給があるのだから法外な料金設定の鑑定やスピリチュアルセッションを否定はしないが、一つだけ言えるのはスピリチュアル能力に関しては料金と能力は正比例しないということだ
それどころか料金など取らず市井の中で無償で人を癒したり人を助けたりしているスピ能力者もいる。
そしてそういう人ほど無欲で確かな能力を持っていたりする。
本来ライトワーカーとはそのために地球へ来たのだと私は思っているのだが、そこは意見が様々分かれるところで是非はない。

ただ、無償というのは決して見返りがないわけではなく、人に喜んでもらい感謝をされるというのが最高の対価だと思うのだ。
それは陰徳を積むことであり、天や人への貯金になる。
ギフトが大きくなるかもしれないし、違う何かで戻ってくるかもしれない。

昨今のライトワーカーやスピリチュアリストが、自分の価値を金銭でのみで量るのは残念な気がする。




言葉は運命を決める

2017–02–08 (Wed) 17:00
久しぶりにマザーテレサの言葉をネットで見かけた。

『思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。』

スピリチュアル的観点から考えてもこれは正鵠を得ている。
考えや念は現実を引き寄せ、言葉はもっと強力だ。
自分の生き方は自分の考え方が決めるから、マインドを変えれば運命も変えられるという事でもある。

マザーテレサの言葉は自分のあり方を語っているが、ここには他者が必ず介在し自分の思考が周りまで変えていくという前提を伴っている。
ネガティブ思考はネガティブな行動を起こし、気が付けばネガティブな人間ばかりを引き寄せてしまう。
逆も同じだ。
自分の在り方が周りの環境さえ決めていくのだ。

もちろん自分の思考や浮かんでくる想念を自分で制御出来ればそれに越したことはないのだが、人間である以上感情があり理性で自分のメンタルを支配することは出来ない。
時にマイナスやネガティブに思考が振れる時もあるだろう。

私も理屈では分かっていても自分の思考や意識をコントロールすることはなかなか難しい。
しかしスピリチュアルに覚醒してからは一つだけ決めたことがある。
言葉だ。
ネガティブな言葉、特に危険な言葉はなるべく口にしないということだ。

言霊については何度か記事にしたが、人間は言葉で人を殺すことが出来るし、引き寄せの法則から言っても悪しき言葉を使うと現実になる場合がある。
特にネガティブな言葉は波動が悪く負のエネルギーを持っているので、言った方も受けた方も絶対に波動が落ちる。
「有難う」「好き」「愛してる」と言われた時と「嫌い」「死ね」と言われた時の気持ちを想像してみてほしい。
胸のうちに湧いてくる感覚が違うはずだ。
それこそが言霊であり、言葉の持つエネルギーだ。

最近は私は自分自身についても人に対しても言葉を選ぶようになった。
一度言った言葉は取り消せない。
政治家の常套手段である、「言葉足らず」「本意ではない」「取り消す」などで済む簡単な問題ではなく、言葉は口を出た瞬間それ自体が生きてエネルギーを持つと考えた方がいい。

綺麗で美しいものには綺麗で美しい波動、汚く危険なものには汚く危険な波動があり、言葉も同じ筈だ。
汚く危険な運命を引き寄せたくなければ、せめて言葉だけでも気を付けたほうがいいのではないか。

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算命学

2017–02–06 (Mon) 17:53
ひょんなことから算命学を昨日から調べている。
初心者でも簡単に命式を出せるサイトがありその解説をこれまたいくつかのサイトで調べているのだが、かなり当たっていてびっくりだった。
四柱推命と被る所が多々あるが、これは生年月日だけで出せるので手軽だ。

まだ途中だが、幾つか当てはまる条件を総合してその人間の本質や人生航路などを判断しなければならず、それをどう咀嚼し解釈するかで鑑定者の技量が問われるようだ。
これはカードでも手相でも占星術でも同じだろう。

性格や気質などはかなり的を得ていたが、四柱推命や数秘術、他の統計学的な占術でも読み方が似ていて、これらの生年月日による占いというのはかなり確度が高いと思われる。
占いは様々なメソッドがあるが、生まれた時の星や命式だけで人間や人生を読み解くことはある程度は可能なのだろうと思う。

では同じ生年月日に生まれた人間は似た様な性格で同じような人生を送り寿命も一緒かと問われればそれはあり得ないだろうが、確率的には多分似ている可能性は大きいのかもしれない。
一度同じ日に生まれた人と会って検証してみたいものだ。

これらの占術を始めたり考え付いた人、それを発展させた人達は多分スピリチュアル的にはかなりの能力を持っていた人だと思われる。
霊能力の未開な人達に分かりやすく系統立ててある意味スピリチュアル的世界の一端を可視化させているわけだから、霊能力とは関係ないと思われがちな統計学的占術も立派なスピリチュアルの一スキルなのかもしれない。

因みに私は手相を観ても四柱推命でも算命学でも今の職業とスピ傾向は共通しており基本的な性格もかなり同じ部分が出ている。
算命学の命式を出すと、「子丑」天中殺で、陰占では辛、陽占では十大主星に玉堂、貫索、調舒、十二大従星は天南、天祿があった。
これを適宜重複させ読み解くわけだがそこが占い師のセンスになるのだろう。

興味のある人は「算命学」で検索すると無料で命式や各星の解説が出て来る。




脳の断捨離

2017–02–03 (Fri) 17:34
最近のスピリチュアルセッションは多種多様で、雨後の筍のように色々なメソッドが出てきている。
昔ながらの霊能お祓い系から、リーディング、チャネリング系、ヒーリング、ヒプノ系、アロマ、チューナーなどどこまで増えるのかと思うくらいだ。

ここ二、三年「アクセスコンシャスネス」というセッションが流行っているようだが、これは頭や体の断捨離らしい。
アクセスバーズは頭のハードディスクから不要なファイルを消去するという謳い文句だが、一日数万円で受講すれば誰でもセラピストになれるそうだ。
是非はともかくとして、本人がそれで不要な観念や執着を消去できると思って受ければ、何らかの効果はあるのだろう。
因みに、私はある催しで試しに短いアクセスバースを受けてみたことがあるが、残念ながら何も感じることが出来なかった。

スピリチュアル世界では断捨離、消去、書き換え、手放しなど人生を生きにくくしているものを捨て去るという傾向がある。
私も自分自身のいわゆる魂の契約的なものから来る思い癖や思考回路を是正したいと何度かトライしている。
これは輪廻転生を繰り返した私の魂にまつわるものだが、今のスピリチュアル業界では今世の過去の苦しい記憶や辛い経験なども書き換えや消去しようというセッションもある。

忘却は人間に与えられた最大の自己防御かもしれないが、逆に忘れてはいけないものもあると思うのだ。
人は生きている限り他者と関わっている。
そして都合の悪いことは忘れる。
被害者だと思っていた自分も実は加害者でもあったり因果応報の場合もあっても、記憶として残っているのは自分だけが苦しかった部分だけだったりする。

そこをきちんと振り返り総括しない限り、安易に辛い記憶や余計な拘りは捨てましょう、書き換えましょうとやっても魂の成長はないような気がする。
幸せに楽しくより良く生きるというのは、積み重ねた諸々の経験を糧にし学び乗り越えてこそ得られるもので、自分にとっての魂の学習であった苦難も悲しみもないものとしてしまうのは何か違うような気がする。

確かにPTSDのような記憶は消去できた方がいいが、人間は自浄作用があり本当に必要のないものは忘却として潜在意識が消してくれるのではないか。
色々なスピリチュアルセッションを受けるのもいいが、まずは自助努力と己を内省することが必要だと思う。




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masquerade

Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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