スピ能力は多様

2016–05–29 (Sun) 17:58
過日スピ系の知り合いと話した時、同じスピ系でも全く違うタイプがいることに改めて驚かされた。

一般にスピリチュアル人間といえば勘が鋭く見えないものを感じたり出来ると思うから、さぞかし空気が読めたり人間を見抜けたりするのだろうと思いがちだが、スピ系人間でも様々なパターンがあり、その上人間性や性格も違えばもしかしたら普通の人間関係以上にややこやしいことになるのではないかと思ってしまった。
面白い譬えがあって、スピ系人間を陸上選手だとすると陸上の中でも短距離走だけではなくマラソンもあれば砲丸投げもあり、高跳びの選手がハンマーを投げられないのと同じだという。
そう考えるとスピ世界も大変分かりやすい。

エンパスは人の気持ちがすぐわかるし嘘を付かれたら瞬時に見抜いたり、組織で面従腹背の人間を察知するのは簡単だ。
テレビで喋る政治家や芸能人の本質や魂胆も分かったり、もっと言えばチェスの駒のように政治の展開や社会の中の様々な思惑と成り行きが読めることもある。
しかしサイキックは自分の念で相手を動かしても相手の気持ちはわからなかったりする。
またアカシックをリーディング出来ても憑依した悪霊は見えなかったり、見えても見えるだけで祓えない場合もある。
スピ系人間と言っても多種多様でそれをざっくり一括りにしていた自分はかなり無知だったと思い知った。

勿論陸上の十種競技のように何でもある程度出来るスピ人間もいるし砲丸投げだけでそれ以外は不可という人もいる。
自分が持っているセンスを基準に考えるから、同じスピ人間でも普通の人以上に齟齬を来たしたりする場合があるのかもしれない。

私はどちらかと言うとエンパス系なので、場の空気には敏感で集団になれば見ただけで人間関係がわかったりする。
しかし非常に気を使うので疲れるから、集まりには最近は気合を入れて行かなければならない。
時には変な物を貰ってしまい痛い目に合うが、何かの憑依だけではなく共感してしまうので、エネルギーを与えてしまったりネガティブエネルギーを貰ってしまったりもしていただろう。

これまで知り合った何人かは痒い所に手が届くような似た感じのスピ系人間もいが、逆に全く波長が合わず疲れるスピ系の人もいた。
エンパスは相手の気持ちが分かるから自分の行動にも制約がかかるが、そうでない唯我独尊独自路線のスピ人間もいて、基本人間としての本質や性格に拠るところが大きいのだからスピ仲間だと思っても過剰な期待はしてはいけないということにも今更ながら気付いた。

私は日本の総理の一瞬の表情や立ち振る舞いで、姑息で自己顕示欲と権力欲の強い独善性が透けて見えるが、彼を日本の救世主と評価しているスピ人間も少なからずいるのだから、スピ能力などかくも曖昧で頼りなく確実性のないものなのかもしれない。

スピリチュアル世界はあまりにも奥が深く茫洋としている。




オバマ大統領と広島

2016–05–28 (Sat) 10:35
昨日オバマ大統領が広島訪問をし原爆資料館を見てその後スピーチをした。
5分の予定が17分に及ぶ長さで、世界中に配信されたようだ。

核廃絶に向けた歴史的演説との評価が高い。
その後も被爆者代表と言葉を交わし握手やハグをした。
この中継をリアルタイムで見ていたが、その場面は広島の時間と空気が止まったような感じだった。

オバマ大統領は7年の任期の中で最近は影も薄くなったが、アメリカがリーマンショックでボロボロの時期に就任しアメリカ経済を立て直した。
暗殺や国内の軍産複合体の脅威と戦いながら、危ういバランスの上で戦争をしたいアメリカを押さえ最低限の紛争介入、戦争参加への回避をして軍縮、核廃絶を指向してきた。
任期末期になってキューバとの国交回復やベトナム訪問でのベトナム戦争への謝罪、広島訪問で原爆慰霊碑に献花と、まるで過去のアメリカの贖罪のために巡礼をしているかのようだ。

彼の演説を聞いているとその根底に流れる反戦、反核の哲学が伝わってくる。
どこかの総理のように官僚の作文を読み上げる本音とは違う空々しいスピーチではないことは、少なくとも勘が鋭い人なら感じることが出来るのではないか。

人間は第六感で見えない空気を感じることが出来る。
同時に言葉や立ち居振る舞いで、その人間の本質も知ることが出来る。

私は昨日のオバマ大統領とそのスピーチから彼の人間性や魂の姿を知ったような気がした。
彼の表情を見ていてふと、この人は元々スピリチュアルな人で、見えないものが分かったり感じたりする人なのではないかと思った。
彼が演説の中で被爆者の魂が見ていると言ったが、あれは修辞的な意味ではなく本当にそう感じているからではないか。

あの場に集まった夥しい被爆者たちの魂と彼は誠実に真摯に向き合っていた。
だから広島市民も被爆者たちもオバマ大統領の魂の本質に触れ感謝の気持ちになれたのだろう。

アメリカ大統領としての制約の中で彼は最大限の魂の訴えをした。
それが見えない波動となって広島から世界へと伝わっていったと思う。

同じ事をしても同じことを言っても、全く違う印象を受けるのはその人間の魂の在り方による。
残念ながら当の日本の総理にはスタンドプレーのような心のこもらない薄っぺらさしか感じなかった。
それは彼が本心から反戦や核廃絶の哲学を持っておらず、単なるパフォーマンスに過ぎないからだ。

昨日のオバマ大統領の広島訪問は、スピリチュアル的にも凄い場面を見せてもらった。
賛否両論はあるだろうが、私はオバマ大統領は偉大なシャーマンで地球のために来た高次の魂だと思っている。

以下はオバマ大統領の広島でのスピーチ。
説得力があり格調高い。

http://huff.to/1sBVzxN


集団的アファメーション

2016–05–25 (Wed) 17:09
明日は伊勢志摩サミットだが、直前になって南海トラフのひずみがたまっているというニュースが出たり、何かきな臭いものを感じたのは私だけだろうか。
どうも世界の動向を見ていると、一部の支配層が事を起こそうとした時に大きな作為を持って布石を打つのではないかと思うことがある。

大抵は影響力のある人間やグループを使うが、その中にはスピリチュアリストも含まれている。
大災害は予言させるし経済などは予測分析させる。
そうすると集合意識はそこに向かい人々の心にインプットされるからその流れになって行きやすくなる。
陰謀説と言われるかもしれないが、大地震が来ると予言者も地震学者もこぞって言えば人工地震を起こしても誰も怪しまないわけだ。

巷間言われているのはドルが暴落しアメリカ経済は今年中に破綻、日本も余波を受け株価は大暴落、並行して大地震が連続して起こり日本の国自体が存亡の危機になるという説だ。
株が暴落するのは去年アナリストが予言した通り今年に入ってすぐ暴落し、円高が進むと言われたがその通りになっている。
これはどうもユダ金のヘッジファンドのシナリオ通りだったようだが、スピ的に言えばこれも壮大なアファメーションになるのかもしれない。

アファメーションは個人だけでなくもっと大きな集団や国単位でも適用されるのかもしれないと、ふと恐ろしくなってしまった。
人工地震は物理的に仕掛けられるが世界の株安や経済恐慌は特定のグループだけで仕掛けられるものではない。
そこには普通の人々も加わり、集合意識の大きな想念がその流れを作ってしまうのではないか。

安倍総理が国の危機を煽り事あるごとに集団的自衛権を標榜したら、彼の望み通り法案が通り日本は戦争の出来る国になってしまった。
彼のアファメーションが現実化したのだ。

予言は当たらないと言うが、予言がアファメーションになって引き寄せるという場合も考えられる。
本当にビジョンを見て予言しているスピリチュアリストには失礼な話だが、人為的に目的のアリバイ作りや目くらましのためにやっている勢力は必ずいる。

ただ、言えるのはそれすらも見えない世界の予定調和で本人達は意図的にしているつもりでも実は単に天の駒として役目を果たしているだけだと考えたら、もう全ては必然なのかもしれない。

伊勢志摩サミットを狙って何かが起こる危険性はある。
海底掘削船の地球号が伊勢志摩の近くの海底で調査をしていたから、小型核爆弾を仕込んだのではないかとか諸説紛々である。
しかしこれだけ人心が向いていれば逆に何も起こせないような気がする。

無事にサミットが終わることを祈ろう。


三峯神社再訪

2016–05–20 (Fri) 16:51
三峯神社へ行って来た。
二回目の訪問だが、こんなに早く行くことになるとは思わなかった。
行きたくなったのだからきっと縁が出来たのだろう。
前日に犬の夢を見て、帰ってきたその日もまた犬の夢を見た。
眷属の狼がたくさんいるのだから、ひょっとしたら夢に出てきてくれたのかもしれないと勝手に思っている。

日中はバスツアーの団体客や高校生の遠足のような団体がいて、かなりにぎやかだったので落ち着かなかったが、宿坊に一泊したので参拝客の居ない夕方や朝にゆっくりと境内を回ることが出来た。
やはりここは鳥居をくぐると全く空気が違い、神の居る場所だというのが肌で感じられる。
大きな御神木が何本かあるが、本殿の前の2本の御神木はあまりに多くの人に触られ過ぎてかわいそうだった。
夕方ひっそりした境内で御神木を見ていたら、疲れているような気がして気の毒に感じた。

私はなんとなく神気を感じるという程度で、御神木に触れてメッセージを貰うとか神様が話し掛けてくるとかそんなことはない。
多分そう言っているスピリチュアリストも自分がそう感じているか背後のどこかと繋がったかで、神社の神様が個別に言葉でメッセージをくれることはしないと思っている。

ただ、不思議なことやシンクロめいたことはあるだろうから、それを自分がどう受け止めるかでいいのではないだろうか。

特に目的はなかったのだが行きたいと思って行くことにしたので、私にも偶然だが不思議なことはあった。
まず、行くまで3回揚羽蝶を見た。
一匹は秩父に着いた列車の窓から線路の上をひらひら飛んでいるのを見た。
二匹目は駐車場から神社へ階段を上がって行く途中で、間近に黒揚羽が来て目の前の葉に止まった。
三匹目は最初の大鳥居の上を飛んでいた。

何となく嬉しい気持ちになっていたら、夕方お仮屋という狼を祀ってるお社へ行く途中トカゲが前を横切りびっくりしてしまった。
判らなかったのだが後で調べてみると、トカゲは神遣いで神社で見ると縁起がいいとか。
得した気分になり境内の宿坊で一泊したが、なんと翌日今度は日本武尊の銅像がある場所で行きと帰りに石段で二度もまたトカゲに遭遇したのである。
しかも違うトカゲで最初は尻尾が切れており、帰りは見送るように移動して長い間逃げもせず写真も撮らせてくれた。
実は前日トカゲが神遣いだと知って、明日ももう一度会えればいいなと思っていたので願いが叶ったようだ。(笑)

二日間で心身ともクリーニングされたし、偶然にしても神遣いと言われる蝶やトカゲに3回ずつ遭遇したし、その上境内の写真を撮らせて貰ったら不思議写真もいっぱいで前回よりもっと三峯の神様達に触れられたと感謝している。

ここは是非定期的にお詣りをせて頂きますとお願いして帰ってきた。

改めて自分の行きたいところや見たいものは、直感に従うのがいいような気がする。
多分それは自身で気が付かなくてもガイドや守護する人の勧めに他ならず、本人にとっては必要なことだからだ。

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神社は招く

2016–05–17 (Tue) 17:36
昨夜は茨城で震度5の地震があった。
17日前後に大地震が来るとネットでは騒がれていたが、当たらずとも遠からずというところだろうか。
先月16日は日向灘で震度7の地震発生との誤報があったそうだが、人工地震の失敗か何かの報せかどうも日本全体が正負のエネルギーで混沌状態にあるような気がする。

私はここ5日間で何故か二回も龍神を祀っている神社へ行って来た。
関東地方で龍神を祀っている神社は珍しく、どうも私は龍神に縁があるようで昨年行ってみるとやはり色々感じるものがあった。

電車で1時間程で行けるので先週何となく行きたくなり行ってみたのだ。
都会の雑踏の中にもかかわらず、聖域のように空気が違ってかなりの神気を感じた。
突然蝶が飛んできたり不思議なことがあって、清々しい気持ちになって帰って来ることが出来た。

ところがまた昨日朝どうしてももう一度行きたくなりまた衝動的に行って来たのだが、風が強かったせいもあって鳥居をくぐると「すごくざわついている」と感じた。
一通り神様達に参拝した後暫く境内にいたが、昨日はなんとなく落ち着かず帰ってきたら突然の眠気に襲われ、その後震度5の発震があった。

ひょっとしたら龍神達がざわめいていたのは色々働いていたのかもしれない。
何とかこれで中央構造線の両端で動きバランスを取って収まってほしい。

去年まで私は神社に行くことなど殆どなかった。
福岡の太宰府天満宮は縁を感じて何度か行っていたが、いわゆる神社巡りなどは趣味になかったしやたら神社仏閣には行かない方がいいとさえ思っていた。
しかし何故かここへきて、突然存在を知ったりシンクロが重なったりして訪れることになったので、今は神様に触れる必要があるのかもしれない。

こちらが行きたい神社は、境内に入ると心地良さや嬉しさを感じる。
様々な神社があり多種多様の神様が祀られているが、自分がシンパシーを感じたり来て良かった、行って良かったと思うような神社は何かしら縁のある神様がいるのだろう。

悩み事や困難にぶつかった時占い師や霊能者に行くのもいいが、神社仏閣に行って手を合わせるだけでも自分のハイヤーと繋がったり神様がヒントを与えてくれたりする。
「困った時の神頼み」という言葉があるが、それは神様が助けてくれるというよりも自分自身が神を信じることによって救われるのではないだろうか。
ただ神社仏閣でもやたら行けばいいというわけではないし、逆に変なのを拾ってくる場合もあるから必ず自分が行って心地よいと感じる場所を決めた方がいい。

明日はまた三峯神社へ行く予定だ。
これも一週間前に突然18日に行きたくなったので、素直に行ってこようと思う。
宿坊に一泊して心身とも浄化してきたい。

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自己刑罰の回避

2016–05–15 (Sun) 17:14
人間は誰でも過ちを犯す。
過ちかどうかは自分自身の中で判断する場合もあるし、犯罪でも道義的でも過ちと自分で認定したらそこに良心があれば罪悪感が伴う。
過ちではなくても人を傷つけたり嘘を言っても良心の呵責を感じる人はいるだろう。

心理学で自己刑罰というのがある。
罪悪感を持った者が自分に刑罰を与える文字通りの行為だ。
意識的の場合もあるが無意識の場合が多く、いくつかのパターンに分けられる。

罪悪感から自分は幸せになってはいけないと潜在意識にインプットされ、自虐的な人生を歩んだり感情が死んでしまったりする。
無意識的に自分を攻撃し病気になったりメンタルを病んだりする。

体の不調や病気は必ずスピリチュアル的に意味があって、病んだ体の部位によっても原因が分けられる。
怒りを溜め込めば肝臓や話すことに関しては喉など、その時の感情や抱えているものが体の然るべき場所で訴える。
病気は「気」と言うくらいだから、大抵は自分が作り出している。

自己刑罰はまず自分の体に行くから、どこかが不調だとか痛んでいるときは自分を内観してみた方が良い。
例えば言葉で人を傷つけたり嘘を言ったりすると、無意識の罪悪感で喉が痛くなったりする。

罪悪感は生きるために封印してしまう人が多いが、それは潜在意識の中にしっかりと刻印されているかもしれない。
今生だけではなく過去生の罪悪感まで魂は引きずっている場合もあり、大きな病を抱えて精神世界にシフトするとそれが分かって来る時がある。

罪悪感を持つと魂は確実に痛む。
どんな非道なことをしても何も感じないサイコパスのような人間は罪悪感はないから自己刑罰など関係ないが、普通の良心を持った人間なら大なり小なり悔恨や罪悪感を持つだろう。
しかし人生で色々な事を経験するのが魂の目的であり、自分を苦しめ壊してしまうのは求めることではない。

罪悪感で自分を責めると必ず内部崩壊を起こす。
自己刑罰は魂を辛くするだけで、決してハイヤーもガイドも喜ばない。

人生で過ちも失敗も全て魂は織り込み済みのことだ。
自分自身だけではなく関わっている人間達もそれぞれの魂は承知しているのだから、罪悪感は手放しそこから学んだことを未来に向けて実践していくのが魂の進化に繋がる。

以下は罪悪感と自己刑罰についての解説である。
思い当たることがあれば是非自己刑罰を回避してほしい。

http://www.counselingservice.jp/lecture/lec4.html


善行と欲

2016–05–12 (Thu) 17:23
あるブログを読んでいたら、スピリチュアルと欲という話題があった。
私も散々欲の皮が突っ張ると転落するなどと書いてきたが、そのブログには人間に欲はあって当然で例えば善行を施す時もこれで何かいいことがあればいいなと思うのは否定されるべきではないという主旨だった。
説得力があるのは人間としての素直な感情を指摘しているからだ。

動機はどうであれ、結果的に人を助けているのだから良いことをしたわけだ。
それが自分にご褒美として返ってくるかどうかは別問題だが、人間なら例えばお参りに行って「何かいいことがありますように」とお賽銭を多めに上げる時もある。
「神様には感謝しかしてはいけない」と厳密に自分を律せられる人は少ないだろう。
世の中に聖人君子などそういないわけで、崇高な志で寄付をするのも運気を上げたくて寄付するのもお金に色はついていないし援助になっていることに変わりはない。

今回の熊本地震でも有名になったが、ある俳優が何十年もの間何臆というお金を使い寄付や社会奉仕をしている。
彼は元々篤志家で発展途上国の子供を何十人も養子にしたり、国内でも災害があればお金と本人自身で援助をしている。
今回「売名行為か」とどこかで言われ「売名行為ですよ、だからみなさんも沢山お金を寄付して売名行為をしましょう。」と返したことがネットで話題になっていた。

他にも寄付をしたタレントなどが叩かれていたが、批判する人達は同じだけのことをしてみてから言えと思った人も多いだろう。
批判するのは簡単だ。
しかし売名であれ営業であれ、そこに多少の欲が介在していたとしても、困っている人達の助けになっていることは事実だろう。

善行や施しや功徳が全く無私無欲で行われるとは限らない。
お互い様という言葉があるが、「あなたも助けられて私も助かる」と言うのは自然なことだと思う。

なによりいわゆる『いい事』をしたり『人助け』をしたら嫌な気持ちになる人はいないだろう。
自分のハートが清々しい気持ちになるのが「お返し」だし、後で違う何かで本当にいい事が戻ってくるかもしれない。

案外この世は人助けや援助で自分自身も助けられていることがあるのではないだろうか。


予言や予感

2016–05–09 (Mon) 17:43
長いGWがやっと終わったが、その間何も起こらずほっとしている。
ただ連日のように地震雲が日本各地で出ており、特に新潟と愛知で出た地震雲はケムトレイルではない正真正銘の地震雲のようだ。
新潟ではそのすぐ後火山の小噴火があったのでこれで終わってくれればいいが、愛知県のはまだ油断出来ないと思っている。

最近このブログでも地震のことばかり書いているが、やはり5月はこれからも何かありそうな気がしてしている。
私は仕事関係の行事が昨日で終わりやっと落ち着いたところだが、色々な予定を決めるのは5月が終わってからという変な予感があって月末までの予定は殆ど入れていない。

予言も悪い予感や夢も口にすると回避されると言われるので、ブログにしつこく書いているのかもしれない。
大抵世間を騒がせる予言は当たらないことになっている。
しかし、外れたと思われていたものもよく検証してみると設定が違いタイムラグがあったりしても、微妙にらしきものが起こっていたりする。

どんな予言者もスピリチュアリストも未来の事に関しては細部まで正確には見えないし降りてこないようだ。
設定や状況や日時がずれる場合が多く、特に時間的なものはかなり幅がある。
自分自身の経験でもいいことも悪い事も将来の予感めいたものは何年も後から現実になっている場合がある。
予感していたことを忘れているほどのタイムラグだ。

私は北海道から首都圏に移り住んだが、こちらに来る時に何故か大きな地震や災害が起こらないだろうかと何度も考えていたのを覚えている。
来てしまったらそんなことは忘れて生活していたが、その2年後に東北大震災が起こり関東もかなり揺れ原発事故で放射能が降り続くことになった。
後からあの予感はやはり当たったのだと思ったものだ。

人間は誰でもスピリチュアル能力を持っている。
それがどう働くかは個人個人で違うだろう。
嫌な予感がしてもどうしようもない場合もあるし、特に結婚や引っ越し転職など人生が変わるようなイベントは予感が頭をよぎっても簡単には変えられない。
それでも進んでしまったらそれはある意味自分で決めて来た人生のプログラムなので、修行と思って結果起こることも受け入れて行くしかない。

何となくの将来の予感も逆に言えば魂の選択を潜在意識で知っているからなのかもしれないから、良くないことでも不可避な場合はある。

昨日スピ関係の友人が面白いことを言っていた。
人間は死ぬ時に人生を走馬灯のように見ると言うがその感覚が分かるそうで、死ぬ時見ている自分の人生が今で、デジャブのような感覚が時々するそうだ。
予言も予感ももしかしたら未来の自分が過去の自分を見ているところから来ているものかもしれない。


地震は続く

2016–05–06 (Fri) 17:42
昨日からかなり眠たい。
九州地方では二日間ほど震度4が立て続けに起こっている。
5月4日は大地震が来ると一部で言われていたが、どうやら九州で何度かに分散して来たようだ。
これがまとめて一つになったら壊滅的なことになっていただろう。
先程も川内原発近くでマグニチュード5が起こっている。

必死で九州の地龍が静かに静かに動こうとしているような気がする。
先般の熊本地震で熊本城が石垣や瓦を落としながら辛うじて持ち堪えているし、阿蘇神社が壊れて無残な姿になったがこれも不吉だとする向きはあるが私は同時に身代わりになって阿蘇の噴火や被害を抑えてくれたのではないかと感じた。
九州は見えない力の干渉でぎりぎり守られているような気がする。
これを書いている最中も九州は二度ほど揺れていて、どうやらまだ収まっていないようだ。

気象庁は東北大震災の時もそうだが、政府の意向を受けて仕事をしている。
特に安倍政権になってからはマスコミ同様真実にフィルターがかかるようだ。
震度も4以下に抑えたいようだし、マグニチュードも5以下にして規模を小さく見せたいのではないかと疑っている。
地震の揺れの規模を見られる強震モニターで、同じ地震でも明らかに外国が出すマグニチュードと日本の出すマグニチュードでは日本の評価が小さくなっている。

http://kwatch-24h.net/2sec_alm_t.html#

私も時々揺れた時リアルタイムで見るが、熊本震災以来特におかしいと思うことがある。
現政権にとっては伊勢志摩サミットがあったり政策上これ以上大きな地震が起こって人心が不安になっては困るのだろう。
決して国民のためではなく自分達のためにだ。

しかしそれと拮抗する形で本当に九州や日本を地震から守るために働いている力は確かにあると思う。
現在の日本では政治は国民を守ってくれない。
自分の身は自分で守るしかなく、情報も方法も自分の手で集め考え行動するしかない。

そしてそれには何かあったらどうしたらいいかを常に勘を研ぎ澄ましアンテナを立て、ハイヤーやガイドと繋がるようにすべきだ。

今月いっぱいは九州も含め地震に関しても油断禁物だと思う。




カオスの世界

2016–05–04 (Wed) 16:39
この二年スピリチュアル世界を見てきて一番感じたことは、絶対的なものなど何もないということだった。

全ては相対的であり変容していくもので、占い師も霊能者もライトワーカーもその時々で善になったり悪になったり光になったり闇になったりする。
また相手によっても変わっていくし、かなり流動的なのである。
色々なスピリチュアリストに会ったが、どう分類すればいいのか判らなくなるほど混沌としていて、最後には自分の勘を信じるのとその時に必要な人と会うことになっているというスピリチュアル界の仕組みが分かっただけだった。

例えばAライトワーカーはBライトワーカーを闇だと言いBライトワーカーはCライトワーカーを闇だと言いCライトワーカーはAライトワーカーを闇だ言う。
でも本人たちはみんな自分は光だと思っていたりする。
荒唐無稽な話だが、実際自分は光だと言って闇の判別などのブログを書いているスピリチュアリストが実は巷で言われている黒魔術系の手法を使っていたり、もう統一の価値基準などないのがスピリチュアルなのだと笑うに笑えない結論に至った。

神様や高次の存在と繋がりお役目としてライトワークをやっていると信じていても、繋がっている神様はご本人の思っているものではないような場合も往々にしてある。
しかしその人達も元々スピ能力が高く自分のお役目と言われヒーリングや霊視、リーディングをしているし、もちろん多くの人を助けてきたのだろうから、少なくとも私が違和感を感じる時は善悪ではなく私のソウルグループではない人だと考えるしかない。
スピリチュアル世界は色分けすべきではなく、それぞれのソウルグループや出身星や繋がっている存在によって与えられたパートを演じているということなのだろう。

ことほど左様にスピリチュアル世界は曖昧で、それぞれの需要に応じて供給があるとしか言いようがないのではないかと考えてしまった。
悪人には悪人をサポーする存在が、善人には善人をサポートする存在がついており、またグレーゾーも多く一人のライトワーカーでもある人には光のライトワーカーでありある人には闇のライトワーカーになる場合もある。

つまりスピリチュアル世界には絶対的なものはなく全ては相対的で受け取る本人の判断しかないようだ。

ただ、霊能者やライトワーカーに知り合ったりどうしても見て貰いたいと思った場合の常識的基準として
1、神や天使と繋がっていると自称する
2、 料金設定が高い
3、 除霊やヒーリングなどで何度か通うよう誘う
4、 スピ能力が高いからお役目があると自尊心をくすぐる
5、 病気や困難を大袈裟に指摘し不安にさせるが自分は治せるという
6、他の霊能者を批判する

こんな場合は危ない。
後は直感に従うしかなく、何か違和感を感じたらそこで終了にした方が賢明だ。

スピリチュアルはあくまで自分に必要な部分を必要な時に上手く利用するのが肝要で、そう思っていると後ろのガイドがちゃんと必要なものを持ってきてくれたり気付かせてくれる筈だ。
迷ったり悩んだらまず自分のガイドに聞いてみることだ。
信頼すれば必ず何か方法を教えてくれる。


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masquerade

Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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