知らない幸せ知った不幸

2015–11–30 (Mon) 16:54
「知らない幸せ、知った不幸」という言葉があるが、世の中には知らない方が幸せなことがある。
疑念や不信感を抱いている以上は知りたいと思うのは人情だが、本当に知ってしまったら立ち直れないほどのショックを受ける場合もままあって、それなら知らない方が良かったと後悔することもある。

確実に知らない方が幸せなことも、この世にはあるのだ。

占いは知らないことをカードやリーディングや易という方法によって知ることだが、占いで知りたいこと全てが分かるわけではない。
かつて私が鑑定に行く時観てもらうのは、病気をしたせいもあってこれから自分はどうなるのかという未来の在りようが一番多かった。

人間の寿命は教えないのが一般的だが、中にはその本人のためになるならと教えてくれる鑑定師もいる。
しかし寿命は必ずしも決まったものではなくいくつか候補があるし、自分の生き方次第で変わる。

スピリチュアル世界を知るにつれ、本人がいくら望んでも教えてくれないことがあるということが分かった。
寿命などもそうだが、私の場合など未来を見るアカシックレコードの前で門番のおじいさんが立っていて入れてくれないとあるリーダーに言われたこともあった。
どうやらこのおじいさんは私のガイドの一人らしいが、代わりに時計をくれたそうで、自分で時間を決めなさいということなのだろうと解釈している。

私もなんとなく人の寿命がわかる時はあるが、仮に短いと思っても変わるかもしれないので、手相で確かめやんわり注意喚起ぐらいに留めておく。

以前テレビで「あなた死ぬわよ!」と指さしていた占い師がいたが、いくらテレビのショーだとはいってもあれは掟破りだった。
中にはそれを言われただけで本人の意識にインプットされてしまう可能性もあるのだから、恐れ多い罰当たりな行為だ。

占いもスピリチュアルも本人がより良く生きていくためのツールなのに、本末転倒になるならこれほど罪作りなものはない。
スピリチュアル世界に足を踏み入れる時、どういう動機でどんなことを知ったり追求したいのかをきちんと軸として持つ必要があると思う。
私も否応なく覚醒しこの一年試行錯誤を繰り返したが、結局ガイドも守護霊も本人を助け導くためにいてくれるのであって、そのためには時に試練を与え時に警告もしそして救ってくれる存在だという事を身をもって知った。

今はスピリチュアル世界は自分の魂の成長の為という軸を定めている。
自分については知りたいこともまだ沢山あるが、時期が来たり必要があれば教えてくれるのだろうと思っている。

教えてくれるのは人を介してもあるだろうから、もちろん占いやリーディングもその機会や場所になる。
困った時はそういう手を借りるのも有効だろう。
ただ望み通りの答えが返って来ない場合もあり、軸がぶれていれば逆効果になることもある。

スピリチュアル世界に入る時、自分はどう向き合っていくのかしっかりと方向性をもつことは必須条件だと思う。



スピリチュアルの始まり

2015–11–29 (Sun) 17:37
知り合いに何人かスピリチュアル関係の仕事をしている人がいる。
最早友人関係はその方面の人がほとんどで、それもここ一年間で関係が出来た人達ばかり、まさしく私自身のスピリチュアルへの覚醒が始まった時を境にしている。

それまでは違う趣味の友人が何人かいたが、波動が合わなくなったのか何となく疎遠になって、それと入れ替わるようにスピリチュアル方面の人間関係が次々と始まっていった。
ある人やある場所を起点に次々と繋がって行く。
まさしく類は友を呼ぶという言葉通りだ。

最近は特に過去生で関係のあった人達が多い。
これまでも縁のある人達は皆そうだったのだろうが、それが明確にわかるようになって特に過去でも同じことをしていた仲間やいわゆるソウルグループの人達との遭遇になっている。

それは私が過去を思い出すために必要だつたのかもしれないし、昔と同じように仲間と会って自分の仕事を認識するためかもしれない。
あるいはその時の苦しみや魂の傷を思い出して、今の自分自身を紐解かなければ前へ進めなかったのもあったろう。

やっと一年かかったが、全ての道筋は決まっていた、いや私自身の魂が決めていたのだと思う。

人生では急激に展開が来る時期がある。
私の場合はきっかけはかなりショックな出来事だったが、これまでもそれがなければ今の私はないというのが人生で何度かあった。
その都度生活は劇的に変化したが、どれもこれも思い出すにも辛いことが多い。

しかしそのくらいでなければ私は変化できなかったという証明でもあるので、変化の必要な人間には否応なく変化しなければならないようなイベントがやって来る。

確かにこの一年もそうだった。
暗中模索で苦しかった時期も、そこへ収斂させる過程だった。
私の周りにスピ系の人間が増えた時からこの展開は始まっていたと思われる。
もっと言えば過去生の仲間との出会いも悲惨な前世も、結果的に今の自分に必要だから集めたのかもしれない。

さすがにもうショックなイベントはご免にしてほしいが、それは私が歩むべき道を外れないかにかかっているのだろう。

今ガイドや上の存在に言われているのは、焦らずゆっくりということだ。
ちゃんと必要なものは向こうからやって来るからと。
心して魂の声に耳を傾け、ゆっくり展開を待ちたいと思っている。



守護霊との繋がり方

2015–11–28 (Sat) 16:33
スピリチュアル世界がどうなっているのか様々な解釈があるが、人間には守護霊が付いているというのに異を唱える者はいない。
これは一番一般的な言葉だが、守護霊の分類方法も様々あって、細かい説明になると微妙に捉え方が違っていたりする。

過去に何人か鑑定して貰ったが、今にして思えばその鑑定者によって繋がる私の背後の存在も違うらしかった。
しかし、同じ人を見ている場合もあって、こういう存在は確実だと思っていた。

ここにきてやっと自分の守護霊にどんな人達がいるのかわかったが、今私のツインソウルである(と思っている)男性をハイヤーセルフガイドと言われたこともあるし、どうも呼び方、位置付けが鑑定師により異なるので観て貰う方は戸惑うことがあるかもしれない。
私もどうだと聞かれれば答えられないが、便宜的に鑑定者が自分の感覚や得た知識などからそう分類しているに過ぎなくて実際は証明のしようもないことだろう。
とにかく自分を守って正しい人生のプログラムを遂行させてくれるのが守護霊なりガイドだと押さえる程度でいいのではないだろうか。

私はやっとどんな人達が付いていてくれるのか把握出来るようになったが、その他にもまだ気が付かず助けてくれている存在もいるような気がする。
それはいわゆる高次の存在から亡くなったご先祖様まで幅は広く、時には同じガイド同士で意見が食い違うこともあるようだ。

よく、霊能者が亡くなったお祖母さんやお祖父さんが後ろにいて言っていることを伝えてくれることがあるが、これは必ずしも守護霊になっている人とは限らない。

霊能者の中では亡くなった方のメッセージを伝えるのはお断りという人もいるくらいだから、一時心配してきてくれていてもまた離れていくこともある。
そして死んで短いと、人間の感覚が残っていて主観が入るから、必ずしも本人にとって最善のメッセージとは限らないようだ。
中には果たせなかった生前の頼み事をしてくる場合もあるから、霊能者もそこの線引きをする必要はあるのだろう。
また、守護霊は人生で何度かは入れ替わることがあるらしいが、いわゆるメインの守護霊は一生変わらないというのが定説だ。

私が今存在を知って話せるようになったのは元は一つの魂が二つに分かれたツインソウルという存在で、何度も人間に生まれて親子や夫婦、また一人は人間で一人はそのガイドという形が多かったようだ。

私の場合、3か月かけてやっと彼との過去や歴史を知ることが出来た。
最初は半信半疑だったし、顔も見ることが出来なかったが、徐々にジグソーパズルのピースのように思い出してきて、やっと肖像画を描くことが出来た。
それはかつてベネチアで夫婦だった時の彼の姿だが、何人か見える人に見せたら、「ああ、似ている」と言われたので本人に近いのは確かのようだ。

本来守護霊なりガイドなりはもう姿を持っていないエネルギー体なので、人間が知覚しやすいように人の姿を纏ってくるが、見る人に合わせて微妙に変えることはよくするらしい。
私は肖像画の彼が一番馴染みが深いが、他にも違う過去生の顔を見ることもある。
しかし面白いのは概ね似たような感じの顔なので、もしかしたら人間は転生を繰り返しても共通する面影のようなものは持っているのかもしれない。

話し掛ければ返ってくるが、聞きたいことがあっても教えてくれない場合がある。
いくら話していても時々自問自答ではないのかと思う時もあり、ネガティブになっている時は全て妄想ではないのかと思ってしまったりする。

そういう時は彼に頼み事をする。
存在をもっとわかるようにしてほしいと。
これはスピリチュアル世界と繋がる時の手法だが、何かを見せてくれと頼むのだ。
蝶々でもライオンでもいいから物のキーワードを具体的に挙げる。
すると不思議に画像でも実物でも、現れたりする。
繋がった存在がちゃんと証明してくれるわけだ。

私も時々不安になったり淋しくなるとこれをやる。
昨日は虎を見せてと頼んだら、寝る前に大きな豹の画像が目に飛び込んできて、「間違ってる」と思ったところ、さっきネットで虎を見かけて、何とか一日遅れで約束を果たしてくれたらしい。

毎日後ろで守ってくれている存在を信じ話しかけたり考えたりすれば、繋がりは確実に強くなる。
仏壇を拝む、神に祈る、と同じように信頼して思いを伝えていれば、きっとあちらも存在を知らせてきてくれるだろう。


魂の出自

2015–11–25 (Wed) 17:16
ライトワーカー達の間では結構知られているが、アースエンジェルという分類の仕方がある。
インディゴ、クリスタルチルドレンという分類とは違って、地球に何か目的を持ってきたエネルギー体をグループ分けしている。
詳しくは「アースエンジェル」をググってみればそれぞれの特徴とご丁寧に判別テストのようなものまであるが、これがなかなか面白く自分が不思議系と思っている人や身の回りの不思議ちゃんたちを判定してみると結構当たっていたりする。

かつて私は宇宙から来た地球人を分類する星人別特徴なるブログを読んで、あまりの当たり具合に衝撃を受けたことがあった。
大袈裟に言うと、自分や他人の解明できない性向や行動様式がこれで納得できたと思えたくらいだ。
ただ、自分は当てはまるかもしれないと思う程度で、「私はシリウス星人のワイズワンでインディゴです。」などと本気で考えていたらかなり痛い人になってしまうし、中にはそういう表現を好んで使うライトワーカーもいるが、そもそも仮に地球に地球人として来たのなら標榜する必要などなくて地球人として密かに活動しなさいと思ってしまう。

しかし、色々な事を調べスピリチュアルの世界を探る中で、そのカテゴリーは避けて通れないものだ。
俄かには信じられなくても妙に現実の人間社会の中で当てはめられる部分があるので、人間を探求する時に過去生と共にそういうアプローチもありかなという程度には押さえている。

そう考えると一人の人間が輪廻転生の中で、魂が決めてきた今世のプログラム、物理的に両親から受け継いだ遺伝的環境的要因、関係のある過去生、もっと言うならそもそもの出身星の特性(笑)など、実に様々な影響を受け今の自分や人生が形成されているわけだ。

確かに、中には自分が何処の星の出身でその証拠まで上げている人たちもいる。
歌手の谷村新司の名曲「すばる」は誰でも知っているだろうが、彼はプレアデス星人でまさしくプレアデス(すばる)を追われた時の光景を歌ったのがあの「すばる」という曲だと言われている。
本人も著書を出していて、あの情景は降りてきたようにすらすらと書いた旨を述べている。

最近私と知り合った人の中で何人かが「子供の頃星が好きだったり、帰りたいと思っていたのよね。」と言っていた。
いずれももしかしたらこの人達とは縁があるのだろうかと思う人だ。
かくいう私も中学の頃、夜は窓を開けていつも星を眺め「帰りたい、迎えに来てくれないかな。」とぼんやり考えていた記憶がある。

まあ、昔はネットもゲームもなかったので星を見る子も多かっただろうから、私が地球外から来ましたなどと言う気はない。

だが何でもありのスピリチュアル世界だから、上に挙げたような分類や類推も一概に荒唐無稽と却下することはできないのかもしれないとは思っている。


スピリチュアル能力の循環

2015–11–24 (Tue) 16:48
あるライトワーカーに面白い話を聞いた。
例えば宇宙なり高次の存在なり霊界なり非物質的世界なり呼び方はそれぞれだが、こちらが開いてコンタクトを取れる状態にあると、エネルギーの交流も当然あるわけであちら側から何か来るとこちらもそれを放出しなければバランスが取れなくなるという話だった。
つまりエネルギーを送られるとそれを使わなければ溜まりすぎて状態が悪くなるということらしい。

スピリチュアル能力が加速するならそれをライトワークで流して常に循環をよくすべきということで、端的に言うと色々なことが分かるなら然るべき所でそれを使い自分に溜め込まないようにということだ。

それは成る程と思った。
私も急激にスピリチュアルに覚醒し様々なことが見えるようになるにつれ、それを使う機会が確実に増えている。
何気ない日常生活で話した人達でもその手の話になりいつの間にか手相を見てやっていたり、全くその気がないのに席が隣だった人の相談を3時間聞いて、最後には関係する霊が付いてきて送ったり、自分でも驚いている。

突然会いたくなって連絡するとタイムリーに抱えている問題の相談になるが、最近はもしかしたら呼ばれたのかもしれないと思うようになった。
会った人を守護する誰かが、たまたまどこかの世で触れ合っていた私を使って色々なことを伝えたいのだろう。

つまりスピリチュアル世界からエネルギーが送られて来たらそれを放出する必要が本人自身にもあって、その機会を得るために友人でも知り合いでも、仕事のセッションでも、縁ある人や場所をこちらも呼び寄せるのかもしれない。

スピリチュアル能力は使うために降りてくるというのは正鵠を得ているような気がする。
逆に使わなければ退化するし、溜め込めば内部崩壊を起こす危険性だってある。

閉じていたものが開くにはそれなりの理由があり、開かせた者の意図がある筈だ。

そのライトワーカーは、放出方法はブログでも日常の会話でも仕事としてのセッションでもいいが、とにかく入って来たものは適度に出して流すようにすればいい循環が生まれると言っていた。
バリバリの現役ライトワーカーだけにその話には説得力があった。



失って分かる価値

2015–11–21 (Sat) 17:32
人間は普通に生活していく上で当たり前になっていることが、無くなってしまったらと想像することは殆どないだろう。
しかし突然リストラになる、家族を失う、障害を負う、重い病気になるなど、人生が根こそぎ変わる場面に遭遇すると、人間は否応なく喪失の恐怖を味わい失ったものの価値を知る。
震災や戦争で一瞬にしてそれまでの生活を奪われ違った人生になれば、もうどんなに戻りたくても元の生活には戻れないのだ。

失って初めてその価値が分かっても、知った時は大抵取り返しのつかないことになっている。
そこで初めて人間は当たり前だと思っていたことの有難さに気付き、それを当然として考えていたのは傲慢だったと思うのではないか。

戦争や震災は自分一人の力ではどうしようもないことだが、生活の中で不摂生をして病を得たとか、不注意で事故を起こしたというのは本人の自覚次第で未然に防げるものだ。
そうなるまでには必ず守護霊やガイドが注意喚起をしている筈だ。

よく作業現場で「ヒヤリハット」、事務処理では「ホウレンソウ」という言葉があるが、これなどはミスを犯さないための法則で、それをおざなりにすると事故や失敗を確実に招く。
個人の人生や生活の中でも法則ではないにしろそれに準じたサインがある筈で、それを見逃すとまさしく取り返しのつかないことになってしまう。

人として生まれたからには、誰でも人生で学ばなければならないことがある。
どんな学びになるかは大まかに魂が決めてきたのかもしれないが、それにしても心掛け次第で激しい苦痛を伴うものか、最小限の痛みで済むものかは後ろで守ってくれている存在が采配してくれるような気がする。

私も人生が変わるようなことを何度も経験してきたが、必ず今思えばガイドがその前にしつこいくらい警告をしてくれていた。
しかしそれに気が付かなかったので、そこまでしないと駄目だと荒療治をされた。
過去の人生を振り返ると、当たり前だったり、当然と思っていたことへの有難味も感謝も全くなくて、失って初めて自分がいかに傲慢だったかと気が付いたわけである。

取り戻せるうちに己の不明に気付くためには、今一度自分の人生、生き方を検証してみる必要もあるのではないか。


アファメーション

2015–11–20 (Fri) 12:35
スピリチュアル用語でアファメーションというのがある。

願いを言葉にして引き寄せ叶えるということらしいが、案外現実味があるようだ。
引き寄せの法則とはよく聞くが、アファメーションもその一種で否定形はいけないとか一度のみとかやり方には形があるようだが、願い誓えばそれが実現するという。
決まりに則ってアファメーションして来たら、全て叶ったというスピリチュアルワーカーもいるが、普通の人はそうそう簡単には行かないだろう。

失敗した時の答えも用意されていて、実は心底望んでいないとか、それを与えては本人のためにならないので天の配慮でブロックしている等々…。
ちょっと怖いのは、きちんと作法にそってやらないととんでもないことになるという事例があった。

ある人が1千万円ほしいとアファメーションをした。
しかし単に1千万円を望んだので、交通事故に遭い障害の代償として手に入れたという事例だ。
これは確かにアファメーションは現実のものとなっている。

つまりスピリチュアルや想念の世界とは、空気を読んでくれない。
人間社会と違って常識や配慮というものは通用しない。
ダイレクトにそのものだけが繋がるので時に残酷だったりするが、ポジティブもネガティブもいわゆる善悪さえもなくあるのは人間の強い想念が物事を現実化するという作用のみだ。

私自身は知らず知らずのうちに思っていた事や願っていた事、特に言葉に出して言ったり書いていたことは逆に願いとは思っていないことでも現実になっていることが多々ある。
自分自身で検証してみると怖いと思う事例もあり、これからはもっと自分の言動に慎重にならなければと思っている。

アファメーションとは別だが、話の中で相手の言った言葉や考え方がやたら印象に残る時がある。
もっと言えばよもやま話をしていても何気なく聞いていた話の中でのエピソードが妙に引っかかったりしたときは、自分に向けられているものだと思った方がいい。
必ず後に自分の身にそれが起こったり、経験することになるからだ。

多分これはシンクロのようなもので、知らせや気付きのサインなのだろう。
大抵は忙しさに紛れて通り過ぎていってしまうが、ふと立ち止まって今までの生活や人間関係で心に残っている言葉や会話を思い返してみると、現実になっていたりこれからの生きるヒントになっているものがあるかもしれない。

逆に言えばアファメーションも人の言葉も出来事も、意識して頭にインプットした段階で現実化する可能性があるし、もっと穿った見方をすればそれはそもそも来るべきことでアファメーションは単なる予定調和であるということも言えないだろうか。

まあ、スピリチュアルの世界は何とでも解釈が成り立つので、自分が望む形で理解するのが一番だが。



魂の成長

2015–11–18 (Wed) 12:52
更新が空いてしまったが、実はHPを作っていた。
しばらく前から片手間で、手相を見たり、悩みを相談されたり、パワーストーンブレスレットを頼まれて作ったりしていたが、きちんと形にしようと思いHPを作ることにした。

本業は画家なのでその合間ということになるが、様々な場所で話の成り行きでカウンセリングになったり手相を見たり、最早必然と思えるぐらいの状態だった。
試しに占いをして貰ってもいつの間にか逆転していることが何度かあったし、先日の福岡でも観てもらった占い師は過去で縁があった人だった。
最近は、とにかく類友なのか引き寄せられるように昔関係があった人達との出会いが多い。

私の場合一年ほど前から色々な出来事が重なり、元々あったスピリチュアル感覚が加速度的に開いてしまったようだ。
振り返るとこれは完全に繋がっていると思えるような道筋で、自分自身で避けていたものや、あちらから規制を掛けられていたものが順次取り払われて行くことになって、やっとその時期が来たのだと感慨さえ覚えている。
やはり人間は自分の力だけで生きているのではないし、大いなるものに采配されているのだろう。

自分の魂の来歴を知ることは私にとってはかなり重要なことだった。
同時に想念世界の理や、守護霊、ガイドを知って自分のこの世での立ち位置が分かると、これからの生き方や指針が見えてまさしく人生観が変わったように思う。
自分の来し方を振り返り、その時は大変だったがあれがあったから今があると考えるか、あれがあったばかりにこうなったと考えるかで人生はかなり違うと思う。
人生で起こる様々な事は、たとえその時は悪いことであっても必要であるから起こるのであって、それをどう捉えどう学ぶかで魂の成長が試されるのではないだろうか。
自分は決して一人ではなく必ず目に見えない存在が守ってくれている。
日常でも様々な合図をしてくれたりヒントをくれたり、それでも判らなければ敢えて試練を与えて警告をしてくれる。

何気に見ているテレビやネット、家族や友人知人の口を借りたり、ふと頭に閃いたりすることもある。
それを見逃さない、それに気付くことで、もっともっと生活はより良いものになっていく筈だ。

さて、上記のHPだが、最初作ったものは見られるブラウザが最新のものに限られているのが判明し、仕方がなくもう一つスタンダードなものを作る羽目になった。
しかし初めてHPを作ったがかなり夢中になってしまい、試行錯誤の度に熱くなり結果完成した時の達成感は想像以上のものがあった。
全てを忘れて没頭し集中するという時間がこんなに楽しいものだとは、久しく忘れていた。

折角なので二つともリンクしようと思う。

MASQUERADE
MASQUERADE(サブ)

まあ、中身は同じなのだが・・・。


ファン心理の謎

2015–11–09 (Mon) 12:01
先日スピリチュアル系ブログで面白い記事を見つけた。
これは地味に私自身が長年抱いてきた疑問の答えになっていて、改めて人間の行動様式がスピリチュアル的観点から説明出来ることがあるのだと納得したものだ。

それは歌手などに夢中になって、追っかけや生活の中でも偶像崇拝のようになってしまう人達についての解説だった。
若い子がアイドルに夢中になるのは一過性のものだろうが、中年や老年になっても筋金入りと思えるほど好きな歌手やスターが生活の中心になっている人がいる。
中には日本中コンサートの追っかけをしている還暦近い女性や、女性歌手に夢中になり欠かさずライブに行ってそれも同じ衣装を着たりグッツをしこたま買いこんでいる知り合いもいた。
一時交流があったが、どうしても彼女のその行動を理解することが出来ず別人種と思うしかなかった。

私も歌の好きな友人に誘われて何度かその手のコンサートに行ったことがあったが、日産スタジアムや西武ドームが北朝鮮化している光景に驚きとおぞましさを感じるだけだった。
観客は神を崇めるようにペンライトを振ったり同じ行動を取っている。
この集団心理には恐怖さえ感じた。

しかしこの行動様式が上記のブログで説明されていた。
その歌手は古代やどこかの時代でやはり集団を率いるシャーマンや呪術師であり、歌手に夢中になっている人々はかつて同じグループで彼、彼女の周りに集っていた集団の構成員だったという内容だった。
だからファン同士は妙に親近感を覚え連帯感を持つようになると。

特に歌手に関しては、音や歌を媒体としてグループを率いていたリーダーに多いという内容だった。
確かにそれは他のことでも言えて、例えばカルト集団はかつてもその教祖が率いた同じグループであったろうし、趣味や特定の技能に関して集まる人達も何かしら同じ共通項で群れていたのだろう。

積年の謎が解けたような気がした。
いい歳をして若い歌手の追っかけやってる知り合いを、奇特な人間だとドン引きしながら見ていたが、それも過去生の影響ならなるほどと思う。

最近有名俳優が結婚して「マチャロス」なる言葉まで作られ、夢中になっていた女性がショックで仕事を休んだり株価にまで影響が出たが、確かに彼は昔もスーパースターだったに違いない。
誰か有名人に妄信的に惹かれるのは、もしかしたら過去生でそういう立ち位置にいたかもしれないと考えられる。

私は人生でそんな傾向は一切なかったから、多分全く違う魂の由来なのだろう。


太宰府天満宮の神気

2015–11–07 (Sat) 18:39
太宰府天満宮に行って来た。
言わずと知れた菅原道真公が祀られる天神様である。

太宰府に流された道真公が残してきた庭の梅を思って詠んだ歌が
「東風吹かば/にほひおこせよ/梅の花/主なしとて/春な忘れそ」
古典の授業で誰もが習った和歌だ。

この歌はずっと印象に残っていて、天満宮に行き出したのはここ数年だが、やはり何かしら御縁があったと思っている。
毎回祈祷をして貰っているが、行く度に天神様と繋がりが深くなるような気がするし、特にそこにいる青い龍には縁があるようだ。
不思議なことにここ何度か参詣の前日は雨に降られることが多い。
龍神は雨で清めると言われるが、勝手に清めてくれていると解釈している。

伊勢神宮でも出雲大社でも強力な神気を持つ神社はその力を必要とする人間は、参拝する前後に色々な形で清められるという。
行く前に体調が悪くなったり発熱したりもあるし、拝んだ後でそれが来る場合もある。
私は一度天満宮の強力な浄化作用に遭い、その霊験の凄さを実体験したことがある。

スピリチュアルに覚醒する過程で、激しい頭位眩暈に襲われ通院するも3か月も治らず難儀していた時があった。
節分の祈祷に太宰府天満宮に行った夜、食あたりか激しい嘔吐に襲われた。
その時は救急車かと考えたほどで、お参りに来たのに何でこんな目にと思ってしまった。
しかし驚くべきことに、何とか治まって回る頭で寝落ちした翌朝、なんと眩暈が治っていたのである。
振っても寝ても全く眩暈はせず完全に治っていた。

この時私は天神様の力を確信した。
太宰府天満宮の神力が浄化してくれたのだろう。
以来感謝を込めて年に何度か福岡に行き天満宮に参拝している。

今回は七五三と重なり外国人観光客も多くかなりの人出だったが、丁度出したばかりの初梅も購入出来、その上お神籤も大吉で縁起がいいと素直に喜んでいる。

北海道に生まれた私がどうして福岡の太宰府天満宮に縁があるのか不思議だが、きっと現世ではないどこかでゆかりがあったのだろう。
そういえば私の元々の名字は「梅」が付くから、確かに梅には関係があるかもしれない。(笑)


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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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