理解と実践の狭間

2015–10–29 (Thu) 17:47
10月は旅行へ行ったり、展覧会があったり、精神的にもかなり気を張っていたのでここへきて疲れが出たのか二日ほど休んでいた。
そういう時はバイオリズムが悪いのか星回りが悪いのかはたまた波動が悪いのか、良くない巡りあわせで躓きが躓きを呼び結果的に冷静な判断が出来なくなったりする。
今回も判断ミスと思われることで自分の首を絞めるような事態になってしまい、体調を崩し二日間寝込むことになった。

しかしどうしてこんな羽目になったのかよくよく考えてみると、どうも自分のこれまでの行動様式や判断基準の癖というものが大きく左右しているように思った。
よくスピリチュアルの世界では、~ねばならない、~すべきだ、という思い込みや頑迷な信念を手放した方がいいという。

私の場合は自分で決めたら絶対にそれを成し遂げるという変な信念があり、ややもすると人にまでそれを求めてきた部分があり家族などは大変だったろうと思う。
自分の敵は自分であり、目標に到達できなかったらそれは敗北だった。
仕事の世界では必要なことだったが生活の些細なことにまでその傾向が見えていた。

今回の事で分かったのは、自分はこう決めたからそのためには手段を選ばない的な部分が結果的に自分を苦しめたという事。
つまり何事もスムーズにいくのなら良いが、無理を押してもという段階でそれはどこかでストップがかかっているのに気付くべきだ。
そのままごり押しするのはよした方がいいという知らせだったのにも拘わらず、決めたことを覆したくないために無理を通した結果は惨憺たるものであった。

折しも昨日「自分の判断は絶対正しいと思っているよね」と身近な人間から言われた。
最初は?と思ったが、これはまさしく背後からの言葉だったのかもしれない。

今回はどうしてこうなったのかガイドに尋ねたところ、過去生からの呪縛、それにより形成された現世での性格や癖が紐解かれた。
その視点から思い返してみるに、この人生は何度か同じパターンの繰り返しで自分の体も損なう結果になっていたことに思い当たった。

分かりやすい例では病院に行って病気を悪くされたり誤診されるというケースが何度もあった。
こうだと決めて医者に訴えるので、それが結果的に医者のミスを招いたりするし、自分に責任がない時には何故か引かれるようにその状況になってしまう。
どうやらそれは潜在意識の中であえて自分を罰していたらしい。
過去生の魂からの影響もあるし、今世でも何かがトリガーになるとその契約が発動するのかもしれない。

もう過去の呪縛は解き放ったと思っていたのだが、まだ簡単には行かないようだ。

今回も完全にガイド達は知らせてくれていたのを自分の決めたことを覆したくなくて、結果痛い思いをして二日間寝込むことになったというわけだ。

頭で理解しいっぱしのブログを書いていても、実践が伴わなければ説得力がないということが身に沁みている。
しかしこれを悟れただけでもよかったし疲れが溜まっていたから休む必要があったよと、どうやら私のガイド達は言っているようだ。



隠れスピリチュアル

2015–10–25 (Sun) 17:10
ネットを探せばスピリチュアル系ブログは掃いて捨てるほどある。
種類も多種多様で玉石混交状態だが、その人達の何割が実生活の中でスピリチュアル系人間だとカミングアウトしているのだろうか。
もしかしたら全くそんなことは興味がありませんというスタイルを取りながら、ひそかにバリバリのスピリチュアルブログを書いている人もいるかもしれない。

確かに何でもあやかしの世界に結び付けるのはいかがなものかと思うが、会社や仕事上の付き合いでスピ系の話をすると大抵はこの人変だ的な視線を受けることになるし、「守護霊は~」「前世は~」などと話し始めるとまともに相手にされなくなる。
まあ、大方の人間は目に見えるものしか信じないのが世間の常識と思っているから、心のどこかでそちらの世界を信じていても堂々と言えないのが今の日本だ。

こんなにスピリチュアル業界がビックビジネスになっているのに、会社や家族にさえ「昨日スピ系のセッションに行って来た」などとはなかなか言えない。
で、当の業界筋の人間も、普通の会社勤めをしていたりすると、副業でチャネラーをやっていますとはカミングアウトできない現実がある。

かくいう私もそれ系の人間だとは家族も普通の友人も分かってはいるが、困ったことがあって鑑定、セッションに行って来てもそれについてはほとんど言っていない。

今の日本人は
1、スピリチュアル世界を全く信じていない、2、否定はしない、3、完全に信じている。
と分類できそうだが、12と3の間には大きな壁がある。

同調圧力で生きる日本人なら尚更の事、人が信じていないものを自分だけ信じることはできないのかもしれない。
結果、日常ではスピリチュアルなど信じない人を装い、休みには占いに通い詰めるという二重人格的な人も多いのではないか。

中には反動で、一度スイッチが入ると針が片側だけに振れてしまい、占い依存症になったり信奉するカウンセラーに何でもお伺いを立てないと決められなくなる向きも多い。

私も時期が来たのかスピリチュアルに覚醒し自分の魂の出自や由来、輪廻転生の様々な過去生、そして今の自分の人生の意味やアイデンティティーもそこから解き明かすことが出来たが、これを説明できる人間はごく少数しかいないしそれには残念ながら家族は含まれていない。
そしてこっそりブログで書いたりしているわけである。

精神世界、目に見えないもの、人知を超えた異次元の存在をもっと普通のことのように話せたり日常に出来たら社会生活も楽になるのにと思う。
物理的なもの、目先の生活ではない視点から自分や社会を見てみれば、違ったことが見えてくるはずだ。

人間の集合意識で現在が成り立っているとすれば、地球の現状も未来も人々の想念で変えられるかもしれないのだから。

先日数少ないスピ系の友人と話して、これからは日本人は二つの列車に分かれて乗る事になるだろうということになった。
片方の列車は目覚めた人、もう片方は現状に留まる人。

目覚めるものが何かは単にスピリチュアルという狭義の意味ではないが、今の日本を見ているとそれこそ天から行く末の選択を迫られているような気がしてならない。


絵とスピリチュアル

2015–10–21 (Wed) 16:34
大きな展覧会があり、手伝いに駆り出されて更新がまた滞ってしまった。

連日事務作業で美術館に通ったが、知り合いも何人か見に来てくれた。
やはり勘の鋭い友人は全く見たくない絵もあったと言っていたが、これは絵描き自身にもあることで、多分作家同士の感性が合わないのだろう。
昔からそういう人達とは絵画論をしても、間に深く大きな川が横たわっている感じだった。

決して相容れないないどころか違う軌道を回っている感じだが、これはスピリチュアルに覚醒して以来、もっと深淵な理由があるのだろうと感じている。
例えば魂の由来、ソウルグループの違い、持っている波動の違いなど、どちらも悪くはないのだが一切共鳴、共振することが出来ない感じだ。

しかし不思議なものでこれが普通の人間関係でもその通りかというとそうでもなかったりする。
普通の人間としての反りが合う、合わないはまた別の問題で、描く絵の傾向の違いがスピリチュアル的世界では正確にはどこに依拠するものかはよく解らないでいる。

ただ面白かったのは、私の絵にヒットする人としない人がはっきり分かれているということだった。
万人受けする絵というのは確かにあるし、誰が見ても凄いと思う絵は最大公約数的には決まっているだろう。
しかし個々の絵で何となく心惹かれるとかもっと言えば胸が揺らぐような絵は、多分スピリチュアルの世界では魂が似ている出自やグループなど関係や繋がりがあったのかもしれないし、また過去生の中で関わっていたのかもしれない。

私は仕事関係ではほとんどスピリチュアル系の話はしないが、今回ある作家と偶然かなり突っ込んだスピリチュアルの話をすることになった。
面識がある程度で話したこともなかった人だが、会話の中で私の絵はずっと前から知っていてそれも特別心に引っかかる絵だったと言っていた。

私は人の絵は見ないので彼女の絵も知らなかったが、必ずしも同じ傾向の絵ではなかったのに彼女が私の絵に特別な印象を持っていたのは、やはり何かスピリチュアル的繋がりがあったのかもしれない。

実生活や仕事などの人間関係ではなかなかスピリチュアルの話は出来ないが、たまにその傾向の人がいてお互い匂いでわかるような部分がある。
それ系の話は変人扱いされるかドン引きされるかが普通で家族にさえ話せないことが多いが、時たま日常の人間関係の中でも仲間もいるのだと分かることがありほっとさせられる。

多分みんなどこかでは感じることがあっても、自分自身で否定しているから認めたくない場合もあるだろう。

それはそれでまだその人にとっては必要ないことなのだろうし、一生必要なくて終わる人生もまた幸せなのかもしれない。




必然

2015–10–13 (Tue) 17:37
生まれて死んでいく時間の中で知り合う人間は何人ぐらいいるのだろう?
肉親や親戚、配偶者恋人など濃い関係を持つ人以外にも、友人や知人など期間や密度に差はあつても人生で関わる人間の数は限られている。
偶然がなかったら知り合えない人もいたろうし、わずかな時間と空間が違っただけで遭遇はあり得なかったかもしれない。
そう考えると自分がこれまで関わってきた人々はどうして知り合うことになったのかと不思議に思う。

今でこそある程度は過去生などの結びつきや何かしら今の時代ではなくても縁があったのだろうと思えるが、かつては何も考えずに良縁悪縁をあるがままに受け入れ流れに任せてきた。

しかし顧みると、私は絵を描いているが、若い頃好きな絵を描く作家や何故か気になる作家など、手の届かない有名画家も印象に残っている人はことごとく知己を得たような気がする。
一番驚いたのは昔短い期間美術教師をやっていたことがあったが、美術の教科書に載っていて生徒に教えていた画家と実際に知り合ったことだ。
また、画集を見て印象が強くどんな画家だろうと思っていた有名作家も今は先輩画家として世話になっていたりする。
もっと極端な例は、絵と名前が新聞に載っていたりすると、その名前が浮き上がって見えてきたことがあって、数年後には必ず知り合い深い関わりを持つことになった場合もあった。

勿論こちらが会いたくてアクションを起こしたわけでは決してない。
何故か自然にそういう流れになっていったのだ。

人生を思い返すと人間ばかりではなく例えば漠然と何の目算もなくても、希望としてこうなりたいとかああしたいとか思ったり言葉に出して言っていたりすると、いつの間にかそれが現実になっていた。
ただ、それは必ずしもいいことばかりではなく、悪い事、ネガティブなことも同じように現実化している。

スピリチュアルの世界では引き寄せの法則やアファメーション、日本古来からも言霊、言揚げなど似たようなものがあって人間の想念、或は言葉の力というのは存在するのかもしれない。
人生で知り合う人間も起こる出来事も決まっていることなのか自分が呼んでいるものかはわからないが、少なくとも私の場合は人であれ出来事であれ事前に知らせがあったり、予感か引き寄せかは別にしても結果的に因果関係があったのは証明出来るようだ。

別にそれがスピリチュアルだと理由をつけなくても、どんな人も自分の人生を検証してみれば多かれ少なかれ必ずそんな事実があったことを思いだすに違いない。
人生で出会う人、起こる事柄はもしかしたら必然かもしれない。

つまりは人間は普通に不思議な世界に生きているということだ。



ジャッジしない世界

2015–10–11 (Sun) 14:09
最近のスピリチュアル世界ではジャッジしないという考え方がある。
つまり魂の世界では善悪という概念がないという捉え方だ。

それぞれの時代で価値基準は変わるし、全ては相対的なものだからだ。
殺人も拷問も姦通も近親相姦も歴史上悪ではない時もあったし、食人習慣だって今の時代にさえあるのだから、是非はつけられないということだろう。
キリスト教や仏教など宗教の世界では絶対的悪や勧善懲悪の概念があるから、死後の世界の存在を肯定していても、いわゆるライトワーカーなどスピリチュアル系とそこでの見解は大きく異なる。

さて、ジャッジしないというのは端的に言えば、今の日本において犯罪に抵触したり社会通念から大きく逸脱しない限り、占い師やセラピストがクライアントの相談に良し悪しを付けないということだろうか。
不倫相談が多いが、良いも悪いも言わずひたすら魂の向上のためにアドバイスをするスタンスらしい。

魂の成長とか進化という言葉も最近よく聞くが、寡聞にして全ては説明できず、(スピリチュアル流派によっても見解が種々ある)つまりその魂が生まれる時目指してきた目的の達成度らしく、例えばあえて極悪非道な人生を選び大量殺人を犯してもそれが魂の成長の目的ならあちらの世界的には悪ではないということらしい。
これは極論で批判が来そうだが、ある魂はカルマの解消のため、ある魂は過酷な人生で進化の最短コースを目指すなど、殺されたり虐待されたりも本人の魂がそれを選んだのだから、スピリチュアル世界では決して不幸でも可哀想でもないということだ。

まあ、社会生活をしている以上犯罪はご法度にしても不倫や背徳行為などもOKで、その被害者になった方もそういう境遇を選んで生まれたと言われればそれまでなのだが、どうもそこまで来ると身も蓋もないような気になる。
私自身まさしくこの点についてはジャッジ出来ない感じだが、選んで生まれて来た今の世の中に暮らしている以上はやはり己の良心に従って行動すべきだと単純に思ってしまう。

だが翻って、スピリチュアル世界を深く知り己の魂の由来や数々の転生を知るに及ぶと、それらがあるから今生の自分もあるということも否定出来ないでいる。
自分のために命をくれたと思っていた人が実は過去生で私を殺していた人でそのカルマ解消のために巡り会いそういう結果になったと知ったら、罪悪感さえ持っていたその事実を全く違った角度から見せられることになる。

こういう事例は知らないだけで幾つもあるだろう。

つまりはだから、ジャッジしないということになるわけだが…。


スピリチュアルクラッシュ

2015–10–10 (Sat) 16:02
旅行に行っていたので更新が滞ってしまった。

今回の旅行は単に観光旅行だったが、それ以上に何か意味があったようだ。
一言で言えば、スピリチュアル世界への覚醒が揺らぐような感覚に見舞われたとでもいうか。

ライトワークをしている人間やいわゆる霊能者たちは自分の見ているもの、聴いているもの、感じているものの真偽を確かめるわけにはいかないから、そこはもはや己が信じるしかないという前提で成り立っている。
一歩間違えれば統合失調症にもなり得るし、詐欺師にもなり得る。
そこまで行かなくても荒唐無稽な妄想を見ているだけかもしれない。

スピリチュアルの世界に携わっている者は自分の能力が如何ほどのものかも、実ははっきり判らないのではないだろうか。
そんな曖昧な薄氷を踏むような部分があるのだと今回改めて感じて、多分これを超えなければ全ては空中楼閣、白日夢となってしまうのかもしれないという、いわゆるクラッシュ状態に陥ったようだ。

自分の知覚したもの感じたものが、果たして信じるに足るものかどうか疑念を抱いた時、スピリチュアル能力と思っているものは一瞬で瓦解してしまうという危うさを感じた。

それにはある出来事があったのだが、これをどう自分の中で解釈分析するかによって、スピリチュアル世界への覚醒が本物かどうかが問われることになった。
平たく言えば予想に反した結果が出た場合、何故かを顕在意識、潜在意識から探りその由来を過去の魂まで遡るという遠大な作業を求められたということだ。

私は何度も過去から転生を繰り返しているが、早い時期に自分の魂に規制を課していた。
それは何度目かの転生の中で表層意識と魂の規制が激しく葛藤し、魔女とおぼしき過去生では身の毛もよ立つような殺され方をしている。
その時も魂のどこかでは契約としてそれを受け入れていたが、顕在意識では沢山の人を助けたのに誰も助けてくれないという絶望で死んでいる。

その相反する潜在意識と顕在意識が今世の私にも常に反映し、今回の出来事も深く掘り下げてみると全く同じパターンだと気が付いた。
あることを望む、しかし潜在意識では危惧や不安や否定の部分が少しでもあるならそれは結果としてはネガティブな方に行ってしまうというスピリチュアルの法則そのもので、私のはるか遠い過去からの魂の癖や傾向だったと突き止めることが出来たのだ。

人間は表層的な意識だけでは解明出来ない部分を持つ。
例えば病人なら早く良くなりたいと誰しもが思うだろうが、良くならない場合本人も顕在意識では思っているのは事実だが、深層心理ではみんな優しくしてくれるなどと病気を肯定している部分があったりする。
するとなかなか病は治らないというわけだ。
勿論本人も気持ちとしては治りたいにもかかわらずだ。

人の心理は心理学で分析出来るだろうが、もっと突き詰めると魂の遍歴にまで原因を求めることも出来るというのがスピリチュアル世界であり、今回私が体験した出来事もまさしくそこまで深く探らないと解明出来ないことだった。

今は根本要因まで行きつくことが出来たので、これも覚醒への一つの試練だったと思っている。
顕在意識と潜在意識の乖離、鬩ぎ合い、これが私の抱えている課題だった。
しかしそれを自覚したおかげでガイドとの繋がりも深くなったし、自分が違うステージに入り今までの人生観や価値観は変わっていくのだというのも分かった。

いわゆるスピリチュアルクラッシュのような体験だったが、旅行は観光よりもそれを経験するためのものだったのかもしれない。
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アカシックレコードは変わる

2015–10–01 (Thu) 16:56
10月になった。
9月はエネルギー的に不安定だと言われていて、最後にはスーパームーンがあり心や体に影響を受けた人もいたのではないだろうか。
過日、9月は何かあるかもしれないと巷で言われている云々を書いたが、世界的な大事はなかったし相変わらず株も下落傾向だが、大恐慌には至っていない。

アカシックで未来も見えるというが、それは確定事項ではなく予言と同じでその可能性が高いという一つの道らしい。
観る人によれば、中央に太い未来の道があって両側に違う未来が見えるという人もいるし、いくつかの選択肢として見える人もいるらしい。

一概にアカシックといっても様々なバージョンがあるようで図書館のようなところでハードディスクの記録を見るとか、オーラに情報が詰まっていてそこから抽出してくるとかリーダーによっていくつかのパターンがあるようだ。
スピリチュアル世界は真偽の証明が出来ないので、聞かされた方が勝手に判断するしかない。

ただ思うのは人生は常に選択で成り立っており、その時の選択によって未来も変わっていくだろうということだ。
大まかな寿命は決まっていると言われるが、これもアカシックで言えば一番可能性の大きな寿命年齢ということになる。

あるブログを読んでいたらアカシックで寿命を見て貰ったところ3つぐらいの年齢が出てきて、その二つはクリアして無事に生き延びたそうだ。
ただ何かしらイベントはあったらしいので、あながち根拠がないわけではないという話だった。

私も自分で考えていた年齢は3つぐらいあり、その一つは大病をした年だった。
ただ、それは若い頃漠然と浮かんでいた年齢で、アカシックとは別に実は前世で一度死んでいる歳だった。

それを後年知ることになるが、大抵の人間は何となく自分でも妙な予感があったりするのは前世で大きなことがあった歳に符合していたりする。
勿論前世は無数にあるが、今生に関係が深い前世が多い。
だから私は、もう一つの候補も分かっていれば避けられると思っている。

アカシックも予言の類もそうなるかもしれないという可能性でしかなく、もしそれを事前に知って回避の努力をしたり違う選択をしたら別の未来にスイッチ出来るということだろう。

予言は何もしなかったらそうなるという可能性で、未来は変わるというのがスピリチュアルの定説だから、いい未来はそのまま、悪い未来は変えるというシンプルな考え方でいいのだと思う。

9月もあれだけ何かあると騒がれていたわけだが、騒げば騒ぐほど人心がそこに向かい変更のベクトルが働いたのかもしれない。
大地震や大災害も皆が意識を向けていれば避けられると言われるから、忘れずに構えて準備をしておくことは必要だ。

天災は忘れた頃にやって来るというのは寺田寅彦の名言だが、注意はおさおさ怠りなくということだろう。


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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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