『~のせい』と『~のおかげ』

2019–02–13 (Wed) 16:53
前記事で「おかげ様」について書いたが、「~のおかげ」と「~のせい」の違いについて考えてみたい。
よく人はいいことがあったら「~のおかげ」と言い、悪いことがあったら「~のせい」という。

何でも自分以外に原因を求めたがるのは人間のサガだが、特に悪いことについては多い。
「~のおかげ」と「~のせい」は表裏一体で、前者はポジティブな出来事の場合で後者はネガティブな場合だ。
対象は同じでも自分にとっていいか悪いかだけで、言い方が変わる。

しかし時としてネガティブな「~のせい」が未来には「~のおかげ」になることがある。
過去を振り返れば誰にでもあるのではないか。
その時は大変でも結果的にあのおかげで違う道が開けたとか、成長できた、いい経験になったと思えることがあるはずだ。
当時は「~のせいでこうなった」と恨んでも、ずっと後になって「あれがあったから今日がある、あれをバネにしてここまで来られた」と考えると「~のせい」が「~のおかげ」に転換する。

私自身も絵の世界にいて、若い頃は随分人間関係で苦労した。
媚びるのが嫌いで常に単独行動だったので、生意気と見られたりいわゆるお局様や大センセイにはあからさまに冷遇されたこともある。
しかし当時はそれを制作のモチベーションに出来たし、その結果ここまで来られたと思っている。
だから今となっては、私に試練を与えてくれた人達のおかげだと考え、彼女、彼等には感謝している。

人間とは弱いもので、特に組織や団体は利害関係で成り立っていることが多いから染まってしまう。
欲や権力にしがみつく者はあからさまに人間の感情を剥き出しにして時には子供じみたこともするが、彼らの器量の狭さやの未熟さを理解出来るようになると同じ土俵にはいられなくなる。
だから、その関係から脱却するために努力しステージを上げれば、彼らは逆説的に恩人なわけだ。

人生に苦労や試練は付き物だ。
霊的進化のために自ら苦難を決めて来たと言われるほどだ。
だから齢を重ねが成長すると「~のせい」が減って「~のおかげ」が増えてくるだろう。

何にでも感謝する「感謝教」とは違うが、人生の最後の方には「おかげさまで生かしてもらった」という境地になりたいものだ。
誰でも辞世の句で「幸せな人生だった、人生の全ての物に感謝します。」と言うことが出来たらと思う。



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エネルギーは回る

2019–02–12 (Tue) 15:13
先日嬉しいことがあった。
このブログを何年も読んでいただいていて一度お会いしたこともある方が、京都大覚寺の節分祈祷で私の分もお願いしてくださり、個人名の入ったお札を送ってくれたのだ。
去年秋に霊障に悩まされ体調を崩したのをブログから読み取ってくれたらしく、心配して無病息災の御祈祷をご家族と一緒に私の分も申し込んでくれたという。
私の好きなお大師様の総本山で祈祷していただけるなんて感慨一入だった。

このブログは何度も負担になって止めようかと思ったこともあったが、読んでいる人がメールをくれたり実際に会ったり、あるいはブレスレットを頼まれたり、少ないながらも人との繋がりを実感することが出来るので、その都度ブログをやっていてよかったと思わされる。

大抵のスピリチュアルブログは何かしらスピ系の仕事をしている人が営業の一端としてやっていることが多い。
勿論スピリチュアルを知る上で参考になったりするので私も複数のブログは定期的に読んでいるが、ビジネス絡みだと必ず定期的に仕事の告知が入っている。
しかし最初からこれは備忘録のつもりで書き始めたし、いまだに題名通り「独白」状態だ。
このブログもこっそりリンクにスピリチュアルカウンセリングのHPを入れているが、一時ヘビーな人ばかり来て体がもたないと思ったらぱったり来なくなってそのまま放置してあるHPなので、多分ブログを読んでいる人も存在を知らないだろう。笑
最近はまめに記事を更新するようにしているが、日記ブログではないので何年もやっているとネタが尽きたり重複する場合も出てきてしまう。
何とか新しいテーマを考えようとするが、それだけで時間を使ってしまうこともある。

物凄いアクセスの開運人気ブログがあるが、そこはもう重なることを前提に似たような内容の記事はリンクできるようにしているので、そういうやり方の方がいいかもと思いもする。
しかし、このブログは比較ならないほどのマイナーでコアなブログなので、やはり現状は「気が付いた時にはスルーで」とお願いするしかない。

ただ、本業は人と話すことがない仕事なので、ブログを書くことは私自身のためになっているのも事実だ。
そしてブログの縁で、自分の知らないところでわざわざ祈って貰えたなど、とても有難いことだと思う。
昨日偶然ある人と話していて、気やエネルギーは回るということを言ったばかりだった。
外に放ったエネルギーは、いいものも悪いものもいずれ形を変えて自分に返ってくる。
善を成せば直接その時返って来なくても天への貯金になり必要な時に戻ってきてくれるし、悪を成せば必ずいつかその報いを受ける。

「おかげ様」という言葉があるが、一対一の個人の関係ではなく多くの人が繋がりの中で気やエネルギーを流し回り回ってまた戻って来るのだと思う。
それぞれが気付かないところで「おかげ様」の遣り取りをしているのだろう。
生きとし生けるもの、森羅万象全ては繋がっている。

私ももっともっと「いい気」を放ちたいと改めて思った。



睡蓮―雲ー





波動が変わる時

2019–02–04 (Mon) 17:40
昨日は節分、今日は立春、明日は新月だ。
スピリチュアル的にはこの三日でかなり波動が変わるらしい。
私はエネルギーを感じるタイプではないので全く分からないが、何となく気温や日差しが変わってきたようなのは判る。

節分が過ぎれば旧正月で、四柱推命や九星気学など統計学では一年の区切りとしている。
男女の厄年も節分を起点に一年と考える。
厄年だった人は今度は後厄になる。

昔ラジオの占いコーナーでおじいさんの鑑定士が「節分過ぎれば日がまた昇る」と言っていたのを未だに覚えているが、あれは至言だと思う。
もしずっと運気が低迷してバイオリズムが下がっていると感じていたら、節分から流れは変わるかもしれない。
一番大事なのは気分を切り替え自分にインプットすることだ。
日本人は正月に年の初めとして様々な行事をするが、実は旧正月である春節も同じくらい意味を持つ。
今年は特に、節分、立春、新月と三日続いているエネルギーの転換点なので、それを意識して自分の流れを変えた方がいいだろう。

かくいう私も実は節目が来たと感じている。
去年あたりからずっと考えていて、特に暮れから今年に入って自覚していた変化の兆しを、昨日あることではっきりと受け入れることが出来た。
仕事についてなのだが、潮目が変わるような予感はあっても選択に迷う状態が続いていて進退窮まっていたが、やっと決心がついたのが昨日だった。
表面的にはマイナスな出来事が起こったのだが、結果的にそれがあったから背中を押されたという感じだ。

まあ、例えるならうまく行かない恋人と別れるきっかけがなかったが、相手に裏切られてやっと別れる決心がついたという感じだ。
人間は長く持っているものは必要がなくなってもなかなか捨てられない。
変化が怖いし新しい選択をしてうまく行くかという不安もある。
そんな時に起こる出来事は必ず意味がある。
ポジティブ、ネガティブどちらでも合図が来て選択を教えてくれる。
悪い事でもそのおかげで踏ん切りがついたというのがよくあるケースだ。

私の場合はある人の口を介して自分の気持ちを後押しされたので、あれは多分後ろのガイドが言ってくれたのだと思う。
そして気が付いたらなんと昨日は節分だったのだ。
昨日は他にもいいことがあったし、一年の新たなスタートになるには良き日だった。

この三日間で心も体もクレンジングして、新しい波に乗るとアファメーションしてはどうだろうか。
明日は新月ワークの願い事をしてみると、絶対効果はあると思う。



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スピリチュル系ビジネス

2019–01–15 (Tue) 16:51
最近FBでスピリチュアル系の人の友達申請を何気なく受けたら、雨後の筍のようにぞろぞろとその共通の友人達から友達申請が来た。
いわゆる相談業の人達だが、スピリチュアルリーダー、占い師、自己啓発系、起業系と名前は違っても通底するところは同じようだ。
FBの友達を増やすのも営業の一戦略なのだろうか。
私の本業の方でも同じくFBで友達を千人単位で増やして、同業者の個展に駆け回り営業活動をしている画家もいるから、SNSは立派な市場なのかもしれない。

絵描きは一応個展を開いたりそれなりの実績がないと絵描きとは名乗れない。
しかしスピ関係やセラピストとなると、言ったもの勝ちのところがあって、昨日までOLだった人が今日からは○○セラピストの肩書になっていたりする。
資格も何もいらない世界だから、運さえあればお客はついて1時間1万円也で単なるおしゃべり的な話相手でもお悩み相談のセラピストで収入になる。

FBで泥縄式に友達申請をして来た人達は、霊能者もいればどこかのセミナーに行って自ら開業した人もいるようだ。
私もスピリチュアルに関しては同類になるが、たまたまFBの狭い世界でもこれほど無数のスピ関係を仕事にしている人達がいるのだから、一体世の中にどれくらい見えない世界や人の心についての商売があるのかと驚いてしまった。

しかも料金設定を見れば一時間一万円以上が当たり前だ。
スピリチュアルはやはりビックビジネスなのかもしれない。
資格も何もいらないし、明日から占い師、セラピストと名乗ってHPを作っても誰も咎めない。
あとは営業をかけて人を集めれば仕事になる。

この現象はスピリチュアルの認知度が高まったと思うべきか、メンタルを病んでいる人が多すぎると思うべきか。
とにかく今の時代見えない水面下では歪んだ精神世界が広がっていて、それを商売にするビジネスも次々形を変えて増殖しているのかと、空恐ろしさを感じてしまった。

需要と供給があるからビジネスは成り立つ。
どんなセラピーを名乗ってもお客が来れば仕事になるわけだからそれはいいだろう。
しかし実体験も含めて中には?マークがつく場合も多々あるので、もしこれからスピ系のセラピーや鑑定を受けたいと思う人は慎重に相手を選んだ方がいい。
一時間一万円は大きいが、それに見合う内容かどうかは保証の限りではないからだ。

スピリチュアルに身を置く者としても、底知れないスピリチュアルビジネスの世界に飲み込まれないようにしたいと改めて思った。


紫陽花1





「使命」と「天職』

2019–01–13 (Sun) 17:41
スピリチュアルに興味がある人は自分探しの旅に出る人が多いようだ。
物理的な旅行ではなく、の遍歴や出自を知るための見えない世界の旅だ。
どうして自分はこの世に生まれたのか、自分の今世の目的、役目は何なのか。

スピ系人間は「私の使命は何ですか」と知りたがる人が多い。
使命というのをどう定義するかにもよるが、何か歴史的に残る偉業を遂げたり、自分の幸せは求めず世のため人のために尽くすなど崇高な生き方をするのが使命というイメージだろうか。

そう考えると大抵の人間に使命などないように思う。
生まれた時に決めて来たライフパーパスやブループリントを全うすることがあえて言うなら使命で、逆に大きな使命を持って生まれて来たは人としての自由や喜びなどなくて、使命を果たすまでは死にたくても死ねないほど壮絶な人生かもしれない。

若い女子は時々、自分探しをして転職を繰り返すことがある。
その裏には「きっと私に与えられた天職があるはず」というのが動機としてあるのだろう。
しかしそのうち「転職が天職」になる可能性があり、「使命」「天職」というスピ人間が好んで使う言葉は人生をスポイルしてしまう場合もある。
天職は自分の好き嫌いは別にして長く続いた仕事かもしれないし、使命は自分が決めるものではなく人の評価や人生の終わりになってやっと気づくもののような気がする。

言うならば天職とは自分の意志ではどうにもならずやることになった職業や、生まれながらの特殊な才能がありそれを生かすことのできる職業だろう。

人間として生まれたのだから自分の存在理由を追求するのは意義があるが、それが人生行路の放浪に繋がっては本末転倒だ。
スピリチュアル世界に入っての由来やソウルコントラクトを見出しても、それと実生活とは分けて考えるべきだと思う。
過去生を知り悩み解決の一助にするのはいいが、過去生に囚われて生活まで変えてしまうのはまずい。

スピリチュアル世界でいう「天職」と「使命」という言葉は、魅惑的だが現実的ではないことを知っておこう。



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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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