幽霊はいる

2018–08–03 (Fri) 16:57
連日記録的な猛暑が続くが、気持ち的に涼しくなろうと肝試しに行く若者も増えるのではないだろうか。
夏休みのイベントとしてお化け屋敷も盛況になるが、嘘か真かお化け屋敷には本当にお化けが居着くという話がある。
これはスピリチュアル的に考えても結構当を得ていて、地縛霊や浮遊霊などが同じ波動に引き寄せられてやってくるわけだ。
スタッフのお化け以外に本当に何かいたと訴えるお客が必ずいるが、きっと実物に遭遇してしまったのだろう。
大概は冷やかし半分や淋しくてやってくる浮遊霊が多いからその場限りで終わるのが殆どだ。

しかし肝試しなどで「幽霊屋敷」と呼ばれている曰く付きの廃屋、病院、そしてトンネルはよした方がいい。
実際そういう所には悪霊や死霊が住み着いていて、そこに浮遊霊なども集まりネガティブな霊の溜まり場になっていることが多い。
幽霊屋敷と呼ばれる家は殺人事件や夜逃げなどの物件が多いし、生死関係なくそこに残った怨霊に同じ波動の浮遊霊が集まり死霊までやって来て住み着いてしまう。

だから面白半分で入ったら攻撃されたり取り憑かれる可能性は十分ある。
地縛霊となっているからその場所に足を踏み入れない限り問題はないが、たまたま弱っていたり霊感が強かったりネガティブな波動を持っていたりすると憑依されてしまうことがありお持ち帰りになる。

大抵は怪我をしたり熱を出したりで終わるが、ひょっとして前世や先祖がゆかりが深かったりすると、ずっと乗られて大変な目に遭う可能性もあるのだ。
強力な地縛霊は何体も浮遊霊や悪霊が重なって一つの物の怪となっていたりするので、安易に肝試しに行って彼等を刺激すると帰りに交通事故で大怪我などの悲劇になりかねない。

大抵暗くてジメジメし空気が淀んでいるような場所にとどまっているので、魔のトンネルなどと呼ばれる場所では視える人はトンネルの天井から壁まで幽霊が見えるらしい。
普通の街角でも場末の小路とか古い建物の陰とか、暗くて嫌な感じのするところは霊の溜まり場になっていたりする。

この世には成仏出来ずに彷徨って地縛霊や人間を狙う悪霊になる霊魂もいる。
何十年何百年と地縛霊となってそこに居座り続けると、もはや祈祷師が除霊をしても敵うレベルではなくなるらしい。
昔、庚申塚という魑魅魍魎を封じ込めた塚があるが、これもいたずらに石をどけたり工事でそこを掘り返したりするとよくないことが起こったりする。

この世にはまだまだ目には見えない怖いことがある。
お化け屋敷で恋人同士がキャーキャー言っているのはまだいいが、くれぐれも曰く付きの廃屋や幽霊屋敷と言われている場所に肝試しには行かない方がよい。


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花火と浴衣とスピリチュアル

2018–07–22 (Sun) 16:02
最近は重い話題ばかりだったので少し軽めの話を書いてみようと思う。
夏は花火と浴衣というのが風物詩だが、当地でも電車に乗ると浴衣を着た若者達を見かけることがある。
花火大会に行くのだろうが、花火には鎮魂の意味があるのを知っている人は少ないかもしれない。

お盆の時期である夏に花火大会が多いのは、迎え火、送り火、灯篭流しと同じで死者を慰霊するためだ。
日本最初の花火大会といわれる東京・隅田川両国の花火は、江戸中期の享保十八年、前年の疫病の流行によって亡くなった人々の鎮魂と災厄を祓うために川の神様である水神様のお祭りに催行された。
日本での花火大会は慰霊鎮魂のために始まったわけだ。
夜空に上がる火花が一瞬にして消えるさまは、人の命のはかなさにも重ねられる。

お盆には死者が帰って来る。
終戦があり、広島、長崎原爆で多くの日本人が亡くなったのも8月だ。
日本人は夏に沢山の花火大会をして、知らずに帰って来る魂の慰霊をしているのだろう。
311の東北大震災の後、福島では8月16日に犠牲者の鎮魂のために花火大会をするようになった。

いそいそと花火大会へ出掛ける若いカップルも、一瞬でも花火は亡くなった人への慰霊だと思い出してほしい。
花火を見てなんとなく泣けてきたり感無量になったりするのは、もしかしたら戻ってきて一緒に花火を見ている仏様と意識が共振したのかもしれない。

そして花火につきものの浴衣だが、これもスピリチュアル的には意味がある。
そもそも着物は日本人が古来から身に着けていたもので、今も死者は経帷子であの世へ送る。
この際には左前と言って衿の前合わせを右側を上にするので、着物の左前は死者を表す。
死に装束は断ち方も縫い方も違うから文字通り死人に着せる着物だ。

着物の下に着る白襦袢は魔除けの意味があり、背縫いと言って背中の中心に沿って頑丈に縫い込むがこれも後ろから入る邪霊を防御するためもあると言われている。
そして、最後に締める帯締めで結界を結ぶそうだ。

昔から着物によって日本人は生死やこの世とあの世を区別してきた。
浴衣は着物で言えば普段着のジーンズのようなものだが、花火大会に行く時は様々な霊魂も誘われて一緒に花火を見ているので、背縫いのしっかりした浴衣で邪気払いをしつつ戻ってきた死者の魂を皆で慰霊してほしいものだ。

今年は西日本豪雨で多くの人が亡くなった。
打ち上げられる花火を見る時には、犠牲になった人達の魂にも思いを馳せて貰えればと願う。


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西日本豪雨のスピ的考察 ・2

2018–07–16 (Mon) 17:48
西日本豪雨では200人以上の死者と、未だ行方不明者が多数いる。
この酷暑の中、家を失い避難している人達も数千人に上る。

大きな天災や事故、事件などでは必ず不思議な事が起こる。
事故で助かる人と助からない人の明暗を分けるのは何だろうか。

災害や事故でも、たまたまアクシデントが起こりそこに行けなくなり命が助かったという人は必ずいる。
守護霊や先祖が止めてくれたり、あるいはその場に居合わせてもすんでのところで救って貰ったりする。
今回の豪雨でも人々の命運を決するのに、見えない力が沢山働いただろう。

不幸にして旅立たれた人達は、ある意味残念だがもうそういうブループリントで来ていた人が多いと思う。
大局的に見れば魂が決めて来たこととは言え、実際には一瞬で命を奪われたのだから霊魂は死んだことが判らず混乱している場合も多い。

東北大震災で多くの人命が失われたが、あの後津波で荒れ地になった場所では度々幽霊が見られたそうだ。
それを追跡調査した人もいて、生き延びた多くの被災者に聞き取りをしたところ、かなりの数の人が亡くなった家族の姿を見ていたり、家族でなくとも生前の姿で見かけていたりする事例が報告された。
何人ものタクシーの運転手が、亡くなった人がお客になって乗り込み家の場所を告げるという体験をしている。
運転手も慣れたものでその場所まで運んで、更地になった場所を見せて「津波で亡くなった」ということを告げると納得して消えるそうだ。
何とも切ない話だが、いっぺんに多くの人が亡くなる災害や事故ではよくある事で、東北大震災の後は幽霊を見るのが普通になった時期があったようだ。

不可抗力で一瞬にして命を奪われた霊魂は、死んだことが理解出来ない。
交通事故現場で亡くなった人が地縛霊となりそこを浮遊しているのはよくあるケースだが、数千人規模でそれが起こったのが東北大震災だ。
その規模になると個人の供養では限界があり、大きな法力や神力で上へ上げてやらねばならない。
震災の後今上天皇が心臓のバイパス手術を受け術後回復が遅れ命が危ぶまれたが、彼は日本最高の神官なのであの時我が身を削って津波で亡くなった人の鎮魂をしたと私は思っている。

今回の西日本豪雨の数日前にも今上天皇は夜中に体調不良を訴えている。
この豪雨を少しでも押さえたのか被害をあらかじめ軽減をしたのか、何か関係があるような気がする。

今回の豪雨で亡くなった200名以上の人達には必ず大きな慰霊をする必要があると思う。
ただでも宴会をやったり初動が遅れて人災にした現政権には大きな責任がある。
被災者に対して最大限のケアをするのは言うまでもないが、一区切りついたら国として心から謝罪の意味を込めて慰霊鎮魂を行うべきだ。

己の不明を恥じない政治家達は、その犠牲になって逝った魂達に心から詫びる必要がある。
天は見ている。


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西日本豪雨のスピ的考察 ・1

2018–07–13 (Fri) 16:36
人間の本質や真価は有事の際に判るという。
何か大きなことが起こった時に取る行動によってその人の本性が出る。

西日本豪雨で死者は200人を超え300人近くまで行くだろう。
豪雨の避難指示が出ていた5日夜、安倍政権のオウム死刑前夜祭饗宴は隠してもネットからマスコミへと報じられるようになった。
翌日午前豪雨の真っ最中に死刑執行の実況中継などやらず、素早く自衛隊を投入し避難救助をして、テレビは特番で危険を知らせていたら半分の人命は救えたかもしれない。
総理が私邸に閉じ籠る空白の66時間で、その間最大級の自衛隊を動かして救助に当たらせればこんなに多くの命が失われずに済んだはずだ。

人命救助のデッドラインは72時間と言われるが、今回は誰も72時間など問題にしなかった。
それどころか、テレビはまだ生きてるかもしれない日本人を無視してタイの洞窟から少年救出をするニュースを繰り返し、豪雨被害と殆ど同じ扱いで流し続けた。
かたや自国の100人以上が死に、行方不明で救助を待っているかもしれない人々がいるのに。

本当に日本はおかしくなってしまった。
人が死んでも国民は無関心だ。
目の前で水没した車から助けを求める人間をそのままずっとカメラで撮って、ニュースに流しているテレビ局もあった。
普通ならカメラを放り出し助けに行くだろう。
政治だけではなく、トップダウンで皆おかしさが伝播している。

今回は公的救助が少ない中、民間人がゴムボートを出して何人も住民を救出した話があった。
何回もボートで水没寸前の住民を助け、とうとう手が痺れ脱水で気を失うまでオールを漕ぎ続けた男性の事も伝えられた。
この人だけではなく、我が身を顧みず危ない住人を命懸けで助けた人が何人もいたに違いない。

スピリチュアル的に見れば、高潔な魂と下劣な魂がきれいに色分けされるのが有事だ。
普段でも霊格が高く周りの人間を本人も気が付かず、癒したり助けたりしている人は市井の中にもいる。
逆に政治家や著名人でも黒く霊格の低い下卑た人間がいる。
今回の豪雨を半分は人災にした政権の面々などは、未だに自己弁護と自己正当化しかしていないから自ずとどちらかは判る。

災害など大きな有事は人間の真の姿を映し出す。
きっと今回の豪雨では何人もの格の高い魂が同胞を救うために働いたことだろう。
しかし、豪雨の最中宴を開いたりそれを庇って国民の目くらましをしている連中の中には、そんな魂は一人もいないことだけは確かだ。


古代蓮3





嘘はばれる

2018–07–12 (Thu) 16:50
「嘘つきは泥棒の始まり」という古い諺があるが昔から嘘はいけないというのは最低限の人間の倫理としてあったように思う。
しかしながら人は誰でも嘘を付く。

嘘というのも時には相手のために付く嘘もある。
その時その時の判断で本当の事は言わない方がよいという場合など、不本意ながら嘘を言うこともある。
しかし嘘を付かれたと分かった時は誰でもいい気持ちはしないし相手に対する考え方も変わる。

今日本では嘘が大流行で政権始め明らかに嘘だと分かっても、それを押し通して済むような社会になっている。
公文書の改竄さえ罪にはならない社会なのだから、軽い嘘ぐらいなんでもないと政治家たちは思っている。
その嘘を糾弾せずサポートさえするような風潮だから、子供に嘘を付いてはいけませんと大人が指導できるだろうか。

だが、人がやっているからいいと思うか人がやっていても自分はやらないと思うかは、個人の人間的資質によるだろう。
権力に媚びて金と欲に目のくらむ政治家と官僚が殆どの中で、それを正そうとする人も少数ではあるがいる。

今回の西日本豪雨の最中の宴会で、防衛相は自衛隊に指示を出していたなどと言っているが、そんな嘘がまかり通っている。
総理の視察の前に急遽エアコンを避難所に取り付けたが、視察のためではないとも言い張っている。
嘘を付くことが悪いと思わないような政治のせいで国民は被害を被るのだから、「嘘を付くな!」と指弾できる人間が政治にも社会にも必要だと思う。

生きていく上で嘘を付くことも付かれたこともない人はいないだろう。
必要な嘘も時にはあるし、面倒だからと軽い気持ちで付く嘘もある。
サイコパスならいざ知らず嘘を付くときは多少なりとも良心が咎めるのが普通だ。
ただ、人間関係の中で嘘を付かれるのはそれなりの理由をこちらも持っている場合があるので、一方的に相手が悪いかどうかは顧みる必要があるかもしれない。

嘘と言っても理由も原因も千差万別だが、「やむを得ない嘘」はあっても、「いい嘘」は絶対ない。
サイコパスでない限り嘘は大抵相手にばれていると思った方がいい。
嘘が通ったと思っても相手は不審に思っていたり騙されたふりをしている時が多い。

ここ数年、政治の「嘘」を見せつけられ、嘘に麻痺してしまった日本人が残念でならない。


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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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