神社参りの意味

2018–11–10 (Sat) 17:27
私は神社が好きで定期的にいくつかの神社に行く。
祈祷してもらったり宿坊に泊ったり自分の浄化も兼ねて通い、実際本当に助けてもらっていると感じている。
しかし最近ふと思うところがあって自分自身の内観をしてみると、神社参拝で反省すべき部分や姿勢を改めなければならないのではないかと気付かされた。

よく、神社はお願いに行く所ではないと聞く。
参拝の時にはお礼と感謝で十分だと。
しかし大抵の人は御利益を期待したり願い事をする。
祈祷では神職が神様に祈願の取り持ちをしてくれるし、参拝客が増え皆が神様に手を合わせればそのエネルギーを得て神様もパワーが増すのも事実だろう。
それでいい循環が出来れば理想的だ。

しかし人間は弱いもので「苦しい時の神頼み」という言葉通り、困った時だけお参りに行ったり縋ったりすることも多い。
私も最初は好きな神様にお参りし神気を感じ自分が浄化されていくような気持になるだけで嬉しかったが、時に困り事があったり窮地に陥ると神社へ行って神様にお願いしたのも何度かあった。
勿論崇敬する神社で助けて貰ったと思った時はお礼参りもし、ますます神様が好きになっていった。

だが、ふと気付いたのはいつの間にか本末転倒になってしまっているのではないかということだ。
困った時は神社へ行って助けて下さいとお願いする。
そういうことが多くなっていないだろうか。

商売繁盛とか儲かりますようにと現世利益を求める参拝をどちらかというと否定的に考えていたのは、人間の欲を神様にお願いしてはいけないと思っていたからだ。
しかし例えば厄落としでも縁切りでも命を救ってくださいという切実な願いでも、実は神様にお願いするということについては変わらない。
神様は内容を選ばないと言われる。

ただ、もし御利益があるとしたら実は本人自身が最大限の努力をして、もう出来ることは全てやったという上で神様にお願いした時だと思う。
自助努力もせずに他力本願で、あっちの神様こっちの神様お願いしますではいけないのではないか。
もっと言えば御利益も諸願成就も、自らの努力や持っているパワーが不可欠で、それを呼び覚まし引き出して最大限発揮させてくれるのが神様の力であり神社参りのあるべき姿ではないかと思ったのだ。

ブログの最近の記事で「天は自ら助くる者を助く」「人事を尽くして天命を待つ」と書いたことがあったが、これが今日はリフレインしていてこの記事になった。
一昨日昨日と三峯神社へまた一泊してきたのだが、神様が私に教えてくれた言葉のような気がする。


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縁結び・縁切り

2018–07–23 (Mon) 16:02
私は神社仏閣巡りが趣味だが最近は若い参拝客も多い。
特に若い女性は縁結びのご利益を求めてくるようだが、中には縁切りのために参る人もいる。
縁結びで有名な神社と縁切りで有名な神社では、雰囲気も違い奉納された絵馬の内容も当たり前だが正反対だ。

若いカップルが二人で縁結びを願い参拝するのは微笑ましいが、実はこの縁結びの願掛けは少々怖いものがある。
二人で一緒に縁を結ぶ願を掛けると、万が一うまく行かなくなり別れたいと思っても神仏に願を掛けて結んでしまった縁はまた切らない限り残る可能性があるからだ。
結婚した夫婦や結婚を約束している場合ならいざ知らず、たまたま付き合うことになって安易に縁結びを願うと事情が変わった時に厄介なことになる。

ある観光スポットでカップルが互いの名前を書いて南京錠を掛ける縁結びの願掛けの場所があり、おびただしい南京錠がかかっていたが、それを見た時に私はなぜかある種の怖さを感じた。
この錠をかけた人達はその後どうなったのだろうかと。
勿論結婚して幸せになっている人が多いだろうが、そうでない場合お互いを呪縛する依り代になってしまうのではないかと。
別れる時は錠を外しに行った方がいいと何かの記事で読んだことがあったが、その通りだと思う。
神社仏閣で特定の相手とお互いに縁を結ぶ願をかけたのなら、別れる時はその縁を切ってもらった方がよい。
神仏に何か願い事をして成就したらお礼参りに行くのは筋だし、縁を結んでもらって駄目になったら切ってもらうのも筋だ。

縁結びはいいことなので誰でも軽い気持ちで願う。
恋愛や結婚でいい相手との縁が出来るとか、仕事、人間関係といった決まった相手ではないものに対しての縁結び祈願なら構わないが、カップル二人で縁結びの願を掛けるならくれぐれもその後のことも考えて慎重にした方がいいような気がする。

一方縁切り寺や神社は、悪縁を切りたい人達だから深刻度が違う。
ストーカーやDV相手、色情因縁を切りたいというのが大半でそれは同時に相手の執着や生霊を断ち切る事でもあるので、魂の救済という意味では神仏は動いてくれると思う。
中には不倫相手の妻が離婚してくれますようになどという見当違いの縁切りもあるが、そういう場合は自分に返って来るのであくまで自分にとって良くない縁を切るようにお願いするのが縁切り願掛けだ。
縁切り寺社は悪縁を断ってから良縁をもたらしてくれるそうだから、一度身の回りをすっきりさせたい人はいらない縁を切ってもらい良縁を呼ぶために縁切り寺や神社へ参るのがいいだろう。

単にいい縁がほしい、恋愛や結婚がしたいという願望だけで縁結び神社へ行くより、知らずに結んでいる悪縁を切ってもらった方が新しい縁も来やすくなる。
よくスマホの住所録を整理すると新しい人が入って来るというが、縁も同じかもしれない。

いずれにしても円満な別れでない場合は、次の恋愛のためにも縁切り寺や神社へ行ってこれまでの相手との縁をきれいに切ってもらった方がよいと思う。


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恨み辛みの業

2018–07–20 (Fri) 15:48
毎日猛暑が続いているが世俗の垢が溜まったので三峯神社へ二カ月ぶりに行って来た。
さすがに暑さのせいか参拝客は少なかったが、鳥居をくぐると空気がひんやりして涼しいくらいだった。
宿坊も空いていてのんびりできたが、やはり朝の境内はリセットされるのかどのお社も神気が漂うような凛とした感じがあった。

最近の世情を見ていると西日本豪雨で戦後最大の被害が出たのに国民は無関心で、かたや火事場泥棒のようにカジノ法案を国会で無理くり成立させようとしているのにこれも大した問題にもなっていない。
自分の欲に忠実な人間と善悪に無関心になった人間しか日本にはいないのかと思っていたところ、神社で参拝している最中に偶然にも人間のを考えさせられる出来事があった。

ある縁者から電話があって、話の概要は高齢で体も弱っているからいつ死ぬかわからないが、どうしても妹夫婦が許せないという内容だった。
死ぬかもしれないと言いながら恨み辛みを延々と繰り返す彼女を、姉妹喧嘩の経緯も含めずっと知っている。
40年も前の金銭の問題で、一度は決着も付いたり和解のようなこともしたのだが、どうしても許せないという。
近親憎悪は家系的な因縁に近いのがある。
これが赤の他人なら諭したり発想の転換もアドバイス出来るが、その歳になったら彼女にはもう無駄だろう。

性格、いや持っている魂がそうなっているのだから言われたところで変わらないだろうが、ふとこの人は人生で人を妬んだり恨んだり、執念深くネガティブな感情を持ち続けるのが生きるモチベーションになっているのかもしれないと気付いた。
エゴイストや執念深い人間は長生きをする。
どちらも人の気持ちが分からないからだ。
この世の中心にあるのは自分だけで、己の欲望、感情が全てなので、加害者の自分は忘れても被害者の自分は永久に忘れない。

正直70歳半ばになっても40年前にされたことを恨みに思っている人間がいること自体私の尺度からすれば驚異だが、一方でその凄まじい執着がある限りまだまだ死なないだろうと思ってしまった。
他人なら絶対に関わらないタイプの人間だが、縁はあるのでたまに来る電話は拒めない。
今回も彼女の話を聞いて、私は自分が組み込まれている家系的な因果律を自覚する必要があったのかもしれない。

政治を見ても日本の風潮を見ても自分がよければそれでいいような社会になっている。
災害で人が死のうがカジノ法案でアメリカの要求を飲み延命を図る安倍総理と子分達や、自分に降りかからず生活さえ守れれば政治にも他人にも無関心な人々に苛立ちと絶望を感じていた。
そんな折卑近な問題で、欲を棄損された40年来の遺恨を聞く羽目になり、人間のロウワーな部分を見るという妙なシンクロを感じてしまった。

残念ながら、悪人ほどよく眠る、憎まれっ子世に憚る、の言葉通りそういう人々が図太く長く生きるのも事実なのかもしれない。
関東有数の神域へ行って人間のを改めて再確認するとは、まだまだ道のりは長い。笑


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他者への祈り

2018–05–21 (Mon) 15:41
神社へ行くと必ず絵馬が奉納されている。
私はお神籤を引く程度で絵馬は滅多に書いたことが無いが、お神籤を結ぶ場所が絵馬が掛けられている場所の隣だったりすると何気なく書いている内容が見えることがある。
勿論人様の願いなので裏返しになって誰でも見えるものしか見られないが、それでも目に入ってしまうことがある。

今回も二つの神社へ行って幾つか目に付いてしまったのだが、驚いたのは自分以外の人の事を願っている内容が多いという事だった。
家族の事は勿論全く他人と思しき人の事や、中には別れた人の幸せを願っているものもあった。
思わず「あなたも幸せになれるから」と心の中で言ってしまったが、深刻な状況の「おかあさん」を案じる子供の願いもあった。
目に留まった願い事だけでも心を動かされるような内容があって、いずれも自分以外の他者について祈っているのがとても印象的だった。
普通自分の願いを書きそうなものだが、実は人間とは案外神の前ではエゴが消えて利他の意識になるのかもしれない。

確かに中には以前見かけた絵馬で他者の不幸を願うような内容があってぎょっとしたこともあるが、そんな人は何処の社会でも一定数はいる。
その時は怖いと思ったが、逆に神社まで来て絵馬にそんなことを書かねばならない人の無明を今なら思う。

人は自分の波動と同じ波動を引き寄せるという。
今回見た絵馬の数々が人のためにという内容だったのは、一緒に行った連れが私のために付き合ってくれたというのがあったから同じ波動のものが目についたのかもしれない。
自分の周りは鏡というが、周りの人間に限らず目に付いたものや事象はもしかしたら今の自分の状況を知る手掛かりになるかもしれないし、時にネガティブなものや嫌だと思う事ももしかしたら自分が気付かずに抱えている問題やクリアすべき部分だったりする。

人様の書いた絵馬で偶然見えたものでもこんなに心が揺さぶられたのだから、不届きだが絵馬の内容を一つにまとめたら感動的な本が出来るような気がした。
祈りとは「ご祈念します」と挨拶するように人のための事が多い。
神仏に祈る時も自分のことより親なら子供、子供なら親、夫婦なら互いの幸せを祈るのではないだろうか。

あるツイートで七夕の時期に見掛けた画像があった。
願い事を書いた沢山の短冊の写メだったが、中央に「お父さんのドナーが見つかりますように」という短冊があって、その横に「隣の短冊の人の願いが叶いますように」という矢印入りの短冊が複数飾られていた。
そして、物凄い数のリツイートがされていた。
これを見た時に、胸が熱くなったのを覚えている。

「誰かのために祈る」事こそ本来の祈りのような気がする。




三峯神社と猿

2018–05–20 (Sun) 17:16
三峯神社へ一泊で行って来た。
ここは2~3カ月に一回は心身の浄化も兼ねて行っているのだが、今回は身内と一緒にゆっくり宿坊へ一泊してきた。
今までは晴天の日が多かったが今回は霧に包まれていた。
三峯神社の霧は神様が降りてくると言われているが、先が見えないような場所もあって幽玄な雰囲気が漂っていた。

宿坊の部屋に入ると、窓の外に連れが猿を見つけた。
鹿は会ったことがあるがまさか猿がいるとは思わなかったので驚いた。
三階だったが下の屋根の上で子猿が一匹座っていたのだ。
猿も神遣いと言われるが、三峯神社で猿に遭遇するとは。

どうも今回は猿のシンクロがあるらしく、荷物を置いてお社を順に参拝しずらりと並んだ末社を一つ一つ見て行った時猿田彦神社に連れが目を止めた。
「猿田彦珈琲ってあるけどここから来ているのかな」と連れが聞いた時に突然頭上から一枚の木の葉が連れの目の前にひらひらと落ちて来た。
私は「ほら、返事をしてくれたかも」と言ったが、あまりのタイミングの良さだった。

それから東照宮の摂社に参り、日光東照宮には行かないのかと聞かれ、そこには「見ざる聞かざる言わざる」の三猿がいることを思い出した。
まあ、こじつけというか連想ゲームのようだが、実は猿のシンクロは翌日も続いていた。

帰途の途中、西武秩父駅での待ち時間に買い物があるという連れに付き合って市街地を歩いて行くと偶然秩父神社を見つけた。
せっかくだから参拝して行こうということになり、案内を見たら境内に有名な三猿がいるではないか。
こちらも徳川由来の神社で家康公が三猿の彫刻を彫らせたそうだ。
日光東照宮の三猿とは反対でよく見てよく聞いてよく話してという元気三猿と言われており、日光東照宮とは対照的な猿だ。

それにしても日光東照宮には行かないと言ったのだが、翌日全く意図せず秩父神社の三猿に参ることになるとは不思議だった。
猿は厄が去るという厄落としや導きという意味があるらしい。
狼の神社である三峯神社で猿に遭遇し、帰りは三猿に参拝することになったのはきっと何か意味があったのかもしれない。
三峯は憑き物落しの神社だが、憑き物が落ちて猿のシンクロが起こり厄も去って最後にはお元気三猿で元気をもらったと考えれば、何ともハッピーな神社詣でだったようだ。

単なる我田引水のこじつけかもしれないが、ネガティブよりはポジティブに考えた方がよいし、最後に秩父神社へ行ったのは完全に偶然だったのできっとガイドが私達を行かせてくれたのだろうと思う。
憑き物が落ちて厄が去り元気になれると信じれば、そんな現実を引き寄せられるような気がする。
色々な方法で見えない世界は教えてくれたり注意喚起をしてくれる。
単に偶然と思わず物事を視点を変えて見るのもいいのではないだろうか。

蛇足だが、私は三峯神社へ行く朝方茶色の子犬を連れている夢を見た。
子犬だと思ったのだが・・・これ以上は言わないでおこう。笑


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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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