虫の知らせ

2018–11–02 (Fri) 16:49
「虫の知らせ」というのは悪い予感や直観のことを言う場合が多いが、今回は実際の虫、つまり生きている虫の知らせについて書いてみたい。
スピリチュアル的に昆虫は色々な知らせを持ってくると考えられ、洋の東西を問わずに同様な意味を持っていることが多い。
鳥や動物もそうだが虫にも神遣いと考えられたり、縁起の良し悪しの象徴になっているものもある。

縁起がいいと言われるのはてんとう虫でこれは世界共通のようだし、黄金虫や玉虫などもそうだ。
蜘蛛は朝蜘蛛は縁起が良く夜蜘蛛は縁起が悪いと言われているが、これは誰でも知っていると思う。

ここまではスピリチュアルには関係なく言われている迷信のようなものだが、スピリチュアル的には虫も何かの報せで来ることがあるらしい。
例えばお墓参りに行ってトンボや蝶々が飛んで来たら故人が来ているとか、神社で神遣いと言われる蜂が飛んで来たら神様に歓迎されているとか。
見えない世界は生き物を使って合図をくれることがあり、どうしてこんな虫がここに?とか、普通は考えられないような生き物がいたり、とても印象に残る動物や虫を見た時は何か意味があるかもしれないと考えてもいいだろう。

というのも自分のことになるが、最近窓を開けていたらブーンと音がして何か虫が入ってきたことがある。
珍しいと思ったが、よくわからず追い出したつもりでいたのが実は二日経って天井にいるのを発見し、よく見るとそれはカメムシだった。

私はマンションの三階に住んでいるが、この時期にカメムシが一匹飛び込んでくるのは初めてだった。
しかも二晩部屋にいたことになる。
発見すると壁に移動したので袋を使って無事に外へ逃がしたが、妙に気になってスピリチュアル的にカメムシは意味があるのか調べてみた。
するとカメムシは「深刻になりすぎない」というような意味があるらしい。

実は最近胃腸の調子が悪かったので検査の予約を取っていて、カメムシはその検査の前に飛び込んで来たのだった。
結構ネガティブ思考の私は検査にビビっていたのだが、無事に異常なしで終わり、ほっとした翌日カメムシを発見して外に出したことになる。
つまり検査の前に飛び込んできて終わったら出て行ったわけだ。

深刻になっていた私に「深刻にならなくていい」と知らせに来てくれたということだろうか。
こじつけと一笑に付されても、私にとっては見えない何かが知らせてくれたと思わずにはいられなかった。
後付けになってしまうが、文字通り虫の知らせだったようだ。

全てを意味あるものにはできないが、気になる事、印象に残る事、不思議な事はきっと何かを教えてくれているのかもしれない。
普段は嫌われるカメムシだが都会のマンションの三階に飛び込んできて、二晩も過ごして出て行ったのはやはり偶然とは思えない。
何となく見えない世界とカメムシに感謝したいような気持になった。


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ハロウィンと悪魔

2018–10–30 (Tue) 16:12
今、世間ではハロウィンで大騒ぎをしている。
年々大々的になって来るが、これはバレンタインのような商業ベースに乗せられたものではなく、自発的に若者の中で規模が広がっているようだ。
週末に渋谷で大騒ぎをし軽トラを引っくり返す若者の画像がニュースになっていたが、邪鬼が群れを成し馬鹿騒ぎをしているようにしか見えない。

というのも個人個人なら多分普通の若者なのだろうが、ああいう場所でああいういで立ちで集団になると違うものに乗っ取られてしまうからだ。
元々渋谷や新宿は場所的に負のエネルギーが充満しているし、渋谷のスクランブル交差点は地縛霊や浮遊霊が常に放浪している。
そこであんな悪魔やゾンビや禍々しい物の扮装をした集団が群れるのだから、いいわけはない。
怪我人や死者が出ないで済んでいるのが不思議なくらいだ。
見える人が見たら本当の魔物や幽鬼がたくさん混じっているだろう。

人間は格好によって気持ちや出すオーラさえ違ってくる。
女性が化粧っ気もなく普段着でいる時と、きちんと化粧をしお洒落をした時では雰囲気が変わり顔つきまで変わる。
男女問わず身なりを整えれば背筋も伸びるし無意識でそれに相応しい立ち居振る舞いをするはずだ。

装いは自分を変える手っ取り早い方法だから、コスプレというのは変身願望の強い人間、逆に言えば今の自分に不満がある人間の欲求を満たす行為だ。
格好を変えれば違う人間になれるからだ。
だからハロウィンで変装をしたがる人間が増えるのだろうが、扮装によってそれに同調する気やエネルギーが出て最後にはネガティブな見えないものにシンクロし呼び込む。

血だらけのゾンビの服を着ていい気持ちになるだろうか。
いい気持になったりぞくぞくするのなら、自分の中にそういうマイナスで危ない部分があると思った方がいい。
そして仮にそんな扮装をしたらその気になってしまう可能性さえある。
罪を犯さないまでもネガティブな部分が解放され、平気でトラックを倒したり狂気じみたことが出来てしまうのだ。

仮面を被って殺人を犯す設定はよく犯罪ドラマであるが、仮装して違う格好になるということは違う自分が出てしまう可能性がある。
中世の仮面舞踏会は貴族が貴族らしからぬことをしてもいい作法だった。
誰か判らないからだ。

渋谷で魔女や悪魔やゾンビや死神が大騒ぎをすれば、本物もやってきて誰かにすっと入り込むかもしれない。
浮かれた若者はくれぐれもご用心だ。


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妖怪はいるか

2018–08–11 (Sat) 17:17
お盆には怪談話がつきものだが、私の友人の占い師は小さい頃幽霊以外にもいわゆる妖怪や不思議な世界のものも見えたという。
ゲゲゲの鬼太郎では様々な妖怪が出てくるが、これは日本古来から伝えられている妖怪で、それに類するものはいたのではないかと最近は思っている。
今ほど文明が発達していなかった時代では洋の東西問わず妖怪や魔物がどこでも語り継がれているし、名前がある妖怪から悪霊が重なり合って化け物のようになった魔物までいたはずだ。

電気もなかった昔では神も魔物も身近なもので、人間も繋がりやすく見えたのではないだろうか。
河童などは今でも馴染みが深いし、これほど身近な妖怪もないと思う。
本当にそれらしきものはいたと考えてもおかしくない。
今でもカマイタチはいるようで、私も一度だけ覚えがないのに腕に5㎝もあるひっかき傷が突然出来たことがある。
まさかと思っていたが偶然違う理由で陰陽師のところに行ったら、傷を見てそうかもしれないと言われた。
まあ、真偽の程は判らないが、スピブログを読んでいるとカマイタチにやられたという記事を見つけて、やはりあるのかと思ったものだ。

庚申塚というのが今でも地名やバス停などにあるが、これは陰陽師などが妖怪や魔物を捕まえ地中に封印して石を置き塚にしたものだ。
昔は妖怪や魔物を陰陽師や呪術師が捕まえて埋めたり結界を張ったりしたようだ。
だから間違って結界を破ったり塚を掘り起こしたりしたら、パンドラの箱を開けることになる。

現代人は幽霊も信じないしましてや妖怪など物語の中のものとしか捉えないだろうが、スピリチュアル的視点になると妖怪というよりも形を変えたエネルギー体だったリ宇宙人だったり人の姿をしていないだけで、見えない世界では様々な形態があるのだと思うようになった。
近代は都会化して妖怪の住む場所も無くなり、みんな深い森や山の奥に追いやられてしまったという。
山の中で迷うと不思議なものを見たという証言はたまに聞くが,案外それは妖怪かもしれない。笑

お盆は死者だけではなく地獄の窯が開くと言うから、あちらの世界からも様々なものが来る。
海水浴をすれば水中に引っ張られると言うし、お盆の禁忌は案外あるようだ。
昔から言い伝えられていることや迷信は何かしらの根拠があるかもしれず、面白半分で破らない方がいいような気がする。



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迷信とジンクス

2018–06–02 (Sat) 16:41
迷信とジンクスについて考えてみようと思う。
最近見た海外ドラマで、1700年代の帆船には船首に女神像が付いているがその由来を語っていた。
セイレーンの誘惑を受けないという理由から,難破回避のお守りという意味もあるらしい。
当時は船に女性を乗せるのは縁起が悪いとか、乗る時には必ず触らなければならない場所があるなど、皆信じていた。
風が凪いで船が進まなくなると誰かを生贄に海に捨てようという話になって、当時の彼等は心底そういう思考回路だったのだと驚く。

科学が発達していない時代には迷信やジンクスは信仰と同じくらい人々の心を支配していた。
特に自然を相手にする仕事などは迷信が幅を利かせていたようだ。
自然や神の怒りを鎮めるには生贄を差し出すのは洋の東西を問わず行われていた習わしで、信仰の場でも、あるいは迷信の一環としても時に人の命を代償にすることがあった。
近代まで道路工事やトンネルに人柱を埋めたのは現実の話だし、昔でもカルトや悪魔崇拝などは子供や未婚の女性を生贄に捧げていた。

迷信を破ると必ず災いが起こるから迷信は守らなければならないという気持ちになるのだろう。
恐怖心が一番人を動かす。
迷信と言われるものは仮に最初は見えない世界の何かが災いを起こしたとしても、何十年も何百年もそれがその都度発動するわけではなく、その迷信を人が信じ恐怖を抱くようになると集合意識がそこに乗り禁を破った者に作用したり本人自身の不安や恐怖心が自ら迷信通りの厄を招いたりするのだと思う。

迷信は誰にでも通じる広さを持つが、ジンクスというのは特定の人々や個人という限定的な範囲が多いように思う。
ジンクスの語源は縁起の悪いものという意味だ。
個人の中にもジンクスがあり、何か悪いことがあったらその時と同じ前フリはしないとか本人が法則を作ってしまうことが多い。
良いことはゲン担ぎ、悪いことはジンクスと言っていいだろう。

私自身も時に滑稽だと思ってもその後不安になるよりはいいので、なるべくジンクスは回避するようにしている。
私の場合は根拠がないのを知っていても自分自身がそれに囚われて招いてしまうからだ。
逆にこれで安心と思えば大丈夫なのだ。

迷信もジンクスも最初は何か人外の理由があっても、それを育て強固なものにして行くのは人間の想念だと思う。
多くの人が、例えば「魔の石」にネガティブな不安や恐怖の念を向ければその集合意識は強力なパワーとなって石に乗る。
だから触れてはいけないその石に触ったら、そこに籠る負の念を受けたり自身の不安がコードを繋げて呼び込んでしまうわけだ。

見えない世界の悪霊や魔物などネガティブなエネルギーは確かにある。
しかし、それを増幅し強大にしてしまうのは生きている人間のネガティブな思念と集合意識ではないだろうか。

不安や恐怖を感じるタイプの人間は迷信は否定しない方がいいし、ジンクスは避けた方がよいかもしれない。
全く平気で信じない人は多分大丈夫だろう。笑


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職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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