我に七難八苦を与えよ

2018–09–30 (Sun) 17:59
スピリチュアルに覚醒し見えない世界や人知では解明できない世界を知ると、自分の価値観が揺らぐ。
人が生きていく上で感じる不平等、不公平、不条理の理由も理解できるようになるが、現実に生きる場合その乖離が大きければ大きいほど、所詮机上の空論ではないかと思ってしまう。

努力は報われない、正直に真っ当に生きてきても不運やトラブルに見舞われる。
一方ずるをしたり人を欺いたり阿漕な事をやっても、ツイていてどんどん成功していったり悪人が地位と権力を得たりする。
世の中に勧善懲悪はないのかと思うことは度々あるし、罰も当たらず畳の上で大往生する悪党もいる。

そんな大所高所の見方でなくとも、自分の人生を考えてみるとこんなに頑張ったのになぜ報われないのだろうと思うことは誰でもあるはずだ。
過ちを犯したら反省し常により良く生きたいと努力しているのに、苦難は次々襲ってくる。
そんな時は何の苦労もせずに幸運に恵まれたり、スイスイと上手く行っている人が羨ましくもなるだろう。

スピリチュアル的観点からは今生だけでなく過去生や来世へのカルマ、宿業、、因果などで考えて辻褄が合うのも理解出来ても、実生活では精一杯頑張っても報われないのには涙が出てくる時が無いだろうか。

確かに私も客観的なブログを書いているつもりだが、自分自身についても属する社会でも矛盾や不条理について全てを受容出来たり達観出来てはいない。
時には「もう十分大変な思いをし、それも乗り越えたのにまた来るのですか」と天に向かって嘆きたくなることもある。
ガイド達に弱音を吐いたり泣きついたこともある。

戦国武将の山中鹿之助が 「我に七難八苦を与えたまえ」と言葉を残したが、彼の人生はその言葉通りの艱難辛苦の連続だった。
「またですか?まだですか?」と思うことも正直あって、そんな簡単に人間は達観できない。
まだまだ山中鹿之助の境地には至れない。

しかし、私達は生身の感情を持った人間だ。
聖人君子にはなれないしネガティブな感情も人間の証だ。
時には霊性の向上など忘れて、辛い、悲しい、悔しいという気持ちも素直に受け止める方がいいのだと思う。


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課題の分離

2018–09–20 (Thu) 17:49
私はこのブログで様々なスピ的考察を書いているが、スピリチュアルの理や霊的進化の道筋など客観的には判っていても、では自分で全て実践出来ているかというとなかなか難しい。
最近これはデジャブだと思う出来事があり、去年全く同じような出来事に遭遇したことを思い出した。
詳細は割愛するが、結果的に私の取り組み方が間違っていて、きちんと自分の立ち位置のボーダーが引けなかったことで心身ともに疲弊したことがあった。

アドラー心理学で「課題の分離」という考え方がある。

―『課題の分離』とは、問題や課題を目の前にして、『この問題・課題の最終的な末路を経験し、責任を負うのは誰か』を考え、課題が誰に属しているのかを仕分けていくことを言う。
そして、誰の課題なのかが明確になったら、自分の課題とだけ真摯に向き合い、他者の課題には介入しないようにする。―

つまり他者の問題に関わるといつの間にか自分の問題にまでなってしまう場合があるが、それは自分の課題ではなく忠告やアドバイスはしても解決はあくまで相手がしなければならないということだ。
人間関係や友人関係で、特に情が絡むとその境が分からなくなる場合がある。
またスピ系人間、特にエンパスや霊媒体質の人は、生きている人間の気持ちともシンクロしてしまうので、我が事のように心を痛めたり行動を起こしてしまう。
果ては相手に憑いている邪気までもらってしまい、ミイラ取りがミイラになることさえある。
占い師や霊能者はこのボーダーをはっきりさせないと命に関わるが、普通の人間関係でも課題の分離を行っていけばシンプルな生き方が出来るだろう。

図らずも最近私は全く同じパターンのシチュエーションに遭遇した。
しかしいつもブログで言っているように、私のガイド達が今回は教えてくれていた。
三度も違う人の口を介して同じことを言われたのだ。
内容は、言葉は違っても「課題の分離」をしなさいということだった。

三人から同じ事を言われたら、これはもう注意と指導以外の何物でもない。
自分でも気付いた「この道はいつか来た道」という感覚と、同じ轍を踏んではいけないという思いがある。

ブログではいつも見えない世界との繋がりを強くすればガイド守護霊から様々なサインが貰えると言っていたが、今回は自分が信じて書いていた事が証明された気がする。
昨日久しぶりに会った3人目の人は私に「前回の宿題がクリア出来たかどうかお試しされたんじゃない?」と私に言った。
その通りだと思う。

見えない世界の人達に感謝だ。


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あの世の遣い

2018–08–25 (Sat) 14:40
今年は異常な猛暑のせいかカブトムシが集団で死んだり蚊が少なかったり昆虫の動態にも異常が出ているようだ。
私は2年前に神社へ行き出してから最初の年は必ず蝶々、特に黒揚羽をどの神社でも見たし東京の真ん中でも何度も見た。
しかし今年は何処の神社へ行っても一度も黒揚羽を見ていないし、蝶々自体殆ど見かけない。
神社で普通の揚羽蝶は見たが頻度は極端に少なく、これも猛暑のせいかと思うが何となく変な感じがする。

神社では神遣いという生き物がいて、それに遭遇すると神様が歓迎してくれていると言われる。
私も今まで会ったのは鹿、猿、トカゲでこれは絶対そうだと思っている。
他には黄揚羽、黒揚羽、トンボなどはしょっちゅう見るが、今年は三峯神社で猿を見ただけだ。

神遣いと言わないまでもトンボや蝶は死者の遣いと言われたりまた天使のサインと言われたりして、見えない世界のメッセンジャーに使われるようだ。
お墓参りに行ってひらひらと蝶々が飛んできて周りを舞うという話はよく聞く。
こんな場合は故人が喜んでいると考えていいだろう。
日常の生活でも注意を払っていると見えない世界が答えてくれたと思う生き物のサインがある。

鳥、蝶、トンボ、蝉、普段は見かけないような昆虫などは何かの報せや答えかもしれない。
私はマンションの3階に住んでいるが、ベランダに出るとたまに驚くようなことがある。
弱っている時やガイドとの接触を願う時に、目の前を鳥が飛んで行ったり蝶が飛んで行ったり、また近くにとまっていたりすることがある。
最近もガイドに繋がっているなら具体的に何かで知らせてほしいと言ったら、ベランダにいきなりセミが飛び込んできた。
あまりのタイミングに返事が来たと驚いたが、偶然ではないと思ってしまった。

神社へ行けば神風や神遣いで神は存在を知らせてくれる。
普段の生活でも後ろの守護霊ガイドは様々な方法でコンタクトをしてくれているが、案外生き物を使ってというのも多いようだ。
世界各地で神の遣いや神の化身と呼ばれている動物、鳥、爬虫類、昆虫がいるが、もしスピリチュアルに興味があり何とか後ろの存在と繋がりたいと思ったら日常目にする生き物にも注意を払ってみたらいいかもしれない。

ガイドが答えてくれる時は様々な方法を使うが、サインが欲しいと思っていた時いきなりセミが鳴き出すとかトンボが側に来るなどあったら、報せなので見逃さないようにした方がいいと思う。
スピリチュアルの世界と繋がるのは簡単で、インパクトがあるかどうか、また法則性が見いだせるどうかが鍵だ。


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ハイヤーセルフ

2018–08–22 (Wed) 18:40
本業は画家なので毎日油絵を描いているが、数年前突然ベネチアンマスクを描き始め以来ずっと描き続けている。
その前は数十年も睡蓮をライフワークとして描いてきて、コンクールや団体でそれなりの画歴を積み職業画家としてやっている。
しかしスピリチュアルに覚醒してからは段々画壇が息苦しくなり、団体にも属していたが一つは辞めてしまった。

何処の人間社会でもヒエラルキーがあって、ステイタスによって人間関係の上下が決まる。
しかし生の人間ではない魂の世界を知ってしまうと、現実の序列ではない序列が見えて疎外感を感じるようになった。
センセイと呼ばれ大名行列をしている人でも絵の実力もさることながら霊格の低さや魂の未熟を感じてしまうと、大名行列にひれ伏す滑稽さに耐えられなくなる。
人間でいる限り欲も野望も持つのはいいとしても、それが優先し何のために絵を描いているのか分からない人や、有名になりたいがために手段を選ばない営業画家、金と忖度と人脈で動く絵の世界にはもういささか嫌気が差していた。
そこでスピリチュアルに覚醒し違う世界から絵描きを見るようになると、芸術と言いながらその部分が欠落している人の多いことに落胆と疲れしか感じなくなった。

かつては私も持っていた画家としての目標がいかに小さいコップの中の世界でのことだったのか分かってしまうと、前と同じ気持ちにはなれなくなったのだ。
大方の絵描きはとにかく有名になって画壇で「先生」と呼ばれ、売れっ子作家になりマスコミに取り上げられることを目指す。
最終目標は芸術院会員、叙勲あたりだが、そこまでは行けないからせいぜい有名画廊や有名百貨店の美術画廊、美術館での個展だろう。

そのために人生をかけしのぎを削るのだが、本当にこの人は芸術家になるために描かされているのだと思う人は少ない。
逆にそういう人はそれとは違ったところで、作品が人の癒しになったりエネルギーを与えたり役に立っているのではないかと思う。
私も何十年も画壇でやって来たが、見る視点が違ってきてしまったので元の意識には戻れないのを感じている。

芸術は大局的に見ればスピリチュアルワークによって生み出されるものだと思う。
芸術という波動は人に伝わり様々な影響を及ぼす。
その意味でも絵を描く人や画家を志す者は、欲や野望のためではなく純粋な気持ちで描いてほしい。

最近ハイヤーセルフと会うというイメージワークをしているが、見えない世界の人はエネルギー体なのでその人に合わせた形で来てくれることが多い。
下の絵は私の希望が見せたハイヤーセルフガイドか、あるいはそのメッセンジャーだ。
勿論私の妄想と言えばそれまでだが、絵描きなのでたまには自分のために描いてみた。
美形なので目の保養になった。笑


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見えない世界のコンタクト

2018–08–09 (Thu) 16:49
8月8日はスピリチュアルで言うライオンズゲートが開く日だ。
宇宙の扉が開いてエネルギーが降り注がれるらしい。
ピンと来ない人が大半だろうが(私もその一人)、つまり見えない世界と繋がりやすい期間ともいえる。

また、8月11日は新月だ。
この月の一巡りで7月13日の新月、7月28日の満月、8月11日の新月と3連続で、同時に「食」が発生する。
占星術的には一大イベントだ。
そしてもうすぐお盆もやって来る。
こう見ると何が起こってもおかしくないし、個人個人でも様々な見えない世界や自分の内面と向き合うイベントが起こる可能性がある。。

エネルギーは目に見えないが、暖気が来たり寒気が来たりするのは誰でもわかると思う。
それと似たような感じだと思ってくれればいいが、見える人には波紋のように視覚で分かったり温度のように触覚で分かったりするらしい。
気功の師匠が手で押すと離れていても体が押されるのはそのいい例だ。
嫌な場所に行って背筋がゾクゾクと寒くなるのは、そこに漂うネガティブな波動を感じたり浮遊霊のエネルギーに触れるせいだ。

エネルギーなどよく判らなくても、今の時期は見えない世界で大きな動きがあると思えばいい。
お盆は分かりやすく亡くなった人が帰って来るので、合図をくれたり不思議な事も起きたりする。
お盆が近づくと故人が夢に出てくることがよくある。
これなどは素直に亡くなった人が会いに来たのだと思っていい。
きちんと迎え火送り火が出来る環境にない人でも、仏壇が無くてもお墓参りに行けなくても、故人を思い出し好きな物をお供えしたり一緒に食べるつもりで食べてあげれば立派なお盆の供養になる。

亡くなった人の一番の供養は時々思い出してやることだという。
普段は忘れていても、節目節目に思い出し懐かしめば故人は喜んでくれる。
お盆にお墓へ行くと、視える人には沢山の死者が行き来をしているそうだ。

私もここ数日亡くなった父が夢に出て来る。
心配をしてよく来る人だが、今でも子供の事はあちらで見ていてくれているのだと思う。
かなり前だが亡くなってまだ数年の頃、旅先で夜中に具合が悪くなり救急車を呼ぼうと思うほどの状態だったが、父に助けてと何度も心の中で叫んだら、寝てる胸の上に父が現れ「大丈夫だ」と言ってくれた。
それで具合がよくなってきたので本当に父が来て助けてくれたのだと確信している。

呼べば亡くなった人は来てくれる。
特に子供や孫は必ず守っている。
普段気が付かなくてもお盆くらいは見えない彼等を思い出し、労い、感謝した方がよいと思う。、

見えない世界と繋がりたい人は死者だけではなく、自分の守護霊ガイドハイヤーセルフ、潜在意識とも繋がりやすい時期なので、コンタクトを試みてはいかがだろうか。


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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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