守護霊はいる

2019–01–10 (Thu) 17:29
私は幾つか自分の過去生らしきものを知っている。
スピリチュアルに目覚めた時どうしても必要だったから、人の力を借りたり後にはセルフヒプノをやって見たりした。
今となっては何処まで信憑性があるかは疑問だが、その時は自分の迷路から抜け出す為や生きていく為に必要だった。
そして出て来た過去生は、やはり私の抱える問題や困難、そして人生そのものを謎解きするに相応しいものだった。
もう5年も前のことだが、それに付随してツインソウルかもしれないガイドの存在も知り彼と一緒だった過去生も複数見た。

転生は丸ごと魂が転生する場合も、大きなソウルグループに属する過去生達の欠片を持ってきている場合もあると思っているので、見た過去生が私の魂そのものか他の記憶の断片が入っているのか、私についているガイドの過去生の記憶なのかは定かではない。
それらを概ね把握し理解、整理するまで2年近くかかったが、今日の私はそのバックグラウンドがあって日々生きており、考え方や価値観もそれに沿っていてこのブログも書いている。

思えば昔に比べると全ての根本に見えない世界や魂というものがあって、それを抜きにして物事の判断はしなくなってしまったような気がする。
全てをスピリチュアル的に考えるのはよくないが、大きな出来事やたとえ不本意な事態、トラブルや不運でもきっと何かしら意味があるのだろうと考えるようになった。
そこからどんな霊的成長をしなければならないのかということだ。
霊的成長イコール人間的成長でもあるが、見えない世界の警告や軌道修正という場合もあるのでそこまで深く追求してしまう。

誰でも魂の青写真があってあまりに方向が違うと強制的に道を変えられたり、行く手を阻まれたりする。
私も何度か経験があるが、あそこまでしなければわからなかっただろうと後に上から言われたような気がした。
今では殆ど上にお任せの状態だが、常に後ろのガイド達を意識している。

信じない人が聞いたら単なる妄想だと思われるが、気休めでも想像上の存在でも今の私にとっては実在する人間のようにガイドはそこにいると思える。
実際助けてもらったり気付かせてもらうことも多々あるので、それが偶然ではないと信じている。

普通の人にとってスピリチュアルは、生活の上でのヒントや参考という程度でいいのではないだろうか。
ただ、不可抗力のようにそこを追求し知る必要があった今の私には、生きていく為に必要不可欠なものになったのは確かだ。

誰でも過去生まで知る必要はないが、必ず後ろには守護霊ガイドがいて護ってくれているということは信じていてほしいと思う。


碧眼





最強のスピリチュアル

2018–12–27 (Thu) 17:01
スピリチュアルブログを書いてスピリチュアル的考察を記事にしているが、実は私自身それほどスピの不思議な出来事に遭遇しているわけではない。
しかしいくつか「本当にそんなことがあるのだ」と思う事例を知っていて、最近もあるスピブログを読んでいてドラマのような話に驚いている。

スピリチュアルでは考えたことが現実になる、アファメーションをすれば実現するというのはお約束だが、実体験からするとそうそう現実化はしていない。
私の場合は心から信じていない、願っていない、ネガティブ要素が常にあるなどと突っ込みは入るが、後から検証すると実は3割程度は実現しているかもしれない。

しかしこれまで私が知っている人の中では全く本人的には思ってもみないようなことが、神社へ行きお告げを受け周りの人の口からも伝えられ一年後にはすっかりお告げ通りのことをしていたとか、最近読んでいるスピブログの人もガイドがツインソウルで人間で来てほしいと願っていたら、海外旅行でツインソウルと思しき人と一目で恋に落ちたという話があった。
いずれも一度は会ったことがある人だし、ずっとブログも読んでいるので経緯も時系列でわかる。

それは出来過ぎじゃないかと思うような展開を読んでいると、恐るべしスピリチュアルと唸ってしまう。
考えたらスピ系人間でも幾通りかにパターンが分かれるようだ。
私のように人間としてのベースの上にスピを信じ取り入れているタイプと、元々スピリチュアルが土台で人間をやっているタイプがいて、前者は後から目覚める人が多く後者は生まれながらに宇宙人のようだ。
前者の中でも覚醒すると丸ごとそれを受け止め、スイッチが変わってしまう人もいる。
特にビジョンやエネルギーを視覚的に見るタイプの人はかなりその傾向が強い。

その手のブログを読んでいると宇宙人の時のビジョンが見えて、それも複数の星での役割や地球に来てからも具体的な前世など事細かで、小説ではないかと疑うような内容だ。
しかし言っていることを実現させたり証拠の写真をブログにアップしていると、本当にそうなのかと信じてしまうと同時に、スピリチュアル世界の力というものに感心してしまう。

普通に考えれば不思議としか言いようのない人生を展開させているスピリチュアリストの共通点は、自分の見たもの感じたものを疑わないことだ。
そして常にポジティブで自分に自信を持ち見えない世界を完全に信じている。
「宇宙にお任せ」とスピでは時々言うが、それを実践できるのが宇宙人である。

翻って自分自身を考えると、思い切り人間している部分が多々あり苦笑してしまう。
勿論スピリチュアルを信じ助けられているが、まだ宇宙人に戻れない自分がいる。笑

まあしかし、人生何が起こるかはわからない。
私もある時ぶっ飛ぶような不思議な体験と展開が待っているかもしれないので、期待して待とう。
それには見えない世界を信じて疑わず、必要な事は必ず実現すると思い込むことが一番大事らしい。


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人生に疲れた時

2018–11–17 (Sat) 17:11
疲れた時や落ち込んだ時は、子供の頃に好きだった食べ物を食べるといいという話を聞いたことがある。
懐かしい曲を聴くのもそうだ。
大人になると食べ物の好みも変わってくるし、あんなに好きだったのにいつの間にか食べなくなってしまったものもある。
だが私自身メンタルが落ちたり身体的にも疲れた時に昔大好きだったものを食べてみると、本当に少し元気が出たり気持ちが癒されたりしたので確かに効果はあったと思う。
何故かは判らないが、心身共に疲れた時にはお勧めだ。

人間が過去を振り返るのは、大抵現在の生活に何かしら不安があったり満たされない時が多い。
運気上昇でイケイケの時には過去を顧みる余裕も懐かしむ必要もない。
視線は全て前に注がれているからだ。
老境を迎えれば来し方を振り返る事はあるだろうが、まだ先の人生が長いのに過去ばかり振り返ってしまうのは、運気が落ちている時や生きることに疲れているからだ。
そんな時きっと無意識に子供時代や過去の楽しかったこと、幸せだったことを思い出して今の辛さを相殺させたいのだろう。
今の落ち込みが増幅するかもしれないが、それを通り越すと過去には戻れないし現実に立ち向かうしかないことを悟る。

よくあの時の選択が間違ったとか、この道を選ばなかったらと悔いることがあるが、その時違った道を選んでいたらもっと悪くなっていたかもしれないとは誰も考えない。
人生の選択は間違いだったと後から思うことがあっても、実はその時のベストチョイスでそれがのブループリントに沿っているからだ。
あまりにも違うとハイヤーセルフガイドが必ず警告を与え軌道修正するらしいから、苦悩の末選んだり強制的にそちらへ進まされてもすべてはソウルコントラクトだと思っていいだろう。

誰でも後悔のない人生はない。
しかし都度都度最善の選択をしての今なのだから、たとえ困難にあっても辛くても自分のの選択だったと思うべきだ。
生きていればいい時も悪い時もある。
どん底に落ちれば次は必ず上がる。
そして高みに行けばまた下っていくのが運気であり人生だ。
四柱推命でも算命術でも人の運気は12年一回りで、1年12か月の中でもそれは巡る。

疲れ切ってしまった時は子供の頃好きだった物を食べて懐かしい音楽を聴こう。


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我に七難八苦を与えよ

2018–09–30 (Sun) 17:59
スピリチュアルに覚醒し見えない世界や人知では解明できない世界を知ると、自分の価値観が揺らぐ。
人が生きていく上で感じる不平等、不公平、不条理の理由も理解できるようになるが、現実に生きる場合その乖離が大きければ大きいほど、所詮机上の空論ではないかと思ってしまう。

努力は報われない、正直に真っ当に生きてきても不運やトラブルに見舞われる。
一方ずるをしたり人を欺いたり阿漕な事をやっても、ツイていてどんどん成功していったり悪人が地位と権力を得たりする。
世の中に勧善懲悪はないのかと思うことは度々あるし、罰も当たらず畳の上で大往生する悪党もいる。

そんな大所高所の見方でなくとも、自分の人生を考えてみるとこんなに頑張ったのになぜ報われないのだろうと思うことは誰でもあるはずだ。
過ちを犯したら反省し常により良く生きたいと努力しているのに、苦難は次々襲ってくる。
そんな時は何の苦労もせずに幸運に恵まれたり、スイスイと上手く行っている人が羨ましくもなるだろう。

スピリチュアル的観点からは今生だけでなく過去生や来世へのカルマ、宿業、、因果などで考えて辻褄が合うのも理解出来ても、実生活では精一杯頑張っても報われないのには涙が出てくる時が無いだろうか。

確かに私も客観的なブログを書いているつもりだが、自分自身についても属する社会でも矛盾や不条理について全てを受容出来たり達観出来てはいない。
時には「もう十分大変な思いをし、それも乗り越えたのにまた来るのですか」と天に向かって嘆きたくなることもある。
ガイド達に弱音を吐いたり泣きついたこともある。

戦国武将の山中鹿之助が 「我に七難八苦を与えたまえ」と言葉を残したが、彼の人生はその言葉通りの艱難辛苦の連続だった。
「またですか?まだですか?」と思うことも正直あって、そんな簡単に人間は達観できない。
まだまだ山中鹿之助の境地には至れない。

しかし、私達は生身の感情を持った人間だ。
聖人君子にはなれないしネガティブな感情も人間の証だ。
時には霊性の向上など忘れて、辛い、悲しい、悔しいという気持ちも素直に受け止める方がいいのだと思う。


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課題の分離

2018–09–20 (Thu) 17:49
私はこのブログで様々なスピ的考察を書いているが、スピリチュアルの理や霊的進化の道筋など客観的には判っていても、では自分で全て実践出来ているかというとなかなか難しい。
最近これはデジャブだと思う出来事があり、去年全く同じような出来事に遭遇したことを思い出した。
詳細は割愛するが、結果的に私の取り組み方が間違っていて、きちんと自分の立ち位置のボーダーが引けなかったことで心身ともに疲弊したことがあった。

アドラー心理学で「課題の分離」という考え方がある。

―『課題の分離』とは、問題や課題を目の前にして、『この問題・課題の最終的な末路を経験し、責任を負うのは誰か』を考え、課題が誰に属しているのかを仕分けていくことを言う。
そして、誰の課題なのかが明確になったら、自分の課題とだけ真摯に向き合い、他者の課題には介入しないようにする。―

つまり他者の問題に関わるといつの間にか自分の問題にまでなってしまう場合があるが、それは自分の課題ではなく忠告やアドバイスはしても解決はあくまで相手がしなければならないということだ。
人間関係や友人関係で、特に情が絡むとその境が分からなくなる場合がある。
またスピ系人間、特にエンパスや霊媒体質の人は、生きている人間の気持ちともシンクロしてしまうので、我が事のように心を痛めたり行動を起こしてしまう。
果ては相手に憑いている邪気までもらってしまい、ミイラ取りがミイラになることさえある。
占い師や霊能者はこのボーダーをはっきりさせないと命に関わるが、普通の人間関係でも課題の分離を行っていけばシンプルな生き方が出来るだろう。

図らずも最近私は全く同じパターンのシチュエーションに遭遇した。
しかしいつもブログで言っているように、私のガイド達が今回は教えてくれていた。
三度も違う人の口を介して同じことを言われたのだ。
内容は、言葉は違っても「課題の分離」をしなさいということだった。

三人から同じ事を言われたら、これはもう注意と指導以外の何物でもない。
自分でも気付いた「この道はいつか来た道」という感覚と、同じ轍を踏んではいけないという思いがある。

ブログではいつも見えない世界との繋がりを強くすればガイド守護霊から様々なサインが貰えると言っていたが、今回は自分が信じて書いていた事が証明された気がする。
昨日久しぶりに会った3人目の人は私に「前回の宿題がクリア出来たかどうかお試しされたんじゃない?」と私に言った。
その通りだと思う。

見えない世界の人達に感謝だ。


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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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