念とエネルギー

2018–11–11 (Sun) 16:34
人は常に念を出しているし受けている。
念とはエネルギーや波動ともいえるが、想念だけではなく誰でも体の周りには腕の長さくらいのエネルギーをまとっている。
これはオーラと呼ばれるが、色が見えたり大きさ形が違っていたり伸び縮みもする。

その時の状態によっても形状や色が変わったり、病気などをするとその部分だけ欠けたり凹んだりもするらしい。
私はオーラは見えないがかつて絵を教えていた時絵画教室の生徒にオーラが見える子がいて、心身共にしんどい時期に「先生のオーラはぼこぼこに引っ込んでいる」と言われたことがあった。
今なら見えなくてもわかるような気がする。

嫌いな人間の側に行きたくないと思う時は相手が出すエネルギーフィールドに触れたくない、入りたくないと感じているからだし、好きな人にくっつきたいと思うのはそれを共有したいと求めるからだ。

喜びや悲しみは波動となって体から放出される。
特にネガティブエネルギーは残りやすいようだ。
風邪を引いて熱を出したり病に臥せっていれば、体から邪気やネガティブエネルギーが出て寝具がそれを吸い取っている。
そういう時は特にこまめに寝具類を洗ったり布団を干した方がいい。

物には念が憑くというが、知らず出しているネガティブエネルギーがその時に身に着けていたものや場にも残る場合がある。
だから、失恋した時に来ていた服や相手から貰った物は身に着けたくなくなるし、処分した方が理にかなっていると思う。
失恋でなくとも人生で辛い経験や大変な思いをした時の物はそれを思い出すから嫌だが、実は思い出すというのはその時に憑いた念に通じてしまうということでもある。
とにかく嫌だと思う物や場所や人は、そこにあるエネルギーを避けたいというスピ的直観だと考えていい。

私は以前温泉が大好きで、大きな町の健康ランドのような温泉にも足繁く通った経験がある。
そういう場所は温泉をかけ流しではなく循環させていて、おびただしい数の人が毎日入っている。
以前はそれも平気だったが今ならもうとても入る気にはならない。
いくら消毒していても物理的にきれいでないというのもあるが、それ以上に多くの人が入りお湯に体から邪気やネガティブなエネルギーを出していくのだから、とても怖くて入られないのだ。

世の中には潔癖症の人がいるが、病的でない限り人のエネルギーに敏感だからその影響を受けたくないという、自分でも気が付かない隠れスピ人間なのかもしれない。

どうしても嫌な感じがするという時は、自分のスピ能力を信じてその感覚を尊重した方がいいだろう。


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神社参りの意味

2018–11–10 (Sat) 17:27
私は神社が好きで定期的にいくつかの神社に行く。
祈祷してもらったり宿坊に泊ったり自分の浄化も兼ねて通い、実際本当に助けてもらっていると感じている。
しかし最近ふと思うところがあって自分自身の内観をしてみると、神社参拝で反省すべき部分や姿勢を改めなければならないのではないかと気付かされた。

よく、神社はお願いに行く所ではないと聞く。
参拝の時にはお礼と感謝で十分だと。
しかし大抵の人は御利益を期待したり願い事をする。
祈祷では神職が神様に祈願の取り持ちをしてくれるし、参拝客が増え皆が神様に手を合わせればそのエネルギーを得て神様もパワーが増すのも事実だろう。
それでいい循環が出来れば理想的だ。

しかし人間は弱いもので「苦しい時の神頼み」という言葉通り、困った時だけお参りに行ったり縋ったりすることも多い。
私も最初は好きな神様にお参りし神気を感じ自分が浄化されていくような気持になるだけで嬉しかったが、時に困り事があったり窮地に陥ると神社へ行って神様にお願いしたのも何度かあった。
勿論崇敬する神社で助けて貰ったと思った時はお礼参りもし、ますます神様が好きになっていった。

だが、ふと気付いたのはいつの間にか本末転倒になってしまっているのではないかということだ。
困った時は神社へ行って助けて下さいとお願いする。
そういうことが多くなっていないだろうか。

商売繁盛とか儲かりますようにと現世利益を求める参拝をどちらかというと否定的に考えていたのは、人間の欲を神様にお願いしてはいけないと思っていたからだ。
しかし例えば厄落としでも縁切りでも命を救ってくださいという切実な願いでも、実は神様にお願いするということについては変わらない。
神様は内容を選ばないと言われる。

ただ、もし御利益があるとしたら実は本人自身が最大限の努力をして、もう出来ることは全てやったという上で神様にお願いした時だと思う。
自助努力もせずに他力本願で、あっちの神様こっちの神様お願いしますではいけないのではないか。
もっと言えば御利益も諸願成就も、自らの努力や持っているパワーが不可欠で、それを呼び覚まし引き出して最大限発揮させてくれるのが神様の力であり神社参りのあるべき姿ではないかと思ったのだ。

ブログの最近の記事で「天は自ら助くる者を助く」「人事を尽くして天命を待つ」と書いたことがあったが、これが今日はリフレインしていてこの記事になった。
一昨日昨日と三峯神社へまた一泊してきたのだが、神様が私に教えてくれた言葉のような気がする。


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今ある幸せ

2018–11–07 (Wed) 17:53
「足るを知る」という老子の言葉がある。

大抵は分相応で満足しろという意味に使われたりするが、本来は少し違うようだ。

「知足者富」(足るを知る者は富む)

物理的な物を指すのではなくもっと人間の内面つまり、「外より内側」で考えた時に、「外」すなわち「収入・地位・財産」といった外的なステータスではなく、「内」すなわち「命・志・思想」など自分の内側に目を向けそこに価値を見出したものが豊かであるという意味だと解釈できる。
物理的な外の欲望は人である限り持ち続けるが、自分の内面に持っているもの、もっと言うなら今生きていること、命のありがたさを自覚できれば人間として満ち足りるのではないかということだ。

お金が欲しい、いい暮らしがしたい、社会に認められたいというのは誰でも欲として持つが、でもそれは今の自分が命を脅かすものがなくこれから様々な事にチャレンジしていけるという前提があるからだ。
不満ながらも普通の日常があるからもっといいものを求められるのであって、その土台となるものが崩れてしまっては望みようがない。

人間の欲はプラスとして成り立つが、マイナスが始まれば欲など消し飛んで失くした部分の補填をしなければならなくなる。
病気になる、収入がなくなる、家族を失うなど、普通の日常が続かなくなれば失った普通の生活がいかに価値があったのかわかるだろう。

「足るを知る」という言葉は皮相的な物事ではなく、人間らしくいられる事や人も含めて周りにあるものの価値を知り感謝をするということなのではないかと思う。

失って初めて判る事が沢山ある。
目に見えるものも見えないものも。
当たり前だと思って空気のようにあったものが突然なくなればどうなるだろう。

命があり健康があり毎日生きているからこそ味わえる感情や生活の中の喜怒哀楽が、当たり前のことではなくなる場合もあるのだと今一度肝に銘じておくべきだと思う。
「足るを知る」とはそういういうことではないだろうか。


黄色い花





金の亡者

2018–11–05 (Mon) 16:38
知り合いにカフェの日替わり雇われ店長をやっている人がいる。
趣味でタロット占いをやっていて無料でお客も見たり、常連客がついて人気があった。
しかし、オーナーが金儲け主義の人で彼女は苦手にしていたが、ここ最近次々他の店長が辞めてしまったそうだ。

理由がオーナーの強欲さに嫌気が差したからだという。
口々に「人として嫌いだ、気持ちが悪い、同じ空気を吸いたくない」と言って辞めたらしい。
知人も前から嫌がっていたが最近は気持ちが悪くて耐えられないそうで、早く店が潰れてくれればいいとさえ言っていた。

私も最後にオーナーを見掛けた時には、確かにあまりいい感じのオーラではなく近寄りたくないと思ったものだ。
みんなにこんな風に思われてそのオーナーも気の毒だが、お金儲けしか眼中になくどんなことがあっても相手のせいにして非を認めないし絶対に反省しないらしい。

元々その時点で人間としてどうなのと思ってしまうが、知人の話を聞いているとそれでも何とか持っていたところが最近段々ひどくなってきたという。
多分何かのきっかけでネガティブな部分が増幅するようなことがあったのだろう。
辞めた人達が金銭問題以上に「人間として嫌だ、気持ち悪い、側に来られたくない」と言い出すということは、相当ネガティブな波動を出しているということだ。

潰れる店というのは何となく独特の気を出している。
元々の土地が悪いと誰がやっても駄目だし、特定の店が潰れるならそこのオーナーや店主の持つ邪鬼のせいもある。

「金の亡者」という言葉があるが、くだんのオーナーはその言葉がぴったりのタイプだったので、本当に見えない亡者に取り憑かれたのかもしれない。
話していて嫌な感じがしたり、もう会いたくないとか側に行きたくないと感じる人は確かにいる。
職場にいれば悲劇で、上のケースのように次々人が辞めてしまうかもしれない。

そういう人は元々宿をもっていたり、何かのきっかけでそのが増幅してしまう場合もある。
金や権力はに拍車を掛ける。
彼等の特徴は自分が見えないこと、自分の非を認めず人や周りのせいにすることで、本人の辞書に感謝や良心という言葉はない。

そういう人はそういう魂で今世修行に来たのだろうが、悪しき波動を振りまかれる周りの人間はたまったものではない。
もし気持ちが悪い、一緒にいたくないと思うような人がいたら、自分を守るためにも近づかない、側にいるなら速やかに離れるようにした方がいいだろう。


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虫の知らせ

2018–11–02 (Fri) 16:49
「虫の知らせ」というのは悪い予感や直観のことを言う場合が多いが、今回は実際の虫、つまり生きている虫の知らせについて書いてみたい。
スピリチュアル的に昆虫は色々な知らせを持ってくると考えられ、洋の東西を問わずに同様な意味を持っていることが多い。
鳥や動物もそうだが虫にも神遣いと考えられたり、縁起の良し悪しの象徴になっているものもある。

縁起がいいと言われるのはてんとう虫でこれは世界共通のようだし、黄金虫や玉虫などもそうだ。
蜘蛛は朝蜘蛛は縁起が良く夜蜘蛛は縁起が悪いと言われているが、これは誰でも知っていると思う。

ここまではスピリチュアルには関係なく言われている迷信のようなものだが、スピリチュアル的には虫も何かの報せで来ることがあるらしい。
例えばお墓参りに行ってトンボや蝶々が飛んで来たら故人が来ているとか、神社で神遣いと言われる蜂が飛んで来たら神様に歓迎されているとか。
見えない世界は生き物を使って合図をくれることがあり、どうしてこんな虫がここに?とか、普通は考えられないような生き物がいたり、とても印象に残る動物や虫を見た時は何か意味があるかもしれないと考えてもいいだろう。

というのも自分のことになるが、最近窓を開けていたらブーンと音がして何か虫が入ってきたことがある。
珍しいと思ったが、よくわからず追い出したつもりでいたのが実は二日経って天井にいるのを発見し、よく見るとそれはカメムシだった。

私はマンションの三階に住んでいるが、この時期にカメムシが一匹飛び込んでくるのは初めてだった。
しかも二晩部屋にいたことになる。
発見すると壁に移動したので袋を使って無事に外へ逃がしたが、妙に気になってスピリチュアル的にカメムシは意味があるのか調べてみた。
するとカメムシは「深刻になりすぎない」というような意味があるらしい。

実は最近胃腸の調子が悪かったので検査の予約を取っていて、カメムシはその検査の前に飛び込んで来たのだった。
結構ネガティブ思考の私は検査にビビっていたのだが、無事に異常なしで終わり、ほっとした翌日カメムシを発見して外に出したことになる。
つまり検査の前に飛び込んできて終わったら出て行ったわけだ。

深刻になっていた私に「深刻にならなくていい」と知らせに来てくれたということだろうか。
こじつけと一笑に付されても、私にとっては見えない何かが知らせてくれたと思わずにはいられなかった。
後付けになってしまうが、文字通り虫の知らせだったようだ。

全てを意味あるものにはできないが、気になる事、印象に残る事、不思議な事はきっと何かを教えてくれているのかもしれない。
普段は嫌われるカメムシだが都会のマンションの三階に飛び込んできて、二晩も過ごして出て行ったのはやはり偶然とは思えない。
何となく見えない世界とカメムシに感謝したいような気持になった。


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Author:masquerade
職業画家でベネチアンマスクを描いています。

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